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〈番外編〉ランアウト!

     ◆一条洋◆


 まずい、まずい、まずいぞ――。


 息が苦しい。まるで水中にいるみたいに体が重く感じる。でも今走らなきゃいつ走るんだ。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 別れ話をしたのはつい一時間前だというのに、幼なじみの彼女の元に走ってる。また付き合いたいとか寄りを戻したいわけじゃない。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 もともと勘違いから始まった恋だった。外国の血が混じってる彼女は幼稚園のころ、皆に避けられていた。


 日本語が変だとか、臭いと言われて仲間外れにされていた。勇気をだして彼女と友達になったのだけは覚えている。


 それは単に友達のいない僕が、仲間外れ同士でつるみたかっただけのこと。だけど彼女は僕を英雄ヒーローでも見るような目で見た。


 中学までは親友みたいな付き合いをしていた。映画や音楽の趣味もあったし話題にも困ることなんかなかった。謎なぞやら尻取りみたいな馬鹿でくだらない内容を永遠に喋り続けて笑いあえた。


 高校生になった彼女は見違えるほど美人になった。なってしまった。そして最近ではほとんど口も聞いてくれない。


 彼女のセリフは「あっそ」だけ。もう親友じゃないと感じていた。くすんだ肌にソバカスに癖っ毛、暗い印象の僕とは誰が見たって不釣り合いだ。 


「ハァ……ハァ……ハァ」


 三日ほど前、山城祐介は改造したモデルガンを僕に見せた。昔は同じ少年サッカーにいたこともあったが、今じゃ不良たちにも顔がきく嫌なやつだ。


 校舎の裏であいつは僕の頬にモデルガンを押しあてた。プライドが高くて我儘な性格。背が高くて高圧的な態度。


 僕は山城が怖かった。いや、ある理由から、互いにずっと避けてきた人間が何をするのか想像がつかなかった。


「なあ、ヒロ。セッティングしろって言ったの忘れてないよな?」

 

愛美あゆみは別に僕の彼女って訳じゃないんで、デートのお誘いなら直接本人に言ってもらえるかな。僕に彼女の予定を決める権利なんかない」


 馴れ馴れしい態度で近付き、腹を一発殴られた。くの字になった僕に真上からモデルガンが振り下ろされる。


「あのなぁ」山城は僕を睨み付けて声を荒げた。「その愛美がお前と付き合ってるから無理だってんだ。会話にもならない。この俺に手間かけさせやがって、それで済むと思ってるのか?」


「なっ、どうしろっていうんだ」


 山城はモデルガンを構えてコンクリートの壁に向かって撃った。飛び散る石、近くにいた猫を狙って続けざまに撃つ。


「ギャアーッ! ギィィヤーッ!」


 猫が飛びあがるのが見えた。改造されたモデルガンは薄紫の煙をあげていた。心臓がドラムみたいに鳴って血の気が引いた。


 テレビや映画でみる銃というものが、いざ目の前に向けられたら動くことすら出来なかった。僕の足はすくんでいた。


「ならさぁ、しっかり別れ話してくればいんじゃないか。付き合ってないなら出来るだろ。そんで、俺との時間をたっぷりとってもらうぞ」


「そんなモデルガンで脅したって無駄だ。愛美がお前と付き合うかどうかは別問題だろ」


「付き合おうなんていって思ってないけどな。ふん、俺の目的は――」

 

 気が付くと僕は山城に殴りかかっていた。馬乗りになって、二発、三発と殴った。手を止めず続けざまに、何発も何発も。


「……」


「彼女に手を出すな!」


「……」


「今度、愛美あゆみに近付いたら殺してやる」


「……」


 拳は血だらけ、僕はこう呼ばれていたことを思い出す。薄気味悪い子、サイコパスのヒロくん。


 ずっと僕がやってきた、今も続けている習慣を考えれば誰だってそう思うのは無理もない。


 今日も僕の行く先々には動物や虫の死骸が溢れていた。あそこの路地裏にも、むこうの軒下にも。


 嗅覚とも違う僕だけの能力。ただ生き物の死骸がどこにあるか、人より上手く嗅ぎ分けられる能力。


 小川の流れる森林公園に僕たちはいた。いつも愛美は公園の木製ベンチに手作りのお菓子を持って座っていた。


 僕が動物の死骸を持ち込もうが、それを埋めていようが、ひとりで本を読んだり携帯をいじっていた。僕らの秘密の場所、秘密の隠れ家だ。包み隠さずその日の出来事を愛美に話した。


 薄気味悪い子、サイコパスのヒロくん。死骸収集しか取り柄のない男。僕の全盛期は少年サッカーのセンターバックにいたころだ。


 言い訳する気もないけど人生の全部が正当防衛になればいいと願った。もうどうでもよかった。


「あっそ」彼女は言った。


「それだけ? 野球部のエースに告られた時も僕と付き合ってるって無視したよね。血の気の多い連中が僕を目の敵にしてるんだぞ」


「あっそ」


 彼女はまるで気にも止めないという態度で携帯をいじっていた。綺麗な髪、長いまつ毛、細くて真っ白な腕に、こぼれそうなバストに、冷たくそっけない態度。


 彼女は何でも持っている。どうして僕にこだわる必要がある。僕なんかに……薄気味悪い男、死骸収集を宿命に生きている超脇役の男に。


「バレー部の先輩に告られた時もそうだ。あいつは僕の足元にも及ばないなんて言い方したろ。あいつに胸ぐら掴まれた」


「あっそ」


「なあ。少し誤解があるみたいだけど僕は君の婚約者でも彼氏でもないんだよ。過去の《《出来事》》は忘れて終わりにしよう。何年も僕に付き合ったって、物事は何も前進しなかったろ。恋愛感情じゃないんだよ。だから、別れよう」


