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14. サイラスからの帰還

 フェルはゆっくり瞬きした。肺の底まで息を吸って吐いて、それから、慎重に口を開いた。


「妙なことを言うな。私とあんたは、つい二か月ほど前に会ったばかりだろ」


 心臓が妙な音を立てるのを、どうか気づかれないでくれと願う。ゆっくり立ち上がり、ノエルの横をすり抜けながら、じゃあなと手を挙げて、逃げるように自分の寝室に向かう──途中で、はしと肩を掴まれる。


「フェル、……お願いだ。また同じようなことがある時は、最初から僕にも教えてくれ」

「……分かったよ。といっても、一緒に仕事することなんかそうそうないだろ」

「じゃあ友人としてだっていい。フェル、僕は君といたい」


 くらりと眩暈がしそうになるのを、フェルは口を曲げてこらえた。


 肩をすくめて、否定とも肯定ともつかない仕草で、おどけて手を広げた。肩を掴まれたのをやんわり払い、今度こそ自分の寝室に逃げる。後ろ手に扉を閉めて鍵をかけて、はあ、と果てしないため息をつく。


 *


 翌朝はほぼ帰るだけだったが、朝から見送りは盛大だった。昨夜もそうだが、この街にはこんなに若い娘がいたのかというくらい、ジュール子爵邸の門の前にわらわら集まっている。


 それにしても、空が綺麗だ。玉の輿を狙う娘たちのぎらぎらとした熱気さえ、澄んだ空気の中で、むしろ生き生きと輝いて見える。


「お二人にはお世話になりました。またぜひお越しください」


 この田舎の邸宅を守る代表として、執事が恭しく挨拶するのに見送られ、フェルとノエルはジュール子爵とともに馬車に乗り込んだ。大してお世話してないけどな、とフェルは内心で舌を出した。


「いや誠に、これも何かの縁ですから」


 昨日からずっとノエルへのごますりに忙しいジュール子爵だが、街が妙に綺麗なのには戸惑いを隠せないようだった。綺麗といっても変わったのは空気だけで、薄汚れた街並みも、力なく道にうずくまる浮浪者も、一晩で変わるということはない。


 長い道のりだ、とフェルは遠い目をした。


 広場を通り過ぎるところで、ふと、噴水のそばで帽子を胸に当てる青年の姿に気づく。ピーターは黙って馬車を見上げ、フェルにじっと目線を送っていた。フェルは軽く微笑んで、ひらりと手だけ挙げておいた。


 灰色の低い壁に囲まれた街を出る。外に出れば、周りはのどかな平原である。どこまでも続く似たような景色に、フェルはやはりほっとした。


 振り返れば、天ににょきにょきと伸びる工場の群れからは、すでに今日の煙がもくもくと出始めている。


 ──王都に戻ってからの方が、やるべきことはたくさんある。


 フェリックス・シモンズは窓の外を眺めるのをやめ、腕を組んで目を閉じた。遠くの方で、西へと向かう列車の音が響いていた。


 *


 馬車で二時間、列車で二時間半。長いようなあっという間なような移動を経て、王都中央駅に列車が滑り込む。駅から出て広場を見渡せば、忙しく行き交う人の群れ、真っ直ぐな通りを挟んで所狭しと立ち並ぶ建物の群れ。呆れるほど、王都だ。


 駅前の馬車付き場には、例の馬車、つまりイーグルトン家の最も質素な馬車がわざわざ迎えに来ている。まさかと思いつつフェルは御者の様子を探るが、昔と変わらず寡黙な仕事人という風情の御者は、やはり特にフェルに注目することもない。


 ジュール子爵の邸宅に向かう道すがら、フェルは早くもそわそわしていた。子爵の家から王宮までは、この馬車でノエルと二人きりになるのだ。また変な話をされでもしたらたまったものではないが、この馬車以外に、王宮の方面に戻る手段がない。


 ふと馬車の窓から外を見て、フェルは目を大きくした。見覚えのある黄色いオウムが、少しの距離をあけて、ばたばた羽ばたきながらフェルを覗き込んでいた。


 顔をしかめて、フェルはオウムの目をじっと見た。──お兄さん、お兄さん! お迎え必要だったら言えってご主人様が!


