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死を呼ぶ術式

 ぞろぞろと街中の人間が集まっている。女も子供もいた。人々は魔女を仕留めれば上級市民になって永遠の命を授かると信じているようだった。


 憔悴しきった目は怒りと憎しみに満ちていた。彼らは偽りと嘘に捧げられた人生を憎んでいるのだ。そして私の命を奪うことで、新たな生命を得られると本気で考えているのだった。


「無駄です」先回りした巫女が真横からいう。「どう足掻こうと、私たちからは逃げられません」


「くうっ!」


 地面から三メートルほど上、空中に半透明の固定観念板スパイクを展開しながら、街を縦断して走り抜けていく。目抜通りは溢れかえる人々で埋め尽くされていた。


 果樹に登る男や、枝にぶら下がる子供。人々は通り一面に緊密に寄り添い、もはや割り込める場所もなく肩や背中を使って這い上がろうとしている者までいた。


「捕まえてやる! 魔女を殺せ!」


「落ち着けっ、見失うな!」


 固定観念板スパイクは元々、防御用の盾を生み出す魔術だ。足場が高くなるほど術式に緻密さが必要とになるため、これ以上高度をあげることは出来なかった。


「……!」


 石つぶてが左腕に直撃し、バランスを崩してしまった。掴みかかる女たちの手が伸び、髪やスカートを引っ張った。魔術で空をつかみ引っかき傷を物ともせず、目いっぱいの力で振り払う。


 この魔術には伊藤が使ったような特殊な利用法もある。サイクとスパイクを駆使して距離を封じ、自分の身体を弾き飛ばす。川幅を狭くすれば流れが速くなるイメージで。


 松明と武器を持ちあげ、血走った目をした人々が叫ぶなか、複雑な迷路のような街並みをジグザクに走り抜けた。恐怖という毒がゆっくりと自分の脈に広がっていくのがわかった。


「……はぁ……はぁ」


 息がきれていた。出血もひどいが魔力は出来る限り温存したい。恐怖と緊張で胸が張り裂けそうになり、肺に痛みが走る。


 突きだした三本の煙突が見えた。死角をつくりながら反り返った屋根を足場にくるりと身をひるがえした。


「たかがB級魔女だ! すぐに魔力が切れて落ちてくるぞ」


「速いぞ。追いつめろ!」


「あっちよ、魔女を殺して!」


 蜂や蝶のような昆虫は言葉を使わなくても通じることができる。それぞれの細胞が互いに通信機のような役割を担っているのだ。


 人間の体内にある細胞も、一定の距離があっても他の細胞に対して科学的に通じ合う能力があるという。


 龍宮の巫女は精神感応者テレパスと同じ原理で自身を映像化しているのだ。だが、それだけでこれほど鮮明な立体映像で現れることは不可能なはず。


 追ってくる住人のそばから不自然に動く正四面体キューブが見えた。つまり、そう遠くない場所に海洋生命体の本体は来ている。


 この連中をプログラムから引きずりだすには、〈恐れ〉を共感させるしかない。監視にあけくれ、肉体を持たずに意識だけの存在は恐怖や絶望といった感情を与えることで、不安定になりパニックを起こす。


「はぁ……はぁ……あれが、本体ね」


 私は人々を置き去りにして、丘に駆け上がった。そこには無数の正四面体がピラミッドのように積み上がっていた。この建物自体が龍宮の城と呼ばれる海洋生命体の本来の姿だった。


「ビンゴ!」


 丘から見る聖地には、延々と松明が揺らいでいた。血眼になって《《私》》を追い回しているようだ。まず、揺動作戦はうまくいったようだ。


 血と泥で汚れた上着がずり落ちた。知らないうちに背中から切りつけられていたらしい。投げられた石の残響で、耳の奥がズキズキと痛んだ。意識が朦朧とするのは思ったより血がでてるからだ。


『教えるべきことは全部教えただよ。あとは、《《知らないこと》》が武器になるだよ』

 

 涙が止まらない。助けてお婆ちゃん、知らないことがどうして武器になるっていうのよ。意味が分かんないよ。そんな謎掛けしてないで、ちゃんと私に教えてよ――。



 数分前に鎧戸を叩いたのは、別の人間だった。巫女を名乗る少女が現れるより先には空白の時間があった。それは〈時間旋〉と呼ばれる有肢菌類特有の能力。


 仙田律子と山城裕介だった。


 鱗布スケイルをまとった律子は反り返った屋根の影で一瞬のうちに私の着ていた制服姿にすり替わり、凄まじい速さで天を駆けた。街の人々をまとめて郊外へと引き付けていったのだ。


