教えてくれよ(3)
真っ青な空が見える。何処まで続いているんだろう。大司教と魔女たちにどんな諍いがあるのかは知らない。
宏美さんは残された若き魔女たちの協力者だと信じていた。俺の仲間と共に、この擬似アストラル界へ導いてくれる存在だと思っていた。
地下組織の協力者。その情報だけを勝手に信じていた。どうして何も出来なかったのか。俺にはトラップとリフティングしかなかったから。
「!?」
飛び起きた俺は、二匹の怪物と眼鏡ごしに目をあわせた。そいつは長い金串を手に持ち、口をパクパクとさせて近づいてきた。
「なっ、何だって!」
振り降ろされた鉄製の金串を寸前でかわす。丸く魚のような顔が、はっきりと俺を見ていた。悪夢でも見ているようだった。
鱗に覆われた身体。それは人間と魚が混ざったような、おぞましい化け物の姿をしていた。
「や、やめっ――」
遮られる言葉に、明確な殺意を感じた。真っ直ぐ心臓を突こうと迫る金串をかわし、脇をすり抜けるように背後へ走る。
運よくダメージはない。ヒタヒタと歩く化け物に速さはなく、動きも鈍かった。俺は冷静さを取り戻していた。
火葬場か、あるいは餌場のようだった。焼けた匂いと腐った魚の匂いが鼻をつく。受け入れたくない現実。
わらわらと半魚人が集まってくる。あちこちに鉄柵が張られた敷地で、遠くまでは見渡せない。あまりの気色の悪さに吐き気がする。
最後の記憶は――。
宏実さんは手応えの無い攻撃を執拗に続けてきた。そいつは、俺の吸着という物理攻撃を受け止める能力に関係している。更に全身に受けた痣や傷は、綺麗さっぱり無くなっていた。
「あぶねえっ! どうなってんだ。田中さんは何処だ」
真っ直ぐ命を奪いにくる怪物どもに、駆けながら泣けてきた。こんな状況で殺意を向けられるのは耐え難かった。受けとめられない。
俺には加えられる強い力や作用に対して抵抗する能力がある。素早く金串を受け流し、もう一匹の肩へと切っ先を向けた。
「ヴィヒィ」気絶していた俺が目を覚ましたのが気に入らないようだ。半漁人は慌て騒いでいた。「ヴイイヴィイィ!!」
豚のような悲鳴。だが、俺に反撃の手段はない。隙をついて半身を当てながら鉄柵をこじあける。
待ち構えたように、今度はデカいスコップや木槌が振り下ろされる。右手と左足で受け止め、逆方向に振り抜いた。
砂ぼこりをあげながら、怪物たちはけつを揺らして突っ伏した。既に距離をおいて、二十匹か三十匹が迫ってきている。
「くるなっ!」
言葉は通じなかった。何度か血気盛んな化け物が襲いかかる度に、受け流して地面に叩きつけたが、素直に道を開けようとはしない。
「ハア、ハア」
「ヴィヒ」「ヴィイヒイィ!」
「ブゥァァァ」
ツタの絡まる鉄柵の門扉をくぐり抜け、すれすれで化け物をかわしていく。細かく区分けされた敷地、彫像や厩舎、寂れた庭園に迷い込んだか。
太い鉄の棒のあいだから、礼拝堂のような大きい建物の輪郭が見えた。だが正面の門は鎖で完全に閉ざされているようだ。
貯水槽らしきものによじ登り、敷地内を観察しようと思った。朽ちかけた噴水がぼんやりと見える。
闇雲に走り回り、汗の乾ききったシャツは冷たく、黒いチョッキは泥だらけだ。何も出来ない、何も叶わない、だったら何だ。
「――クソっ!」
あたり一面に怪物どもが集まり、俺を囲むように立っていた。宏実さんが何を考えていたのか分からない、どうしてこうなったかも。
分かるのは、俺が諦めたら全てが終わりってことだ。田中さんも宏実さんも、野口も伊藤も羽鳥も。
「くそっ、俺は……そんなのは《《絶対》》に嫌だ。受け入れないぞ」
膠着したままの時間が無駄に過ぎていく。空は青く、静かに輝いていた。俺に空へ飛ぶような能力があれば。
無駄には襲ってはこない。ほとんどは農具や金串を持ったまま、じっと俺を眺めているだけだ。疲れさせて喰うつもりか。
「……」
俺は寂しさに駄菓子屋の婆さんを思い出していた。野良猫に餌をあげたり、俺たちに菓子をくれた優しかった婆さん。
金持ちにもなれないし何も見返りもない婆さんが受けとったのは、野口と俺の感謝の気持ちだけだった。
「……受け止めるのは、気持ちか。先輩もパスの意図をくめっていってたな」
俺は宏実さんの苦しみや、飯塚先輩の悲しみや、タナーさんの心配を受けてめて浮かぶ凧だ。
風がやめばヘナヘナと同じ場所へ落ちてくるが、受けとめ続ければ、空高く舞い上がっていける。
「教えてくれよ。お前らの気持ちは――」
