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教えてくれよ (1)

     ◆高橋直樹◆


「な、何でもないんです。転んでひっかけちゃって」


「……」


 宏美ひろみさんと初めて会話したのは、腕や足にある擦り傷を見つけたときだ。大司教の側近にしちゃあ、地味な雑用ばかりを言いつけられる侍女だと思っていた。


「ほんとに私ってドジで……ぜんぜん大丈夫ですから」


 黒服のせいか根暗な魔女だと決めつけていた。だが髪を掻き上げると、意外に大きくてつぶらな瞳だと気付いた。


 大きい目、小さい鼻、大きい口、小さい輪郭、大きい胸、細い首、大きい尻、細いウエスト、ドジな性格、真面目な働き。


 彼女は大きすぎたり小さすぎたりして、俺の頭はグルグルと回りだした。眼鏡グラスごしに、ずっと彼女を追っていた。


 しゃがんで落ちた食器を拾いあげ、大司教に謝る姿。転んで、ワインをぶちまける姿。カーテンを閉めようとして、そのまま倒れる姿。


「ごめんなさい。申し訳ありません」


 不幸を背負い込んでるような彼女を見ていると、少し恐ろしくなる。正直に言うと、関われば不幸が伝染る気がしたのだ。


 大司教は笑顔で彼女を嗜める。何も言わない田中さんはボディーガードに徹しているようだった。俺も同じ立場だった。


 近距離の護衛は田中さんだけで事足りるが、遠距離からの射撃には俺が役にたつ。飛来物を吸着トラップする能力、俺がこの疑似アストラル界に来れたのも、全てはそのためだった。


