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ゴールキーパー

 林のなか全力疾走すること数分。その間、自分の荒い息と木々の擦れる音しかしなかった。俺の意識には自分の足と、黒くベタつく毛並みの犬しかない。


 集中していた。羽鳥のことも野口のことも頭にはなかった。当然、誰かに助けて貰おうなんて甘い考えはない。


 なにもかもが消えていた。黒い犬が凄まじい咆哮をあげると木々が吹きすさび、安物のジャンパーの生地をビリビリと揺らした。


 苛ついてやがる。はじめ、俺たちの敵は亡霊か悪魔だと思っていた。教会に残ったふたりはそれに取り憑かれちまったんだと。


 違う、間違っていた。確かに生物やつの視線を感じる。なら、戦いようはある。木々を利用して黒い犬の予想の逆を付く。何度も続ければ、その眼をあざむき死角に入ることが出来るはずだ。

 

 俺にはそれが出来る。フェイントがある限り、俺に取り憑くことも追いつめることも出来はしない。そうやってチャンスを作ってきた、いままでだって。


 俺はスタンガンをポケットから出し、向き直った。こんなこともあろうかと準備していた特別製だった。


 《《何か》》がおきたのはその時だった。木々に囲まれた薄明のなか、まばたきすることも出来ないほどの一瞬。蹴りあげられた枯れ葉が空中に舞ったまま止まっている。文字通り、止まっているのだ。


「……」


 俺はせまってくる黒い犬を見つめた。物理法則を無視した動きで、真っ直ぐと距離を縮めて向かってくる。といっても、手遅れになるほどじゃない。


 既にスタンガンは右手に構えられている。だが、俺は撃てなかった。俺には生き物を撃てないとか、そういうことじゃなく。


 躊躇したからではなく、歪む空間に捕らえられた感覚だ。時間が止まっているのに黒い犬だけが我が物顔で動いていることが、まったく理解できない。


「!!」


 何重にも生えた牙がいまにも襲いかかる寸前、茂みの陰から銃声が聞こえた。待ち伏せていたかのような鮮やかな射撃だった。


 黒い犬はぐるりと体を回転させて静かに地面に倒れ伏した。また羽鳥にたすけられたのだろうか。いや、距離からしてそうは思えなかった。


 俺はゆっくりと視線を茂みにむけようとするが、身動きがとれない。この空間で動くことは容易じゃない。


(……き、キャプテンなのか?)


 背は高いが痩せている男、同じくらいの年なのは間違いない。はだけたワイシャツ、胸元に赤いカードが張り付けてあるみたいだ。


 クレジットカードとかポイントカードより少し大きな赤いシールが両乳首の間に貼ってある。


 あれはレッドカードだ。試合で一発退場させられる赤いカードに違いない。右手にはオートマチックの改造銃が光っている。


(山城祐介だとしたら……どうかしてる)


 瞼と頬は腫れていて、殴られた痕みたいになっている。入ってくる情報量が多い。だが何というか、ただの変質者に見える。


(……こんなキャラじゃなかったよな)


「はいはいはい。ついに時間旋を克服しましたよ、やはりこのレッドカードがパスポートだったんですね、こりゃ驚きましたねぇー」


(無表情でぼそぼそと話す姿は、間違いなく元少年サッカーキャプテンの山城祐介だ。いったい何を言ってるんだ?)


