大司教
「このルートなら誰も居ないと言ったじゃないか、タナー」袖廊を歩く魔女の一人が愚痴を言った。
「ボディーガードをしながら探っておったが情報屋が間違っておったのじゃろう。今は言い争っている場合じゃない」
「それだけ? 救助隊の私らが死ぬなんてのはごめんだわ」
「ここがどういう場所かは分かっておったろうに。後にしてくれ」
「後で、必ず言い争いはするわよ。魔女団と地下組織の重鎮同士でみっちりね」
「まあ、勝手にせい」
聖堂に侵入するまでにタナーは八人の警護を締め上げ、ミーとケイという二人の若い魔女はその後ろを歩くだけだった。
真夜中をまわったころだろうか、大司教の部屋には香料を加えた蝋燭が点されているのに、死臭は強くなっていくばかりだった。
「さぁて、この先にいるのは大司教だけじゃ」
「アッシュは礼拝堂、タナーは上を見張ってちょうだい――」
「何故じゃ?」
「そのために連れてきたのよ。急いでよ、時間がないわ」
「……」
魔女の一人のその言葉に、アッシュは喉を撫でて頷いた。大司教のくぐもった言葉は袖廊に、礼拝堂に、死臭の漂う地下室に響きわたるようだった。暗闇にうつったのは、両腕を縛られベッドに括られた宏美さんと、彼女を拷問する大司教の姿だった。
「こんなに早く、男をたらしこむとは呆れた女だな。役立たずの魔女でも、そっちの能力は持っていたわけか?」
大司教は俺に気づきもせず、滑稽な道化芝居を続けている。その左手が宏実さんの頬をピシャリと打ち付けた。思ったとおり、大司教は笑顔を崩さず高圧的な態度をとった。
「……」
「どうせ、あの薄汚い男を手玉にとっていい気分になっていたのだろっ!」
うつむく彼女に往復で平手打ちを浴びせる。逆らえば、呼吸機能を失うという恐怖。苦しみに泣き、水面にもがく幼き洗礼の記憶からは誰も逃れられない。
「……」
「調教が足りなかったようだな。私以外の男に媚を売りおって、それで済むと思ったか!」
微動だにしない彼女を見て、大司教はほくそえんでいた。彼女の命を自分が握っているという感覚。まるで自らが神になったかのような高揚感を噛み締めていたのだ。新婚初夜に、花嫁と床入りする新郎のような気分なのだろう。
「三隻の方舟を落としたのは、あの爺いの弟だと言われたよ。あいつじゃなくアッシュの方だとな。くそっ、くそっ!」
彼女の唇は血で真っ赤に染まっていた。宏実さんは俺にお仕置きをしたのだ。わざと俺に見せつけて、俺を苦しめる為に。殴りかかろうとした俺の拳を掴んでケイさんは首を振った。
「!!」大司教は二人の魔女が音もなく立っていることに気づいた。ミーさんとケイさんの他に、二人の高校生、俺と金子だ。「何故、貴様らが。守衛! 守衛!!」
「騒いでも無駄よ。大司教」
「ま、魔女が何故ここに――」
大司教と魔女、おなじ組織である魔女団の再開にどんな意味があるのか。金子と俺は、よく理解はしていなかった。彼女たちの目的はただひとつだ。
「復讐よ、裏切り者……長年の支配と屈辱。魔女団たちは誰も気付かなかったわ、でも私達は気づいた。貴様が魔女を支配して、若い魔女を生贄にしてきたこと。海洋生命体に取り入って、自分だけが甘い蜜にありついていたことをな」
「は、はっはっは、違う。それは違うぞ」固めた髪を振り乱して、大司教は目を見開いた。身につけたローブからは素肌が露出していた。「それどころか、こうなったのは、すべてお前ら魔女のせいだ」
「バカなことを!」ケイは黙っていなかった。「呆れたな。責任転嫁もそこまでいくと笑えるわね。なぜそう思うの」
「分かっとらんな、しくじったのは魔女のほうだろう。魔女団は、礼節を持って規則正しく安定した世界の安全を守るのが目的だった。防衛こそが、そもそもの目的だったはずだ。だが、魔女どもは我先にと能力を見せびらかし、異世界の住人にまで攻撃的になった。欲にまみれて魔力を得ようとしたのは貴様らが先だった」
「なんだと?」
「お前らは大人しく現実世界を守り、報酬に満足していれさえすれば完璧だった。だが、ケチなプライドとエゴのために、この疑似アストラル界を、この神の国をぶち壊そうなどと考えだした」
「……当然だわ。やらなきゃ、やられるだけじゃない」
「しょせん魔女どもの能力など知れている。寿命や、生命力を使った無謀な戦いなど誰も望んではいない。等価交換で自滅するのは目に見えているだろう。身の程を知っていれば、何が正しいことか分かるはずだ!」
「……っ」
ケイさんの手が怒りで震えているのが分かった。ミーさんも同じだ。押し黙った二人に大司教は更に続けた。
「異世界の住人は、ほとんどが無垢で争いは好まない生命だ。貴様らが争いなど初めなければ、初めから海洋生命体に従って生きていれば、今頃みんな死なずに幸せだっただろうが」
「話はそれだけか。もっと貴様を不幸のどん底に追い込んでから殺してやりたかったが、運がよかったわね。復讐はじっくりと味わってから、とも思ったが、怒りが熱いうちに叩くのも悪くないわ」
「そこの二人。高橋と誰だかしらんが、私に手を貸してくれ。勝てぬ戦いを始めるものは狂人だけだ。なんでも望みどおりにしてやる。この魔女もお前にくれてやろう、好きにするといい」
「ふっ、必死だな。俺は理屈や恐怖で人を思い通りにしようなんて考えは持っちゃいない」
「拘束逮捕鎖――」
いつのまにか薄紫色の半透明の鎖が、大司教の首に繋がれていた。ケイさんの鎖の術は、むりに動こうとすれば、キツく締め上げていく。逃げようとすればするほど……。
「斬首斧罪――」
ミーさんの右手からは斬首用の長柄斧が滑るように現れ、ゴトンと床を付いた。魔女団きっての処刑人と呼ばれた二人の魔女は、復讐のためには手段を選ばない。
「お願いだ」後ずさりながら大司教は声をあげた。「同じ魔女団だろう、な、なんでもする。命だけは助けてくれ」
「はっ、命乞いなど聞く気はないわ!!」
ミーさんは長柄斧を軽々と回し、迅速に迷うことなく切っ先を大司教の脳天めがけて振り下ろした。恐怖に目を見開き、動揺した司教の肩に斧が食い込むと、血飛沫が不自然な動きで二人の魔女に吹き上がった。
「!!」
あたり一面が赤い煙に巻かれたように広がると、二人の魔女は同時に片膝を付いていた。ミーさんは長柄斧を放り出して喉を抑えていた。ケイさんも苦しそうに、両手で自分の喉を絞めつけているように見えた。
「……っかは。こ、呼吸が」
息が出来ないようだった。聖水は完全に身体から抜かれていると聞いていたが、あの男の血液で洗礼の呪いが復活したのだ。俺は慌てて大司教をみたが、そこには誰も居なかった。
「くっそっ!」




