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エンパスの少女

 三ヶ月前。


 職員室の片隅で松本と野口鷹志が会話をしているのを聞いた。誰も聞くことの出来ない貴重な会話だった。


『野口、お前卒業したら進学する気はあるのか? 大学とか専門学校とか』


「も、もちろん、働きたいです。工場でも警備員でも清掃員でも何でも構いません」


 あまり聞かれたい情報ではないだろうが、彼ははっきり言った。曖昧にする他の生徒とは比べ物にならないくらいハッキリと。


「だ、大学とか専門学校は、沢山お金がいるから行きたくないです」


『おいおい……行けないの間違いだろ?』


「はい。は、はやく働いてお金を貯めたいんです。どんな仕事でも、構いません。一生懸命働きますので、紹介して頂けないでしょうか」


『ぷはあっ、一生懸命だって!?』


 松本は眉を吊り上げ、彼を馬鹿にしたような笑顔をみせた。彼はどう思ったのだろう。


 貧乏で、被害妄想で、虚弱体質で、ストーカーみたいで、いじめられっ子で、人間のクズだと感じたのだろうか。


 まわりの人間は、やりたいことや夢を持って進路を決めるのが、彼に出来ることは限られている。そして漠然としている。


「それが何なのか僕には分かりません。言葉にすれば陳腐で、投げやりな目標に聞こえるだろうけど、僕の目標は一生懸命、働きたいっていう、それだけなんです」


『あーっはははっ、ぷくっくっく。仕事が出来るなら何だっていいってことを、恰好良く言ってるだけじゃないか。お前には本当に夢も希望もないんだなぁ。まったく』


「は、はい」


 漠然としか言葉にできない彼は、夢も希望もないつまらない人間だろうか。だが、松本や仙田律子の監視下から逃れるためには一番現実的な返答に思えた。


「僕に務まる仕事なんて、ほとんどないのは自分でも分かっています」


 松本が彼の中に見ているのはただの空洞だった。呆れるほど滑稽で、単純なつくりの、からっぽの容器だ。


『中身をどこに置いてきたら、そんな考えになるんだ?』呆れた表情にかすかな笑い声。


『社会では頑張るなんて言葉は何の意味も持たない。頑張るのは当たり前だから。何を一所懸命、頑張るかを聞いているのが判らないのかね? お前は体力は小学生並みだが、頭のほうは動物並みだな』


「は……はい」


『うんうん』松本は咳払いをして続けた。説教を楽しんでいるようだった。『社会では学歴が無いと努力しても認められない場合が多いのは解っているな?』


「は、はい。それでも、努力して誰かに必要とされるように……なりたいです」


 松本は頭にピシャリと手をやって、驚いたといった顔をした。


『誰かっていうのは?』


「社長とか……先輩とか……です」


『ブハハハハ! 社長や先輩は、お前の一生懸命を見ているほど暇じゃないと思うぞ。まあ、分かった。進学の選択肢は無いのだな?』


「はい。選択肢はないんです」

 

 そうだ、彼に選択肢はなかった。そんなもの誰にもないのかもしれない。それが今や、可能性の塊になってしまったのだ。


     ◆羽鳥舞◆


(また虐められている)


