社畜は社長を許せない
僕は充実感と開放感を同時にうけて、我に返った。静かな薄暗い部屋で転がされていた。喉がカラカラに乾いている。
床に張り付いた頬をはがすとバリバリと音がして、湿ったカビの匂いが鼻をついた。従業員用の仮眠室のような場所だった。目が慣れてくると誰かベッドで寝ていることに気が付いた。
「社長ですか。起きてください社長! 終わったんですよ」
「……っく」
何を言ってるんだろうか。長い時間、僕はいったい何をやっていたんだ。あれ程の仕事をこなしたのだから、社長の一言があってもバチはあたらないと思った。
「社長! 採用かどうかだけ教えてください。それから寝てもいいですから、お願いします。まさか、見てなかったんですか?」
「う、うう。の、野口か」
「しゃ、山城かよっ!! 何をやってんだ」
社長は山城祐介だった。あの時、僕と同じように賢者に食われて、怪しい培養槽に閉じ込められたのだろうか。
「う、うう……何をって試合にきまってるだろ。全部止めてやったよ。俺から……ゴールを奪おうなんて百年早いってんだ」
「サッカーやっていたのか? こっちがブラック企業の就職をかけて、必死に働いていたのに、お前はサッカーをやっていたのか!」
「……な、なんのことだ?」
僕は山城の肩を揺さぶった。生体制御能力なり観念動力で防いだのだろうか。頭では分かっていても身体がいうことをきかない。
「お前の会社なんか潰れてしまえっ、これは僕だけの怒りじゃない。すべての労働者の怒りだ。食らえ、従業員パンチ!」
「うげっ……う、うう」
「くそおっ、お前の会社だと知っていたら、デタラメの配送伝票書いて、在庫は全部どぶに捨ててやったのに。目を覚ませ、馬鹿社長ぉ!」
山城の会社には絶対に就職したくないと思った。最近じゃ社畜とかブラック企業っていうんだろうが、訴えたら勝つのはこっちだ。
「くそおっ! くそおっ!」
僕の一生懸命は誰も見ていなかった。今までもずっとそうだったけど、納得がいかなかった。思いきり声をあげて泣きたくなった。
「目をさませっ! 目をさませよ!!」
『お前が目をさませ、野口』
頭に直接、声が響いた。毎回驚いてもいられないけど、少しビックリした。脳内に巣くっている有肢菌類のマットの声だった。
「……ハッ。ま、マットか。僕は何を言ってるんだ。僕らは洗脳されずに済んだのか。殺されもしなかったのか」
『何とか無事だったようだな、よく耐えたもんだ。殺されなかったのは、お前らが既に洗脳されていると思われていたからだ』
「……」
『そうじゃなきゃ、ラスボス相手にまっすぐ向かってくる人間なんてあり得ないからな』
「そうだったのか、でも何で山城はベッドで、僕は床下に転がされていたんだ。やっぱり納得いかない」
『知るかよ。そいつは初めから洗脳されていなかったようだ。精神的な防御力が強い体質なのか、うまく洗脳を止めたようだな』
「はあ!? さ、最初から洗脳されていなかったって……ど、どういうことだよ。ぜんぜん理解出来ないよ。だって、だって」
頭がズキズキと傷んだ。誰より率先して僕をイビってきた山城。それを自分の意思でやっていたとは、やはり納得が出来ない。
『まあ、お前をイビることで、洗脳されている芝居をしていたんだ。最低のグズ野郎だな』
「いや、山城はそんなやつじゃない。だいたい、あの頃は子供だったんだぞ」
暴力、暴言、冷やかし、仲間外れ、罵られ、馬鹿にされた。それでも僕は犯罪者にも登校拒否にもならなかった。
「本当なら僕は、少年院にいたかニートになっていたはずだよな。松本もそうしたくて僕を追い込んだり蔑んだりしたんだろ?」
『ああ、そのほうが管理しやすいからな。だが、お前は変わり者だった』
「わざとだ」僕は現実から目を背けたくなった。「山城は……わざと僕を虐めてた」
『そいつはどうかな』
確信はない。そんな証拠はどこにもなかった。山城が天才子役ぶりを発揮して自分だけ助かろうと僕を利用しただけかもしれない。
「う……う、うう」
山城祐介は汗だくで発熱していた。かなりの高熱で苦しそうに唸り声をあげている。洗脳されなくとも、全身を汚染されているようだ。