 なんだか無性に嬉しくなって、フェルはこくんと頷いた。ちらりと車内に目線をやって、ノエルもジュール子爵もこちらを見ていないのを確かめて、黄色いオウムに向かって、今の辟易した気持ちを表すように口を曲げて見せた。オウムはばたばたやかましく羽ばたきながらその場でくるりと回って、王宮の方にひゅんと飛んで行った。


 ジュール子爵を彼の王都の住まいに送り届けた後、閉じたドアの前でノエルがフェルをじっと見た。わざとらしく胡散臭そうな表情をするフェルに、


「フェル、この後は師団に戻るのかい」


 ノエルがおずおずと尋ねる。


 あいにく、今日は訓練も休みの日だ。もちろん戻れば自己研鑽なり何なりできるが、用事がないといえばない。


「戻る以外の用事がない」

「じゃあ僕の家に寄らないか? せっかくだから、紅茶でも」


 心臓が音を立てるのを誤魔化すように、フェルはうーんと唸った。

 ノエルが何にどこまで気づいているのか、あるいは全く事実に気づかず、フェリックス・シモンズと仲良くなりたいだけなのか、いまいち分からない。


 しかし、ここでついて行ってはいけない気がする。


 読みたくないが心を読むか、とフェルが目を細めたとき、慌てたような馬の足音が近づいてきた。通りを行き交う馬車の間を器用にすり抜けてやってきたのは、鈍い灰色の馬、それに乗る訓練兵の身なりの男だった。


 髪が出ないようぴっちり被った帽子の下の、レンズまで黒っぽい眼鏡の奥の、見覚えしかない紫色の目に、フェルは驚いて目を大きくした。


「フェル、ここにいたんだね! アドルフさんが呼んでる、急いで戻ろう」


 ひらりと馬から降りた男が、驚くフェルと、状況が見えないノエルを見比べ、にっと笑った。そのままフェルの手を引いて、再び馬にひらりと乗った。軽快に走り出す馬の上で、フェルは慌てて男の腰に掴まった。じゃあまた、とかなんとか言いながらノエルがかろうじて手を振るのに、一応愛想笑いを返しておいた。


「サム? 一体何事だ、アドルフさんがどうした」


 走る馬の上でフェルが尋ねる。ちらりとフェルを振り返り、魔法師団の同僚であるサミュエル王子殿下は、あははと爽やかに笑った。


「出張から帰ったら報告に来いってさ」

「? それはもちろんそのつもりだが」

「それにフェル、オウムのマイクに迎えに来てって言ったでしょ」

「それでお前が来るとは思わないよ!」

「正直言って、イーグルトンとフェルが二人きりになるのに耐えられなかったんだ。俺が!」


 馬はあっという間に通りを走り抜け、王宮の前をぐるりとまわり、魔法師団の寮の側の入り口に向かう。馬車付き場の端で颯爽と馬を降り、フェルが降りるのにも手を貸し、その一瞬繋いだ手をさっと離して、アドルフの執務室の方向にフェルの背を押した。


「落ち着いたら俺にも教えてよね、色々」


 そう嬉しそうに言いながらまたすぐにサムが馬に乗るので、フェルは慌てて手を伸ばし、


「え、お前は?」


 アドルフのところに行かないのか、と尋ねかけて、別にサムにその義理はないことに気づく。サムは笑いながら馬を旋回させ、


「アランの授業の最中だったんだ。じゃあまた、後で!」


 止める間もなく、走り去ってしまった。


 しばらくぽかんとしていたフェルは、ひとり咳払いをした。すっかり見慣れた魔法師団の寮の廊下をかつかつ歩き、足早にアドルフの執務室に向かう。扉をノックして入れば、岩のような相貌の上司は読みかけていた新聞から顔を上げた。──よく考えなくても、今日は休日だった。


