過去編7(由紀)
彼女と出会ったのは、涼介が19歳の時。
あるテレビ番組の企画だった。
「病院で長く闘病している子どもたちに、人気俳優がサプライズ訪問!」
よくある美談のような企画。
涼介にとっては、ただの仕事のひとつに過ぎなかった。
「篠宮涼介さんです!」
病室のドアが開くと、ベッドの上の少女が目を見開いた。
「……ほんとに?」
細くて、透き通るように白い肌。
あまり外に出られないせいか、どこか儚げだった。
「うん、本物だよ」
彼が微笑むと、難病で闘病を続ける10歳の少女――由紀は涙をぽろぽろと零した。
「すごい……夢みたい……」
「そんなに驚く?」
「だって……ずっと、ずっとテレビで見てたの。涼介くんの演技も、歌も、何回も何回も聴いて……涼介くんがいるから、私は生きていられるの。私の生きる理由だったから」
彼は、一瞬言葉を失った。
ーー生きる理由?
そんなふうに言われたのは初めてだった。
「私ね、あんまり長く生きられないかもしれないんだって。でも、涼介くんの演技や歌があるから、まだこの世界が好きでいられるの」
彼女の瞳には、確かに”篠宮涼介”が映っていた。
けれど、それはこれまでの女性たちとは違う。
欲望でも、執着でもない。
ただ純粋に、彼が生み出したものを愛している目だった。
「ねえ、涼介くん」
由紀がそっと手を伸ばす。
「これからも、お芝居を続けてくれる?」
「……」
「私は、ずっと応援してるから」
涼介は、かすかに息をのんだ。
「……うん、約束する」
彼が握り返すと、由紀は満面の笑みを浮かべた。
ーーそれは、彼にとって初めて「芸能界にいる意味」を感じた瞬間だった。
その後も彼と由紀は交流を続けた。
涼介は時々仕事がなくても由紀の病室に行った。
その度に、由紀は「涼介くんが頑張っているなら、私も頑張るね」と返してくれた。
しかし、そのやりとりも、ある日突然終わる。
ーー由紀が亡くなったと、彼女の家族から伝えられた。
「最後まで、涼介くんのことを応援していました」
「あなたの演技や歌を聴くことが、生きる希望だったって」
遺された手紙には、震えた字でこう書かれていた。
『ありがとう。涼介くんがいたから、私は幸せだった』
手紙を握りしめながら、涼介は静かに涙を流した。
ーー自分の存在が、人を狂わせるだけじゃなかった。たった一人でも、救われた人がいた。
「なら、俺は——」
苦しくても、この世界にいよう。
ーー誰かが俺を必要としてくれるなら。
⭐︎
20歳の時。
涼介は、家に帰るのが段々と怖くなっていた。
リビングの扉を開けるたびに、視線を感じる。
「おかえり、お兄ちゃん。」
妹・茜の声が、いつもより近い。
見れば、彼女はまるで猫のようにソファに丸まって、じっとこちらを見ていた。
「……ただいま。」
「今日は、忙しかった?」
「まあ、な。」
「ふうん。」
返事をすると、茜はじっとこちらを見つめたまま動かない。
以前はこんなことはなかった。
いつからだろう。彼女の視線が、不自然にまとわりつくようになったのは。
ある日、涼介が部屋に入ろうとすると、違和感を覚えた。
ドアノブが少しズレている。
少しだけ開いているドアを押し開けると、そこにいたのはーー
「……茜?」
「……あ、おかえり。」
「何してんの。」
茜は、涼介の机の上に置かれた何かを、そっと隠した。
「ちょっと、お兄ちゃんのこと知りたくて。」
「……勝手に俺の部屋に入るなよ。」
「だって、お兄ちゃん、最近私と話してくれないじゃん。」
茜の目が、少し潤んでいた。
「私ね、お兄ちゃんのこと、誰よりも知ってるよ?」
「……やめろ。」
「誰よりも、お兄ちゃんのことが好きなの。」
──その瞬間、涼介の背筋に冷たいものが走った。
妹なのに。
家族なのに。
「……お前、何言ってんの?」
「お兄ちゃんは、私のこと嫌い?」
茜がじっと見つめてくる。
「そういうことじゃねえよ。」
「なら、いいよね。」
茜は笑うと、机の上に置いていたものを手に取り、部屋を出て行った。
それは、涼介の使い終わったペットボトルだった。
──涼介は、その日から家に帰らなくなった。
⭐︎
ある夜、ホテルの部屋の鍵が開いていた。
「……?」
首をかしげながら、慎重にドアを開ける。
「……誰かいるのか?」
返事はない。
しかし、微かに香水の匂いがする。
(……おかしい。)
静かに足を踏み入れると、ベッドの横に人影があった。
「……え?」
そこにいたのは、メイクスタッフの女性だった。
彼女は、涼介の私物を手に持ったまま、じっとこちらを見ていた。
「……あの、何してるんですか?」
「……涼介くん……」
彼女の目は、異様に光っていた。
「どうして……私の気持ちに気づいてくれないの……?」
「…………。」
涼介は、心臓が跳ねるのを感じた。
「ごめんなさい。失礼します。」
すぐに外に出ようとする。
しかし、彼女が腕を掴んだ。
「涼介くん、待って……!」
「っ……!」
「私のこと、ずっと見てくれてたよね……? 私、涼介くんのためなら何でもするよ……?」
「やめてください。」
振り払おうとしたその瞬間。
ガチャン!
誰かがドアを開けた。
「──おい、何してんだ!」
マネージャーが飛び込んできた。
女性スタッフはハッとしたように手を離し、逃げるように部屋を出ていった。
「……大丈夫か?」
「……。」
涼介は答えなかった。
──大丈夫なわけがない。
もう、誰も信用できない。




