不良少年(2)
考えなしに突っ込めば、いなされるのは自明の理だ。二、三発は入れたのに威力が無さすぎて気付いてもいない。
血と土の混じった味が口いっぱいに広がる。考えていたのは、あの日々、あの広いグラウンドのことだった。
いつも中学生がタムロしていた、錆だらけのゴールに草の生えたグラウンド。そこで十歳の俺は中学生たちのパシリにされていた。
『よう金子、ジュース買ってこいよ。煙草もだ。ソッコーな』
『アハハハ、ゲーセンでカツアゲしてこい。万引きなら、あっちのコンビニまで行けよ、近場は駄目だ』
冗談で言っていたのかも――そう思った。三人はとにかくサッカーが上手くて、色んなテクニックを教えてくれた。ゴールポストでの身の置き方から、敵の懐への飛び出し、インサイドキック、そしてシュート。
はじめは、たまたま遊んでいた俺にサッカーを教えてくれただけだ。だから自分の貯金を出して、なんとかヤリクリしていた。
あいつが来るまでは……自前のサッカーボールを持ったまま、まだ幼さの残る笑顔で野口鷹志は現れた。
『カネちゃん、すっごいよ! 中学生とサッカーやってるなんて。なんてスゴイんだ。ぼ、僕も教えてもらえたり、しないかな……』
「お、おお、そうだな。あの人たちさ、怪我とかしてサッカー選手になるの諦めた人たちなんだって。股関節が悪かったり、腰とか心臓が悪いって言ってた。だから、本当はあんまり、サッカー教えてくれって言っちゃいけないんだ」
『そっか、でも僕も一緒にやりたいよ。何とかならない?』
「おお、聞いといてやるけど、期待はすんなよ。それまで、あんま来るなよ」
それは本当のことだった。新都心の少年サッカーチームはプロユースの少年たちが集まる地域だ。怪我や体調不良を理由にそうそうに脱落していったのが、あの中学生たちだった。
煙草を吹かし、酒や薬に手をだすほど道を踏み外した不良だったが、同時に本物のサッカー技術と理論を持っていた。だから、寂れたグラウンドで憂さ晴らしをしていても、俺にとっては特別な存在だった。
『す、すごい……すごいって』俺はあんな笑顔を見たことがなかった。しかめ面の俺はいつの間にか一緒に笑っちまった。
『そんな夢を持ってた人たちがさ、サッカーを教えてくれるなんて、ぼく、ぼく、なんか、頑張りたくなるよ!!』
「そ、そーなんだよ。でもあの人達、不良みたいなことばっかりやってるし、評判はよくないんだ。親とかも、付き合っちゃ駄目だなんていうけど――」
『かっこいいじゃん! だってさ、故障はさ、仕方ないじゃん。頑張って練習したから、怪我しちゃたんだもん。そういうのを不良品って言っちゃ駄目だよね』
野口は不良の意味がわかってなかった。でも中学生たちは、もうサッカーが出来ないと知っていてグラウンドに来ていたのだ。あの人たちはいつも鬱屈した怒りでサッカーボールを蹴っていただけだ。
『カネちゃんも、サッカー選手になるのが夢なの?』
「夢? あ、ああ……そうだよ」
口から出しちまった言葉に後悔した。ちゃんと見ていないから知らないんだ。あの連中は期待しているような人間じゃない。
普段はゲーセンやコンビニでカツアゲやら万引きをして、暇になったらグラウンドで遊んでるだけの、ただの不良だ。
一週間後。俺は不良のリーダー、大葉さんに頭を下げていた。厳しい状況に、なにもかもが絶望的な気持ちでいっぱいだった。地面に頭を付けて懇願していた。
「と、友達が、サッカーを、教えてくれないかっていうんです」
『はあん、それが俺たちに何の得があるっていうのよ』先輩は吐き捨てるように言った。『お前ってほんと馬鹿なのかな〜』
「見てたって……あいつら大葉さんたちがサッカーやってるのを見てて、教えてくれないかっていうんです。すごく上手いし、このグラウンドで、前は少年サッカーチームが使ってたっていったら、チームを作るんだって話になって」
『ブハハハハ!! てめぇよ、勘違いすんじゃねーよ。誰が小学生相手にサッカーなんかやるかよ。馬鹿にしてんじゃねーか!』
みぞおちに強烈な一発。意識はかろうじてあったが、背筋が冷たくなって手足がピクピクと痙攣している。すでに自分の足では立っていられない状態だった。