 どういうわけか俺は涙が溢れそうになった。三年くらい会話してもいない、仲間とも限らない山城キャプテンがここにいるだけで。


「……いま動いたかな、伊藤くん。きみ、もしかして意識があるのか、なぁ、動いたろ」


「……っ」


「何だよ、少し動いたじゃないか。何で動けるんだよ。お前はどっち側の人間なんだ。そうなのか、そういう体質なのか? 俺は洗脳されない体質だからな」


 動けるかは問題じゃなく、今すぐ伝えなきゃ二人とも死ぬと思った。視界ぎりぎりの黒い犬はまだジリジリとうごめいている。


「ぃぬ、ぃき…る、にげ…」


「おいおいおい、しかも喋るのか。喋れるのかって聞いてんだよ。俺がこんなに苦労したのに、普通に動いてるのかよ、ちゃんと説明してくれないと困るだろ」


 そりゃ、こっちの台詞だろう。それにしても顔が近い。めちゃくちゃ近いし、山城の顔はデカい。そういうヤツだった。彫りの深い顔が間近に迫る。


 距離感が分からないのか、馴れ馴れしいのか、単なる変態なのか知らないが、こいつに構っている場合じゃないと思った。山城は誰も近寄らない危険人物、忘れてはならない。


「い…ぅしろ…げろっ逃げろっ、は…とり」


「何を言ってるの、伊藤くん。逃げられないよ、もう手詰まりなの。分かんないかな、あいつらテレパシーで繋がってるから、一匹でも目をつけられたら、もう終わりなのよ」


 山城は人差し指を口にあてて、喋るなというポーズをとった。背後では黒い犬が少しずつ肥大化していくのが見える。


「共存していくしかないんだよ。最悪の事態だけは何とか避けながらさ。ほら、俺はキャプテンだったし、キーパーだっただろ。分かるだろ、最後の守りだけはしないとならない」


 黒い犬は原型を崩し、大きな黒い塊になっていた。裂け目が広がっていくと、ぱっくりと口を開いてゆっくりと俺たちを包みこんだ。


「……っく」食われるのかよ。


「よく聞けよ、伊藤くん。このレッドカードは野口の母ちゃんが作った異次元侵入装置だ。肌に直接付ける必要があるから、パンツにでも隠しておけ。実は愛美あゆみのパンツから奪ってさ、ヒロにボコられたんだよ。ふはははっ、あいつらは分かってないから仕方ないんだけどさ」


(へ、変態じゃなかったのか)


「やるからさ、野口のこと頼むわ。俺は裏切りがばれたら殺られちまうからさ。あいつのさ、助けになってくれよ、いいだろ?」


(……や、山城は洗脳されていなかったのか)


 洗脳されずに、連中の味方になったふりをしていたというのか。そんな馬鹿なことが現実としてあるのだろうか。八年もの間だぞ。


 俺はゆっくりとだが顔を横に向けようと力をこめた。山城はまるで変態みたいにニヤニヤと微笑んでいる。


「ちゅっ」


「……!」


 何をしやがる。デカい顔が俺の頬にキスをしただと。信じられないだろうが、気持ち悪いとは思わなかった。


「なあ、頼むよ。いいだろ」


 むしろ、嬉しかった。忘れていた友情がよみがえってきたから。山城と野口は親友だった。短い期間だったが、俺も皆も仲間だった。誰が何と言おうと、信じる価値があった。


 暗黒と酷寒が俺たちを包み込む。理屈は分からないが、黒い犬の腹の中に沈んでいくのを感じた。虚空が視界を埋め尽くしていく。


「俺はさ、自分の立場が大事でさ、たくさん野口をイビッてきたからさ。でも、俺がやんなきゃ、他の奴らにイビられるだろ。それは許せないんだよ、分かるかなぁ……だからさ、頼むよ。野口がさ、寂しくないように守ってやってくれよ」


「……」


 それから赤いカードを俺のズボンに突っ込むと山城は何も言わなくなった。空間の歪みが戻ってくる。林道がもとの場所に感じられるようになった。


 その瞬間、俺は肩から地面に落下したが、受け身をとり転がったまま木々を避けて、猫のように立ち上がった。


 黒い犬は、黒いもやのように空中を漂い、縮んで消えていった。


「伊藤っ!」


「……はっ、羽鳥かっ」


 羽鳥舞の声が聞こえた。一部始終は見えていたようだ。俺は自分がぽろぽろと、涙をながして泣いていたことに気付いた。


「待てよ、待ってくれよ……あいつ、なんて馬鹿なんだ。まだキャプテンのつもりでいやがる。ずっとひとりで、戦っていたんだ。たったひとりで、戦っていたんだ」




 


 

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