〈番外編〉リープ21 (2)
「これは《《本物》》ではございませぬ」
「……」
仙田律子の細く伸びた左眉は、ピクリと反応しました。とっさに手前は売り物と本物という単語を入れ替えることから始めたのです。
名家出身でありながら従属種も遣わずに単独行動をしているには、何か重大な秘密があるはずでございます。
「現金を準備して頂けるなら、翌日には本物の宝珠がこの場所に祀られているでしょう。それともお急ぎの理由でもございますかな?」
白服の修道士ですら一分と持たずに倒される有肢菌類。とはいえ、胞子ネットワークも時間旋も断っての来訪でございました。
「明朝で構わん。現金とは貴様も低劣で凡庸な人間のようだな」
「隣人に手を差しのべようという聖職者に対して、ずいぶんと厳しい風当たりのようで。鼻持ちならない相手だろうと、我々に害をなさないとなれば、状況は変化していきます」
「まわりくどい奴だ。貴様の裁量で本物の宝珠が手に入るとは思えないが?」
「人とは……」手前は賭けに出ました。「もとより奴隷として造られた悪辣な思想を持った生物でございます。しかして思想というものは急速に変化していくものなれば、宝珠の価値とて、我々には手に余りますようで」
「ほう、願ってもない好機とでも言いたいようだな。金ごときなら用意してやろう」
「では明朝に」
嘘の情報を与えたのはそれだけではございません。わざわざ盗ませた文献には宝珠を持った者が死すれば、それは砕け散り一度だけ死者を甦らせると書いてあります。
「だから裏手にあるステンドグラスの破片を一握りと、厨房から豚の血を詰めた袋を用意して死を演じたわけね」
「なかなかの洞察力でございます」
では内通者と文献の話は省きましょう。怪人は夜行性のきらいがあり人目のある時間帯では、容赦なく目撃者を殺戮したのです。真夜中に敷地内へと誘き寄せる必要がありました。
「わかりました。でも……問題は神父のその惨めな姿です。いったい何がどうなったらブリーフ一枚でムチを打たれるのですか?」
「惨めに拘束された状態で仙田律子の気を引いたのです。彼女の殺戮衝動を抑えるためには、吐き気がするほど徹底した下衆な設定が最も効果的だったのでございます」
説明するのは困難でございますが、有肢菌類の特性ではなく、仙田律子自身に何か特別な感情が芽生えていたとしか思えませんでした。
人間の愛情表現を受け入れがたい状況にあったのでしょう。その点において、唯一隙がございました。
文献には宝珠の加護を受けた手前が夜の儀式を行うということも書いておきました。精力絶倫の手前は娼婦を残し教会から人払いをする予定だと記しております。
手前が〈樹輪の宝珠〉の力を使い、葉山麗子との愛に溺れ、快楽のただ中で無限の絶頂を繰り返すと信じたのです。
「わ、わかりました。あの怪人はまんまと騙されて夜中に宝珠を奪いに来たのですね。目を背けたくなったのも、明朝まで待てなかったのも、何となくわかります」
「その晩だけは祭壇に祀られているダミーの宝珠が本物に代わるという情報でございましたから、なおさらでございましょう」
「かくして、犠牲者も死者も出さずに宝珠を守り、彼女を追いやることに成功したわけですね。そこからは何となくわかります」
数時間前。神父は蝋燭を片手に麗子の部屋を訪れた。噂を聞いていた彼女は唇をかんだ。彼を信じたかったが、すぐには出来なかった。
刑務所でも新しい職場でも、体を求められた。誰かを信じるには、あまりにも辛い時間を過ごしてきたのだ。
『あんたみたいな小男が、大胆なことをするわね。そんなに……私に興味があるとは思わなかったわ!』
「落ちついて聞いてください。貴方に説明するのは何回目でしょう。既に貴方は十八は回死んでおります。さすがに要領を得てきましたので、はっきり言いましょう。貴方はいつも仙田律子に人質にされ、二十回中十八回は死に、二回は瀕死でのたうちまわりました」
