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追ってこないで

 三日前。


 賢者は洗脳が成功したと思ったんだろう。しばらくは目を覚まさないと油断して、山城と僕をホテルの一室に置き去りにしていた。


 部屋の外に見張り役が二人しかいないのは、気配で分かった。マットのいう通り僕の視覚と聴覚は、頼るに値するレベルにあった。


「マット」脳内に巣くう魔物に語りかける。「長居するつもりはない。脱出プランを教えてくれ。もちろん山城も連れていく」


『ああ、左上をみろ。その排気ダクトから廊下まで進める。こいつを助けたいなら、引き返して見張りの二人を始末する』


「し、始末って、殺すのは気が退けるよ」


『俺の可愛い蜘蛛たちは、何のためらいもなく蹴り殺したくせに、賢者の犬は殺れないのか。何を迷う必要がある?』


「き、気絶させる方法とかないかな」


『無くもないが。いいか、野口。従属種は共通意識を持った集合体だ。お前らの世界でいうロボットと同じだと考えていい。自分の意志で何かを決めてるわけじゃない』


「……そういう問題じゃなくて、人のかたちをしている生物を殺す自信がないんだ。僕は直前で戸惑うかもしれない」


叫喚波動スクリーチ・ボム』マットは呆れた声をあげた。『調節がいるが、振動で感覚を麻痺させることができる。デコぴんを入れることが出来れば、気絶する』


「――分かった」


 有肢菌類はテレパシーという過剰な情報源を抱えている。得ようと思えば得られる膨大な情報をいちいち確認はできない。


 つまり考えることや、意識、情報を放棄することを選んだ生物。それが従属種だという。マットの蜘蛛や、山城を捕まえた犬は自分の意志を持たない従属種というわけだ。


 インターネットに頼り過ぎていると自分自身にもとから付いているアンテナが退化してしまうっていうのは、今後の人類にも大いに言えることだ……なんて考えは偉そうだろうか。



 排気ダクトから非常口に抜けるのは難しくなかった。蜘蛛糸ロープが役にたった。天井にうまく貼りつき、自分を吊り上げるのも簡単だった。


 網状にした蜘蛛糸を仕掛けておけば、一時的に入口を封鎖することも出来る。思った以上に、無音で伸縮性、粘着性に優れている。


 非常口から廊下を覗き見る。ポーター姿の人間がふたりは、微動だにせず扉の前に立っている。迷っている暇はない。


 僕は一気に距離を縮める。自分の鼓動が邪魔になるほどうるさく感じられた。両手はデコぴんを調節するために、だらりとたらし、指はキツネの形を作っている。


『待て。疲労か恐怖かは分からないが、安定していない。野口、お前は気が昂っている』


「出来る、僕なら出来るはずだ!」

 

 見つかれば、仲間を呼ばれるだろう。チャンスは一度しかない。心拍数が速くなる……気を落ち着かせて。僕は中指を二人の額にあて、弾いた。


 ――バチャ。


「!!」


 調節は出来なかった。その瞬間、ふたつの頭部が破裂して白い壁に真っ赤な鮮血と肉片が飛び散った。キイィンと耳鳴りがしている。


「ひっ、ひいっ!」


 首なしのポーターは頸動脈から噴水のように血をながし、狂ったように両手足をバタバタと振ってダンスを踊った。


「うわっ、うわあああっ!」


 頭が無いのに、肉体の痙攣が止まらないのだ。壁には脳漿がこびりつき、床には血の海が広がった。


 僕は全身の力が抜けて、床に崩れ伏した。ポーターはじりじりとこちらに歩み寄る。そして女の人みたいにだらりと同時に倒れた。


「……ひっ、ひいいい!!」


 尻餅をつきながら、僕は泣いていた。あまりの恐怖に身を震わせパニックになっていた。立つことすら出来ず、壁にもたれかかったまま。


「げほっ、げほっ。嘘をついたな、僕を騙したんだな、マット! どうなんだ!」


『……馬鹿げた考えはやめろ。お前に嘘をつけないのは知っているはずだ。なんなんだ、この腹からくる冷たい感覚は?』


「あれは人間だった。ただの人だった」


『違う、あれは従属種だ。見た目はまったく変わらないが、意識なんか持ち合わせていないんだ。それより、息を吸え、整えろ。パニック障害になりかけているぞ』


「う、うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ」


『――……』


「はあ……はあ……はあ」


 


 カジノから、宿泊フロアに降りると直ぐに空き部屋に飛び込んだ。僕はベッドのしたに山城を放り込んで言った。


「もうバレたみたいだ。連中は僕が引きつけるから、二時間したらチェックアウトの客に紛れて逃げるんだ。立てるか?」


「……すまない。俺のほうは、なんとかする。だが無茶はするな」


「ああ、生きていたらまた会おう」


「こんなところで死んでたまるかよ、兄弟」


「……元気だったら殴ってやるのに」


 

