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教えてくれよ(2)

 大司教は通過儀礼として幼い魔女に洗礼を行ってきた。だが、一説によると海洋生命体に精神力を捧げるための楔を打つためだという。


 共に水の中に入り、祈りを捧げる。それは、この子の命を握っているのは彼らだと知らしめる為の儀式だという。


 魔女たちは、逆らうことが出来なかった。静かに、何十年もの月日を経て、たった数人の司教に魔女団は支配されていった。


        ※


 つまるところ宏美さんは聖女のような人だった。自分がいくら傷ついたとしても世界の為に働くことに誇りを持っていた。


『このお菓子、大好きです。ナッツ入りサッカーボールチョコ!!』


「ああ、しかも玩具のサッカーボール付き。ほら、何個かあるから一つあげますよ」


『机でよく、転がして遊んだなぁ。一人で』


「ええ、俺もやりました。そうだ、今度一緒にやりますか、テーブルサッカー」


『うん、約束ですよ。ふふふ、頬にお菓子がついてます』


 宏美さんは、躊躇ためらいなく俺の頬からそっと菓子を摘んで自分の口に放り込んだ。はっとして彼女の顔をみると少し恥ずかしそうに笑った。


 引っ込み思案で言われたとおりに生きているだけの人生、決して自分を顧みない性格。妙なところは頑固だったが、笑顔はあどけなかった。 


 普通の高校生に生まれていたら、こうやって駄菓子を食べ、懐かしい玩具の話をしながら笑っていたはずだ。


 俺は少しの間だけでも彼女から痛みや苦しみが無くなって欲しいと願った。彼女の友人になりたかった。



 深い傷をおって彼女が倒れたのは、その翌日だった。一時的に気を失って、自室で倒れていたのを田中タナーさんが見つけてくれた。



「我々、魔女団カヴンの問題です。彼女の好きにさせてやってください」


「大司教。儂らが口出しできる問題ではないのは承知しとる。じゃが、彼女を介抱するくらいのことはさせて頂きたい。同じ人間として放ってはおけんのです」


「……」


 田中タナーさんは大司教から許可を貰い、隣接する宏美さんの部屋へ行き来する鍵を預かった。


 日に日に弱っていく彼女の苦しみを少しでも減らしてやりたかった。運命からは逃げられないとしても。


「わかりました。彼女には安静にしてもらうことにしましょう。これ以上、苦労をかけるつもりは私にもありません」


「警護は儂が責任を持って続けますで――」


 表情ひとつ変えずに司教はうなずいた。そういう訳もあって田中さんと大司教はほとんどの時間、一緒にいるようになった。


 彼女の部屋に行って様子を見たり、食事を運んだりするのは俺の仕事になった。


 聖人と聖女。大司教はそんな物語シナリオを押し付けているのではないか。不良だった俺には、到底理解出来なかった。


 彼女は自己犠牲が、世界でもっとも美しい行為だと言ったが、俺には自己犠牲と自己満足の違いも分からないのだから。


 血の付着したシーツが見えた。彼女はベッドサイドに置かれたミニテーブルにいた。両手に持ったマグカップには湯気がたっている。膝の下まで垂れたシャツ型の寝間着姿で、裸足だった。


「包帯と湿布、持ってきました。ここに置いていきます」


「ハッシー」


「ぐ、具合はどうですか。また傷が増えているみたいだ」


「平気よ。私を馬鹿な魔女だって思ってるなら、許してちょうだい」


「許すもなにも、怒っていないです。でも、宏美さんが自虐的になって苦行僧みたいに自分に鞭打ちを始めるっていうなら、心配です。だって、自分を痛めつける必要なんてないんですから」


