再会・フォーバックス
僕は砕かれた海洋生命体キューブがバラバラに砕け散っていくのを見た。白い結晶がガラスのように散乱した。僕の向かい側に立っていたのは、ドレッドヘアにラッパーのような格好の厚い胸板の男。
逆サイドバックにいた懐かしい顔だった。確かにアンディなら、僕と動きを合わせることは簡単なはずだ。
「ヨータカ、タイミングはバッチリだヨ」
「ああ……ああ……アンディ、本物のアンディなんだね」
「アハハハハ!!」
「生粋の日本人で英語は全然はなせなかったアンディ……だよね?」
「ボクだ、いろいろあったんだヨ。ああ、野口くん、やっと、やっと会えたネ」
四角いキューブが瓦礫のように積み上がった上部、割れた窓から笑い声が聞こえてきた。切りそろえられた前髪にチェックのシャツは、細川大也だった。
ここまで、こんなに遠くまで来て僕を助け出してくれた。あの海岸での別れから一ヶ月しかたっていないのに。
「細川くんも来てくれたんだね!」
「ふふふ、宝くじでも当てたみたいな顔ですね。野口くん」
アンディの大きな手を掴むと、僕は軽々と瓦礫からひっぱりだされた。太い両腕と幅の広い肩はまるで同い年とは思えないほどだった。
「ありがとう……ああ、ありがとう。だって、もっとスゴイ確率じゃないか。いったいどうやってここまで来たっていうの?」
「彼のおかげです」
制服姿でそこにいたのは、あまりにも懐かしい仲間だった。一条洋、そうサイコパスのヒロちゃん、センターバックのヒロちゃんだった。
「よ、よう、久しぶりだな。野口」
「本物の、ヒロちゃんなんだね」勝手に涙がポロポロと溢れでた。「ヒロちゃん!! ヒロちゃん!!」
頭では理解していなかった。理解が追いつかなかったけど構わなかった。過去の失敗も後悔も、ここでは何の意味もない。
「ど、どこに居たって助けにくる。逆の立場だったら、お前だって来るだろ?」
「う、うん!」
鼻を掻く仕草、耳の後ろでカールした巻毛、森林公園で虫を捕まえたり、死骸を埋める儀式をしたころの記憶が蘇る。あの頃の幼かった自分たちの面影がよぎる。
ああ、確かにその約束を覚えてる。ヒロちゃんが、児童保育の教室で一人きりで残された日、一緒に最後まで付き合った頃の。
あのときヒロちゃんはそういった。お前が一人で残されたとき、本当に困ったときは俺も付き合ってやるって。
「あのときは、すまなかったよ」
「えっ?」
離れていた時期のことを言っているのだろうと思った。それなら洗脳が原因だと分かっているのだから、誰かのせいじゃない。
「お前の母さんに止められていたんだ、黙っててすまなかった。でも間違いだった」
「やっぱり生きてるんだね。それだけ分かれば充分だよ」
夜明けまでは時間があった。僕らは焚き火を炊いて、アンディの持ってきた食料を分け合い、再会を祝し語り合った。
弱りきっていた僕の身体にペットボトルの水が沁みていくのを感じた。戦っていたのは僕だけじゃなかった。
洗脳がとけたアンディと細川くんは明菜お婆さんと魔女団を頼った。疲弊したお婆さんを見た魔女や祓魔師はふたりに耳をかさなかったそうだ。
「ボクは同じ肌の色の祓魔師に取り入ったんだ。ほんの一週間だけど、体術とリズムの取り方を習ったヨ。そんで戦うときはラッパーになりきることにしたんだ」
「じゃあ、やっぱり英語はまったく出来ないんだな……ぶっ、プハハハハ!!」
「笑っちゃ悪いよ、ヒロくん。なんちゃってイングリッシュでもカッコいいじゃん。それよりずっと短髪だったアンディが、ドレッドヘアで現れたことにびっくりしたよ」
僕は勝手に後ろからアンディの髪を触らせてもらった。すると、ズルリとカツラがとれてアンディの後退したおでこが光った。
「えっ!!」
「えっ!!」
「えっ!!」
「い、いつからですか!?」と細川くんも知らなかったようだ。僕らはみんなでアンディに深々とあやまった。
「な、なんかごめん」
「……」
「ほ、本当にごめん」
「い、いや、同情すんなよっ、こいつは神のイタズラ、ピカッと輝く髪のイタズラっ! オッウイエーイ♪」
「ま、まじですまない」
「心からあやまります」
「ほんと、許してね」
「いや、笑うところだヨゥ。やめてよ、そんな悲しい顔するのゥ。そういう場面じゃないでしょ、たかが若禿くらいでショーヨウ♪」
「若ってワードが一番似合わないからな、お前」
ヒロちゃんが肩を叩いて真面目な顔を焚き火に向けた。遠い目で、きっと優しく慰めてあげると思った。
「若って言葉のあとには、たいてい社長とか殿とか目上の人を指す敬称がくるんだ。それを、ぷっ、お前、は、ハゲって……プクク……わかっ、若禿って、プハハハハ!」
