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我が闘争

第1章 生家にて


これは偶然ではない。我が揺籃の地が…

いや、まず自己紹介を始めることにしよう。

私はアドルフ・ヒトラー。帝国宰相にしてドイツ民族の総統だ。1914年に祖国ドイツに身を捧げてからはや30年が経ったが、その間私はボリシェヴィキや国際ユダヤ人との闘争を完遂するべく日々死力を尽くしている。しかし命運尽き果て、56歳の誕生日を迎えた1945年4月20日には、帝都ベルリンがユダヤ的拝金主義者共のアメリカとボリシェヴィキ率いるスターリンの軍に包囲された。

ドゥーチェを知っているだろうか?ドゥーチェと呼ばれたその男、ムッソリーニはイタリア降伏後、民衆によって殺されその死体は惨めに晒された。その写真を私も見たが、全裸で吊るされ、そして、もはやローマ帝国復活を掲げたかつての英雄の顔ではなく、否、血とアザで人の顔としての役割すら果たさないほどであった。

私はそれが恐ろしかったのだ。死してなおも辱められるなど。

だから私は、自らで死を決断した。

長年連れ添った純血のジャーマンシェパードの愛犬ブロンディ、死ぬ前日に私と結婚したエヴァ、そして、大ドイツ帝国総統の私は、1945年4月30日にベルリン総統地下壕を枕に、死を選んだ。

ブロンディ、できることならば、30年前の第一次世界大戦終盤にはぐれた、かつての愛犬フクスルの分まで、お前を愛でてやりたかった。

エヴァ、私が総統であるがゆえに時間を割けず、二度も自殺未遂をするほど悲しい思いをさせて申し訳なかった。しかし、ヒムラーの副官フェーゲラインとの関係については、弁解する気はあるまいな。フェーゲラインは私が死ぬ何日か前に銃殺した。逃亡を企てる愚か者など、帝国には必要ない。

もちろん、エヴァを連れてベルリンを脱出する計画もあった。しかし、シュペーアがこう言ったのだ。「主役はいつも舞台に。」と。さすがシュペーアだ。世界都市ゲルマニアの建設を共に志していた、唯一芸術が分かる奴だった。最終的勝利5分前で敵前逃亡を企てるヒムラーやフェーゲライン、私を病人扱いして権力を恣にしようとしたゲーリングのような奴らとは違う。

話を戻そう。

1945年4月30日に私は死んだはずだった。たしかにあの時、古き良きドイツ製ピストルPPKでこめかみを撃ち抜いたはずだった。青酸化合物入りカプセルも飲んでいた。失敗はしていないはずだ。

しかし、ここはどこだろうか。私は暗闇の中にいる。そして前方の玉座のような椅子が光で照らし出されている。

座れと言うことだろうか?

まあ、帝国宰相である私をもてなすために誰かが用意した椅子だろう。私はあまりきらびやかな装飾は好みではないが、他に椅子がある様子はない。座ろうと椅子に向かって歩き出した。

すると

「こんにちは、我がソートー!」

椅子が喋りだした、否、椅子ではなかった、透明な何かがいるのだ、すぐそこに。

「きみは、誰か?姿を見せてはくれないかな。」

すると私が現れた。私はここにいるのに、正面にもう1人の私が現れたのだ。

「悪趣味なものだ。人間、死ぬと皆このよう」な程度の低い夢の世界に閉じ込められるのだろうか。話の途中なのに、もう1人の私が喋りだした。声も全く同じで、気味が悪い。

「単刀直入に申しますと、あなたは先程死にました。もう一度人生をやり直してみる気はありませんか?」

「話を遮らないでくれ。私は、自分の話を聞いてもらえないことと国際ユダヤが大のニガテでね。だから必ず、演説の時には、必ず皆が静まるまで待って喧騒を鎮めていたし、その内容で国際ユダヤを攻撃した。」

「ハイハイ。あなたの話が長いことは存じておりますゆえ。お答え願います。もう一度人生をやり直してみませんか?」

「それはいったい、いつ、どの国で、かね?性別は?人種はもちろん最上のアーリア人種たるゲルマン民族で頼む。そうだな、金髪碧眼でよろしく。それと、リッペントロップのような優れた容姿と、ビスマルクのような剛腕の…」

