異空間ドライブ
蜃気楼を通り抜け、僕らは海底にある彼らの船へと場所を移した。方舟と呼ばれる海洋生命体の乗り物は、まるで宇宙船のようだった。
四角い部屋に白いテーブル、四つの椅子が見える。馬蹄形をした制御卓があるだけで、全てはコンピューターで管理されている。超未来的で圧倒的な技術。
そして前に映るモニターと左右に広がる観測窓の外には不思議な空間が広がっている。正面には様々な色が渦巻いており大きな絵の具のパレットを見ているみたいだ。
真横を真っ赤な槍が、きらめいては流れて行く。そうかと思えば雨粒のような小さな光は、ランダムに瞬いて渦を巻いていた。
「空間を貫くゲートウェイを走っています。ロストテクノロジーで輸送船の数はだいぶ減りましたが」
「……それじゃあ、大変ですね」
何が大変かは知らないが、イトりんがそう答えた。分からないことが多すぎて何から聞いていいのかすら分からなかった。
おそらくイトりんは、「私は人間ではありません」と言われても「それじゃあ、大変ですね」と答えていたと思う。
「人類の言語が三千からあるといわれているように、我々の言語も多岐にわたります。この鱗布を着て首にあるスイッチを入れてもらえると、私以外の海洋生命体とも会話が出来るようになります」
「ああ……だから、あの人たち自己紹介とかしないのか。貴方は何て呼べばいいんですか?」
その鱗布を着た一人がイトりんの質問に答えてくれた。長い銀髪で背の高い女性で、名前をミーファと言った。
液体に似たその光は、複雑な筋を描いて背後へと流れていく。不思議な空間を、どれほどのスピードで進んでいるのか僕には全く理解できなかった。目的地までには六時間ほどかかるらしい。
「隣の部屋に休憩室があります。ミストシャワーを浴びて、ごゆっくりなさってください。鱗布にお着替えください、サイズは自動で調整してくれます」
「……は、はい。ありがとうございます」
羽鳥さんが振り向くと白い壁が開いた。僕ら三人が隣の部屋に入ると同時にハンガーに掛かったウェットスーツのような服が目に入った。
ベッドが左右に二つずつ。中央のテーブルには果物や水が置いてあった。奥にはシャワー室とトイレがあるようだ。
「伊藤、初めに着てみてよ」
「あ、ああ。じゃあ、シャワー浴びてくるよ、覗かないでくれよな」
「はあ?」羽鳥さんは腕組みしてプイと横を向いた。「誰が興味あんのよ」
「「あははは」」
僕らは笑いあった。三人だけの休憩室は、旅行気分でワクワクした。こんな時間がずっと続けばいいと思った。
しばらく椅子に腰掛けていた僕の身体は完全に回復していた。羽鳥さんのおかげだけど、自分の回復力にも驚くばかりだ。
イトりんが思いのほか早くシャワー室から出てくる。ボディライン、ピチピチの鱗布を着ているのを期待したけど、最初と同じ制服を着ている。
「えっ、なんで着てこないのよ。恥ずかしがってる場合じゃないでしょ!」
「いや――」イトりんは真面目な目をして答えた。「着てるんだ。よく見てみろよ」
驚いたことに襟元のボタンを押すと、制服が一瞬で銀色の鱗布に変化した。イトりんの話だと洋服を着ている感覚はなく、ボタンひとつでイメージした服装に変わるというのだ。
「うそ……なによ、そのすごい未来服」
すれ違うように羽鳥さんは「先に浴びるね、野口」と言ってシャワー室に向かう。すかさずイトりんが、僕をベッドの方へ引き寄せた。
「……野口。お前に渡さなきゃならないものがあるんだが、聞いてくれるか」
「う、うん」
手元から出したのはサッカーの試合でよく見るレッドカードだった。イトりんは山城からカードを受け取った経緯を話した。
追ってきた従属種のこと。もう駄目かと思ったとき、山城が助けてくれたこと。野口を守ってくれと、このカードを託したこと。
「元々は、お前の母ちゃんが持っていたカードらしい。こいつは時間旋に侵入するパスポートだと思っていたが、それだけじゃない」