「ひ、酷いよ!」
アンディが涙を流して叫んだ。「気にしてない感じしてるけど、こんな見た目だけど、まだボクも十七歳なんだっ」
「「アハハハハハ!!」」
あれから――ふたりが懇願しても、祓魔師は決して行かせてはくれなかった。ほとんど教会で海洋生命体や有肢菌類に対抗する訓練をさせられていたらしい。
アンディは細川くんに相談した。もう待ってはいられないと。そこに居ても監禁されているのと同じだと感じていたのだ。
「明菜婆さんの話が本当なら、ボクらはすぐにでも疑似アストラル界に向かうべきだった。実際そうだ。野口くんもギリギリだったし、イトりんは数時間前にここから立ち去ったみたいダ」
「細川くんの作戦がうまくいったってことだね。どうやったんだい?」
「ボクが細川くんの指示どおり、ラッパーの祓魔師を呼んできて土下座して頼んだんだヨ!」
「えっ。なんか、かなり直線的な作戦だね。なんか細川くんらしくないね」
「ああ、祓魔師は土下座するボクの頭を踏みつけて笑っていたよ。細川くんも一緒に土下座するはずが、違ったんだ。その瞬間、祓魔師が油断した隙をついて殴り倒した。そしてカラスを使って追い払ったんだヨゥ」
「ぷぷぷっ、カラスって。利用されてんだよ、細川に。土下座損だな」
ヒロちゃんは、そう言ったが僕はだんだんアンディが、可哀想になってきた。ドゲザゾンって何だよって笑いそうになったけど、堪えた。
「作戦だったんだよね?」
皆が細川くんを見た。きっと仲間が土下座している姿に耐えられなかったのだ。一緒に土下座する予定だったのら間違いないはず。
「あのときは――」焚き火をみながら、細川くんはゆっくり話した。「まさか本当にアンディが土下座するとは思っていませんでした。冗談のつもりだったのですが、笑いましたよ」
「……ワッ?」
「それに祓魔師の男が慌てふためく姿が見たくて、殴ってしまいました。体格もない、味方のはずの僕がいきなり殴ってくるとは思いもよらなかったようです。彼がカラスにつつかれる姿は、本当に笑えましたね」
「……ワラッ?」
「ギャハハハハ!!」ヒロちゃんは吹き出した。「じゃあ、ノープランだったのかい。アンディは土下座する必要無かったんじゃないの!?」
「ええ、まったく」
「ほ、細川くん。そんな性格だったっけ? だいたいどうやって七羽もいるカラスを支配下にしたの」
一匹のカラスが、バサバサと僕らの前に降りてきた。くるりと回りながら着地すると、一瞬のうちに膝をつく少女の姿に変わっていた。
「皆さんに挨拶なさい、ネヴァン」
「はい」
黒髪に、黒いボアを着たような少女はよく見ると、すごく可愛いかった。すんなり擬人化するあたりは、さすがに有肢菌類の従属種だが、手足や胸は露出した感じで、たんなるコスプレ美少女に見えた。
「……」
「はじめまして、皆さま。わたしは七つのカラスの長、ネヴァンと申します。大也さまとは婚姻を結ばせて頂いております」
「「「ぶぶぶーーーっ!!」」」
「な、何だって!」僕らは三人とも立ち上がり細川くんを睨み付けた。僕も黙ってはいられなかった。
「どういうことなんだ、細川くんっ。エロいこととかしたのか、き、君はこんな純粋で可愛いかんじの子と結婚してたのか!」
「信じられないヨゥ! どうやったら、そうなるんだヨォー!」
「まだエロいことはしていません。お忘れになっているようですが、僕はもともとこういう性格です」両手を焚き火にあてながら、上下に揺らしていた。落ちつけというジェスチャーに大人の余裕を感じる。
「僕は作戦参謀です。カラス天狗に使役されていたのですから、構造も理解しております。絶対的な服従、絶対に逆らえない、などという矛盾した取り決めは、利用するのが容易いのですよ」
細川くんは変わっていない。アンディだってヒロちゃんだって昔のままだった。昔のように、ほんの些細なことで僕らは腹の底から笑って、互いに信じ合い、いつまでも、ずっと一緒に居られると信じていたんだ。
「ネヴァン。カラス天狗様はきっと喜んでおりますよ。この三人にも僕と同じようにつくすと誓いなさい。これはカラス天狗様の命令です。カラス天狗様は、全てを分かっていて、お前たちに試練を与えているのです」
「かしこまりました、大也さま。もうすぐ視察にでた仲間が戻ります」
「ほ、細川くん?」
「……」
「……」
僕らは目を丸くして彼を見ていた。こんなに簡単に従属種を味方につけてしまうなんて、やっぱり彼は天才なのかと思った。性格は悪いけど――。エロいことは《《まだ》》していないという言葉が、気になった。




