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13. ひとときの浄化でも

「愚かなのは私なのです。彼女がいなくなって初めて、彼女のことを本当に愛していたんだと気がついたのです」


 やめろ、と内心悲鳴のような声を発しながら、フェルは眉根を寄せた。そんなフェルの表情を見ていたノエルが、視線を床に落として続けた。


「いいえ、今だって彼女のことを愛している。葬式には出ましたが、僕には、彼女がまだどこかで生きているように思えてならない」


 宴会場で、着飾った娘たちが顔を見合わせる。とんでもない外れを引いたものだ、とげんなりする者もいれば、悲劇の主人公を見つめるような潤んだ目つきをしている者もいる。


「彼女はとても強い人でした。彼女の強さを直視する強さが、僕にはなかった。でも今なら、きちんと向き合える気がするのです。きっと今も、彼女はどこかで、彼女なりに必死に生きていて」


 無意識のうちに、フェルは半歩下がっていた。ホールの熱気のせいだけではない嫌な汗が、背中をつと流れ、きつく巻いたさらしに吸われた。目線を少しだけ上げたノエルが、ちらりと横目でフェルを見た。


「きっと待っているんだ……僕がきちんと彼女と向き合うのを」


 たまらず、フェルは目を逸らした。


 怒りとか、軽蔑とか、あるいはどうしようもない希望とか、名づけきれないほどの感情の渦が胸のうちをぐるぐる回って、嵐のように心を揺さぶっていた。くらりと視界まで歪みそうになるのが、ふと視界に入った光の反射に焦点を取り戻した。


 刃物?


 フェルは咄嗟に肩をすくめた。会場内の目線におどけた表情を返し、それから、悲劇の主人公の騎士様に再び衆目を誘導した。ノエル自身も我に返ったように、困った微笑みを浮かべた。


「ですから、残念ながら、あまりご期待には……」


 気を取り直したジュール子爵が、それはそれはとかお気の毒にとか少ない語彙を選んでノエルに近寄るのを尻目に、フェルは静かに行動した。気配を消して人波の間をすいすい進み、壁際でむすっとした顔をしていた男に横から近寄る。彼の組んだ腕の裏、うまく隠されていた短剣を前振りなく奪って、そこで初めて気がついた男の見開かれた目にずいと目を合わせた。


「騒ぐな。外へ出ろ」


 抑えた声で静かに命じれば、男は──ピーターはこくこくと小さく頷いて、大人しく玄関から外に出た。


 *


「誤解だ、見逃してくれ」


 外に出るなり、ピーターは焦った小声でそう言った。門番が二人を見て怪訝な顔をするので、フェルは呑気な調子で告げた。


「少し夜風に当たってくるよ」


 あえて仕事を増やす気もないのだろう、門番は心得たという様子で会釈した。突き出されてもおかしくない場面でそうされなかったことに、ピーターは訳が分からないという顔をする。広場の方に向かいながら、フェルは彼に鋭い目線を向けた。


「二か月前から雇われてるということだったな。その前は何してた?」

「……王都の魔法使い様には関係ない」

「いまお前の持つ武器がこれだけなのは分かってる。大人しく教えろ」


 言いながら、フェルはピーターから奪った短剣を摘み上げてみせ、呪文も魔法陣もなく凍らせた。ひい、と喉を鳴らしながら、ピーターはせわしなく頭を掻いた。


「普通だよ、ポートカルスで光技師をしてたのを、リクルートされてこっちに来て」

「九か月前に王都で行方をくらましてからは?」


 広場の手前まで来たところで、ピーターが驚いて足を止めた。目線で急かしながら、フェルは続けた。


「お前があのふざけた箱庭から馬鹿でかい魔石を持って行きたかったのは、あの精霊像のところか? 魔石を新しくしたくらいじゃ、お前の期待する効果はないぞ。それともこっそり彫り変えでもするつもりだったか?」

「ちょっと待て、お前は何者だ? あの箱庭にいたっていうのか──あ」


 茶色の目を大きく見開いて、ピーターはまっすぐフェルを見た。あの箱庭のルカと同じ青色の目でじっと見返し、フェルは黙ってピーターの手を引いて、急いで広場の真ん中までやってきた。


「嘘だろ……あんた、どうやって……え、男?」

「王子殿下がぐずぐずしてるから代わりに来たんだ。いいか、見てろ」


 フェルは素早く深呼吸して、懐から小さな杖を取り出した。


 胸元のブローチと同じ魔法陣を、広場の真ん中に大きく描いた。長い呪文を唱えるにしたがって、地面に軌跡で描かれただけの図形が淡く紫色の光を纏った。両手を広げたくらいの幅の光の柱が立ち上がり、工場の群れを遥か超えて、淀んだ夜空に突き抜けるように輝いた。


 サイラスの街の地面を風が吹き抜けた。広場に集まり、魔法陣に吸い込まれた風が、光の柱を通って夜空に高く吹き上げられた。


 やがて光と風がおさまった時、唖然とするピーターの目に映ったのは、明るい月が照らす、穏やかに澄んだ夜空だった。


 地面で淡い光を放っていた魔法陣が、音もなく消えた。


 言葉が出ないピーターに、息を整えながらフェルがつかつか歩み寄った。懐から、例の魔法陣の刺繍を施した小さな絨毯を数枚取り出し、さっき奪った短剣とともにピーターの小さな鞄に突っ込んだ。