「はい。お引き受けありがとうございます。転生先は日本です。」

「話を遮るなと、二度言わせるな。日本、ミカドの国か。祖国ゲルマニアでの復活は叶わぬのか?」

「はい。残念ながら。ソートーのお嫌いなアジア、その日本への転生となります。お気に召さなければ、ほかの候補としてアメリカかロシアがございますが、いかがします?」

「ロシアか、スラヴ人の国なんか論外だ。それとね、キミ、日本は嫌いではない、むしろ尊敬しているのだ。」

「著書の『我が闘争』で西洋の猿真似をする想像力に欠けた人種だと仰っていませんでしたか?」

「ああ。しかしあれは若気の至りだった。帝国宰相になると分かっていたらあの本は書いていなかったよ。反逆罪で刑務所にいた時の暇つぶしさ。日本人は我々西洋に認められるために文明化と西洋化をはき違えたのだ。武士の誇りを捨て、似合いもしない燕尾服でヨーロッパ人と覚えたてのダンスを踊る。滑稽だと思わないか?」

「わかりました。アメリカもございますが、どうされます?」

「アメリカはダメだ。アメリカ人と言ったら誰でも金髪碧眼を想像するだろう。黒人を想像する人間はいない。それは何故か?アメリカはゲルマン民族が作ったからだ。公用語を決める選挙でドイツ語が一票差で敗れたから英語が公用語になったという逸話があるくらいだ。」

「アメリカに公用語はありませんし、なにより、今いちばん使われているのは英語やスペイン語あたりですよ。」

「だから逸話と言ったろう。とりあえず転生先は日本にしてくれ、第一、ソヴィエトロシアのようなボリシェヴィキ連中や、ユダヤ的拝金主義者の集まりのアメリカなんかには死んでも転生するもんか。」

「もう死んでますけどね(笑)それに、ソヴィエト連邦はもう消滅しましたよ。アメリカとの兵器開発競争に敗れて崩壊しました。」

「ほう。ユダヤ人が作った共産主義のボリシェヴィキとユダヤ的拝金主義者が戦ったのか。実に興味深いな。」

「まあ、詳しいことは転生してから勉強してください!行ってらっしゃいませ〜」

いきなり私の周囲が光り始めた。

「おい!日本語は!私は日本語なんか知らんぞ!」叫びながら光に包まれ、目の前がまた暗闇に包まれた。目を開けると、白い天井だった。病院にいるのだろう。そして、柔らかい。ベッドに寝かされているのだろうか。

誰かがのぞき込んできた、アジア系、ピンクがかった白衣の女だ。なにか喋っているが日本語だ、理解出来るはずがない。「誰かドイツ語がわかる者を。」と言おうとした。しかし、思うように口が動かないのだ。私はもしかすると、不幸にも顔に麻痺がある人間に転生したのか。それか、転生したばかりだと上手く体を動かすことが出来ない、という類の理でもあるのだろうか。とにかく、意味不明な言葉でやけに笑いかけてくるその看護婦らしきその女性にはどのように反応すればいいのだろうか。無視では、流石に帝国宰相の名が廃る。いや、そうだった。私はもう私ではないのだ、違う世界の私になったのだ。

そうこう考えているうちに、看護婦はどこかへ行ってしまった。

この先どうしようか。日本語を習得するだけでも恐らく最低5、6年はかかりそうだ。しかしその間どうやって生活する?ウィーンの下宿時代のように絵を売って暮らすか?いや、先程の看護婦のあの笑顔から察するに、恐らく私はとてもハンサムだ。思わず笑いかけてしまうくらいのハンサムな顔立ちなのだろう。日本人だがドイツ語しか話せないハンサムな男。俳優にでもなれないだろうか。それかいっその事、ドイツ国に帰ろうか。

また来た。うすいピンクの服を着た看護婦。今度は男を連れている。医者だろうか?いや、それにしてはだらしない格好だ。医者は白衣と相場が決まっているはずだが、この男は炭鉱労働者に支給されるよつな硬い布製の青いズボンを履いている。目が合った。こちらを覗き込んでくる。すると、こちらに両手を伸ばしてきた。首を絞めるようだ。

転生した瞬間に殺されるなど、予想だにしてなかったが、まあ、いい暇つぶしになる夢だったと思うことにしよう。

その両手は、私を掴んで、持ち上げた。理解不能だ。大人の私を軽々持ち上げたのだ、この男は。しかも笑っている。狂気。

聞いたことがある。日本にはリキシという大男がたくさんいて、その身体に神を宿らせリングで闘うのだ。アメリカの提督ペリーが日本に開国を迫った時、アメリカ海軍は食料と水を要求した。それを運んだのがこのリキシという連中で、1つ60kgもある米の塊を5、6個まとめて運んでいたらしい。一方のアメリカ兵達は、その塊を1つ持ち上げるだけで精一杯で、リキシ達を恐れたそうだ。なるほど、リキシという怪力の持ち主ならば説明がいく。今私を持ち上げているのがリキシ。アメリカから日本国を護った英雄の1人というわけか。しかし、なぜ病院にリキシがいるのだろう。ああ、倒れた人間を軽々運ぶために、リキシが必要なのか。納得だ。

