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センター・フォワード(2)


 庭園の空気は湿度を含んで蒸し暑く、てっぺんに登った太陽は荒れた観葉植物をじりじりと照らしていた。風はなく、首筋に汗が流れた。


 爆発音。轟音と火が吹き出した高台の教会へは、庭園から一本道になっている。入り口付近には歩哨が数人はいたし、教会には守人みはりもいたはずだった。


「金子くん!」アッシュは目をまるくして叫んだ。「儂はすぐ教会に向かう。お前さんは、ここで待ち伏せじゃ」


「は、はいっ……でも、な、なんで」


 羊皮の手袋には先輩からのメモが入っていた。アッシュさんの声を聞いて間違えじゃないと気づいた。


 俺が外で先輩たちにあったことは正しかった。野戦司教の誰かが手引をしているのは間違いない。


 賢者が死んだという噂が流れたかと思うと、翌日には賢者は殺せないと噂が流れていた。


 精神攻撃を受けている証拠はない。だが理屈ではなく信用出来ない感覚があった。


 煙の立ち上る本部とは連絡が途絶えたままだが――芦田アッシュさんは俺を連れては行かない。


「アッシュさん。任せてください」


 全身の筋肉がピクピクと痙攣していた。まるであの日みたいな感覚だった。ひざはこわばり、こんな場所に筋肉があったのかというところまで痛みがあった。うつむくと、キツく結ばれた自分の靴紐が見えた。


 足元から地面に沈んでいく感覚。《《やつ》》はここにいる。俺たちを洗脳した〈賢者の犬〉は、あそこにも、むこうにも、どこにでもいる。


 それなのに駆け寄っていくと朝露のように姿は消えてなくなってしまうのだ。俺は顔をあげた。


「……」


 その男はゆっくりと歩いてきた。近づきながら男の顔は変形した。目が膨張し二つの眼球は顔面の半分以上の大きさになった。


 ハエやトンボのような複眼を持つ昆虫へと変わっている。その口元は蟻や蜂のような口器構造で、バックリと切り開いた口まわりには触手のような髭が生えている。


『ジジ……ジジジ』


 動くことはできない。アッシュさんはこの敵を引きつける為、教会の中央に向かった。その男は真っ直ぐに、俺や歩哨を無視して堂々と庭園の真ん中を歩いていた。


 雑魚には目もくれない。そうじゃない、こいつは野戦司教を操っている、そのことで頭の中はいっぱいなのだ。少年サッカーの遠い記憶は、俺に冷静な思考をもたらした。


 あるいは俺が自分で走れるように、この茶番劇的な悲しみに区切りをあたえてくれたのかもしれない。あの日とは違って全体的な状況がよく分かった。フォワードの俺には自制心がなかったのだ。


 真っ先に反応しなきゃならないという自負。一人でなんとかしなきゃならないというプレッシャーが、過度な洗脳に繋がった。


 教会ではアッシュさんと野戦司教の仲間とが入り乱れて交戦がはじまろうとしていた。誰も彼もが武器を取って目の前の人間に銃を向けた。機関銃のような破裂音が響いていた。


 フル・オート。自動掃射による弾丸の豪雨が降り注ぐ。トリガーを引き続けると、あっという間に弾倉は空になったようだ。


 指示を叫んでいるのは、別組織である魔女団カヴンから合流した婆さんたちだ。


 互いに身を守るための障壁魔法を駆使することに手一杯で、攻撃に転じるにはそれなりの広さが必要だった。


 おまけに誰が操られているのか明白には出来ない。銃口を向けられれば、洗脳されていない仲間であろうが確実に疑念が吹き出す。そもそも今まで見分けがついたことは一度もなかった。