『あ……頭でも打ったの?』
「手前は、同じ過ちを繰り返しています。なんとか全員の命を救おうと挑戦を続けている次第です。まるで無限の回廊でございます」
『い、意味がわからないわ』
「試行錯誤の連続でした。貴方には死んでもらう他ございません」
『手を出そうってのなら引っ叩くわよ!』
「それも再三、経験しました。一度は信頼を得るため性交渉に発展しそうにもなりましたが、決め手となる言葉がみつかりました」
『な、何が目的なの?』
「貴方は刑務所で会った囚人の老婆にこう言われましたね。人を信じることが出来れば娼婦は、聖母にもなれると」
いつか聞いた噂話がよみがえる。刑務所で自分を唯一庇ってくれた老婆の言葉だった。本当に変わりたいと思うなら、この教会へ行きなさいと言われたことを。
『どうしてそれを!』
「ええ、貴方しか知らないことです」
『だ……誰に聞いたの?』
「貴方自身です。さあ、時間がありません」
神父の言葉には一つも嘘はなかった。誰も死なせないという目的が最優先だったのだ。
先じて私に説明するのは得策ではなかったのだろう。どうしてもぎこちなくなり、その場で仙田律子は我々を拘束したようだ。
信憑性をだすためには、後から説明するしか無かったのだ。私の誤解をとき、完全にこちらの意図を理解させるのは容易ではない。
ラルフはやるしかなかった。はじめは葉山麗子を罵り真実を捲し立てた。次には芝居がかった台詞で持ち上げ、やる気を起こさせた。
次には優しい言葉と真摯な態度で彼女の奴隷となりムチを打たれた。次には彼女を力一杯強く抱きしめ心から謝罪した。
何度目か。最後に麗子はすべてを信じ、死刑囚から受けた奇跡の言葉を神父に告げた。
娼婦は聖母になると――。
「二十一回の時間跳躍、これ以上は手前の体力も精神力も持たなかったでしょう」
「たった一人で、よく頑張りましたね」
麗子は乱れた髪を撫で、服を整えて言った。演技とはいえ、神父に殺される役は彼女の胸を高ならさせた。背中と手にびっしょりと汗をかいていた。
「この選択肢しか有りませんでしたが、一人ではございませんでした」神父は私の暗い表情を覗き込んで笑みを浮かべた。
「貴方のような恥も外聞も気にしない非常識な人間がこの場に居なければ、到底不可能でした。心よりお礼申し上げます」
「褒められている気がしませんね。ですが何で彼女はそこまで樹輪の宝珠に?」
「長生きしたければ知らないほうがいいやもしれません。世の理や食物連鎖はデリケートに出来ています。永遠に人がその頂点にいるとは決まってはおりますまい」
「よく分かりませんが私は神父あなたを信じます。今まで誰も信じられませんでしたけど、許されるなら生涯……」
「おやめなさい」神父は汗と血で汚れた顔を拭った。「生涯などという誓いは撤廃なさいませ。貴方はまだ若すぎる」
「意外といいコンビだと思いますけど」
「手前のような変態の禿げた中年神父と? 実のところ、貴方が仙田律子を殺すようなシナリオも試みました。手前が死ぬ訳にはいかないですからね」
「私では役不足でしたか」
「いいえ、貴方は殺ったでしょう。手前が指示すれば怪我も命も厭わずに立ち向かったでしょう。それでは、駄目なのです」
「ま、まあ、元々娼婦だし神父さまには釣り合わないと言われれば仕方ないけど」
「さようで」
「発展しかけた性交渉のこと、詳しく聞かせて貰いたいんですけど」
「なっ……」
「ズルいでしょ?」
「ご、誤解なさらないでください。聖母に殺しや性交渉を強要するわけにはいきません。どんな過去があろうと、貴方は……貴方は、綺麗でございます」
「神父とも、あろう方が人を理解出来ないとは残念です。私は聖母ではありません」
「この先の話とは存じます」
「いいえ」
あなたの前ではずっと娼婦です――。




