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過去編3(逃げ場)

「……もう、お前とは話したくない。」


そう言われたのは、突然のことだった。


「え?」

涼介は言葉を失った。


目の前にいるのは、友達の圭吾。

幼稚園の頃からずっと一緒だった。


休み時間にはよく並んで遊び、放課後は一緒に帰っていた。


昨日まで、何の問題もなかったはずだった。


「圭吾、なんで……?」

「理由なんてない。ただ……お前とはもう関わりたくない。」

「俺、何かした?」

「……しつこいよ、涼介。」


圭吾の表情は硬く、冷たかった。


涼介は訳が分からなかった。

つい昨日まで笑い合っていたはずなのに。

何か悪いことをした覚えはないのに——。


「……そっか。」


それ以上、何も聞けなかった。

(俺が、何かした……?)


帰り道、涼介はずっと考えていた。

しかし、どれだけ考えても、思い当たることはなかった。


けれど、後に知ることになる。

ーー圭吾の高校生の姉が、涼介に異常な執着を持ち始めたことを。


「涼介くんって、本当にかわいいよね。ねえ、圭吾。涼介くん、家に遊びに来たりしない?」


圭吾の家では、兄妹の喧嘩が絶えなくなったという。


「いい加減にしなさい! もう涼介くんとは距離を置きなさい!」


最終的に、親が「篠宮涼介とは関わるな」と圭吾に言い渡したのだ。


(……俺が、何かしたわけじゃないのに。)


