サイコパス
◆一条洋◆
深夜の山道に一台の軽自動車が止まった。暗い郊外の森は薄気味悪く、月の満ちた空にはカラスが飛んでいた。
四、五年ぶりにあう二人の幼馴染みに拉致られて僕はすっかり意気消沈していた。
遠い昔に関わらないと決めた仲間、細川大也と吉田アンディ。二人は山城とおなじ小学時代のサッカー仲間だった。
山城の手引きだと思っていたが、どうも様子が違うようだ。
後部座席に押し込められ、手足は縛られ猿ぐつわまでされている。ここは何処だって状況だ。
事のはじめは何だったか。アンディは右サイドバック、細川はセンターハーフをやっていた。山城がキーパーだ。
あの頃の可愛げのある顔つきじゃない。アンディはデブの黒人だったが愛嬌も知性もあった。
今じゃ法や秩序とは無縁なごろつきラッパーに見える。無免許運転をしていた細川も善良なる市民とはいえない顔つきだ。
もともと問題のある親父と暮らしていたうえ、あんな家に引きこもっていたんだから顔色も悪くなるだろう。
細川の親父は下劣な、役立たずの、飲んだくれの甲斐性なしで、妻や息子に暴力をふるう男だった。
当時の僕は子供ながらに、どうして大人たちは細川の親父を捕まえて同じ目に合わせてやらないのか疑問に思っていた。
考え方が、もうサイコパスってやつなんだ。僕は自覚のある方だからまだ抑えがきいてるが、それも冷静でいられたらの話だ。
物心がつく前から、犬やら猫の死骸をよく見かけた。自宅の軒先、通学路の脇、公園の木の下やゴミ捨て場、歩道に林道。
『車にひかれたのかな。可愛そうね』
『そうだね、誰かが埋めてあげればいいね』
それは仲の良かったころの両親の会話だった。僕の行く場所には動物や昆虫の死骸が溢れていた。だから、みんなは薄気味悪いと言っては離れていった。両親でさえ。
『ひやっ、カラスの死骸だ!』
『ええっ、やだ、またなの!?』
僕は死体収集家でも、そっちの愛好家でもなかったが、森林公園の木陰に埋めてやることに抵抗はなかった。
飼っていた亀が死んだときも、捕まえたザリガニが死んだときも、父親と埋めたのを覚えている。そこに埋めてやればまた優しい父親に会える気がした。可愛い亀にも。
野口と初めて会ったのも、あの森林公園だった。お互いに近くに家があったから、いつの間にか顔見知りになっていた。
『死骸が怖くないの?』
「あ、ああ。慣れっこだ」
『すごい。皆は見てみぬふりをするのに、ヒロちゃんだけ平気だなんて。お墓を作って埋めるなんて優しいんだね』
「ああ、そっか?」
『そういうの何て言うんだろ。カッコいいよね! だってヒロちゃんが優しいから、みんなヒロちゃんの前で死ぬんでしょ』
「あは、あはは」笑いと同時に涙がでた。「そうかもしれないな。だったら死骸が平気ってカッコいいのかなぁ」
僕は自分が気味の悪い人間だと知っていた。だから口数は少ないし、会話をするのは幼馴染みの愛美と野口くらいだった。
愛美とは、勘違いから始まった仲だった。外国の血が混じってる彼女は幼稚園のころ、皆に避けられていた。
バイリンガルの愛美に対抗して、サイコパスのヒロと名乗った。意味のないレッテルが僕らふたりを繋いでくれる気がした。
カッコいいと言った野口のために、秘密の儀式をした。それが僕らを、更に特別な存在へと誘うのだった。
「はじめるよ」
『う、うん』
潰れたカラスの死骸を見つめて僕たちは、小さな両手を合わせていた。野口は南無阿弥陀仏と唱え、愛美は胸元で十字を切った。
「……」僕は両手を合わせて、やっぱり何も言わなかった。
森林公園で一番、緑の深い場所。けやきの大木が、ゆっくりと枝を伸ばして死骸を掴み取った。
一瞬、足元に散らばったイチョウの葉と共に地中へと吸い込まれていく。
『アーメン』
『南無阿弥陀仏』
「……」
『死骸が木の栄養になるのは知ってるけど』愛美は青い顔をしていた。『でも、でも、何してるんだろ、私たち。ちょっと不思議よね。アレはなに?』
「これはさ、カッコいいことだろ?」
『「「アハハハハハ!!」」』
あの頃は毎日ちゃんと笑ってた。野口はサッカーを始めて僕を誘った。サッカーに興味はなかったが、あいつは本当の友達だった。
『僕も昆虫とか生き物は好きだけど、死んでるのは触ったことないや。やっぱりヒロちゃんは特別なんだね』
