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洗脳解除 (細川大也)

 校舎裏で、僕は五人の上級生に囲まれていました。先日対戦したサッカーチームの面々で、ドローという試合結果に納得がいかなかったようです。


 小刻みなパスワークで完全に裏をついた作戦。点差こそつきませんでしたが、四年生チームが中学生に勝つことは不可能ではないと証明できました。


 これは僕のサッカー理論が正しかった証拠です。一対一で迎えた後半、上級生たちのラフプレ-が増えていきました。


 体格と当たりだけはどうしようもありません。それも見越した作戦をたてましたが、何かがたりない。まあ、体力ですね。


 上級生は僕と野口くんに目をつけました。遅かれ早かれ、呼び出されてリンチにあうと思いました。そういうのには敏感なのです。


 先だって手をうちました。野口くんがヤられる前に、僕が殴られれば済むことですから。上級生も気が晴れれば、しつこく手は出さないでしょう。


 野口くんは何というか、ずば抜けた精神力があります。ただ真っ直ぐで危ないところもあります。どんな人間でも悪者など居ないと信じているのです。


 そんな彼を見ていたら、本当にそう思えてきます。そう、信じたくなります。今朝の父さんとの会話も、あれは野口くんの影響でしょうか。


「明後日サッカーの試合があるんですが、よろしかったら見にきてください」


「……仕事が忙しいから、無理だ」


 父親は堅苦しい口調で早口に言いました。僕に興味を示さない。幼い日に一緒にサッカーをやった思い出がありました。だからサッカーが好きだと思いましたが、父の態度に変化はありません。


 薄いコーヒーをすする顔には何本も細い皺が刻まれました。頭髪は薄く、貧相な体つきで傍目には小者にしか見えない父親です。


 離婚は僕にも責任があると感じていました。この父親にそっくりの見た目だし、正直にいうと僕も、この人が嫌いでした。



 さあ、さっさと殴ってください。すぐに終わらせましょう。どうせ僕は一発でKOされる生意気なだけの貧弱な男です。


 殴るのは一番パシリにされていそうな下っぱでお願いしますよ。お互いに手加減は必要です。これは僕の計画したプロレスなんですから、下っぱどうしは理解しあわなきゃ。


 計画をぶち壊したのは上級生の下っぱでもリーダーでもありませんでした。どこで嗅ぎ付けたのか分かりませんが、彼は駆けてきました。


「うわああああっ!」


 僕は彼を堅実な男だと思っていました。非常に冷静で、合理的で、まともだと。その点では自分の見る目に失望しました。


 現実の彼はうろたえて、ヒステリックに向かってきたのです。こぶしを握りしめて、たったひとり上級生に立ち向かっていきました。


 雄叫びをあげ突っ込んだのです。手前にいたひとりはタックルを受けて尻餅をつき、彼を見上げて怒鳴りました。


「な、なんだてめぇ!」


 臆した瞬間、アンディの背中に膝蹴りがはいりました。頭のなかでは白熱した議論がたたかわされていました。


 彼は見ないふりをして逃げたほうが良かった。僕にはこの喧嘩を止められない。そう思っていながら、体は別のことをしました。


 傍らにいた制服を突き飛ばし、目の前のデカい男を殴ったのです。僕ははじめて、生まれてはじめて人を殴りました。


「やんのかこら!」


 逃げてしまえば良かったのに。一発もらってからは、その選択肢のほうが魅力的に思えました。僕はみっともなく喉をぜえぜえいいながら激しく両手を振り回しました。


「ひいっ! ひいいつっ!」


 上級生はスポーツをやってるし、五人いたのです。不意打ち以外に僕なんかの攻撃が当たるはずはありませんでした。


 鋭い角度のフックがみぞおちに入りました。それで終わりです、顔面を殴られたボクはあっさりと気を失ってしまいました。


「…………」


「……っ!」


「……」


         ※


 目を覚ましたとき、上級生の姿はなくアンディが僕を担ぎあげて起こしていました。泣いているのが分かりました。


「げほっ……楽勝のはずでした」


「はあ!?」アンディは切られた唇から血をだしながら声をあげました。


「ぐすっ……どこがだよ。もう一度いうけど、『はあ!?』だよ」


「ぷっ、ぷははは」


「はっ、ははは、はは」


 とぼとぼと、僕たちは痛む体を引きずるように、歩きました。西日が照らす小さな橋を越え、どぶ臭い田んぼを抜けると草で荒れた場所に、小さくて汚い木造平屋建てが見えました。