後にその理由を知った時、涼介の胸には苦い感情が広がっていた。




休み時間。

圭吾がもういない教室の隅で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


「お前、最近元気ないな。」

唐突に、そんな声をかけられた。

振り向くと、そこには健斗が立っていた。


「……別に、元気だけど?」

「嘘つけ。お前、前はもう少し元気だっただろ。」

健斗はあっけらかんと言い放ち、勝手に隣の席に座った。


「最近、圭吾と一緒にいないよな。」

「……そうだけど。」

「ケンカでもしたのか?」

「……してない。」

「ふーん。」


それ以上、健斗は何も聞かなかった。


次の日も、また次の日も。


気づけば健斗は、休み時間になると涼介の隣に座るようになっていた。


「なあ、お前、サッカーとかやる?」

「別に……興味ない。」

「マジか。まあ、いいけど。じゃあ、将棋とかできる?」

「やったことない。」

「教えてやるよ。暇つぶしになるぞ。」


健斗は、距離感が近すぎるわけでもなく、かといって遠ざけるわけでもなかった。


ただ、「普通」に話しかけてくる。

それが、涼介にとっては新鮮だった。


涼介の周囲の人間は、みな彼に影響を受ける。

好意であれ、憎しみであれ、何らかの形で感情を揺さぶられ、異常な執着を持つようになる。


でもーー健斗は違った。


彼だけは、涼介に惹かれることもなく、避けることもなく、ただ「一人の友人」として接していた。


「……なあ、健斗。」

「ん?」

「お前って、俺のこと……変だと思わない?」

「は?変?」

「俺、何もしてないのに、いきなり好かれたり、逆に避けられたりする。」

「……そりゃあ、お前、顔がめちゃくちゃかっこいいしな。」


「いや、そういうことじゃなくて……」

涼介は言葉に詰まる。


この違和感を、どう説明すればいいのか分からない。

でも、健斗は軽く肩をすくめて言った。


「そんなの、気にしてたらキリねーだろ。」

「……そう、なのかな。」

「そうだよ。」


それは、涼介にとって「初めての答え」だった。


「気にしなくていい」

誰も言ってくれなかったことを、健斗は当たり前のように言ってくれた。


それだけで涼介は嬉しくなった。





そんな健斗の言葉も虚しく、涼介が11歳になった頃、家の中でも少しずつ生まれていた違和感が決定的なものとなりつつあった。


「お兄ちゃん、今日も一緒に帰ろ?」


9歳の妹、茜。

昔から兄を慕う、元気で素直な妹だった。


涼介が学校での違和感に悩む日々の中で、彼女だけは変わらず無邪気に笑ってくれる存在だった。


「今日も一緒にゲームしようね!」

「うん、いいよ。」


そんな何気ない会話が、涼介にとっては救いだった。


ーーしかし、その関係は少しずつ変わっていく。


最初は、ほんの些細なことだった。


「ねえねえ、茜ちゃんってお兄ちゃんと仲良しなんだね。」

「うん! だってお兄ちゃん、大好きだもん!」


クラスの友達にそう言う茜。

兄を慕う妹——微笑ましい光景に見えるだろう。


しかし、次第に彼女の言動には違和感が生じ始めた。


「お兄ちゃんのこと、誰よりも私が一番知ってるの!」

「お兄ちゃんの好きな食べ物? それはね——」


まるで、“涼介のことを誰よりも分かっている”と誇示するかのように、学校でも話題に出すことが増えた。


「……なんか、ちょっと変じゃない?」

クラスメイトの何気ない一言。

「普通、そんなにお兄ちゃんの話ばっかりしなくない?」

「兄妹って、そんなにベタベタするもん?」


最初は”仲の良い兄妹”と微笑ましく受け止められていたが、徐々に周囲も違和感を抱くようになっていた。


そして、涼介自身も気づき始めた。


妹の中に「兄に執着する種」が、少しずつ芽生えていることに。





「涼介は特別なの。」


——その言葉を、涼介は最近何度も聞く様になった。


母親は、涼介を溺愛するようになった。


「この子は普通の子じゃないのよ。」

「涼介には、特別な道を歩んでほしいの。」


それは、彼にとって当たり前の日常だった。


しかし、父親の態度は違った。

「お前、涼介ばかり甘やかしすぎだ。」


父は、ずっと母の過保護な態度をよく思っていなかった。


そして、涼介が小学6年生になった頃、ついに家の中での衝突が表面化する。


「いい加減にしろ。茜にももっと気を配れ。」

「茜のことだって、ちゃんと見てるわ。」

「嘘をつくな。お前は涼介ばかりを特別扱いしている。」


「だって涼介は——」

母は言葉を詰まらせ、しかし強い口調で言い返した。


「涼介は特別なの。あの子を守らなきゃ。」

「……お前、何を言ってるんだ。」


母の目は、どこか狂信的だった。

それは、“母親の愛情”ではなく、“特別な存在への執着”のようにすら見えた。


「お前のそういうところが、涼介を苦しめてるんじゃないのか?」


「違うわ!」

母は強く否定した。

「涼介は……涼介は、他の子と違うのよ!」


涼介は、その言葉を聞きながら、何も言えずにいた。


ーー“他の子と違う”。


それは、母が涼介を肯定する言葉だった。


けれど、それは同時にーー涼介が「普通ではない」と突きつけられた瞬間でもあった。





父と母の言い争いが増えた。

家の中に、いつも緊張した空気が漂うようになった。


食卓でも、会話は弾まなくなっていた。


父は苛立ちを隠さず、母は涼介ばかりを気にかける。

茜はそれを「当然」のように受け入れ、兄に依存する。


家の中は、確実に歪んでいた。


「……お兄ちゃん?」


ある夜、涼介が自室でぼんやりしていると、ドアの隙間から茜が顔を覗かせた。


「……どうした?」

「なんかね、お父さんとお母さん、また喧嘩してる……。」

「……そっか。」

「お兄ちゃん、私とお話ししよう?」


小さな手が、涼介の服の裾をぎゅっと掴んだ。


——頼られるのは、悪いことじゃない。


けれど、その手の力は、以前よりも強くなっていた。

まるで、「お兄ちゃんがいれば大丈夫」と言い聞かせるように。


家の中にも、逃げ場がなくなっていく。


涼介は、そんな感覚を覚えていた。

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