「……っ」
『舐めてんじゃねぇよ、金子。おめえ、いつも自分の小遣い使ってパシリやってんだろ。知ってるんだよ、ちゃんと万引きしてこいや。そしたら考えてやるよ』
何をやっているのか自分でも分からなかった。ただ怖くて言われるがままに、低学年を見つけてカツアゲして、スーパーでは駄菓子を万引きをした。
上手くはいかなかった。私服のおばさんに奥の別室に連れていかれて、親を呼ぶと怒鳴られた。電話が繋がってから二時間すると、母親が来て俺の頭をつかんで謝った。
『すみませんでした。今後二度とこんなことはさせません。よく言い聞かせますのでお許しください』と。
下げた頭に自分の足が見える……足が床に沈んでいくような、でなけれゃ身体がまた痙攣でピクピクと震えるような感覚だった。
親父には顔面を思い切り殴られた。翌日、顔を晴らして大葉さんのところへ行くと、中学生はゲラゲラと体を折り曲げて笑っていた。
悔しかった。悪意のある言葉が出そうになったが何にもならないと思った。本当のことを、思ったことを言ったほうがいいと思った。
「お、俺は構わないんですけど」息を飲み込んでから言った。「友達は……信じちゃってるんですよ。先輩がサッカー選手を目指してた人たちだって。だから、仁義っていうか筋の通った不良だと思っていて、そんな先輩たちから本気でサッカー習いたいっていうんすよ」
『うるせんだよ!!』大葉さんは俺の腕をつかんでゴールポストにむかって突き飛ばした。
「すんげえ、馬鹿みたいな笑顔で見てるんすよ。先輩たちが、かっこいいって」
『ゴールに立たせろ、的にしてやる』大葉さんの目は血走っていた。怒りでくちびるが震えているのが分かった。
『ボールだせや、両手両足をへし折ってやる!』
次々と大葉さんはサッカーボールを蹴ってきた。わずか三メートル位の距離で受けた俺は、ボールが当たる度に、吹き飛び、気を失いかけた。
それでも倒れなかった。何発目かで、半ズボンから覗く股肉は紫色になっていて、シャツは泥だらけになっていた。
『ほらほら、しっかり立てよ。それでサッカーが習いたいなんて百年はやいぜ』
「ぐわっ! お、お願いします」
『アハハ。倒れんなよ、倒れたらお前のダチも、パシリにしてやるからな』
「た、倒れません」
『俺たちが、部活辞めたの知ってて言ったんだよな。お前、マジでムカつくよ』
「……す、すみませ」
『そこだよ、そこ。すぐに謝るんじゃねえよ。トップやりてぇなら技術や戦術で負けてても、顔に出すんじゃねえ』
「は……はい」
『内面の中ではずっと尊大で不遜でいろ。そう力強く勇気づけて、チーム引っ張ってくのがトップの役目だろうが!』
「は、はいっ!」
『点をもぎ取るんだぞ、弱気なエースなんか誰も必要としねえんだよ。気をはれっ! トップは最初のディフェンダーで、チームの顔なんだぞ』
シゴキは一時間近く続いたと思う。大葉さんも、飯塚さんも嶋田さんもヨロヨロになっていた。
もう駄目だと思った。頭も体もズキズキして、考える力はなくなっていた。
グランドのすみから小学生が四人、歩いてきた。野口と高橋、山城と草薙だ。ボールを持っていた野口は、涙を溜めてじっと立った。
『見てました』声を震わせている。『すごく、恐いって思いました。けど、これが本気の練習なんだって分かって、どうしても黙っていられなくなって』
『……けっ』息をきらした大葉さんは、少年たちを睨み付けた。キラキラした笑顔で、見つめる馬鹿みたいな野口たちを。
俺は骨が抜けたみたいに項垂れて倒れた。肩を貸したのは大葉さん本人だった。この人はずっとトップをはっていた。
あの言葉は全部、まるで全部、自分に言ってるみたいだった。涙をこらえきれなくて、俺は皆の前で泣いていた。
「ぐすっ……お前ら、見てたのかよ。情けないだろ、みっともないだろ。なのに、ずっと見ていたのかよ」
誰からも必要とされなかった。いつも居場所を見つけることが出来なくて、ここに来た。それなのに、野口は見ていた。
『うん、見ていたよ。やっぱりカネちゃんの言った通りだったよ。カネちゃんも、先輩たちも、まじで……まじで、カッコいいよ!』