「ここに住んでること、皆にいうかい?」アンディは恥ずかしそうに鼻をかいています。


「……いいえ」


「皆が知ったら、ボクのあだ名は明日からスラムキングか、アフリカ難民だろうな」


「ぷっ……どっちがいいですか?」


「あのね。どっちも嫌に決まってるじゃないか。そんなだから、いや、やめておこう。どうせ本当のことだ」


「僕なら君をこう呼びたいですね。野口くんの勝手に考えたポジションですけど、右サイドバックのアンディと」


「まだボクが少年サッカーに入ると思ってるのかい。見て分かるだろうけど、金がないんだ。ユニフォームとか靴とかも、買えない」


「……おーい!」


 橋のほうから、走ってくる少年が見えました。目を輝かせてニコニコと笑っている。薄汚れたユニフォームがきらきらと見えました。


「おお、野口くん。追ってきましたか」


「なんだよ。なんで野口あいつが来るんだよ」


 息を弾ませて駆けてきた少年は、僕とアンディの間に入ると、息を整えて言うのです。


「少年サッカー、お金はかからないよ。監督もコーチもボラだし、ユニフォームもスパイクも大人用のをタダでくれるってさ」


 僕とアンディは目を見合せました。怪我で腫らしている互いの顔を。まるでそんなことはお構い無しに野口くんは笑っていました。このボロ家にも目をくれない彼には、呆れるばかりでした。


「あとシャワー室も貸してくれるんだ!」


「いや待て、待ってくれ――」アンディは肩をすくめて言いました。「なんでそれを、はやく言ってくれないんだよ」


 僕らは腹の底から笑いました。しばらく息が苦しくなるほど、体をくの字に曲げて手を叩いて笑いました。


「でも勝てる自信はないよ。僕はこう見えてサッカーは素人だし、平和主義者なんだ」


「僕が勝たせてあげましょう。効率的な三角で刻むようなパスワークを練習しましょう。中盤で、僕は自由に動けるポジションです。そう、リベロです。リベロの細川と呼んでください」


「僕たちは、将来きっと有名になるね。みんな本当にすごい人たちなんだ。この価値がわかるかなぁ、すごいんだよ。もちろん僕も入れてだけどね。あははは」


「さすが野口くんです」


「天才で変人の細川くんと、パワーで貧乏のアンディでしょ。勝ち気で不良のカネちゃんと、影の薄いイトりんに、サイコパスのヒロくんと自称イケメンの草薙と、変態の山城もいるんだよ」


「さ……さすが野口くんです」


「ぶっ」笑わずにいられません。「あははははは!」これが笑わずにいられますか。彼にとって、僕やアンディの抱えている問題なんて小さなことです。


 でも、それで良いんです。彼はモチベーターとしてチームの中心になっています。残念ながら彼の技術やサッカーセンスは並み以下の実力といえるでしょう。


 それでも彼は望んだ人生を、精一杯楽しもうとしています。僕やアンディの価値を、本人すら知らない価値を真っ直ぐに見てくれます。


 変人だろうが、変態だろうがそれが何だというのです。父親に問題があれば、「暴力を止めてもらう」といって行動します。


 アンディが貧しいと聞いたら、「アンディのせいじゃない。貧乏は犯罪なのか? そんなの違うよ」と笑います。


 人は僕らをみて、「友情ごっこ」というかもしれません。でも、中途半端で辞めるつもりは全くありません。あの日……僕たちはチームになることを決めたのです。


 それは今も、この瞬間も続いています。何があっても変わりません。チームに入ったのは自分の意志です。


 だから自分の価値は自分で決めます。こんなにワクワクしたのは初めてでした。明日が待ち遠しいと思ったのは、生まれて初めてだったのです。


         ※


 伊藤麟太郎は襲いかかる二人の攻撃をかわし続けていた。フェイントを仕掛けても、何発かは避けきれなかった。


 まだ野口は立ち上がることが出来ずに、砂をつかんでもがいている。羽鳥は両手をかざしたまま、動きもしない。


 アンディの大振りのパンチをギリギリでかわし、細川の蹴りを右に受け流した。もう息が続かない、意識が持たない。


 頼みの綱の明菜婆さんは、羽鳥の後ろで魔力の増幅を手伝っている。スパイクを使うことはもちろん出来ない。


 こいつらを攻撃するなんて絶対に出来ない。足がもつれながら、二人をきつく抱き締めた。そのとき、羽鳥の声がした。


「…――やっと鍵を見つけたわ」







 

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