賢者の石(2)
「げほっ、げぼっ」律子は喉を押さえいう。「助かった。お前を生かしておいたのは正解だったな。見ろ、時間旋が閉じていく」
破壊されたビルがゆっくりと巻き戻し再生されるように、姿を変えていく。爆煙は霧散して消えていくようだ。
「先生、賢者は死んだのか?」
律子は伸ばされた爪を引っ込めて、軽くつかまりながら立ち上がった。逆再生で治っていくビルを見ていた山城祐介の脳裏には、何故か小学校の卒業式が見えていた。
瓦礫が復旧していく姿は神聖なものに見えた。重ねて見える懐かしい卒業式も、同じように神聖だというのだろうか。
ちょうどあの年は関東北部を未曾有の震災が襲った年だ。すべてを瓦礫にかえ、押し流し、消し去る津波は子供にとってショッキングな映像であった。
「賢者は消えた。やつを追っていた老人の片割れが掴みかかる前に。おそらく死んではいないだろうな。先生と呼ぶのはやめてくれ」
「逃がしたか。芦田とかいう爺さんが仕留めてくれると思ったが。今さら律子さんなんて呼べないだろ、命の恩人に」
「センリツで構わない」
「センリツセンセー、略して先生」
「……もういい」
小学校の卒業式は中盤にさしかかる。子供たちが一斉に声をあげ体育館に歌声が響いた。指揮をふっていたのは、今もあの頃も生徒会長をやっていたミッドフィルダーの前田だった。
『震災でたくさんの命がなくなりました。ぼくたち、わたしたちは震災を忘れない、風化させないという強い想い、そして大切な人への想い、未来への希望を込めた、復興を応援する楽曲を歌うことにしました』
歌声と逆再生の映像。時間旋がゆっくりと閉じていく光景と子供たちの歌声は不思議と山城の胸に響いた。
(賢者の石が、俺自身の記憶を見せているのだろうか。時間の感覚がぶち壊れている、この瞬間だけ――)
野口が賢者によって操作された直後、凄惨な虐めにあった。皮肉にも最初にあいつをイビったのは金子と高橋だった。
弁当をとりあげ便所に流した。帰宅時には靴を捨て、待ち伏せて殴る連中もいた。俺に止めることは出来なかった。だから、逆に野口を一番に虐めて、他の連中に手出しをさせないようにした。
大人は相手にしなかった。正しくて嘘なんかつかず、いつも味方になってくれると信じていた大人。そんな人間はどこにも居なかった。
そして中学から高校へ。誰も野口を見ようとも話そうともしなくなった。誰かが指揮をとっていたからだ。
(前田、お前だったのか)
全校生徒が声をそろえ、歌っていた。合唱は盛り上がり、歌が最大のピークを迎えたとき、前田は全生徒の前にたちに誘導を仕掛けた。誰も野口には手をだすなと。
虐められるくらいなら、誰からも相手にされない方がいい。賢者の犬に成り下がっても、しっかり自らの意志で指揮棒を振ったのだ。
『誘導』という能力。震災や津波を想定した避難行動を想定して生み出された能力。
震災も津波も、海洋生命体の攻撃なのだろうか。だとすれば、次元の歪みを留める魔女団は、しくじったのか。
賢者の石を見ると、頭がズキズキと痛んだ。あらゆる次元の異なった場面が流れ込んでくる。これは現在なのか過去なのか、未来の可能性すらあった。
地下組織と魔女団は、共同戦線をはっているわけじゃない。前田や草薙は魔女団を襲うよう指示されていた。
完全に操られてはいない。だが魔女団の幹部を始末しなければ、更なる犠牲がでることを知っていたから。
(これは現実だろうか。このフラッシュバックのような情報からでは、すべてを把握することは出来ない)
また合唱している生徒たち。泣いている子供たちもいる。事態を把握できないでいた細川とアンディは、校外で野口を待っていた。
二人は作戦をたてていた。細川にはそういう才能があった。賢者の洗脳を装いながら、第三者からの匿名と時間差で、虐めや暴力を学校側へと訴え続けた。
そのクレームは仙田律子へと繋がり、松本の手から野口を守る結果になる。そのささいな、小さな抵抗が改造手術を防いだのだ。
ズキン――。
だが二人は違う名家に取り込まれる。そいつがカラス天狗だった。だから二人は少しずつ学校に来なくなった。来れなくなったのだ。
細川とアンディは洗脳されていなかったのだろうか。誰かが洗脳を防いだ、いや跳ね返したイメージがあった。
ズキン――他の仲間たちは?