 魔女団カヴンと海洋生命体は長い戦いの歴史があるそうだ。太古の昔から魔女と天変地異は色々と関係していた。


 その両者が数年前から和解の道に進もうとしているのは、この大司教の和平交渉の賜物だと聞いていた。魔女団にも、役にたつ男は沢山いるらしい。


『ずいぶんとお若い戦士だ。この交渉では何万、何億の人命がかかっているが、まさに君のような若い人材が不可欠だと感じていたよ』


 若々しい四十代後半のおっさんで、型どったような笑顔は、精力に溢れているように見える。ポジティブで明らかに交渉には向いているって感じの聖人だ。


『あなたが英雄タナー殿ですね。同行願えるとは光栄です。魔女団カヴン地下組織メトロは運命共同体ですからね』


 大司教に悪いイメージは無かった。俺なんかにも気を使って笑顔で接してくれるし、田中さんや地下組織にも礼儀を知っていた。


「高橋さん、シャツに沁みがついてますよ」


「あ、ああ。ありがとう」


 慣れない正装で肩が凝っていた。単なる付き添いでも、食事や挨拶のマナーは必要だ。白いハンカチで彼女は俺の胸元を叩いた。


「あんまり、緊張しなくて大丈夫ですよ。まだ交渉は始まったばかりですから、もう少しリラックスしたほうがいいです」


「ハッシーだ」俺は彼女の胸元を覗き見しながら言った。わざとじゃなく、たまたま見えたんだ。「仲間はみんな、そう呼ぶんだ」


「……ハッシー? ああ、ハッシーさんですね。そう呼んでよろしいのですか」


「年下だし、そう呼んでください」


「多分、私の方が《《年下》》ですよ。お荷物は随分軽いですけど、何がはいってるんですか?」


 二十歳は過ぎているように見えたが、女性に年を聞くほど野暮なこともない。彼女は俺のリュックを持ちあげて聞いた。


「ああ、非常食を持っていけって言われたから、チョコバーとポテチを大量に持ってきたんだ。グミとか飴も入ってる」


「それ……非常食になります?」


「非常食というか、非常識だった」


「ぷっ」


「「アハハハハハ!」」


 俺は彼女の笑顔を見て安心した。菓子を分けあって、少しだけ彼女と会話をした。真面目を絵に描いたような女性だった。


 優しくて気品があって賢い女性。それでいて世間知らずな働き者。まあ、そういう女性がうまく使われるっていうのを知っていた。


 彼女は次第に責任ある立場に持ち上げられた。見張り役、使者、連絡要員、分配係、密告者、そして大司教の侍女にまで登り詰めた。


 いや堕ちていったといったほうが正しいかもしれない。俺は眼鏡グラスを吊り上げて顔を背けていた。彼女の体に無数の深い摺り傷を見たからだ。


 自分でつけられる類いの傷ではない。これをやった奴がいるとするなら……あの大司教だろうか。そんな確信は無かった。


 三日の間に、何度かこちらの銀髪の紳士たちと会食があった。旧世界めいた風変わりなコートを着た男たちだった。


 会話を聞いてはいたが、重要だと思われる交渉なんてものは一切無かった。単なる文化交流、ありきたりな社交辞令、互いに褒め合うだけの猿芝居。


「いえいえ、ヨークには巫女さまがいらっしゃいますから、そのような問題がおきるはずはございません。何かの間違いでございましょう」


「亡命した人間に魔女が混じっていたとか。詳細はまだ分かりませんが、事実であればゆゆしき問題といえます。どう責任をとられるのか楽しみですね」


「そうやって、真摯に貴殿と向き合おうという愚かなる召使いを罵ればよろしい。どのみち貴殿の上級市民キューブへの昇進はゆるぎますまい」


「お上手なこと。互いに無駄な争いは避けなくてはなりませんが、事実確認は怠れません」


「もっとも事実であるなら、強く活力ある精神を持った魔女がこちらに来ていると」


「ほっほっほ。もう老婆か幼女しか残っていないのでは?」


「これはこれは、熟した果実ほど甘く芳醇なものはありませぬ。幼い精神などに何の価値がありましょう」


「ほっほっほ」


「…………」


「……」



 俺は田中タナーさんと話した。近未来的な通路と自動制御されたドアの前に黒服で立つ俺たちは、時代遅れの間抜けに思えた。


 窓から見える建造物はどれも地上にある造りと似ていたが、円形のドームはすべて高級住宅だと聞く。その隙間から星が見えた。


「あの星の向こうはどうなってるんですかね?」


「……宇宙じゃないかのぉ」


「異次元でも同じなんですかね。じゃあ、こっちに来てる仲間とは地続きですか」


「まあ、そうじゃろうな」


「雲はどうして落ちて来ないんでしたっけ?」


「うーむ……水蒸気は、空気よりは重い」黒スーツからのぞく皺だらけの喉元をさすって言った。


「気流じゃないかのぉ、そういうのは儂じゃなくて学校の先生とかに聞いてくれると助かるのぉ。異次元でも同じじゃろうから」


 窓辺から見える中央都市リーンの町並みは想像力をかきたてる。カラフルで未来的なビル群を見ていると、質問は尽きなかった。


 スマホも教本も無いせいか、くだらない質問ばかりした。こんなに誰かに質問をしたのは、子供のころ以来だった。


「これだけ厳重なシステムがあって、護衛なんて必要あるんですかね」


「アピールじゃろ。それに敵は海洋生命体だけとは限らん。有肢菌類、爬食石生物、同じ人間ですら信用できんわい」


 たった三日前、郊外の教会から俺たちは魔法陣を抜けて、この異界にきた。数人の魔女らが何やら五角形の模様を書いて、俺たちを異次元に送ったのだ。


 海洋生命体との和平交渉。魔女団、大司教のボディーガードが俺たちのミッションだ。魔法陣が開かれるのは行きと帰りの二回だけ。


 定員は四人と決まっていた。俺たちの計画に帰りの切符は無かった。二度目の召還魔法では芦田アッシュさんと金子を此方で俺が受け止める予定だった。


 まだまだ、交渉は終わらない。あと数日はこんな生活を続ける必要があった。


「宏実さんて、何歳ですかね。いや、別に興味があるってわけじゃありませんけど、俺より年下だなんてことはありますか?」


「さあの、見た目が老婆でも、まだまだ若いっていう魔女はおった。魔法は老化を促進させることがあるからの」


「……」


 田中タナーさんに聞いても、実際にやってること、起きていることは理解不能だ。こっちの世界にくれば野口も伊藤も救いだせると考えていたのは、甘すぎた。


「あの司教ですけど、情報独占してるだけで仕事なんかしてないですよね?」


「やれやれ、何度か説明したはずじゃが……大司教がどんな人物であれ、この条件を飲んだ限り仕事はせにゃならん。地下組織のメンツもある」


「俺、難しいことは分かんないですけど。いや、頭良さそうに見えるのは分かりますけど、彼女、宏美さんの身体、傷だらけです」


「気づいとったか。ありゃあ、聖痕スティグマじゃろうな」


「な、なんすか、それ」俺は黙っていられなかった。「あの大司教の仕業ですか?」


「……」田中さんは困った顔をした。「司教の受けた精神的ストレス、ネガティブな感情を彼女の肉体が代理に受けておる」


 それは――肉体的な攻撃を受ければ田中タナーさんと俺がカバーする。精神的な攻撃を受けた場合は魔女がカバーするという盤石の構えだった。


「肉体的に傷ついたり、老化したりするってことですか。変換されて」


「ああ、交渉人の生命は何より優先される。司教の精神状態を保たねば何万人もの人類が危機に瀕する。つまり、変わり身なんじゃよ」


「まっ、待ってくれ。精神的苦痛やストレスが実質的なダメージになるなら、彼女はどうなるんですか!? 全身が傷だらけなのに」


「さ、さあの。ただ、以前に同行した魔女は、両足と何本かの指を失ったと聞く」

 

「なっ……」


 ガチャン――と音がした。そこには食器をぶちまけてしゃがみこんでいる彼女がいた。両手で頭を抱えて震えていた。


 思わず息を飲んで後退った。首筋から耳に、稲妻のように赤い傷がジリジリと延びていくのが見える。


「大丈夫かい……」田中タナーさんは膝をついて、彼女の肩に手を掛けた。慌てる様子もなく、彼女を隣の部屋へと連れていった。で、俺はただそこに突っ立っていた。


 なんでこんな目にあって平気なんだ。《《受け止められない》》。許さない。絶対に、そんなことは許されない。


 不良だったころの記憶がよぎった。飯塚先輩の言葉が頭の中に響いた。心臓の悪かった先輩はリフティングとトラップしか教えてくれなかった。

 

『いいか、取れないボールなんかない。これはサッカーで一番大事な技術だ。いいトラップには無駄な動きは一切ない。迷う時間はすべて考える時間に使うんだ。受け止める前から結果は出てるんだよ――』













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