『逃げ方や身の隠し方は教えてやったからのぉ。うまくやったようじゃね』


 彼女に私的な恨みや感情はない。だが有肢菌類である彼女を味方として信用することは、危険極まりなかった――山城こいつが居なければ。彼は、私の耳元で囁くように言った。


「はいはい、羽鳥きみの疑る気持ちはわかるよ。でも先生はさ、わざわざ可愛い教え子を助けにこんなとこまで来てくれてるんだよ。君は笑って信用してくれなきゃ。君が居ないと状況が変わらないのよ。だって……他のやつなら怖じけづくことでも、君はやるでしょ。野口を助けるためだったら、君はやるよ」


「ちょ、顔が近いのよ」私は山城の顔を押し退けて言った。「どうして信じろっていうのよ!」


「おいおいおい、子供を救う為なら母親は何だってする。そうだろ、先生?」


「ふん……嫌な言い方をするな」タイトスカートの女教師は不服に爪を噛みながら、そっぽを向いた。


情動感応者エンパスの能力を使って海洋生命体の興味をひくって意味は、分かったわ。でも、本体が現れたとして誰が始末するの。他に仲間チームはいるんでしょうね?」


「まあ、もともと生きて帰れる作戦じゃないんだよなぁ。律子先生には暴徒化した民衆を任せることになるし、あとは俺たちでやるしかない。陽動チームは羽鳥と先生で、他の仲間チームは俺と……羽鳥だ」


「はあ!?」今度は私から顔を近付けて、言った。「じゃ、三人だけで人類を救おうっていうの。死ぬわ、絶対に死ぬわ!」


「まあ。君なら出来ると思うよ、野口を助けたいんだよ。な、頼むよ」


「……」


「…」



 そして山城が指し示す方角に海洋生命体のキューブは密集していた。体中に挫傷、裂傷、打ち身はあるが幸い脳に損傷はなかった。つまり最後にお婆ちゃんの術式を使えるということだ。


「ふはは、無駄です」龍宮の巫女が空間に現れて言った。「貴方がいかに手を尽くそうと、我らのキューブはあらゆる物理攻撃を受け付けない。人恋しい寂しいB級の魔女は、ここで死ぬ運命なのです」


「はぁ……はぁ……まったくB級、B級ってうるさいわね」


 人間はね、いつまでも留まってはいないの。野口くんも伊藤も山城も、誰も俯向いたままじゃいられないのよ。負けたってくじけない、傷ついたって立ち上がる。B級だっていい。私の恐怖、私の絶望、私の命、全部持っていきなよ。


「そんなことは無理だ、不可能だ。出来るはずがない。精神攻撃で我々を一掃しようというのか、B級の貴様が?」


 丘に築かれたピラミッドの頂点に立った私に迷いは無かった。私の感じている恐怖と絶望――それを共感させることで海洋生命体の動きは封じられている。最期は蓄積した魔力を一気に流し込むだけ。


「よせ、お前も死ぬぞ。ピラミッドを完成させた石職人のように、王と共に眠ることになるんだぞ! よせ! やめろ! やめるんだ!!」


 構わない。お婆ちゃんは決して人の為に能力を使うなと言った。でも、お婆ちゃんは誰かを助けるために戦ったんだよね。そして、この術式を残してくれた。困ったときに……それは誰かのために。


絶対的共感共振動スイート・メモリーズ!!」 


 激震が走った。光は涙をさらっていく――大きなオレンジ色の炎が怒り狂ったようにパチパチと爆ぜて暗い夜空に、火の粉を吹き上げていた。それは汚らわしい恐怖と死のイメージを増幅して送り込む術式だった。


 人間の精神とは脆いものだ。自分が死んだと思い込んでしまえば、血を流さずとも死んでしまう。思い込みだけで火傷をおうことすらある。自身の死を共感させることによって、海洋生命体は完全に機能を停止していた。


 死を覚悟していたからこそ――。


 私はよたよたと斜面を滑るように下っていった。汗で張り付いた髪をかきあげる指がブルブルと震えていた。と目前に、山城裕介が慢心の笑顔で立っていた。


「……あ……ああ……っあ」

 

 意識は薄く鼓動は乱れていたが、死んではいなかった。震えで声にならない私に山城の大きな顔が近づいてくる。


「大成功だったな。たいしたもんだよ、俺ってさ」


「し、知って……いたの?」


 私が死を覚悟して放った魔法。死を覚悟したからこそ、はじめて発揮する破壊的な能力。


『知らないことが武器になる』とは、このことだったのだ。当然、あらかじめ知っていれば恐怖や絶望は限定されてしまうのだから。


「はいはいはい、俺が止めてやったから君は生きてるんだ。ほら、洗脳だって止めたんだから、精神的なダメージくらい止められると思ってたんだよ。上手くいったよ、本当にうまくいった。さすが俺だと思わないか?」


「あっ……ああ、あ」


「何だって? 聞こえないな」


 顔が近いのよ。そんな距離感でどうしてキーパーやってたのよ。


「ちゅっ」


「あ……あなた……本気でイカれてるわ」





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