「まあな、そうだね」
『見てみて、カマキリに表情があるって知ってた。こいつ、僕を睨んでる』
「あ、ああ」
野口の言ったカマキリは複眼の中に黒い点があった。その黒点が、どこから見てもこっちを見ているみたいで怖いらしい。
複眼に瞳は存在しない。〈偽瞳孔〉と呼ばれるもので、見る側の視点の移動に関連して動くように見えるだけだ。僕はカマキリが睨んでるのは偽物の目だって教えてやった。
『ヒロちゃんは人には見えないものが見えるんだね。それに、何かを引き寄せる力があるのかも。きっとセンター・バックでカウンターを狙えるよ』
「あははっ。なんだよ、それ?」
それから数ヶ月間、僕らはサッカーに夢中になった。元々身体を動かすのは好きだったし、愛美もマネージャーとして応援に来てくれた。
『相手チームの顔ったらなかったな。序盤から面食らってたよ』
『偶然じゃないよ。あの位置にいたんだから狙ってたんだろ、カウンター?』
『試合の流れがひっくり返るのって、すごいよね。ヒロちゃんじゃなきゃ出来ないよ!』
あんなに楽しかったのは最初で最後かもしれない。チームで走ったり、励ましあったときは本物の仲間だと信じていた。愛美も僕に付いて楽しそうに笑っていた。
まるで夢の中にいたみたいだ。だから、だから思い出したくない。チームがバラバラになったのは、たぶん僕のせいだから。
誰も彼も、人が変わってしまった。決勝戦前の出来事だ。練習の帰り道、公園の木陰に黒く大きな犬の死骸が転がっていた。僕はポリ袋を持ってそいつを運んでやろうと近づいた。
すると保健所の人や大人たちがぞろぞろと集まって、僕を囲んだ。主婦連中や子供たちはヒソヒソ話をしていた。
『おまえ、この死骸をどうする気だ』
『なんて気味の悪い子なんでしょ。知ってるわよ、いつも死骸を集めてるのよね。頭がどうかしてるんだわ』
『死体を持って行こうとしたんですって。解剖したり、玩具にしたりするのよ。そのうち事件を起こすわよ』
『みろよ、この汚れた靴。汗のついた服に、青白い顔。まさか死骸を喰うつもりじゃあるまいな』
『ひいっ、やめて、気持ち悪い!』
腕をつかまれ団地の駐輪場に連れられ、蹴り飛ばされた。僕は地面に倒れ伏した。それでも済まなかった。
大人の男の人だけじゃなかった。女の人や子供までいた。僕は殴る蹴るのリンチにあって唾を吐かれた。
『だめよ、この子と関わっちゃ』
『二度とこの街に顔を見せるな!』
『あっちにいけ、糞ガキっ』
世間が思う善人になりたい。正しい行動を取りたいと思う時期も確かにあった。だが何を言っても、僕の話はまったく通じなかった。
よく考えてみて、そんなことは一切ないと気付いた。誰とも関わらないのがいいんだ。
僕は気持ち悪い人間。寂しくなんかないんだ、本物のサイコパスだから。
『お前を知ってるからな、変質者め!』
『この町から出ていけよ。少しでも馬鹿な真似をしてみろ。またいつでも殴りにくるぞ』
自分では望んでいるのかもしれないが、正義感で行動するなんてことはない。誰もそんなことは望んでいなかったじゃないか――。
僕を殴ったのは仲間だと思っていた連中の親や兄弟だった。二度とうちの子に馴れ馴れしくするなと言われた。
冷たい身体を引きずって、あの場所に向かった。静かに葉が擦れ合う音の向こうで、愛美が泣いているのが見えた。
「……あ、あゆみちゃん?」
『ぐすっ、ぐすっ』
「ど、どうしたんだ」森は暗闇に近かったが女の人が倒れているのが分かった。どこかで見覚えのあるひとだ。
「の、野口の母さんじゃないか。ま、まさか死んでるの!?」
※
ここは八年前のあの日、あの森に似ていた。死骸に触れていた僕は、とっくの昔から有肢菌類に感染してた。
野口の母さんから聞いた〈時間旋〉のことも理解している。でも僕に出来ることは専守防衛であって、一番に守らなきゃならないのは愛美だった。
『ヒロくん。確かにあなたの能力は守りには向いてる。だけど……鷹志とは《《関わらないで》》。それはあなたや、愛美さんの為に』
あの日のあの台詞がよぎる。暗い森に、なにかが蠢いている。空にはカラスも迫っている。アンディも細川も気付いていないのだろうか。
辺りに無数の死骸が散乱していることに――。