         ※


 山城祐介が助かったのか、見つかってしまったのか、あるいはベッドの下で息絶えたのか、わからないまま――三日が過ぎていた。


 とにかく連中を引き連れて、街中を走り回った。視覚、聴覚、蜘蛛糸のワイヤーを駆使して逃げ続け、隠れ続けた。屋根の上、下水道、止まっているトラックの下に滑り込んだ。


 長い間、僕は身を隠すことだけに集中し続けた。忍者のように体は軽かった。音もなく塀を飛び越え、壁を駆け上がった。人ごみの中に紛れこみ、集団に溶け込み移動した。


 だが、この新都心部から脱出するのは、どうやっても不可能だった。僕は限界を知って自暴自棄になっていた。


 そして今日、一瞬だが連中が僕を見失う機会をえた。喫茶店にいた涼子さんのおかげで、連中の目をそらすことが出来たのだ。


 まだマットとは話していない。誰かを頼る資格はないと感じていた。人殺しで、嘘つきで、皆に迷惑をかける厄介者だと感じていた。


「……?」


 涼子さんが僕を起こした。うとうとしていた僕は、一瞬ここが何処なのか迷った。


「あっ、誕生日おめでとうございます」


 まだ言っていなかった台詞。ずっと用意していたのに、僕は、ありがとうしか言えていなかった。


「……ふふ。もう終わったわ」


 涼子さんは頭をタオルで拭きながら言った。時計の針は二十四時を回っていた。キャミソールにショートパンツ姿。


 つい、溢れそうな胸元を覗きこんでしまう。彼女は恥じらうように身体をくねらせ、にこりと笑った。無意識に見た視線が、完全にばれていたようだ。


「……似合ってるけど、パジャマに着替えなさいよ。由紀子おばさんなら、心配はいらないわ。ちゃんとベッドで寝たほうがいい」 


「あ、ありがとうございます」


 僕は彼女の後ろ姿をじっと見た。彼女が少しかがむとショートパンツの隙間からはレースの下着が見えた。僕は変態なのだろうか。見ずにはいられない。


「パ、パジャマお借りします」


 手渡されたパジャマを手にし、シンクの影で着替えようと服を脱いだ。彼女は寝室に入っていく。おかしな状況になっていた。


「着替えたら、こっちに来て。私のベッドだけど構わないでしょ」


 部屋にベッドは一つしかないのに、涼子さんは寝室に行った。部屋の灯りを調節してベッドに座って待っているようだ。


「えっ……えっ?」


 僕は慌てて買ってもらったばかりの服をもう一度着ようとした。一緒に寝ようなんて図々しいにもほどがある。それは出来ない、人として絶対に出来ない。


「シーツを代えるの、手伝ってちょうだい。私は由紀子おばさんのベッドで寝るから」


「そっ、そんな。いえ、何でもありません」


 僕は空っぽの人間で人生経験も実力もない役立たずだっていうのは承知のはずだ。なんでベッドでは役にたつと思ったのか。


(僕はいったい何を期待していたんだ?)


 彼女は、ふと手元の携帯に目線を向ける――と、彼氏からの着信履歴があったようだ。僅かに口元を緩ませると、そのままリダイヤルを押して携帯を耳元に押しあてた。


「もしもし……はい。誕生日なら、とっくに終わりましたけど」


『ああ、今日は悪かったな。まだ起きているなら、会えないかな』


「冗談でしょ。今からなんてあり得ない……あなたが来なくて大変だったのよ。もしかして酔っぱらってるの?」


 流し目で妖艶な少し冷たい言い方だった。昼間、携帯で話していた彼氏のようだ。


「ふん。いま、他の男の子と一緒にいるって言ったらどうする。あなたの後輩って言ってたけど、知ってるかしら」


『何を馬鹿なこと言ってるんだ、俺が会社で一番シタッパだって知っているだろうが』


「野口君って知っているよね。野口鷹志」


『知らねーよ、そんなヤツ。何だって? なんか、電波わりぃな。それじゃ勝手にし……ケ タ ゾ ノ グ チ タ カ シ ミ ツ ケ タ ゾ ノ グ チ タ カ シ』


「なに……何言ってるの?」


 涼子さんは、携帯電話の表示画面を見た。通話先は変わっていないし、圏外でもない。ゆっくりと、もう一度耳に充てる。


『タ ゾ ノ グ チ タ カ シ ミ ツ ケ タ ゾ ノ グ チ』


「ひっ、な、なによ、あなた誰なのっ……気持ち悪いっ!」


 パニックになっていた。僕はパンツのままで彼女の前に飛び出した。その携帯電話をすぐに切ろうと思い、涼子さんに近づいた。


「きゃ、きゃあああっ!」


 彼女は今にも泣き出しそうな顔で立ち上がり、玄関に走った。携帯を、携帯を切らないと見つかって、すぐに追っ手が来てしまう。


「お、追ってこないでっ」


「!!」


 ――素っ裸なのを忘れていた。





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