表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/95

欠落した記憶

「目を覚ますのよ、野口くん」


「は、羽鳥さん! ぶ、無事だったんだね」


 温かい陽射しを受けて僕はベッドから飛び起きた。窓からは庭が見えて、子供たちの声がかすかに聞こえた。ここは高校の保健室、いやもっと本格的な病院のようだった。意識が混濁して、頭がはっきりとしない。


「どう、私がわかる?」


「う、うん。ぼ、僕は何をしていたんだ」


「ああ、やっぱり記憶がないのね」


 白衣を着た男性が三人、女性が一人いた。ここが地上でないのは、医師や羽鳥さんの容姿からみて分かった。青みがかった緑色の目、銀色の髪。そして白衣には鱗布スケイルである首元の丸いボタンが見えた。


「何がなんだか分からないよ、羽鳥さん。何が……何がおきたんだ」


「落ち着いて、野口くん。どこまで覚えてるか言ってちょうだい」


「監視塔に行ったんだ。イトりん、一緒にいたイトりんは無事なの? そこは、そこら中にキューブがあって、壁や床が動いて、キューブに取り込まれたんだ」


「ふたりとも収容されて助かったのよ」羽鳥さんは僕の手を強く握った。「それは二年も前のことよ。あなた達はそこで適切な治療を受けたの。感染者の細胞に入り込んだウイルスを除去するための処置だったのよ」


「……に、二年? 何を言ってるのかわかんないよ」


「後遺症が、発症してしまったのよ。潜伏していたウイルスが突然、発症してしまったの。あなたの脳に、有肢菌類のDNAが直接入り込んでいたのがいけなかったんだわ」


「何だって!? じょ、冗談だよね」


「いいや」後ろ手でドアを閉めたのは少しだけ大人びた伊藤麟太郎だった。


「この二年間、聖地ヨークで俺たちは新しい人生を共に歩んできたんだ。そしたら急に昨晩、お前は昏睡状態におちいった。そんで二年間の記憶がぶっ飛んじまったんだ」


「ぼ、僕がここで二年も暮らしてたっていうのか。母さんを探しもしないで、有肢菌類の人類大量絶滅計画をほったらかして、疑似アストラル界の捕虜みたいな狂った監視社会で新しい人生を初めたっていうのか!?」


「ほんとに何もかも忘れちまってるんだな。そんな問題はお前が市民権と代表権をとって解決したばかりじゃないか。お前の母ちゃんだって、ここにいる」


「か、母さんがいるのか」心臓が一泊打つ間にドアが開いた。母さんと、父さんが懐かしい笑顔をむけて僕をじっと見ていた。


「あ、ああ、あああ……」


 会いたかった。ずっと会いたかった母さんが目の前にいる。溢れ出る涙に鼻先がつんとしたが、すぐに僕は手を伸ばしていた。その手を掴む母さんの手は温かく、それがホログラムではないことが伝わってきた。


「無事で良かったわ」母さんは僕を抱きしめた。懐かしい匂いに包まれ、大きかった母さんの身長がすこし縮んでいるように感じた。起こした上半身でも低いくらいだった。


「小さくなったね」


「ぷっ、あなたが成長したのよ」


 医療関係の人たちが部屋を出ると、四人は二年間で起きたことを話してくれた。あの一件で有肢菌類の改造計画は頓挫し、単一化に進んでいた人類は多様性と進化の片鱗をみせたという。


 冷戦の舵は大きく傾いた。去年、僕はこの街に家族を呼び一緒に暮らすことにしたという。それからは街を歩き景色を見ながら少しずつ話した。海洋生命体とも互いに理解を深め、僕らは市民権を得た。


「ゆっくり思い出せばいいわ、鷹志」中世のような町並みから、峠道を歩きながら母さんが一緒ににいることが本当か信じられない気分だった。


「でもひとつ約束してちょうだい。マットに呼びかけることだけは止めてちょうだい。今度は神経シナプスが欠落するだけじゃ済まないわ」


「う、うん。約束するよ」


 羽鳥さんは眺めていたが何も言わなかった。彼女は二年の間でイトりんと、親密になったように見えた。彼女がイトりんのことを好きだっていうのは明菜お婆さんから聞いていたが、見るのが辛かった。


「こんにちはタカシさん」通り過ぎる少女や少年たちが代わる代わる挨拶をしてくれた。子供と、子供と大人の間の人と、大人だった。老人は居ない街だ。


 緑にあふれた温かい気候。煉瓦作りの大きな屋敷からは、シドさんやミーファさんの姿もあった。みなが僕の手を握って微笑みを見せた。


「無事でなによりだったね。きみは市民代表で街の最重要人物なんだから、大事にしてもらわないとな」


「大事な会合があるんでしょう?」ミーファさんが言う。「私達でサポート出来ることがあればいいんだけど」


「……なんにも覚えていないんです。いろいろとお願いすると思います」


 人生の一部を失った気分だった。知らないうちに話が進んでいるみたいでついていけない。


(会合? 市民代表? この僕が最重要人物だって? 疑問符だらけだ) 


