見てみぬ振りなんかしない(3)
ちゃんとマットは怪人たちの本質を探ろうと罠を張っていた。不可視の糸から蝙蝠男たち、群れの思考が雪崩のように入り込んでくる。
『ああ喉が渇く、ほとばしる血を啜りたい』各々が渇きを癒すため、飢えを満たそうと喘いでいた。
『融合したい。この感覚は胞子ネットワークとはまるで別世界だ』
『そうだ。〈賢者さま〉は我々を種族の未来を担う偉大なる混血融合体とおっしゃった』
海洋生命体の電子ニューロネットワーク。その進化を遡れば、接続遺伝子で繋がった群生生物だ。
誰が死のうが、全体の中で意識だけは生き続ける。寄生した有肢菌類の記憶置換で共食いをはじめたのは、個体数に対して理解が追いつかないから。
『ここに死はない。道があるだけだ。それは仙人思想に近い。我々は到達点にまできたのだ』
もっと前に気付いていたのに。おぞましい光景と金切り声を聞きたくなかった。見て見ぬふりをしていたのは僕のほうだった。
『止められはしない』マットがいった。『こいつらは万能感を得て思考を放棄している。やるしかないぞ』
三日月弾。両手、人差し指から爪状の弾丸を発射する。あっさりと躱されるが、どうじに張った運命蜘蛛糸で行き先を封じる。
「駄目だっ、すべて読まれている」
叫喚波動。この耳ざわりな反響音の原因が蝙蝠男の高周波攻撃だとすれば、複雑な振動波を生み出す共喚波動が効果的なはず。
僕は何もない空間に中指を弾くと同時に親指の爪から半月刀を出し蝙蝠男の身体めがけて、突進していた。波動の中を走ると、骨に直接振動が響くみたいだった。
「!!」
死体の山を飛び越えて更に一匹が姿をあらわす。半月刀を予期したように突然しゃがみこんだかと思うと、空をきった僕の体を下から撃ち上げようと爪を光らせる。
グイと引っ張られたのがアンディの右手だと気づけば、左手には細川くんめ掴まれ、後ろへと跳躍していた。アンディの背中には二匹のカラスが張り付いていた。
「危なかったヨ。なんて、速い連携だ!」
「た、助かった」
見えていなかった。下からの攻撃には反応できたが、先にいた蝙蝠男は飛び上がり、上から僕を挟み撃ちにしようとしていた。
追撃には三日月弾が必要だった。装填に数秒かかるが、弾切れすることはない。ジグザグに走りよる蝙蝠男たちが三匹いることに初めて気づいた。
「まずいヨ、不意打ちはうまくいったけど、こっちの攻撃が読まれてる」
「あっ、当たらない。あの共食いは、個体数を調整していたらしい。ベストな数に減らしていたんだ」
蝙蝠男は足を止めて、僕らを睨み付けた。その視線を追って顔をあげると、アンディの脇腹に何かが飛び出しているのが見えた。僕は呆然と突き立った白い棒を見つめた。骨だ――。
「あ、アンディ!」
「大丈夫、痛みはないヨ」
骨が突き出しているのではない。あいつは喰らっていた蝙蝠男の骨を尖らせ、アンディの脇腹へ突き立てた。
言葉とはうらはらに息遣いは荒く、ヒューヒューと息が漏れていた。その男はカラスの存在にも気づいたようで、何かを確かめているようだ。
攻撃は、素早く正確だった。奴らの考えを読むんだ――それが出来なかったら、勝ち目はない。
アンディの背中にいるのは一番ちからのある二匹のカラス〈マッハ〉と〈八咫烏〉だ。リーダーの〈ネヴァン〉ははるか上空から反撃のチャンスを狙っているはず。
「知っているぞ」蝙蝠男の一人が言った。「空で弓を弾いていたのが、ネヴァンだな。そして光弾と化したカラスどもは撃ち尽くされた。もはや、敵ではない!」
『どうなっていやがる』マットの動揺が伝わってくる。『逆に思考が読まれているのか!?』
「くうっ」ヒロちゃんも二匹のカラスに引っ張られながら、谷へと向かって後退を始めていた。顔面蒼白で、虚ろな目をしている。あの音波攻撃にカウンターが通用しないとなると、こちらのダメージは計り知れない。
僕は何も理解していなかった。あの雑音のような悪意に満ちた思考を聞き取れていれば、気付けたはずだった。
「三個体になって急激に動きが良くなってる。まるで一匹のように。これが、これが目的だったんだ」
最初は《《音》》によって群れが連絡を取り合っていた。乱戦になれば音波は複雑化して、雑な動きしか出来ないと分かっていた。
『群生生物の持つ伝達能力に切り替えたんだ』マットの声。『個体数が減るほど、連携も思考も軽くなり、すでに完全に意識が一つになっている。三つの視野に隙はないぞ』
「僕がもっとしっかりしてれば……」
蝙蝠男たちの思考を把握していたつもりだった。だが目の前にいる者は三個体の意識、視覚がまるで一匹に共有された別の生物だった。
叫喚波動は音波攻撃を相殺することは出来ても、連中の連携を絶つことは出来なかった。
『ま、まずい……あのカラス』
中央にいた蝙蝠男は一匹のカラス、おそらく小柄な〈フギン〉を掴み、口に咥えた。すかさず自分の両手を使うように二匹の蝙蝠男が左右からフギンを二つに割いた。
「ギャアアアアア!」
『フッフッ、馬鹿めが』
すべてが不気味なほど正確な動きだった。つがいのカラスである〈ムギン〉は、その光景にスピードを緩めた。
残虐な悪夢のような光景は目に焼き付いたように、僕の頭を駆け巡った。振り払おうにも、これは今起きている現実なのだ。