 図書室。カーテンの隙間から、わずかに見える裏門では三人組の不良がひとりの少年にからんでいるのが見えた。足をかけられ、腹部にパンチが入る。


 あの教師たちが去ってもまだ洗脳はとけていないはずだ。早すぎる接触、このままではお互いにリスクが高まる。


「ギリ……」


 すぐに走っていって三人組を始末する方法はないか。そして野口鷹志にうまく近付くことはできないか。高鳴る心臓、本を握る手に力が入った。


まいちゃん」


「ひゃっ!」


 羽鳥はとりまいはくるりとスカートをなびかせ、にっこりと笑顔を向けた。クラスのスマイル担当と呼ばれる彼女に隙はない。


「校庭なんか見て、どうかした?」


「う、ううん。なんか、揉めてるみたいなの、初音はつねさんも見てみて。あそこ」


「ほ、本当だ。わたし先生に言ってくる」


「待って、終わったみたいよ」


 三人組が彼から離れていく。校門から街へと逃げるように出ていったように見えた。頭ひとつ高い初音の豊かに流れ落ちる髪が舞の頬をなでた。


 舞は自分の癖のある髪と低身長でいつも過小評価されてきたことに怒りを覚えたが、おもてに出すようなヘマはしない。


「先生には私から報告しておくよ。何もなかったかもしれないけど、虐めはよくないもんね」


「う、うん。舞ちゃんは可愛くて優しいね。わたしなら放っておくけど……なんか自分が悪者みたいな気分」


「うそーっ、スマイルだよっ初音さん」


「うふふっ」


 催眠術や暗示のように一瞬で解けるようなものではない。まだ彼とは誰も触れ合わない。まだ誰も彼と通じたりはしない、しばらくは。


「誰だっけ? あのだらしない奴」


「……たしか、二組の野口くんだよ。あっちの三人は金子くんに伊藤くんに高橋くん」


「ああ、ああ? ああ……野口くんっていうんだっけ。でもさすが舞ちゃん、学園のアイドルは生徒の名前もしっかり覚えてる。だからモテモテなんだよね、そういうところ大好きっ!」


「ぷっ、やめてよ。初音さんのほうがモテるじゃない。この間、寺田くんが見てたよ」


「うそーっ、いついつ?」



 揉めごとは長く続かなかったようだ。また靴下を柄違いで履いていて、髪型のおかしな少年に視線を向けるとゾクゾクと鳥肌がたった。


(なんて……なんて……)


 ネクタイもうまく結べず、舌ったらずな喋り方に素直すぎる性格。まるで小学生のままの男の子。眼鏡をとったあどけない顔つき。


(どうして……どうして……)


 彼のことを知ったのは三ヶ月前。人間になりすました有肢菌類の教師と、彼の会話を盗み聞きしてからだ。


 以前から松本と仙田には目をひからせる必要があった。だがタナーとアッシュがあっさりケリを付けた先に、あの野口鷹志がいた。


 もっといい条件の男はたくさんいるなんて信じる気はない。探すつもりもないし、嘘つきで傲慢な男という生き物と交際こうさいしようと思ったことなど一度もない。


(なんで……なんで……そんなにっ)


 目が離せない。いつからかは分からない。きっと進路指導で彼が話している惨めな内容を聞いた瞬間から。


(あああぁ……ああっ、もどかしいっ!)


 この洗脳が溶けたら誰だって、彼を利用しようとするに決まってる。見た目は高校生だけど、中身が小学四年生の純真無垢な彼を。


(はあぁぅ……か、完璧すぎるうっ!)


 もだえる体を抑えて、じっと想像した。彼に守られて敵対者から何処までも逃げる場面。危険な逃避行。


 彼の無限の能力に私の能力を合わせればどこへだっていける。それは有肢菌類の胞子ネットワークを覗く能力、情動感応者エンパス


 舞は小さくため息をつき、胸に閉じ込められていた空気を解き放ってやった。完璧な器、それは自分の好み通りに育てられるという意味だ。そっと近付いて私だけの奴隷しもべにする方法はないかと思考を巡らせる。


 そんなことを考えている場合ではないことも知っている。タナーとアッシュの爺さんには、しっかり彼を見ているよう釘をさされた。


(……年寄りが。大量絶滅なんて知るものか。私は私の好きなようにやるわ)


 有肢菌類は行動するときに必ず、彼ら特有の精神感応テレパスを使う。会話でも情報交換でも、何もかも。こちらから発信したり介入することは出来ないが会話は読めるのだ。


 それに別次元に潜れば、つまり連中が『時間旋』を使えば、更に私に有利になる。時空間を歪めれば相手の位置を特定することが容易になるからだ。


 彼の協力があれば進化した菌類なんて恐れることはない。そして『時間旋』の中で私は自由になる。連中にビクビクして身を隠す必要もなくなる。


 空っぽなら私のために利用出来る。それ以上の感情はないと思っていた。この少しよくわからない感情がツラい。胸の鼓動ははやくなり、頬は熱くなった。


 嘘つき、傲慢、策略も暴力も、人類の危機でさえ彼の前では無意味に思えた。あんな無垢な精神の男なら、自分は少女のままで、ありのままの自分でいられる。そんな小さくも我儘な希望があった。


 ああぁ……なんて可愛いのっ!


 ――って、何をいっているの。断じてこれは恋愛感情ではない。あんな惨めな頭の悪いヘボ男に対して、そんな感情はカケラもないはず。


 過酷な情動感応者エンパスとしての生活が、単純お花畑のトロすぎる精神に安寧を求めているだけだ。


 それも今だけ。体力が戻りさえすれば、他の男と同じように卑怯で不潔な嘘つきにおさまるのだ。



「ねぇ舞ちゃん。あそこの先生に言ってみたら。って、あれ? あんな先生いたっけぇ」


「なっ!? なんですって」


 そこには青ジャージ姿の体育教師、松本がいた――。




 

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