12. サイラスの宴会
ジュール子爵邸の客間のベッドは、魔法師団の寮よりはましで、記憶に残るラザフォードの邸宅よりは粗末だった。念のためベッドの周りに結界めいた魔法を張ってはいたものの、特にそれが発動した気配もなく、フェルはしっかり眠って翌朝を迎えた。
朝食の席で顔を合わせたノエルは、王宮近辺で会う時ほど顔色は良くないものの、一応眠れたようではあった。ただあまり愛想がない。フェルに対しては妙ににこやかなことが多かったが、今朝はどこかむすっとした顔で軽く会釈をするだけで、フェルは内心痛快だった。
相変わらず王都とは別の意味で美味しくない朝食を済ませると、昨日と同様に馬車に乗り込み、ジュール子爵はまた別の工場へと二人を連れて行った。
夜間には一部の工場は止まっているようで、工場が動き出す前の朝一番はほんの少し空気がましだった。それでも一つ目の工場に入れば、再び機械の轟音、煙、何とも不快な臭いから逃れることはできない。
一つ目の工場を出るところでノエルが重いため息をつくので、フェルがちらりと目を合わせれば、彼は黙ってジャケットの内側を見せてきた。
死んだ元婚約者からもらったブローチの隣に、フェルが昨日貸したブローチがついている。それで幾分ましなのだ、とでも言いたそうなノエルの目線に、フェルは黙って肩をすくめた。
「フェルはどうやって魔法を勉強したんだ」
移動中の馬車で不意にそんな雑談がノエルの口から始まったので、朝から辟易した顔をしていたジュール子爵まで興味深そうにフェルを見てきた。なぜ今聞く、と半目になりそうになるのをこらえ、フェルはよそいきの愛想笑いを一応浮かべた。
「育ての親に習ったんです」
「シモンズという名の?」
間髪入れずにノエルが尋ねるので、フェルは一瞬顔をしかめた。実家にいた頃の魔法の師匠がシモンズ先生だということを、フェリシアはノエルに話したタイミングがあっただろうか──いやいや、今の自分が名乗っている姓がシモンズだからというだけだろう。
「そうですが」
「それにしても大したものですなあ、魔法師団なんて入りたくても入れないものだと聞きましたよ」
ジュール子爵がうまく話に入ってくれたおかげで、フェルはノエルの窺うような目線から逃れることができた。ため息をつきながら、
「まあ運が良かっただけです、私の場合は」
「魔法師団もさることながら、騎士団だって並大抵のことでは入れないのでしょう」
子爵の興味がすっかりノエルに移ったので、フェルはむしろぎくりとした。下手なことを言わないように口をつぐんでいると、ノエルが穏やかな微笑みととともに首を振った。
「私だって運のようなものですよ」
「いやいや、運だけの問題ではないでしょう。まずもって家柄がないと」
ジュール子爵から感じられる若干の慇懃さに、フェルはなんだか合点がいった。昨夜の食事の席で、ノエルが家名を名乗らずに騎士団の人間だとだけ言った時、子爵の母君が眉をぴくぴくさせていた。成り上がり子爵の家の人間なら、むしろ権力者への嗅覚がしっかりしている方が理解できる。
「大した家柄ではありません」
「そういえばまだフルネームをお聞きしていませんでしたが」
見ているフェルの方がはらはらしているうちに、次の工場に到着した。曖昧に微笑んでお茶を濁したノエルの態度から、爵位があっても子爵よりは下と踏んだようで、それ以上ジュール子爵は聞いてこなかった。
慣れてくると工場回りはどれも似たようなものだった。フェルは念のため逐一魔法使いの所在を聞いたが、訪問中に会えたのは昨日のピーターだけだったし、ピーターに別の工場で会えることもなかった。心づもりしてきたことを特に何も進められないまま、ランチの時間になった。
三人を乗せた馬車は街の中心部に向かった。元々の街の規模を示すようなこぢんまりとした広場には、噴水と、その中央に天を仰ぐ乙女の像があった。馬車の窓からその乙女像を注意深く観察するフェルに、やや疲れた口調でジュール子爵が説明した。
「街の加護をする精霊の像ですよ。といっても、もうずっと魔石が枯れたままだそうですが」
見れば確かに、台座の部分にある大きな魔石は褪せた緑色をしていた。魔石商の娘をしていた時代に何万粒も見た、役目を終えた魔石、つまりもう魔法のための『光』を供給しえないくず石の色である。これはこれで美しいとフェルは思うが、台座に仕込まれた形跡のある何らかの魔法がもはや効力を発していないことは明らかだ。
「あれは何の魔法なんでしょうね、魔法使い様?」
精霊の像が見えるレストランに入り、渋い顔をしてジュール子爵が尋ねた。フェルは不味い紅茶に口だけつけて顔をしかめながら、
「近くでよく見ないと分かりませんが」
「まあ、お守りのようなものでしょうがね。時代は変わるのだ、現代にはもっと盤石なお守りが必要だ」