「助ける方法は?」
『ない、と言っておこうか。まず助からないし、助けるメリットもない』
「あるはずだ。僕がこうしてるんだから」
『……嘘はつけないか』
「そうか、僕は薬指から治療薬が出せるのか。勝手に色々と改造してくれたみたいだけど、今だけは感謝するよ」
『本気で助ける気か? その必要があるのか。薬指なら自分に射つほうが合理的だぞ』
「助けるさ、何がなんでも。散々僕に嫌がらせをしてきたんだ。落とし前をつけてもらう」
更なる改造手術で、新たな能力が追加されていたようだ。マットを無視して更新されている情報を覗き見した。
【半月刀】両手、親指の爪から半円の小刀を出し入れする能力。握りこむほど強度が増していく。
【三日月弾】両手、人差し指から爪状の弾丸が発射できる。装填に数秒かかるが、弾切れすることはない。
【叫喚波動】両手、中指を弾けば複雑な振動波を生み出し、目標を粉砕できる。強力なデコぴん。
【医療的薬指】右手薬指先端、針状に伸ばした爪で中和剤や栄養価の高い回復薬を注射出来る。
【運命蜘蛛糸】両手、小指の爪先から丈夫でどこまでも伸びる糸がだせる。弾いて壁などに粘着させることも可能。
どれも便利そうな能力だが、使ってみないことにはよく分からない。カッコいい感じもするが、後半は適当なネーミングに見えた。
『薬指は一日一発しか使えない。はっきり言って応急措置がやっとだ。完全に回復するわけじゃないぞ』
「こいつに使うよ。射てるだけ射つ」
『何だって。お前の考えていることはまるで分からない』
プシュ……プシュ……っと音がした。山城の二の腕に二発、薬指から回復薬を打ち込んだ。僕の爪の先は針のようになっている。
「分かるもんか」
プシュ……プシュ……更に二発。胸に痛みが走った。目眩がして、次に射つ時には手の震えを押さえる必要があった。
『無茶だ。死にたいのか?』
「……」
プシュ……プシュ……。
小学生の頃、山城は僕を庇ってた。だが、おそらく他の大人たちに、余計な真似はするなと脅されたのだろう。
洗脳されたふりをしてるうちに、それが当たり前になった。イジメているふりをしていたって。ずいぶんと迫真の演技だな。
「お前は……馬鹿だな。僕なんかに、関わらなきゃ良かったのに」
洗脳された周囲の大人に違和感を持ちながら上手く渡り歩いていたのか。僕は、掴んでいた二の腕をゆっくりと離した。
なにか考えるのがバカバカしくなった。周りの連中と一緒になっていじめながら、山城はブレーキをかけていたのだ。
僕らは信じて欲しいと互いに願いながら、少しも理解しあうことが出来なかった。何年ものながい月日を、すれ違って生きてきた。
「庇っていたつもりなら失敗だぞ。僕はお前を恨んでたんだ。一生、許さないくらいに。殺してやりたいくらいに」
「ああ……それでも関わっていたかった。お前は親友だから、どんな形にしても関わっていたかった」
僕が疑問をいだいていた謎は、あっけなく氷解した。勝手に涙が溢れだした。答えはとっくに出ていたからだ。
「許して欲しいなら無理だ」
「たった一人の子供が出来る精いっぱいの抵抗だ。それ程おかしなことじゃないだろ。謙遜してるだけで簡単なことじゃなかった」
「それでも、礼をいう気にはならない」
プシュ……プシュ……。
「の、野口。もうよせ、俺は助からない。置いていくんだ」
「ああ、そうしたいけど、お前とは親友だったみたいだから仕方ないんだ」
「ふっ。それ、本気でいってるのか」
「……本気では言ってない」
「だろうな。どうせこいつらが、どれだけヤバい連中かっていうのも分かってないだろ?」
「それは知っている」
「だったら到底、逃げきれないことも知っているよな」
「ああ、頼れるのは自分だけ。一匹でも見つかればゲームオーバー。だけど、もう少し上のレベルに昇ると時間は遅く流れる」
何故か僕は自分でも理解していない能力について話していた。
「……」
安心したのか、疲れたのか、彼は黙ったまま目を閉じた。なあ兄弟、よう兄弟、そんな馬鹿げた挨拶を本気で言っていた山城。その寝顔はまるで微笑んでいるように見えた。