「あっそ」


 彼女は携帯を見つめたまま顔を上げなかった。事態はどんどんエスカレートしていて、ついには山城を殺すところだったんだ。こんなのは間違ってる。


「もうこの公園に来ることもない。さよならだ。いいね、二度と話すことは無いよ」


「うん。またね、バイバイ」

「……」


 お互いの為だと思った。彼女を口説こうとする輩は後をたたないし、どいつもこいつも僕よりスペックが高いときてる。


 いつから僕はこんなに臆病で意気地無しになったんだろう。いつから自分に自信がなくなったんだろう。


 ひとりになって考えたかった。いつものバスには乗らずに逆方向のターミナル駅までひたすら歩いた。


「!!」


 駅まで一時間も歩いた僕はドキリとして足を止めた。顔中を腫らした山城がタクシー乗り場にいるのが見えたのだ。


 黒いジャケットのポケットが膨らんでいるように見えた。違和感。そこには改造銃があるに違いないと思った。


 山城は僕に気付かなかった。ゆっくりとタクシーに乗り森林公園に向かって走って行った。その雰囲気に背筋が冷たくなった。


「まずい……まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずいぞ」


 足にぶつかったバケツがどこかに飛んでいった。慌てた僕は全力で来た道を引き返して先に走った。


 まずい――山城は、あいつは愛美に何をするか分からない。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 意識は朦朧としていた。吹き出した汗が乾いて寒気がした。背中に張り付いたシャツ、湿ったボロ靴、乱れた髪に苦しい呼吸。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 だが不思議と気持ちは晴れていた。いつも丸めていた背中がシャキッとした気がした。こんなに全力で走りまわったのは何年ぶりだろう。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 小学生の頃、また愛美は仲間外れにされて尻餅をついていた。立ち上がることもなく両手で顔を隠していた。


 はやし立てる周りの連中を見ないように、何も聞こえないように、この世界から見つからないように下だけ向いて顔を隠した。


「怖がらないで」僕は彼女の手をとって言った。「ほら、僕が一緒にいてあげるから大丈夫だよ」


「……」


「…………」


「ハァ……ハァ……ハァ」


 森林公園の林道トレイルを抜け、小川を飛び越えるといつものベンチに愛美の姿が見えた。無事のように見えた瞬間。


「はっ!」


 待て、誰と話している? 愛美は山城と向き合っていた。山城は改造銃を突き付けて愛美を脅していた。

 

「はいはいはい」山城の背中が見えた。「もう何でも、いいから下着ごと脱いでこっちに渡せよ」


「変態なんだね。そんなことしたら、彼氏が黙ってないわよ」


「いきがんなよ、震えてるぜ。お前ら二人ともどうかしてる。ヒロにも落とし前つけてやる。彼氏なんてのも嘘だ。あんたは、あの馬鹿を利用してるだけなんだろ」


「ち、違うわ!」


 愛美はゆっくりと短いスカートの中に手を滑らせた。白い太ももから何かが取り出されたと思った瞬間、彼女はシマシマ模様の下着パンティを投げつけた。


「大好きなんだもんっ。片思いでも世界で一番ヒロを愛してるんだから、仕方ないでしょ!!」


 僕は山城の隙を見逃さなかった。思い切り背後からタックルで突き飛ばしてやった。前のめりに倒れた奴の頭に愛美の膝が当たった。


「ぐわあっ!」


「ハァ……ハァ……ハァ」


 持っていたネクタイで後ろ手を締め上げた。まだうまく息が出来ない。僕はそこらじゅうの空気を夢中でつかみ取って、肺に送り込むように意識した。


 汗が目に沁みて視界が歪んだ。何か大事な告白を聞いた気がしたが頭がぼうっとして吐き気もしたので、その場に座り込むほかなかった。


「ハァ……ハァ」

 

「遅かったんじゃない?」


「んぐっ、僕が来なかったらどうなってたか分かるよね! ちょっとは感謝してもらいたいよ。愛美は隙がありすぎだよ。簡単に脱いじゃうし、何でこの場所まで知られてんだよ」


「あっ……あっそ」


「また、その態度か!」


「違うよ。だって、だって恥ずかしいんだもん。恥ずかしくて上手く喋れないんだもん。聞いてたんでしょ、告白したの。聞いてなかったの?」


「あ、あ? あ、ああ? あ、ああ」


 その言葉を聞いて愛美がそっけなくなった理由が分かった。僕らはずっと親友ではいられないみたいだ。


 年頃の男女なら当然。お互いを意識してしまう。一度でも異性と意識したら、どう会話していいのか分からなくなる。恥ずかしくて、恥ずかしくて目も合わせられない。


「だったら言わせないでよ。こっちだって彼氏になってとか今さら言えないじゃない。私からなんて。答えてくれてもいいんだよ。正式に!」


 僕は真っ赤な顔をした愛美を見た。恥ずかしそうにもじもじとしているのはノーパンだからだからだろうか。


 急に恥ずかしくて何て返事をすればいいのか分からなくなった。だから、そっけない返事をしてしまった。


 心ではずっと初めから、過去の出来事があろうが無かろうが、君を愛してると言っていたのに。


「あっそ」











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