渋い顔のまま、ジュール子爵は指で小銭をつまむ仕草をした。フェルは咄嗟に商売人の微笑を浮かべたが、ノエルはぴんと来ていないようだった。
「工場ができたおかげで、この街には随分人が増えたものです。ポートカルスからですら! 人が集まれば街も大きくなる、街の力も増える。我々一族はそのようにやってきたのだが」
独り言のような子爵の言葉を聞いて、フェルはなるほど、と腑に落ちた。ジュール子爵とて、故郷を愛していないわけではないのだろう。──だがそれはそれとして、このひどい環境汚染を放っておくわけにもいかない。
「田舎者には田舎者なりの戦い方があるわけです。その点、古くから広大な領地を持つ方々はどういう切り盛りをされているのか、機会があればぜひとも学びたいものだ」
ここでジュール子爵はノエルに再び目を向けた。その真剣な眼差しに、ノエルは神妙に頷いていた。
「新しいものを取り入れ、領地を豊かにしていく工夫は必要です」
「領地ではどういった商売を?」
「元は果樹栽培と造酒がメインでしたが、最近はそればかりでは……」
滑らかに話しながらようやく、悪手を踏んでいることに気づいたらしい。ノエルは言葉尻を濁しながら眉根を寄せ、
「……友人たちも、しばしばそのような」
苦しい言い訳を続けたが、もはやごまかせそうにないらしい。
ランチを終えてレストランを出て、急に下手に出て商売人の表情になるジュール子爵と困惑するノエルを尻目に、フェルは精霊像なるものを観察しに行った。
確かに、施されているのは加護の魔法である。古く曖昧な魔法だが、意図するところは外敵の侵入を防ぐというようなものらしい。見回せば広場には相応の空間があり、ここに新しい魔法陣を置いてしまうようなことは不可能ではない──あの箱庭で敷いたような巨大なものは無理にしても。
ふと視線を感じ、フェルは先程のレストランの方を振り向いた。慌てて路地の裏に駆けこんでいく青年の後ろ姿を認め、目を細めて、ジュール子爵とノエルのところに戻った。
*
午後も工場回りの仕事自体は似たり寄ったりのものだったが、ジュール子爵のノエルに対する態度はがらりと変わった。言わんこっちゃない、とフェルは内心呆れかえっていた。格下貴族の護衛のためにわざわざこんな田舎に出向く伯爵家嫡子に、周りが期待しないわけがない。いつの間に準備されたのか、夜にはジュール子爵邸で宴会が催されることにまでなっていた。
「今夜の宴を祝いましょう、さあ」
昨日の夜とは打って変わって盛大な会に、まるで主役のようにもてはやされたノエルは、困惑した微笑みを浮かべるばかりだった。
どこから湧いて出たのか、宴会には町娘らしき若い女性も大勢現れた。さして広くもないジュール子爵邸のホールは人で溢れかえっていた。フェルはというと、若い娘たちの、胸元の大きく開いたドレス姿に、実家にいた頃に父が招き招かれされていた宴会の様子を思い出して懐かしくさえ思っていた。
「助けてくれ、フェル……」
次から次へと挨拶に来てダンスの順番を申し込む娘たちの列が途切れた瞬間、ノエルが情けなく小声で言った。一応近くにいた(娘たちからは見向きもされない)フェルは、半目になって肩をすくめた。
「なかなか見れない世界だろ、せいぜい楽しんだらいいじゃないか」
「そんな……」
ざまあみろとは思うが、世間知らずのお坊ちゃまには酷な状況なのも確かである。ほくほく顔でやってきた子爵に、フェルはおどけて補足した。
「ノエルにとってもちょうどいい機会かもしれませんよ。何せ彼は死んだ婚約者のことを忘れられず、なかなか前に進めないとかで」
フェルの補足に、驚いた顔を向けたのはノエルだった。ああ、この話は本人から聞いたわけじゃなかったっけ……でも知っている人は誰でも知っている噂話でもあるはずだ。
「それはそれは! そういうことなら気晴らしも必要でしょう。自慢ではありませんが、サイラスの娘は美しいと昔からの評判で……この中に気に入る娘がいなければ、王都で私の娘たちとの茶会にいらしていただいても」
笑顔で揉み手をするジュール子爵に、ノエルは思わず両手のひらを向けて制した。子爵はさすがに驚いて尻込みする。腕を組んで高みの見物を決め込むフェルに、ノエルはちらりと、物言いたげな目線を送った。
「申し訳ありませんが、本当に興味がないのです。私はまだ、彼女のことを愛していて」
浮足立った宴会場が、しんと静かになった。片眉をぴくりと跳ね、フェルは、組んだ腕に力を込めた。
爵位については一応、公 > 候 > 伯 > 子 > 男 の順で考えています。同じ世界の別作品を含めると、ギボンズ侯爵 > イーグルトン伯爵 > ラザフォード子爵、ジュール子爵 > アストン男爵 などの爵位を設定しています。
また街の発展度合いは、王都(都市)>>>(超えられない壁)>>> ポートカルス > サイラス(>>> ベラニド)です。