「これは対症療法だ、でもやらないよりはましだろう。でかい魔法は難しくても、小分けにしたらお前にだってできる。ピーター、ルカはお前を見捨てない。暴力で解決しようとするな、お前にしかない力を真っ当に活かして戦え。じきにちゃんと、政治がお前を助けるようになるさ」


 ピーターの両肩に手を置いて、フェルは熱っぽく語った。あの箱庭で、ルカの姿で対峙した時よりも近い背丈で、しっかりした体と声で。


 ピーターは、黙って大きく頷いた。


 その真剣な目を見返して、フェルはふっと微笑んだ。それからすっと身を引いて、無駄のない動作で、自分の護身用の短剣を抜いた。


 ピーターが再び驚く暇もなく、フェルは抜いた短剣の切っ先を広場の入口の方に向けた──ついさっき自分たちが歩いてきた方角、つまりはジュール子爵邸の方向から、騎士の長い剣をこちらに向けるノエルに対して。


「フェル?」


 いつの間にやってきていたのか、鬼気迫る騎士の面立ちで剣を向けていたノエルは、臨戦態勢のフェルに困惑して剣先を下げた。誰の殺気か分からずに反射で短剣を構えていたフェルも、ノエルの反応に拍子抜けした。


「ああ、何か勘違いしたのか? 私たちは夜風に当たっていただけだよ」

「でも魔法が」

「気のせいだ、気にするな。ほら主役は戻った方がいいぞ、私たちもすぐ戻る」


 フェルは短剣をさっさとしまい、冷や汗を流すピーターを促して、ジュール子爵邸の方に引き返した。気づけば広場の周りには、突然の風と光に何事かと慌てた人々がちらほら顔を出している。ある程度は仕方ないにしても、目立ちすぎるのは得策ではない。


 腑に落ちない様子のノエルも、フェルの無言の圧に負けて大人しく戻った。


 ジュール子爵邸のホールはすでにやや閑散としていて、どうやらノエルが席を外している間に宴会はお開きとなったらしい。


 残った娘たちの中には悲劇の主人公ノエルにめげずに話しかける者もいたので、フェルはさっさとジュール子爵に挨拶をしてホールを去った。去り際、ピーターがこれ以上変なことをしないように、目線で釘をさすのも忘れなかった。ピーターはもはや別の使命を心得た様子で、頷いてさっさと帰っていった。


 与えられた居間に入り、扉を閉め、ソファに座り込んでため息をつく。


 やりたいことは、ひとまずできた。


 ピーターに話したように、魔法で一時的に除染するのは対症療法でしかない。そもそもあちこちで工場の機械が稼働して『光』が消費されている昼間にはできない規模の魔法だし、夜中に浄化したとて、昼になればまたもくもくと煙が新たに排出される。


 根本的には、排煙制限のような政治的な対策が必要だ。それをサムに伝えるだけの材料も一通りは集まった、と、フェルはソファで目を閉じた。


 しかしやはり、ノエルと一緒に来るべきではなかった。


 広場でこちらに剣先を向けた、いかにも騎士らしいノエルの姿を思い出す。


 そして目を開ける。扉が開く音に、肩越しに目をやれば、いやに真剣な顔のノエルがいる。


「フェル。さっきのは、何なんだ」


 ソファから数歩の距離を空けて、ノエルが厳しい口調で尋ねた。フェリシアが彼の婚約者をやっていた頃にはおよそ聞かなかったような口調だった。


 ゆっくり瞬きして、フェルは考えた。


 今さら、ノエルと力を合わせて何かを成し遂げる、なんてつもりはない。これっぽっちもない。しかし、全てを誤魔化すのは骨が折れる、というのも事実ではある。


「……わかったよ、正直に話そう。あんたに貸したブローチのと同じ魔法の、でかいやつをやったんだ」

「何のために?」

「サイラスを少しでも綺麗にするためさ、その場しのぎだがね」


 はあ、とノエルがため息をついた。苛々としたその様子に、フェルは半分愉快で、半分悲しい気持ちになった。


「じゃああの男は? 彼は確か、昨日の工場にいた魔法使いだろう」

「……そうだよ、それであの魔法を教えたんだ。私がいなくても、彼が自分で綺麗にできるようにだ」

「何の義理でそこまでする?」


 フェルは黙った。これ以上の説明は、できない。ピーターと会ったのはあの箱庭だ。それをノエルに言えるわけがない。


「勝手な動きをしたのは謝るよ。でもあんただって、この街の空気の悪さには辟易してただろ。これで済むとは言わないが、できることがあるのにしないよりはましだ」

「……僕はそんなに信用ならないかな」


 ノエルが眉根を寄せた。


「君がサイラスに行きたかったのは、そもそも、こういうことがしたかったからじゃないのか?」

「…………」

「だとしたら、事前に相談してくれたらいいだろう。分かっていたら僕だって違う動きができたはずだ……フェル」


 そこでノエルは歩き出した。ソファで大仰に足を組むフェルの前まで来て、たまらない顔をして、フェルを見下ろした。


「君が遠くに行くのは、僕はもう嫌だ」

ピーターがフェリックス=ルカを察するのは、彼が「水の都のルカ」の箱庭にしばらく滞在していて、同じ外見で中身が入れ替わるルカを見ているから、またフェルが入っていた時のルカの目の色がフェリックスと同じだったからです(といっても王都にはもともと青い目の人は多いですが)。同じ仕方で察することができる人々としてはエリカとヘレナのカップルがいますが、この人たちはしばらく再登場しません。

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