テレパシー
我々はテレパシー装置を発明した。テレパシー装置とは身に付けているだけで、相手の思考を瞬時に汲み取ったり自分の考えを送ったりすることができる装置だ。もちろん装置は飛ぶように売れた。技術的、倫理的な危険性に警鐘を鳴らす者もいたが、そんな小さな声に耳を貸す者など誰一人としていなかった。ついには1人1台レベルまで普及しスマホと同じく必需品、インフラとまで呼ばれるようになった。
テレパシー装置の仕組みは複雑なので詳しいことは割愛するが、思考の過程で生み出される量子もつれを装置が変換し特定のエネルギーをもった波として発信する。もう一方の装置で波を受信、変換し相手の脳内で量子もつれを再現する事で考えが送られると言った仕組みだ。
我々は当初浮かれていた。これで奇跡を体現したと。我々はいまや天にも手が届く。バベルの塔はついに完成したのだ。言語や国、宗教や文化といった違いで歪み合うことはなくなるだろうと、争いは地上から消え去るだろうと楽観的に考えていた。事実そうなった。だが現実はいつも思わぬ形で牙を剥くものだ。
我々は小さな異変を見逃していた。今となってしまっては手遅れなのだが、もう少しだけでも早く対処していたならば結果は違っていただろうか。
利用者の中に一部頭痛や吐き気を訴える者がいた。割合にして10%ほどであったが、それらはどれも利用初期にみられる症状であった。利用時間が増すにつれてだんだんとその症状は薄れていった。これは個人差の範疇だろうとたかを括っていたが、あれは悲鳴だったのかもしれない。きしみに耐えかねた我々の。
ある日外を歩いているとふと違和感に気づく。町の様子がおかしい。何がおかしいのかは分からないがなんとなくそう感じた。しげしげと道ゆく人を眺めてみる。1人、2人。あれ、やっぱり何かが変だ。もう一度今度はじっくりと観察してみる。1人、2人、3人。そうだ。やっぱりそうだ。以前は気が付かなかったが表情がない。表情がないというよりも能面を取ってつけたみたいな顔をしている。会話の内容も一辺倒だ。語彙の全てをAIに預けたみたいな語り口。機械的なおしゃべり。乾いた笑い。一息すらつかせぬ会話の間。無味乾燥な目元。こんな相手と話すくらいなら能面と喋っている方がまだマシだと思えてくる。頭の中鳴り響く警報音を脇に据え置き、道ゆく人に話しかけてみる。一見すると特段変わったところがないように思える。しかし、目が。目に正気が宿ってないのだ。笑いかけてみても返ってくるのはそっくりそのままの笑み。私は愕然とした。試しにテレパシーも送ってみる。AIの答えと酷似した物が返ってくる。何を送っても完璧で的確な答え。ぞわっと全身に鳥肌が立った。血の気が失せるとはまさにこの事だ。これぞまさしく機械そのものではないか。機械ではないことの反証が機械によって為される。皮肉なものだ。そこからどうやって帰ったのかは正直記憶がない。覚えていないと言うよりそこだけスパッと記憶が抜け落ちているようだ。
我々はこのような副作用に際する対応に追われた。しかし、あまりの急拡大にただただ手をこまねいて見ているほかなかった。後の祭り。人々の変化はじわじわと進行し続けついには人口の9割にまで達した。ここまでくるともはや副作用とは呼ばれない。正常な作用だ。むしろおかしいのは我々の方なのかもしれない。何故なら誰もかつての振る舞いを覚えていないのだから。覚えていないことは無かったこと。歴史もそう言っている。結果的に見れば、テレパシー装置が人間の中央値であるAIの振る舞いをかつてないほど高速に伝搬したとされている。しかし、それらはまるでウイルスみたいだった。この流れは誰にも止められなかっただろう。もちろん誰が悪い、何が悪いと言うわけではない。人間の性がたまたまそうであったと言うだけだ。テレパシー装置を常用する9割の人間はテレパシー適合者、残りの使用を拒否する1割はテレパシー不適合者と呼ばれるようになった。彼らの多くは精神病棟へ送られ、テレパシーの適正訓練に励んでいる。ああ、頭が痛くなってきた。政府や社会は正常性を取り戻し、争いは消え失せた。飢えや貧困はなくなった。活気までもが。異常なのは我々と一部のテレパシー不適合者のみ。地獄への道は善意で舗装されている。ユートピアの裏庭にはディストピアが。これで良かったのだろうか。本当にこれでよかったのであろうか。おもむろにテレパシー装置に手をかける。