少しずつでも母さんに近づいている。それだけでも嬉しかった。科学者だった母さんが作ったカードが僕の手元にあることが。
直接、肌に付けることで効果が発動する。そして手渡されたレッドカードに触れた瞬間、イトりんの着ている服装が変わった。
「ぶっ!」
真っ裸にボクサーパンツ一枚だった。不思議なことにレッドカードから手を離すとイトりんは制服姿になっていた。
「えっ?」
「……洗脳の除去とか、まやかしを見抜けるカードってことじゃないかと思う。時間旋から離脱できたり、使い道はまだありそうだ」
「う、うん。さっきまでミーファさんと話してたよね。そのときはレッドカードを持っていたの? まさか本当の姿はイカ人間じゃ……」
「いや、時間旋が閉じてからは、お前に渡さなきゃと思ってポケットにいれていた。でも、カードに触れているときに、あの人たちを見た。見た目はあのままだよ」
「ほっ……安心したよ」
僕の中にいる有肢菌類マットの話は、ふたりにはまだしていない。この現象のことをこっそり聞いてみようとしたとき、羽鳥さんの声がした。
「ふふん♪ あははん♪ ねえ、お二人さん、良いもの見せてあげよっか」
「……な、なんだって!?」
シャワー室の鏡を見て、鱗布の機能で遊んでいるみたいだった。ボタンひとつでパッと変わる洋服に、魔法少女の魂に火がついたのかもしれない……すごく楽しそうだ。
「ファッション・ショー。アイドルの服装とか、十二単とか、有名女優の着ていたドレスもあるんだけど、興味あるかしら?」
僕らはカードの両端を持ったまま離そうとはしなかった。グイグイと引っ張りあっていたが、互いに譲ろうとしない。
「ぼ、僕に返すんじゃなかったのかよ」
「いや、俺が持っていたほうが良いんじゃないかな。お前は時間旋の影響受けないだろ」
まずい。このままカードを離さないなら、スケイルだか透け透けだか分からないことになってしまう。だが、互いに手は離さない。
「……!!」
羽鳥さんが下着のまま、僕らの前に立っていた。少なくとも下着をきていてくれて良かった。裸も期待していたけど。
「似合う?」
「……お、おお」
「……あ、ああ」
彼女はくるくる回って決めポーズをとった。つい一週間前に見た決めポーズから、格段にレベルアップした過激なポーズだった。
「ふふん♪ オシャレ、オシャレ♪ オシャレめさるなぁ~」
真っ白い肌に白い下着。腰に手をあてながら、彼女はくねくねと踊っていた。有名ブランドの流行りのコーデらしい。
谷間を揺らしながら、僕の目の前に立ってニコニコと笑いながらクルリとまわった。着痩せするタイプなのはよく分かった。
「ぶっ!」
「きゃー、野口っ、何鼻血だしてるのよ」
カードを離してしまった。僕には刺激が強すぎたようだ。しばらくしてイトりんが事情を説明したら、羽鳥さんは一時間くらい黙っていた。
「……」
裸踊りが相当ショックだったみたいだ。壁に頭をつけたまま、悪い魔女の呪文みたいな言葉を唱えていたようだ。
「……」
結局、僕らは鱗布をデフォルトの銀色に設定して上から持っていた服を着ることにした。動きやすく防御力もあって、これはこれで機能的だと思った。
「……」
カードはやはりイトりんに持っていてもらうことにした。以前のように常に肌に付けてはおくことはせず、制服のボケットにしまっておくそうだ。
その後、ミーファさんと話して地上の情報は入らないと聞いた。カネちゃんやハッシーが心配だった。四人の海洋生命体は男性が、シドとドゥラ。女性がミーファとサラといった。
襟元にある二つ目のスイッチを入れると、あらゆる言語が翻訳されて聞こえる。この服さえあれば英語検定も楽勝かもしれない。
「まもなく、海洋生命体の街ヨークに到着します。しばらくこの街に滞在していただきます」
放心していた羽鳥さんは、すっかり元に戻っていた。彼女のダンス・ショーも驚きだったが、僕らはこの街で更に驚きの光景を目にすることになるのだった。