いや。今一瞬だけ見えた。見えてしまった。鏡に映った自分の姿が。

私はてっきり、大人として転生したのかと思っていた。しかし、実際は、産まれたばかりの赤ん坊だった。なるほど、だから話せず動けずだったのか。とすると、この男はリキシではなく、ただの男か。この男の手が、自分の顔よりも大きかったことに違和感を覚えるべきだった。

しかし、この男はいつまで私を抱えているつもりなのだろうか。先程の病室から出て、今はどこかに向かっているようだ。2、3部屋またいだ別の病室に入った。ベッドに寝ている女性とさっきの看護婦、それに立派な白衣の男もいた。ああ、なるほど。察しがついた。どうやらこの女性が私の母親で、今私を抱えている男が父親のようだ。

こういう時、なんと言うべきだろうか。いきなり、しかもドイツ語で「お父様!お母様!僕の名前はアドルフ・ヒトラーです!」などと言うようものなら、隣に座っている医者に解剖されかねない。生まれたその日にドイツ語を話し始めた人間など、歴史上そうはいないだろうから。いや、まず彼らがドイツ語を理解出来るはずがないか。

相変わらず意味不明な日本語のやり取りを、父親に抱えられつつ見物していた。まあ、これで、日本語を習得するまでの間どうやって暮らすかという問題は解決だ。しかし、何としても早く習得したい。普通に生活していれば、日常生活に支障が出ない範囲で日本語を操れるのだろうが、私は、転生してきたこの世界のことをはやく知りたいし、それに私はドイツ帝国宰相だ。この世界で政治をやるためにも、知識が必要であり、なんとか日本語を話せるようにせねばならないのだ。

私はもといたベッドに戻され、男は帰っていった。言葉を話せるようにしないことには、計画が進まない。まず、日本語を理解することから始めよう。このままだと自分の名前すらわからない。

考えろ、先程、父親が私になにかいろいろ語りかけていた。その中に名前が絶対あるはずだ。

そうだ!あの看護婦!笑いかけてきたあの看護婦、母親の病室にもいたあの看護婦だ!!あの看護婦なら知っているはずだ。呼びつけよう。いや、呼びつけるのは不可能だ。声が出ない。

どうしようか。看護婦がここに来るのを待つか?いや、勝利は口を開けていても落ちてはこない、自らの手で掴み取るものなのだ!

私は、赤ん坊としてできる限り暴れ騒いだ。つまり、泣いたわけだ。不思議と、悲しくもないのに泣けるのだ。

看護婦がやってきた。計画通りだ。私はなんとか聞き耳を立て、自分の名前の候補を聞き分けた。できるだけ名前を絞り込むため騒ぎ立て時間を稼いだ、看護婦は何か言いながらあやしてくる。しかし、計画的に泣いているのだ、あやして泣き止むものではない。

ここでようやく名前が絞り込めた。「レイチャン」「ドウシタノ」のどちらかだ。

思うに、前者の「レイチャン」は私の名前ではないだろう。大ドイツの芸術家、セバスチャン・バッハのようだ。名前に「チャン」だ。日本人の名前は、何人か知っている。ヒデキトウジョウ、ヨシスケアイカワ、ヒロヒト。この中で「チャン」なんて音は使われていない。

それに、なんとかチャンはなんとかティアヌスが訛ったものだ。その殆どは古代ローマ帝国の偉人である。アジア人向けの名前ではないことくらい、用意に想像がつく。

とすると、私の名前は「ドウシタノ」だ。おそらくこれで決まりだ。日本人は我々と違って名前と苗字が逆だ。ドウシが苗字でタノが名前、という具合だろう。赤ん坊の名前をきちんと全て読み上げるのは、他人の子供であることへの配慮だろう。日本人は、他人の子を馴れ馴れしくあだ名で呼ぶようなことはしないのだろう。礼儀を重んじる民族性はとても尊敬できる。

名前はわかった。発声練習にちょうどいい。私はまだ産まれたばかりの子供だ、ドイツ語で発声練習をするよりも、自分の名前で発声練習をする方がいい。そのほうが自然だ。

私が静かに考え込んでいると看護婦は病室から出て行った。さて、発声練習を始めようか。

「ドウシタノ」という言葉を一生分口に出した気がする。私が「ドウシタノ」を連呼していると、周りの人もやはり「ドウシタノ」と言う。

生まれたての赤ん坊が自分の名前で発声練習をしているから、誤った発音で覚えていてはいけないという配慮だろうか、看護婦も「ドウシタノ」と私に続いて言い、正しい発音を示す。「ドウシタノ」の他に、「スゴイネ」、「ミルク」、は言えるようになった。ミルクなんてのは元から知っていたが。発声練習としてはちょうど良かった。病室にいた1週間程で、まだ不自由ではあるが多少はマシな音が発せるようになった。計画通りだった。私は、以前の炭鉱労働者の服装から多少マシになったブルジョワ的なスーツ姿の父親にだき抱えられ、母親もベッドから起き上がり、なんとなく、退院するのだろうという雰囲気になった。感謝を伝えたかったが、日本語でなんと言えばよいか分からなかったので、とりあえずドイツ語で「ダンケ!」と言っておいた。

