〈番外編〉リープ21
教銘学園付近の教会、数ヶ月前――。
修道士が人払いをしたおかげで深夜の教会は静まり返っていた。仙田律子はタイトスカートがめくれるのも気にせず祭壇にある宝珠に手を伸ばした。
あの変態禿げ神父は、地下室でまだお愉しみ中のようだ。こんなに簡単に手に入るとは思わなかった。
「!?」
手にした瞬間にこれが偽物だと気づく。誰かが、すり替えたのか……眉根を吊り上げて礼拝堂の入口を見ると白ブリーフ一枚の姿で拘束具をつけられた哀れな小男が寝かされていた。
たるんだ身体にはムチで打たれた痕が幾つもあり、見るも無残な姿だった。たった数時間前にあれほど宝珠を求めたことがいまは苛立たしい。互いに心のうちをさらけだした気分だ。
「貴様は一体何をしているんだ?」快楽を求めてこのようなプレイに興じる輩を知らないわけでもない。
律子はいったん思考を止めて咳払いをし、言い放った。「聖職者が聞いて呆れるわ」
「んぐ……ぐっ」猿ぐつわが外されると神父ラルフは息を荒立てて話し出した。
「すぐに、あの娼婦を捕まえてくださいっ。逃げ出したのです。こんなことが、こんな失態が公けになれば、手前は地下組織に殺されます。あるいは魔女団に火炙りにされるでしょう」
「はあ!? な、何だと」
二人は聖堂を飛び出し荘園を見た。半裸の女が走っていくのが見える。まさか手癖の悪い娼婦が教会に祀られている〈樹輪の宝珠〉をすり替え、盗んだというのか。この男は娼婦を陵辱しようとして、逆に暴行されたのか。
「に、逃がすかっ!」
律子が飛び出そうとした瞬間。娼婦は足を絡ませ門の前で両手をついて倒れた。昔ながらの罠に掛かったのだ。
「ふははっ、馬鹿な女だ。あれはただのロープでございます」
「古典的な罠だな」
すでに怒り狂った禿げ神父は娼婦にむかって駆けだしていた。律子は暗がりの二人を見据えたまま首を振った。
あまりにも低俗な光景、半裸の二人が行ったと推測される出来事、連想される光景が気に入らなかった。
「さっさと、本物の宝珠を――」
神父ラルフはどこからか突然にナイフを取り出していた。すると躊躇なく、女の脇腹に差し込んだ。
「な、なにっ!?」律子は目を疑った。人間の持つ幼稚で低俗な性の欲求というものに感覚が麻痺していたのかもしれない。
「死ねええっ!!」
「まっ、待て。殺すな、宝珠が、宝珠がっ」
娼婦は口から大量の血を吐き、前のめりに突っ伏した。倒れた女のうえに白ブリーフ姿の変態がのし掛かり繰り返しナイフを振り下ろす。
「愚かな娼婦め、死ぬのだっ!」
返り血と切り裂かれた直腸が神父ラルフの額に飛び散った。律子が慌てて女の前に立つと、男は鼻に血を滴らせ冷ややかに微笑んでいた。
「ふは、ふはははは……ご、ご安心くださいませ。ちゃんと祭壇に宝珠はございます。もう、もう引取りに来られたのでしたね。少しばかり早かったようにございますが――」
「……」
「なんとか無事に済みました。いやはや、律子殿のおかげで助かりました」
「祭壇の宝珠は偽物だったぞ。馬鹿めっ!」
「な、なにをおっしゃいますか」両腕両脚を大きく広げたまま芝生に横たわっていた娼婦は、かなりの出血量だった。
律子が僅かに身を屈めようと近づいた瞬間、その四肢がピクピクとうごめいた。
「ひっ、ひいいっ、なぜ生きているのだ!」
娼婦がむくりと頭をあげると、手元から砕け散った宝珠がキラキラと零れ落ちていった。あたふたする神父ラルフが顔を向ける。
「ど、どういうことですか?」
「宝珠が砕け散ったのだ。この女の身代わりになって……樹輪の宝珠は所持者の生命を一度だけ復活させる。そんなことも知らんのか」
「な、何故、何で」
「知るかっ! このゲス野郎。貴様など殺す価値もないわ」
「ほ、本物の宝珠を何故、娼婦がっ?」
「うるさい。もう、ここに要はないわ」
