監視塔
亜空間を行き来し、七つのハブと中央ゲート・ウェイから近い場所に聖地と呼ばれる都市がある。その一つがこの街ヨークである。
地球上で最もはやく進化をとげた生物、海洋生命体。穀物類は微生物によって栄養価が高められ、みずみずしく甘味を帯びている。満腹になった伊藤はトマトを摘まんで味わうように食べた。
「中身が詰まってるっていうか、野菜嫌いの俺でも正直、美味いと思う」
「単純に味が濃いのよ。地上の食べ物よりシンプルに美味しいって感じ。栄養があるんだわ」
シドの屋敷では毎晩のように街の住人が訪れ、宴が開かれていた。見知った顔はミーファさんとサラさん。今は向かい側で他のグループと談笑している。
「議論にならなかったんだろ、良かったじゃないか」伊藤がリンゴをかじって言った。
「うん。地上の法律は進んでるのね、でも私たちは、この法律も街も誇りに思ってるから、ですって。生贄なんて処刑と同じじゃないの」
「全然違うらしいぜ。死んだら木になったり珊瑚礁になったり、海藻になったりするんだ。永遠の愛を受け入れるってことさ」
「どこが違うのよ。虫とか魚の餌になるだけじゃない。もう死んでるんだから」
「いや、もっと生態系の一部になるとか、そういう感じだよ。この人たちは前向きなんだ」
「どっちが前だか……で、領主さまの情報は?」
「見た目は普通の神官らしいぜ。詳しいことは何も……どのみち、明日には来るんだ。そんなに悩むことじゃない。それより、もし俺が連中のカルト教団みたいな思想を気にいったと言ったらどうする」
「はあ?」私はため息まじりに野口くんを見た。「すっかり洗脳されてて脱退も無理かしら」
「そのときは僕が新しい教団を作ってイトりんを勧誘するよ」
「ぷっ、ここみたいに彼女が十人も出来る教団なら迷わず入団するぜ」
「イトりん。もし本当の相手に気付いたら、それがたったの五分でも、君は幸せだと思うよ」
「そんな誠実なキャラだったか、野口? まあ……五分も、もちゃ充分だけどな。あはははっ、げへへへ」
「まったくゲスい冗談ばっかり。面白いけど、僕はイトりんがどれだけ洗脳されても、勧誘を続けるからね」
「何言ってんだ、オイ。さては俺のことが大好きなんだな。知ってるけどさ」
「……二人とも、もう行くわよ」
お酒を飲まない私たちは、大量の肉料理や魚料理をご馳走になると、丁重に断りをいれ、そうそうに螺旋階段を上がり、分厚い壁の部屋へと逃げるように退散した。
高窓から斜めに差し込む月明りと、撫でるだけで明るさを変えるクリスタル。鎧戸を閉めると階下で酒盛りをしている人々の残響が消えていった。
野口くん並みの勇気と行動力が自分にもあればいいのにと思った。せめて自分だけはゆっくりと体を休めて力を温存しなければならない。そう思っても眠れる気はまったくしなかった。
「……」
雷鳴の轟く真っ黒な谷の先、禁止地区で見られた変電所のような四角い建物。それは海洋生命体の監視塔に違いない。
野口鷹志はレッドカードを使って彼らの中枢にアクセスすれば、母親の痕跡をたどれるのではないかと真剣に考えていた。
それにしても、この街の住人は信用できない。確かに単純な法整備によって保たれる倫理が合理的に機能していることは理解できる。
人間というものは、根底に人から認められたい、愛されたい、求められたいと思うものだ。当然、馬鹿にされたり虐められたら、攻撃的になるのだが、好意を感じればこちらも好意的になってしまう。
情動感応者として彼らをみたとき、まったく感情を察知することができなかった。要するに、彼らは感情を持っているようで持っていないのだ。
あの反応は膨大な倫理的情報パターンを収集して作られた感情に似た模倣に過ぎない。
そして栄養価の高い美味しい食事が豊かにあるというのに、法を犯したものが生贄になって食べられるという不可解な社会。
領主とは一体どんな存在なのか?