草薙のキックは瓦礫を一掃する『圧縮』、中島の『突破』は、まっさきに誰かを助けるための能力だと知った。
野口の笑顔が浮かんだ。あの二人も本能的に、誰かを守るという意志が働いたに違いない。
青白く四角いキューブ状の何かが見える。海洋シアノバクテリア、プロクロロコッカス属の細菌は、地球上で最も一般的な光合成生物のひとつだ。
ズキン――。
この単細胞生物がナノチューブを介したネットワークを形成していると発表されたのは耳に新しい。有肢菌類とも異なる接続遺伝子を持った生物か。
災害で失われた命。有肢菌類の策略ごと、人類を海に帰そうと計画する海洋生命体の存在があった。
攻守のバランスをとろうとする判断は、ミッドフィルダーらしい。世界の均衡を保つには、必要な決断だった。あの絶望から選べる選択肢は他になかっただろう。
(想定外だ。賢者から受けとった能力でリア充生活を送っているだけだと思っていた。だが、この石を手にして誰が何を考えて、何のために戦っているのか分かってきた)
「俺は鈍感だな。魔女団の幹部は始末して良かったわけだ。裏で手を引いていやがった。吊られた死人に耐性があるのも理解出来る。なら、あいつらが互いに争う必要はないじゃないか」
「あいつら?」
爆発までも逆再生されていく。田中と呼ばれる爺さんが、天井を突き破り金子たちの前に立ちはだかった。笑っていやがる。
「うちのフォワードとミッドフィルダーですよ。田中とかいう爺さんが割って入りました」
金子や高橋が洗脳の影響をマトモに受けたのは、一番前で戦っているという自負があったから。俺が洗脳されなかったのは、お前らのおかげだ。
「ほう、一瞬で二人を連れ去ったか」
「ビルの爆破より高橋の吸着と金子の放出の力が勝ったみたいだな」
「……」
これで十人、もう一人いる。センターバックの一条洋か。愛美からレッドカードを奪おうとして、俺と殴りあいになった。
「!?」
『奪回』能力。一番初めに動いていたのか。姿が見えないと思っていたが、あいつは八年前に野口玲奈、野口の母さんと接触してる。
マネージャーの愛美が、野口の母さんと森林公園であい、カードを手にしたのは知っていた。
カードが鍵を握っている。だから愛美に近づきカードを奪った。俺はヒロに殴りかかった。
「ははっ、ははは」
追ってきた従属種の死骸を、ヒロが始末している姿が見えた。愛美に近づこうにも何年もかかったわけだ。
自分の能力に気づいているのだろうか。従属種の攻撃を歪め、反射し、死に至らしめる能力に。
バックスの細川とアンディが賢者に洗脳されなかったのはヒロの影響下にあったからだろうか。
「何が可笑しい?」
「何にも気付かずひとりで戦っていると思っていた勘違いボーイにですよ。そんな感覚に酔ってさえいました。誤解だった」
「み、見えるのか。野口はどこだ?」
「……」
中世のような町並み。 ローマ、メッカ、エルサレ厶。場所ははっきりしないが聖地と呼ばれる古い都市だというのは分かる。
古都として広がっている緑のあふれる楽園。ぎっしり連なる円形型の住居。家の間は狭く、レンガ職人がドームを補修する喧騒と汗の匂いがする。
室内は荒削りな家具が並んでいるが、すべてはこの街で造られており、寂れているかといえばそんなことはない。
街は活気に満ち溢れていた。料理の匂い、笑い声、美しい人々、温かい日差し、男女ともに露出の多い服装。
だが全ては作り物に見えた。科学も文明も発展を遂げたあとに、捨てられたような街だった。進化の停滞した彼らの文明は一度、破綻したのだ。
活力はなくなり生きたまま長い眠りにつく者もいた。無気力な社会を建て直すため、彼らは架空の楽園を築いたのだ。
賢者のいっていた〈偽りの楽園〉とは、進化と多様性を求める有肢菌類とは対極の考えを持った種族によるものだった。
退化を望むことで作られた町並み。活気があるのは、ここが単なるテーマパークだからに他ならない。
「あいつは、海洋生命体の街にいる。海洋生命体に拉致られて体内に何かを埋め込まれちまう前に――」
「な、何だと。いくのか?」
「まあ、当然でしょう。誰一人として、あの日の友情ごっこを辞めていなかったんです。誰も、野口を裏切っていない。俺はキャプテンとして、何も把握出来ていなかった」
「……会いにいくんだな」
チームをまとめるのはキャプテンの仕事だ。くそっ。あいつに会いたい、無性に会いたくなった。
「会って、取り戻してやるさ」
初めて会ったころの笑顔を――。
◆◇◆◇◆◇◆
一部 完
ご愛読ありがとうございました。当初は野口くんが海洋生命体や爬植石生物にも、何重にも改造されて世界を滅ぼすまでの力を得る、という設定でした(笑) コメディよりですかね。
そのため最後は世界中のみんなが野口くんを大切にするというエンディングを用意しておりましたが、いつのまにか11人のチーム全員出したいと思うようになり、敵方もマジになってきました。
海洋生命体の街についてからは、仮想現実とか異世界もの要素がはいっていきます。
たいへん楽しく書かせていただいておりますが、ブクマ、評価を頂けますと大変うれしいです。第二部は喧嘩っぱやいフォワード勢が活躍します。
宜しくお願い致します!