 俺は荷物の水筒から野球の玉ほどもある大きなコバエを取り出し、左手に掴んでいた――。


『ジジジ……ッジジ』

「きっも」


 このコバエは足元の影に潜み、取り憑かれると、人間でも犬でも連中の思い通りに洗脳され操られる。アッシュさんは俺にもコバエが付いていないか確かめてくれたのだ。


 物理的にもぎ取るには身体を思い切り地面に叩きつけてもらって、バウンドさせ、姿を捉えることが必要だ。


 人をカエルだったり悪魔だったり聖人にだって変えてしまう魔法の正体は、醜悪なでかいハエだった。


 光が直進せずに居ることが分かっていても自力で捕まえることは不可能。


『シャアアア!!』

 

 蛇革の男はゆっくりと俺に向き直って口を開いた。昆虫は威嚇する癖があるようだ。


 しなければならないことが分かっていても、実行するとなると問題は別。恐れるものか。怯むもんか。本当に怖いのは死ぬことじゃない。


 剣は両刃だった。どうしたって、あの決勝戦を見ていた先輩らに会わなければならなかった。


 心臓の悪かった飯塚さんは、亡くなる前にこいつの存在を知った。大場さんと嶋田さんは、捕らえたコバエをずっと保管していたのだ。


『ジジジ……ジジジ……ジジ』


 大葉さんはそのことを俺に伝えてくれた。そしてアッシュさんに手渡した羊皮の手袋にはメモが残してあった。


『仲間が命をかけて捕まえた怪物の一部です。金子はコイツと同じ匂いを近くに感じています。そいつを見つけ出してください。金子が必ず本体を仕留めます』と。


 ここで敵対者を倒せなければ、すべて間違いだったということになる。チャンスは一度だけ。複眼の男の周りは熱気で揺らいでいるようだった。


『シャアアアア――』


「……」 蛇革を着た複眼は炎と黒煙をみて高笑いをしているようだった。俺が無力だと信じている。


 ゆっくり。こいつは、簡単に俺や仲間を洗脳出来ると思ってる。そう、思ってくれていればいい。


『内面の中ではずっと尊大で不遜でいろ。そう、力強く勇気づけて。チームを引っ張っていくのがトップの役目だろうが』


 恐れるものか。怯むもんか。気をはれっ、弱気なエースなんか誰も必要としない。トップはチームの顔なんだ。


 左手には掴んでいたボールほどのコバエ。すでにこっちには何十発と攻撃を入れている。


 こいつごと、コバエを掴んだまま本体を殴れば、蓄積されたダメージは一気に放出シュートされる。グラウンドはマックスの状態になっていた。


「おおおおおおおっ、死んでくれっ!!」


 信じられないほどの――空気が避けるような強烈なパンチだった。雷鳴の残響が消えると共に俺自信の身体さえ、後方に十メートルは弾け飛んだのだ。


 手元のコバエと複眼は砂粒のように消し飛んで、本体の頭部の痕跡は見つからなかった。残ったのは地面に散乱する両足と、ニレの木の枝にぼろぼろの蛇革の切れ端がぶらさがっていただけだった。


「……っ」


 真昼の空が闇に変貌していた。少しの間、気を失っていたようで、俺は教会のベッドに運ばれていた。終わったと思ったのは目の前にアッシュさんがいたからだ。口の中がカラカラに乾いていた。


「ぐすっ……お、おれ、全部、ブチかましてやりました。全部の」


「ああ。いいパンチじゃった」アッシュさんが言った。俺は全身の毛をむしり取られたアヒルみたいに震えていた。声に恐怖を滲ませないようにと思ったが、駄目だった。


「まだ、動かんでええ。全放出なんて、死んでいてもおかしくなかったぞい」


 魔女団の婆さんや司教が面会して、俺を誤解していたと言ってくれた。アッシュさんはずっと側にいてくれて、俺に話してくれた。


 俺と同じく、洗脳で仲間を傷付けたことがあったと語ってくれた。


 それどころか仲間の潜水艦を沈めて基地を爆破し、三億円を強奪して北極圏まで逃げて海氷を溶かして海面上昇までしでかしたそうだ。


 それが洗脳と気づくまで二年もかかったという話だった。


「あっははは……お、俺、もう不良はやめるよ」


「ほっほっほ。なんでじゃ?」


「だって、スケールが違いすぎるだろ。真面目にやるよ」


「ふはははは」








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