病院から出たが、車が何台も走っており、エッフェル塔より高かろう建物がいくつもあったことに驚いた。ドイツ国民が1人1台の車を持てるようにと、私はフォルクスワーゲン大衆車の設計を急がせたが、結局の所、計画は中途半端に終わってしまった。この建物たちは、グデーリアンの装甲軍団が1ヶ月で制したフランスのパリを訪れた際に見たエッフェル塔よりも高い。車といい、建物といい、日本国はこれほどまで栄えているのか。まあ、いい。シュペーアと練っていた世界都市ゲルマニアが完成していたら、いい勝負だっただろう。

そんなことを考えながら、車にゆられていた、おそらく自宅へ向かっているのだろうが、正直とても楽しみだ。

祖国ドイツは日本国と友好関係にあり、私自身も日本政府から日本刀を贈られた。1000年程前に制作されたものだそうだが、美しく銀色に光り輝いていたのを覚えている。ボリシェヴィキ連中がベルリンに攻め入る前に、日本へと送り返すように命令した。1000年もの間受け継がれてきた民族の遺産を彼らボリシェヴィキ連中に渡すわけにはいかないからだ。

日本人は刀を家宝として大切に保管していると聞いていた。見てみたいのだ。先祖代々受け継がれる日本の魂とやらを。

これほどまでに発展しているのだ、きっと戦争は日本が勝利したのだろう。アジア・太平洋地域で勝利した日本は、東洋の覇者として歴史に勝者としての名を残したのだろう。我がドイツは、おそらく敗北した。つまり、歴史はこうだ。日本に負けたアメリカイギリスは、スターリンのソヴィエト連邦と我がドイツの領地を巡って争い、アメリカが勝利した。東の日本に西のアメリカが世界を統治しているのだろう。羨ましい限りだ。アメリカではなく、そこには大ドイツ帝国があるはずだった。自宅へと向かう車の中で、祖国ドイツに思いを馳せていた。病院での出来事で1番苦痛だったのが、オムツ交換だった。歩けないので、そのままするしか方法がない。これはボルマンにだけは見られたくないな、ボルマンお得意のメモに書き留められてしまうだろうから。

さて、自宅に到着したら始めることがある。大いなる一歩だろう。前世での経験を踏まえて説明しよう。

私はスウェーデンのある冒険家、ヘディンなる人物と親しかった。彼はシルクロード探検、チベット、他にもいろいろな秘境の話をしてくれた。

そこでこんな質問をぶつけてみたのだ。「もし、未開の民族と遭遇し、コミュニケーションを取らざるを得ない状況になったらどうなるか?」と。

彼のその答えが、とても興味深く、何にでも応用が効くものであったので、深く記憶に刻まれている。

「地面に何か文字を書きます。文字でなくてもいいです、記号であったり、ラクガキのようなもので構いません。すると必ず相手は、それが何かを尋ねてきます。その時に発する言葉を記憶し、自分の帽子や服、靴、カバンなど、身につけているものの名称をひととおり質問し、単語を蓄えていけば良いわけです。すると、2、3日もすればコミュニケーションをとることが出来ます。」

というものだった。この話を聞いた後、私は、前々から計画していたスウェーデンへの侵攻作戦を中止してやった。

「きみのような勇敢な冒険家の故郷を攻めたら、どれだけの損害が出ることだろう。我々はボリシェヴィキ連中との戦いを優先しようじゃないか。」スウェーデン人は、この偉大な冒険家に感謝せねばなるまい。

つまり、これをやるわけだ。スウェーデン侵攻作戦では無い、単語を覚えていく方法のほうだ。単語を覚えたら、正しい順番にそれを並び替えていき、じきにまともに会話が成り立つようになる。大いなる一歩である。

車が止まった。おそらく、家に着いたのだ。

広く、建物も素晴らしい。西洋風で、日本風家屋ではなかったのは少し残念だが、思ったよりも裕福な家庭だったらしく、幸運なことだった。

ここが私の生家となる。生家にて、今後の計画の第一歩を始めようと思う。

しかし、家に入るなり、紙とペンを探したが、見当たらなかった。季節は冬だったし、仕方がなかったので、曇っていたガラスに私は文字を書いた。「Mein Kampf」と。ただのラクガキだ。

すると、それを見た母親がこう言った。「なに?これ。」と。

生家にて始まる我が闘争の、歴史的瞬間である。

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