俺の傷が癒えていたのは何故だ。まくっていた腕に聖痕が刻まれていた。宏美さんは、まさか瀕死にみせかけて俺をここへ。
「ヴィ、ヴィ」
「なんだ。俺から攻撃しないってことに気がついたか。死んだと思っていた俺が起きたからビックリしただけか」
「ヴィヴィ」知恵があるのだ。
「俺のリュック。これを持って出ていけっていいたいのか。お前らも、怖かっただけか」
化け物たちの気持ちが分かった。何時間もこうしていれば腹も減る。向こうからしたら、さっさと消えて欲しいのだ。
「なんだよほら、お礼に駄菓子をやるよ。これには沢山入ってるんだぜ」
「ヴィ、ヴィイイエ!」
「アハハ、美味いか。味が分かるのか?」
ここに来たときの事を思い出した。たしかに礼拝堂から出て、地下施設からドーム状の高層ビルへ連絡路が繋がっていた。
来た場所とかなり近い。そうか、新しい技術も手引きも必要ない。彼女は運命や絶対なんてものは、ないと言っていた。他にもヒントは沢山あった。
こぼれたコーヒー。魔法陣。精神力の物理変換。俺が選ばれた理由。洗礼、魔女の造った異界への門。隠された入口。
ここはかつての魔女たちが作った礼拝堂だ。鉄柵は術式を描き、敷地全体を使った魔法陣が組まれている。
住み着いている半魚人に害はない。海洋生命体に造られた実検体生物兵器、とはいえ仕事は食糧の農耕や運搬、庭の管理ていど。
言葉は通じなくても、集団生活してる連中なら、少なからず言語がある。意志の疎通もできるし、菓子の美味さも分かるようだ。
魔方陣と刻まれた術式で、芦田さんと金子を引き揚げる。俺は茶色く濁った噴水池の中にバシャバシャと足を踏み入れた。五角形の噴水の中央に立ち、彫像に向けて手をかざした。
もう質問はなかった。答えは全部あたまの中にあった。宏実さんは物理攻撃を魔力に変換して、俺の身体に刻み付けた。
俺は魔方陣の中央に位置する噴水へ手を掲げて意識を集中するだけで良かったのだ。
「仲間をリフティングする」
風を受ければ高く舞い上がる。サッカーだけじゃなかった。人生で、一番だいじなこと、それは相手の気持ちを受け止めること。先輩は当たり前のことを俺に教えてくれた。
『高橋。お前は馬鹿なんだから、質問し続けろ。そういう仲間を大切にするんだ』
心臓病だった先輩は知っていたんだ。金持ちや有名人になるより、地位や名誉より、相手の気持ちを受け止め、得ることが最高に格好いい人生だってことを。
『ちゃんと駄菓子屋のお婆ちゃんに御礼が言いたいんだ』と野口がいったのを思い出す。俺はその気持ちを忘れていたのかもしれない。
欺瞞があった。レベルを押し上げるなら、しっかりと仲間の気持ちを受けとめなくちゃならなかったんだ。
ゴボゴボと噴水池から泥水が溢れると、水浸しになった二人が飛び出してきた。芦田さんと金子、そして更に二人の女性だった。
「ぺっ、ぺっ!」黒い外套を脱ぎながら二人の女性は肌をあらわに、悪態をついた。あの姉さんたちは魔女団のミーさんと、ケイさんだ。
ブラジルのダンサーみたいに派手で露出の多い格好をしていた。優秀な魔女ほど、セクシーでキワドい姿をするという。
「何でドブから出るんだよっ! いつまでも待たせて何やってたのよ、この馬鹿メガネ」
「シャキッとしろ、このタコ!」
髪をかきあげた金子はしゃがんだまま握手を求め、芦田さんはブーツをひっくり返して水を抜いていた。
「ぐすっ、待たせたな、カネちゃん」
「ナイスリフトだ。ハッシー」
「よくやったわい」芦田さんは言った。「ここに瀕死の宏実さんでなく、お前さんが居るということは、託されたんじゃろ。さあ、さっさと魔女たちを助けだし、野口くんと羽鳥さんを連れて帰るぞい。タナーもな」
「私たちは、黒い司教をぶち殺すのよ。あんたたちも、協力しなさいよ」
「そうよ、まさか潜入にこれだけ待たされるとは思わなかったわ」
「は、はい。すみません」
芦田さんは錆び付いた鍵を引き抜いて、軽々と鉄の扉を開いてみせた。本物の化け物を囲み見ている半魚人たちが可愛く思えた。
「半魚人を手なずけたのか。意外とやるじゃない」
「まさか宏実に手を出してないわよね?」
ケイさんによると、宏実さんはまだ十四歳だそうだ。あの滑らかなボディラインを見たら、とてもそうは思えない。
「ケイさんとミーさんは――」
カネちゃんが俺をこずいた。口元に指を当てながら、絶対に年齢は聞くなと言った。何でも質問できる仲間を大切にしようと思った。
俺はかたい握手をしてカネちゃんをみた。目に見えないもの、見返りのないもの、だが一番大切な気持ちを受けとめられた気がした。