「戻ったか、フェリックス・シモンズ」


 アドルフは新聞を畳んで机の端に置き、煙草を灰皿に押し付けた。彼の肩にいるオウムに注意深い目線を送ってから、フェルは一礼して、アドルフの机の正面に歩み出た。


「サイラスから戻りました。ジュール子爵をめぐっては特に警戒すべき事柄もなく、護衛の任務は問題なく終わっています。ただ」


 一呼吸置き、無意識に拳を握る。アドルフの鷲のような目が、黙って続きを促す。


 怯むな、と自分に言い聞かせる。


 大規模な魔法を漫然と使うより、組織を動かそうとする方が、よほど自分にはハードルが高い。まして自分は女だ。この上司の肩にいるオウムには、少なくとも、自分が女だということが分かっている。


 女が何を言う、くだらない、生意気だ、そんな物騒なことを言っていないで大人しく刺繍でもしていなさい。


 ──そういう世界から這い出るために、自分はここまで来ているのだ。


「乱立する工場には排煙にも排水にも規制がなく、環境が劣悪です。工場労働者だけでなく、往来にも病人が溢れています。産業の振興と両立するような、環境改善のための法整備が急務と思われます」


 一気に言い終えてから、上がっていた肩に気づいてすっと下ろす。


 アドルフは小さく頷いた。それからまた足を組んで、新しい煙草を取り出した。


「アランの入れ知恵はどうした」


 フェルはぎくりと肩を揺らした。サイラスに持ち込んだあの空気を浄化する魔法は、サイラス出張が決まった段階でアランに相談し、アランと一緒に考案したものだった。その話を直接アドルフにした覚えはないし、アランがアドルフにあえて言うとも思えない。そもそも、一介の新人兵士であるフェルが王宮付き魔法使いのアランと知り合いだ、ということも秘密にしていたはずだが。


「……確かに、アラン様が考案された浄化魔法を使って、サイラスの除染は試みました。一定の効果はあったものと思われますが、一時的です。根本的な解決には政治的配慮が必要です」


 できるだけ当たり障りのなさそうな言い方を選んで答えると、アドルフは少し考えた後、またひとつ小さく頷いた。その時突然、アドルフの肩からオウムが飛び立った。フェルは不意打ちに思わず身構えたが、オウムはフェルの背後にある書棚から一枚の布を持ってきただけで、また大人しくアドルフの肩に止まった。


 布には、フェルがサイラスで使ったのと同じような、しかし細部が微妙に違う、浄化魔法らしき魔法陣が刺繍されていた。


「アドルフ様の考えた浄化魔法だ。今後サイラスに行く用事があれば、こちらも参考にせよとのことである」


 オウムが口を開いて淡々と告げるので、フェルは今度は思わず畏まった。よく見れば、主人に似て、目つきだけは鷲のようなオウムである。それにしても、どちらかというと好意的な内容がこのオウムの口から話されたので、フェルは内心非常にほっとした。


 アドルフが煙を吐き、相変わらずの仏頂面で淡々と話を継いだ。


「まあ今日は休め、休日だ。政治的配慮とやらについては、もっと具体的な内容じゃないとどこに持って行くにも話にならん。訓練の空いた時間にちゃんと考えろ。気持ちは分かるが、焦らずにやれ」

「……はい、サー」


 フェルはきっちり敬礼し、きびきびとアドルフの執務室を出た。


 言うべきことを言えた高揚感で胸が躍っていた。チャンスを活かして、できることをやった。あのラザフォードの邸宅にいては、そして、大人しくイーグルトン伯爵家に嫁入りしていては、決してできなかったことだ。


 胸に手を当て、心の内で呟いた。


 私はこうやって生きていく。過去に戻ることは、しない。

これでサイラス編は一旦終了です。サムはしゃいでるなあ。

ちなみに『エヴァンズ先生の引っ越し』を読んで頂いた方は、途中で「王都は魔物が息できないほどの「光」しかない」という文があったのに、今回マイクくん(オウムの魔物)が堂々と王都の街中を飛んでいるじゃないかと思われるかもしれません。エヴァンズ先生のお話はこのフェル様のお話よりも40年ほど後の話なので、より産業が発展し、「光」を使う製品の種類や数も飛躍的に増えています。フェル様の時代にはまだ魔物も王都の空を飛べたのにね~(昔は良かったね~)みたいな話だと思って頂ければ…

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