いつもの
いつもの朝、小走りで横断歩道を渡ると、通り沿いの中華屋の所で、少女に腕を掴まれる。
「こっち」
ぐいと、引っ張られ、その中華屋の店内に引きずり込まれる。
少女は中に入ると、直ぐ様鍵を掛ける。
狭い店内を抜け、奥の居住スペースに、俺を引き入れた。
通り過ぎる時、厨房に強面が何かの作業をしていた、少女の父親だろうか?
必死そうな少女の表情に、行き先を諦めて重いリュックを下ろす。
「何なんだよ急に?」
「誰とは聞かないの?」
「何か理由があるんだろ?」
声で少女と分ったが、よく見るとベリーショートの黒髪の、華奢な少年にも見える。
目がぱっちりしてるので、髪を伸ばせばさぞ可憐に変身するだろうと、ついおっさんは考えてしまう。
「何?」
少女はおっさんを睨みつける。
「何でもない、で?」
「見て欲しい」
すると少女は、靴下を脱ぎ始める。
「どう?」
足裏を俺に見せつけた。
「圧倒的に言葉が足らねぇよ」
鼻をかき苦笑いする俺。
「ごめん…昨日から、足の裏の踵当たりが、とても痛いの…」
「何で俺に?」
「前に職質されてるの見かけて、リュックの中から、薬局で働いてる人の制服が見えたから…」
「何で人の職質じっくり観察してんだよ…」
更なる苦笑。
「そして薬局で働く人は、医者じゃない」
「わからないの?」
少女は途端に、泣きそうになる。
「取り敢えず見てみるよ、どれ?」
少女の足をとり、じっくり見る。
「痛いのはここだけか?押したら痛いか?」
軽く押してみる。
「うん、痛いのはそこだけ、押したらちょっとだけ痛い…」
持てる知識を総動員して、考え答えを出す。
「足底筋膜炎だな」
熱感も腫れもない、骨の異常じゃない。
「足底…?」
「要は足裏の炎症だよ」
「分かるんじゃん」
息を吐く少女。
「たまたまだ、俺が歩きすぎで良くそれになるからな」
「ふ〜ん?」
靴下を履き直す少女。
「ありがとう、直ぐ治る?」
「歩くのを控えてれば、明日か明後日には治ってるよ、ただ癖になるから歩き過ぎは良くないよ」
「医者みたいじゃん」
「ホントだ」
と、お互いに笑う。
「お礼させてよ」
最初の緊張した表情はもうない。
「…う〜ん」
ちょっとだけ考えて、少女に言う。
「パートナーが亡くなってから、人肌が恋しい」
「変態!最低!」
ガタっと厨房で音が鳴る、早く誤解を解かないとヤバそうだ。
「ハグさせてくれ」
「ハグ?…位ならいいけど」
厨房の強面が殴りに来る前に、素早く済ます。
上から少女を抱くと、見た目以上に細く力を入れると砕けてしまいそうに、儚く感じた。
「もういいの?」
時間にして1秒。
「これ以上すると、その先が欲しくなる」
「変態」
俺はリュックを持ち、立ち上がる。
「運が良かったな」
「足、痛くなったのに?」
「ほっとしたろ?」
微笑む少女。
ふと疑問に思った事がある。
「何で俺に聞こうと思った?」
「悪い人じゃなさそうだから」
「ん?」
「いつも、そこの幼稚園の横通るでしょ?」
「そうだな」
実はこの少女の事は知っていた、週に数回幼稚園の横で、自転車に乗ったこの娘とすれ違っていた。
「たまに横いっぱいに広がってたりして、邪魔でしょ?なのに笑顔でずっと待っててあげるしゃない?」
「良く見てるな…」
通勤時一時でも早く職場に着きたい人は、イライラして待つ。
俺はいつも、職場には1時間前に着くようにしているので、時間に余裕がある。
「そんな人良い人に決まってるじゃない」
「ただの幼女好きの変態かも知れないだろ?」
「変態はあんな爽やかに笑わない」
「そうなのか?」
「知らんけど」
厨房から笑い声が聞こえる。
「………」
ずっと棒読みの、少女の喋り方が癖になってきた。
「俺も久しぶりにこんなに人と喋って笑ったわ、楽しかったよ、ありがとうな」
「……良かったね」
「ハグさせてやろうか?」
「いらねぇよ!」
心地良い、でも。
「もう行くよ」
「ありがとね」
鍵を開け、ガラガラと戸を開ける。
「またな、ちゃんと鍵掛けるんだぞ!」
「お母さんか!」
ガラガラパタン。
ガチャ。
鍵の確認をしその場を去る。
そういえば、何故走ってたんだっけ?
思い出した。
いつものように、家を出て。
いつものように、同じ時間に。
いつものように、点滅する信号を。
渡ろうとして…。
「習慣ってのは、怖いねえ」
その信号はもう点いてない。
人影もない、車やバイクも通ってない。
この町は死んでいた。
あの災害以降、この国のいつもは失われた。
もう、いつものように帰る家もない。
いつものように、その家で待っているパートナーももういない。
いつものように、通わなければならない職場ももうない。
そのいつもが、途轍もなく恋しい。
「無い物ねだりだな…」
取り敢えず歩き出すが、目的はない。
重いリュックを担ぎ直す。