その目的は?
今夜も伊藤と野口くんのふたりは黙ったまま高窓から飛び出し、禁止地区の偵察に向かっていった。恐らく、この部屋は盗聴されているだろう。
いや、それどころか全て監視されている可能性もあるのだ。私は毛布をかぶって待つことしか出来ない。
部屋の灯りを落とし、音もなくふたりは丘の先まで向かった。伊藤麟太郎の能力は監視者の視線を外せるだろうか――。
昨晩は、あの丘まで見つからないで行くルートを慎重に調べていたが、今夜はいよいよ丘を越えて禁止地区へと侵入する予定だった。
明日の朝には領主さまと呼ばれるカニバリズムの親玉みたいな奴が、この街へやってくる。胸がジリジリと焦げるような感覚。
野口くんは「羽鳥さん、留守を頼んだよ」と言った。大事な役目だとは分かっているが、同時に気使いが感じられた。
一緒に過ごせば過ごすほどに、彼のことが好きになっている自分に驚かされる。あのファッション・ショー以来、まともに彼の顔が見られない有り様だった。
なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうか。ファッション・ショーをご覧あれと、下着でくるくる踊ったうえに決めポーズ。
死ぬしかないんじゃないかと思う失態、耳は火がついたように熱くなっていた。それも二回目だという変態ぶり。
ミーファさんが、野口くんに腕をまわし体を密着させた場面が浮かぶ。仲睦まじい自然な笑顔、それは私の専売特許のはずなのに。
羨ましい、妬ましい、恥ずかしい、苦しい、悔しい、惨めな気持ち、卑猥な変態だと思われていないだろうかという思いが巡る。
やりきれない気持ちで胸がいっぱいになり、また彼の顔をまともに見れなくなってしまう。私は怖いのかもしれない、寂しいのかもしれない。
精神感応者たちが究極に能力を高めてはじめて理解可能なレベルで――どうして、どうして、そんなことが可能なのか分からなかった。
彼と友人たちの精神は密接につながっていて、一体感に溢れていたのだ。私だって、あんなふうに彼と親密になりたかった。
精神と肉体、私はその両方で彼と触れあいたいと願っていた。ただ……ただ、ひとりでいるのが寂しかった。
「……!」
そのとき鎧戸がノックされる音がした。長廊に感じる気配は二人以上だった。私は息を潜めて、ドアに耳をあてた。
二人が居ないことが分かれば、騒ぎになる可能性は高かった。禁止地区に向かったなど、ばれれば尚更だ。私はしばらく待ち、相手が諦めて帰ることを祈った。
「…………」
「……」
※
海洋生命体の歴史資料によると、創世記まで最も彼らが重要視し発達させた科学は 〈生物学〉であった。
遺伝子組み換え技術の進歩である。これにより次々と生み出された新しい生物たち。巨大化した鳥類に似た爬虫類、恐竜。
彼らのような巨大生物により食糧難は解決に導かれた。だが同時にエネルギー問題は違う局面を迎える。
隕石や地殻変動による大量絶滅を経験し、より高度な進化を得るため、彼らはクリーンなエネルギーを求めた。
天然ガス、メタンハイドレートが大量に手にはいることから地上を離れ、大海に安息地を求めたのである。
「と言っても水中にドームを作って暮らしてるわけじゃないんだ」僕はマットが脳内で教えてくれる内容をイトりんに伝えた。
「ここみたいな異空間なわけだな。禁止地区にはデカい豚とか七面鳥がいるかもしれないな。まさか恐竜ってことはないよな?」
「ちょっと興味あるよね。でも、僕が見たいのはあの四角い建物だ。立体映像を映してるだけじゃなく、監視者がいるかもしれない」
「まあ何にせよ、お前の母さんが何のためにレッドカードを作ったのか調べる価値はあるよな」
「うん。じゃあ、行くよ!」
僕とイトりんは真っ暗な谷に向かって走り出した。小学生の頃、互いにいつまでも走り続けた日々を感じながら。