 内容はまるで分からないけど、幸せそうな人々と楽しそうに走る子供たちを見ていると、これが平和ってものかと思った。何より家族がいれば安心できた。


「母さんは有肢菌類の研究をしていたんだよね。連中のこととか、海洋生命体のことは、以前から知っていたの?」


「ええ、科学者の間では彼らの存在や情報は何十年も前からオープンにされていたわ。知ってのとおり、この〈異空間〉や〈時間旋〉での戦いになれば、私たち人類は手も足も出ないのが実情よ。文字通り次元が違うってことね。あなたを巻き込みたくなかった。置いて行ってしまったことを、恨んでもいいわ」


「恨んだりしないよ。そんなことしない」


「それももう終わるわ、自慢の息子の功績で。三日後、有肢菌類のシルバーバック、後藤銀次郎がこの街に来ることになってる」


「なっ!? どっ、どういうこと。なんで賢者がここに来るんだ!」


「落ち着くのよ」母さんの目は遠い景色に向いていた。「冷戦は、その和平条約で終わるわ。大丈夫、私もミーファさんも皆がサポートしてくれるわ。もう有肢菌類は驚異ではなくなったのよ」


「……嘘だっ。やつが来るなら戦う以外の選択肢はない。殺すか、殺されるか、今までやってきた賢者の悪行を知らないわけじゃないよね。僕は吊るされた子供たちや、洗脳、改造された人間をこの目で見てきたんだ」


「悪行って――」母さんは僕を落ち着かせようと笑っているみたいだった。「種族間の戦争に個人的な感情はないのよ。あなたの認識は少し古いのね。今は平和を守ることに集中してもらわないと、前には進めないわ」


「なっ」


 僕は吐きそうになって目をそむけた。自分の顔が歪んで恐ろしい獣のような仮面になっていないか不安になった。呼吸が乱れて息は荒くなっていた。


「大丈夫よ、彼らも平和を望んでるわ」


 また、あの人食い獣の〈賢者〉に合うことは恐ろしかった――でも同時に、自分にも心のどこかであいつのような獰猛さや冷酷さがあればいいと願っていた。握った拳に汗を感じた。


「思い出すわね。家族で旅行に行ったり食事にいったこと。平和で楽しかったことばっかり、ほら、あなたの婚約者がきたわ」


「!!」


(はっ、羽鳥さんじゃないのか?)


 家の門に立っていた彼女は、幼馴染みのジェニファだった。成長した彼女はサラサラのロングヘアにブラウンの瞳で、すらりとした美しい女性になっていた。容姿は完璧で、気は優しく、いつでも僕の見方になってくれる良き恋人だった。


「今度の会合には私も付いていくわ。だからお願い、きっとうまくやれると思うの。今日はゆっくりしましょ。さあ、食事を用意してるわ」


 僕はうなずいた。わかっている。人類と、有肢菌類の橋渡しをする人間が必要だっていうなら、僕は適任だと思った。


 頭の中に巣食っていたマットの存在は無いとしても、僕の肉体には連中の細菌が大量に混じっている。そして海洋生命体キューブに取り込まれて、聖地で二年も過ごした住人だというなら確かに納得のいく条件かもしれない。


 食事を終えると両親は向かいの建物へ帰って行き、婚約者の彼女とふたりきりになった。彼女はベッドの横に座ると僕にぴったりと身体を寄せてきた。やがて僕の肩にあごを乗せて、ぷっくらとした唇で言った。


「私のことまで忘れたなんて、ちょっとショックだったわ」ジェニファは僕の腕を軽くつねってから、耳たぶを噛んだ。それから囁くように、これから彼女がするつもりのことを説明してくれた。


「ごめんよ、ジェニファ」僕は言った。「今日は早めに休みたいんだ。昨日は昏睡状態になって、無事に戻ったからすぐにパーティーってわけにはいかないよ」


「うん、そうだよね。ごめんなさい」


「……」


 その晩、ジェニファが寝静まるのを待って、僕は寝室を出た。空を見上げると月は雲に隠れていた。この場を切り抜ける方法はないかと考えた。つまり、頭の中ではずっとマットを呼び続けていた。


『助かったぜ、相棒。おこしてくれなきゃ眠りからさめることは出来なかった』


「マット。やっと返事が帰ってきたね。ずいぶんと手の混んだホログラムだ。ここは海洋生命体の体内なのか……まさか僕はまた改造手術をされてる最中ってことか?」


『やっと回線復旧かと思ったらこの状況か。待ってくれ、二年なんてたっちゃいない、実際のところ二日しかたっちゃいない。よく騙されずに気付いたな。お前自身の脳内記録を利用したホログラムだっていうのに、どうやって見抜けたんだ?』


「うん。人が登場するのに一泊時間があくし、母さんがマットの存在を知ってた。それに、ジェニファはこの世に実在しない」


『どういう意味だ。ジェニファってのは誰なんだ?』


「だ、だから……知ってるだろ、僕には友達も幼馴染みも、話し相手すら居なかったんだ。そんな時代に話相手になってくれて、僕を励ましてくれたのが彼女なんだけど。でも、でも、ジェニファは想像上の人物っていうか、中二病の生み出した架空の彼女っていうか――」


『はっはっはっは、そういうことか。それにしちゃすごく現実的リアルな造形だな。ジェニファって名前もお前が考えたっていうのか。すげーな、おい。やっぱりお前は天才じゃないかって思うよ』


「う、うるさいよ。さっさと脱出プランを三秒で教えてくれ」


『ぷっ……そう慌てるな。少しくらい再会を楽しもうぜ』







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