 豊かな曲線をした身体つきにかかわらず、少しがっかりした表情は、ひどく子供っぽく見えた。彼女は消えかけた蝋燭みたいに、揺れている。


「必要は、あるのよ。世界は変わらなきゃならない。司教さまが変えてくれるわ」


「難しいことは分かりません、頭は良さそうに見えるけど。変わらなきゃならないのは、あなたや俺の方じゃないですかね」


「それって、どういう意味?」


「こんなの、《《絶対》》に間違ってる」


「運命とか絶対なんてものはないわ、この世界には」


「俺、けっこう受け身な性格だったんです。仲間で金子っていうやつ、ずっと先輩のパシリにされてたんですけど、ずっと見てみぬフリをしてました」


 もともと目立つのが好きなタイプじゃなかった。親友だったカネちゃんを一人にしないようにとは考えていた。それなのに、何も出来なかった。


 少年サッカーに入って中学の先輩に目をつけられた瞬間も、別のことを考えていた。どうやったら目立たないですむか。どうしたらバレないですむか――自分の馬鹿さかげんを。



『やるじゃないか、高橋。背もあるし、ボールタッチにセンスがある。お前、フォワードに向いてるよ』


「ほ、本当ですか。飯塚先輩」


『いや、ぬか喜びさせるのが好きなだけだ』


「……」


『ふははは、冗談だよ。ほんとにセンスあるぜ』


 そういったのは三人組の中学生のひとり、飯塚さんだった。心臓の悪かった先輩が教えてくれたのは、リフティングとトラップだけだった。


 本当は、もっと派手な技術を習いたかった。だが、俺はやっぱり何も言えなかった。


 何事にも順番がある。基本がなってなきゃ何もできない。飯塚さんはそういったが信用出来なかった。


 馬鹿にされてるとすら思った。飛んできたボールを受けるだけなんて、そんな地味で受け身な練習を、誰が好き好んでやるものか。


 引っ込み思案で言われたとおりに生きているだけの人生、決して自分を顧みない性格。彼女と同じだ。


 俺には何の才能もない。何のために生きているのか、自分が何者なのか分からなかった。好きなサッカーでも脇役的な存在。試合の結果や流れには関わらない、人数合わせの存在。


 逃げたかった。だが自分には何も変えることも、目立つことも出来なかった。誰かのいいなりになって、じっとしていることしか出来なかった。


 だがある日、練習を続けていて初めて気づいた。大きくゴール前に飛んでいったボールに飯塚さんが走りこみ、ギリギリで追い付いたのだ。


 その右足は、ボールを繊細なタッチで空間に止めた。その完璧さをそこなう音は一切なかった。


 まるで静止画だ。写真や絵画のように人に感動を与える何かだった。俺は息を飲み――初めてサッカーを芸術的なスポーツだと知った。


 トラップ。飯塚さんがボールを受けた瞬間とき、すでに先手を取っていることに気づく。ボールを受けると同時に方向を変え、スピードを加えて自分の物のように操る技術。


 周りの人間は何も出来ない。完璧なトラップは人を魅了する。ボール自身が、はじめからコースを知っていたみたいだった。


 ドリブルやシュートに比べたら地味で退屈な技術――いいや、違う。


 トラップはサッカーでもっとも美しく、重要な技術だ。飯塚さんは、それを知っていて俺に教えてくれたのだ。


『足の外、足の甲、肩や胸、腹も、頭も使え。ボールの威力を殺しながら向きを変えるんだ。いい選手はボールを受け取った瞬間に、勝負に勝ってる』

  

「いいですね。それ」鳥肌がたって俺はトラップに夢中になった。「俺にもできますかね」


『ああ、出来るさ』飯塚さんが教えたいことが、俺の学びたいことだった。『時間の無い俺にとって、こいつは一番だいじな技術なんだ』


 リフティング。太ももにボールをキープすることが出来れば、どんな人数に囲まれようがパスが繋げる。誰よりもセンスがあったのは俺だと思った。


 それからの練習は毎日が輝いていた。たくさん飯塚先輩に質問をした。今になって考えたら、サッカーと関係ない質問ばかりだったが。


「絶対って、あると思いますか?」


『お前たちには絶対しかないだろ』


 試合の日、野口は絶対に勝つと言った。草薙は、絶対にプロ選手になると言った。


 山城は、絶対にゴールを守ると言った。金子は絶対に点を決めるといい、細川は絶対に負けないと言った。あの日の俺たちには、絶対しかなかった。





「――い、息が出来ない」唐突に真っ青な顔で宏美さんが身を屈めた。


「どうしたんですかっ!」


「馬鹿な魔女を、許してちょうだい」駆け寄ろうとする俺の顔面に、彼女の頭部が当たった。


「ぶっ!?」鼻血を抑えながら、ふらつく身体。宏美さんの素足が真っすぐに俺の腹部に突き刺さる。同時にぐるりと半身を回し、宏美さんの裏拳が顔面をヒットする。


「!!」


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」


 何が起きたのか分からなかった。彼女は憑かれたように、飛びかかってきた。この素早さは、術式により肉体強化されたのだろうか。


 息をつく暇もなく連撃が襲う。「ごめんなさい。生け贄になるのは貴方とタナー。最初から、貴方たちは殺される運命だったのよ!」


 凄まじいスピードで繰り出される蹴りと、遠心力を加えパワーを上乗せされた拳撃。細身の彼女からとは思えない破壊力だった。


 まわし蹴りは弧をえがき、振りかぶったストレートにアッパーと続く。ただの女性ではないと知っていたが、怪我人とは思えない動きだった。


「うっうぐうっ――」


 たまらず俺は前のめりに倒れた。ミニテーブルのコーヒーがこぼれて彼女の傷だらけの素足に、ひろがっていくのが見えた。


「……」









 


 

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