ムギンはくるりと空中で身を返し自身の黒い羽を矢のように突き立て、地面スレスレから右手の蝙蝠男に斬りかかった。
嘴をギラリと輝かせ光弾の矢と化したムギン。だが次の瞬間、ムギンの首から赤い血が吹き出し両者は絡みあったまま倒れた。
「ギィアッ!!」
『ギヤアアアアアアアアアァァ!』
「はっううっ」僕は両手で耳をふさいだ。二重に響く悲鳴は脳を揺らすほどの激しさだった。「なんてうめき声だ」
群生意識では仲間のうめき声が邪魔になる。同化した蝙蝠男にとっては、身体の一部をもぎ取られたようなものだから。
相討ちだった。ムギンの足爪は蝙蝠男の心臓を貫いていた。叫び声はムギンと蝙蝠男の二つが重なりあって発声していたのだ。
致命傷をおった蝙蝠男は苦しみ悶えながらも、ニューロネットによる通信をやめない。
問い続ける、死の間際まで。それでも僕は、回線を切ろうとは思わなかった。見て見ぬふりなんて出来ない。
『く、苦しい!』
『貴様はもう助からない、潜在的な意識は我らに残るのだから、安心して削除されろっ!』
『ふざけるな――ワタシは意識の一部じゃないのか。どうしてワタシが死ななければならん』
『死を、死の感覚を味わうのはもう嫌だ。さっさと遠くへいってくれ!』
『どうして、どうして、助けてくれない。たった今まで意識を共有していたではないか!』
残った二匹の蝙蝠男は、身体の一部を助けるべきか葬り去るべきか怒りと煩悶を同時に抱えていたのだった。
三個体が黄金比のようなバランスを見出して、痛みと苦しみを感じながら、一匹を取り込むべきか、また新たな個体を仕入れるべきか迷っているようだった。
「あの連携を崩すことは難しいけど、こいつら――」
これ以上の痛手は負えないと感じていた。二匹のカラスが命を賭して得た最後のチャンスだ。もう目を逸らすことは出来ない。
「まだ適応できていないんだ」僕は、蝙蝠男に繋いだ不可視の糸から、死の感情を読み取った。それは過去の記憶だった。
この男の過去、血なまぐさい洞穴での長い生活、夜の森を彷徨い飛ぶ生活、軍事教練から賢者の犬へと移り、人間を喰らう孤独な生活。
そんな意味のわからないものが流れては消えていき、不可解な恐怖の感情と生への欲望だけが湧き上がっていく。
従属種として生きる意味。喜びは、僕らと同じ。仲間と歩くことだ。はるか昔の記憶。洞穴に住む同種の蝙蝠の大群が、彼を迎える鳴き声をあげる。
「いま、行く――」
僕はアンディの腕を振り切って駆け出した。体内の骨髄に侵食した海洋生命体が何かを発動した合図を感じていた。
有肢菌類の持つ不可視の糸と、海洋生命体の持つ接続遺伝子が一体となって初めて可能になる結合能力だった。
「ジェニファアアア――――!!」
叫んでいた。同時に三つになった視界が鮮明に目の前に広がるっていくのを感じる。
僕から見る蝙蝠男と、蝙蝠男から見る蝙蝠男、蝙蝠男から見る僕が、同じ僕として向かい合っていた。
「!!」
高度な人格なら意識の奪い合いで、僕に軍配があがるとは思えない状況だった。だが、この三匹はどいつもこいつも現実から、《《死》》から目を背けたがっていた。
見てみぬ振りはしない。そしてフギンのつくった突然の空席。そこに勝機があった。
痛みと恐怖で混乱する三個体のうち、瀕死の一体を削除する。これは自傷行為に他ならない。
『や、やめてくれ!』
『だ、駄目だ。入り込んでくるな、もう人格を維持出来ない』
『道とは……無なのか』
『……』
『……』
僕は、ただ立っていた。カラスを咥えた後の生臭い血を口に感じたまま、あるいは自分の肉体の一部を失った感覚に吐き気を覚えながら、同時に見える三つの景色に観いっていた。
「き、君なのですか?」細川くんは、真っ白な顔を上げて蝙蝠男の一人を見た。「三個体がすべて、野口くん……というのでしょうか」
「う、うん」
「う、うん」
「う、うん」
個体をバラバラに動かしてもいい。仮に僕自身を〈ノグ〉として、この蝙蝠男一号を〈チタ〉左にいる蝙蝠男二号を〈カシ〉としてもいい。
三個体で〈ノグ・チタ・カシ〉だ。僕はそんなどうでもいい事を考えながら、今の状態を更なる俯瞰で見ていた。
「意識を乗っ取ったのですか?」
マットの世界では記憶置換という。意識を上書きして、永遠を生きることさえ可能にする有肢菌類の能力。
更にナノチューブのような群生生物特有のニューロネットで三個体が同時に接続されたのは海洋生命体の能力だ。
「……」
「分かったよ。海洋生命体は」「こうやって、群生生物として小間切れのキューブとして」「バラバラの命を、まるで」「一つの生物のようにして生き続けるんだ。でも」「全員の自我が無いわけじゃない。強い自我や目的意識を持った個体もいる。それらは」「排除される。でも、僕は……それを道だとか、無だとか」「そんなふうには思えない」「うん……切り捨てたりしない。見限ったりしない方法も、あるはずだよね。なんて呼んだらいいのかな」「そういう気持ちがあれば」「こうやって」
「僕らも繋がることが出来る」
「げほっ」細川くんは眉を吊り上げて、悲しげな眼で、僕を、僕らを見た。
「人間の生きる意味。僕らなら、それを希望と呼ぶでしょう」
「あ、ああ」「そうだ」
「――希望だ」