仙田律子はそのままスタスタと教会を後にし、暗闇に消えて行った。神父は怒りに身を任せ、娼婦の首を締めていた。
「きゃあああっ、助け……助け……」
女の助けを求める声がしたが、律子は振り向きもしなかった。
「………」
「……」
※
「さて、何がどうしてこうなったか教えて頂けますか、変態神父さま。あの女が人間では無いというのは分かりましたけど」
血まみれ修道女、葉山麗子と禿頭の神父ラルフは互いにもたれあいながら膝をついた。疲れきったその顔を見合わせると神父は顔を背けて、彼女のシャツを閉めるように指をさした。
平手でひっぱたいても、ムチで背中を打ち付けられても表情ひとつ変えない神父が、はだけた谷間に赤面する姿は愛らしく思える。自分がメロドラマに夢中になるタイプでないのは承知のうえだが。
「知っての通り、この教会に祀ってある宝珠には大変な価値がございます。希にあのような人外生物がこれを奪いにやってきます」
「有肢菌類とかいう《《怪人》》ですよね」麗子はうつむいて上着のボタンを留めながらそう言ったが、震える指先は隠せなかった。「それで、私が殺され役を演じるまでにはだいぶ長い話になるのですか?」
「はてさて――」
葉山麗子がこの修道院に来たのは自分を変えるためだ。パンを盗んだのがはじまりで、ずっと刑務所と売春宿が彼女の住処だった。
〈樹輪の宝珠〉の噂なんて本気にしていなかった。ただ人生をやり直せるなら何処でもよかった。
神父ラルフはそんな麗子を優しく迎え入れた。そして何もかも知っていた。パンを盗んだのは幼い兄弟たちの為だということも。
娼婦になったのは母親の治療費を稼ぐ為だったことも。そう、何もかも知っていた。怖くなった彼女は誰から聞いたか鋭い口調で問いただした。
すると神父は笑顔でこう言った。「貴方自身です」と――。
この宝珠には再生の力があるといわれている。数日前、中年神父はこの宝珠をぜひ買いたいという代理人の女性を教会の中へと案内し文献を見せた。
それが仙田律子だった。タイトスカートに短く纏めた髪の二十代の美女だった。彼女は億単位の金額を提示した。
売り物ではないと伝えると同時に、側近である修道士の左目から長く伸びた爪が飛び出していた。すぐさま警備についていた六人の修道士は八つ裂きにされた。
どの修道士も実力も体術も申し分のない強化型と呼ばれる猛者だった。一瞬で祭壇は血の海と化し、神父ラルフは迷わず能力を使った。
樹輪の宝珠とは生命の循環をつかさどる教会のシンボルである。そしてこの教会の中でのみ、この力は使用可能となる。
彼が使えるのは時間を繰り返す能力だった。時間跳躍、タイムリープという能力と口先だけで仙田律子を追い払ったのだ。
「手前だけが、記憶を持ったまま教会の時間を巻き戻すことが可能というわけです」
「今となっては信じるしかありませんね。つまり、先読みできるわけですね?」
「ええ。先読み以外の言い方はありません。後読みでは、ただの回顧録です。ですが手前にとっては後読みが可能と言えましょう」
「なら無敵じゃないのよ」
「滅相もございません。手前が死ねば、この能力を使うものがいなくなるのですから、当然すべては終わります。致命的な怪我を負っても同じです。過去に戻っても傷は癒えません」
神父はムチで打たれたような切り傷を見せた。あの仙田律子にやられた傷だと思っていたが、違っていた。
「その傷は、まさか?」
「察しのとおり犯人は主に貴方でございます。詫びる必要はありません。手前が至らなかったのでございます」
「ご、ごめんなさい。誤解していました」
神父ラルフは頬を赤らめたように見えた。何回もの時間跳躍タイムリープで自分たちにどんなやり取りがあったのか知りたかった。
「教えてください、私には知る権利があるはずです。今後の為にも」
「……はてさて」




