9. 魔物
思わずカルロの口を押さえたサムは、そのまま、東屋の椅子に隠れるように腰を下ろした。塞がれた口を開放されるなり、カルロは再びきらきらした目をフェルに向けた。
「無事だったんだね、また会えて嬉しいよ! 少し見ない間にずいぶんかっこよくなったね、ルカ」
「いや、ルカじゃない」
かなり混乱しながら、フェルは首を振った。慌てて自分の体を見下ろしてみるが、さらしもちゃんと巻けているし、女らしいところはどこにもない。まして、サミュエル王子殿下の使い魔である灰色猫のカルロと会ったのは、水の都の箱庭の中でだけだ。ルカという名のあの少女の姿は、自分にとっては全くの借り物であったはずだ。
「ああそうか、ルカはただの役だもんね。なんて呼べばいい?」
カルロは分別よくそう尋ねた。どうも彼には、ルカの役をしていたのが今目の前にいる男の姿をした人物だということに何の疑問もないらしい。なぜ? なぜわかる?
「カルロ、私はフェリックス、フェリックス・シモンズという名の、男だ」
焦る気持ちを抑えるように、噛んで含めるようにフェルは言った──言ってしまってから、フェリックス・シモンズがこの少年の名を知るきっかけもなかったはずだということに思い当たったが、当のカルロはどうでも良さそうである。
苦虫を嚙み潰したような顔をするフェルと、うんうんと必死に頷くサム。二人の様子をきょとんと見比べて、ははあ、とカルロはにやついた。
違うんだ、とフェルは眉間を押さえた。
「サムと私は同僚だ、今はカロイェート師団にいる」
「なるほど、サムが言ってた素晴らしい同僚のフェルとは君のことだったんだ。納得したよ!」
思わずフェルがサムを見ると、彼は少し顔を赤くして、微かに首を振った。カルロは楽しそうに、優雅に足を組んだ。よく見れば彼も、きっと茶会に同席したのだろうという雰囲気の上等な服だ。王宮の愛玩用の猫なのだ、とアランが言っていた気がするが、確かに王宮にこそふさわしい気品がある佇まいである。
「そりゃ君ならね! ああ、王都の魔法使いも馬鹿じゃなかったんだ。ねえフェル、教えてよ、どうやってここまで来たの」
「カルロ、フェルを困らせないでくれ! それにこのことは秘密なんだ、その、フェルが一体誰なのかは」
「秘密?」
カルロが金色の目を細めて意外そうな顔をするので、フェルはなぜだかぎくりとした。
「君があのくだらない貴族の家の子だってことが? それとも、本当は女の子だってこと?」
「カルロ、声が大きいよ……」
「少なくとも後者については無理でしょ、秘密にしとくなんてさ」
カルロがあっさり言うので、フェルもサムも面食らった。実に愉快そうな顔で、カルロは続ける。
「魔物には分かるよ、よほどの馬鹿じゃなければね。アドルフのオウムに会ったことないの?」
魔物には分かる?
フェルとサムは思わず顔を見合わせた。一体何の話なのか分からないが、分からないままに記憶をたどる。
「アドルフのオウム……見たことはあるけど」
「じゃあ絶対アドルフは知ってるよ、少なくとも君が男のふりをしてるだけだってことは」
血の気が引いていくのが分かった。サムも驚いた顔をしていた。
「いや、そんなはずはない……知ってるなら、とっくに追い出されてるはずだよ」
アドルフの自分への振舞いを必死に思い出しながら、フェルは首を振って否定した。あの鷲のような上司、魔法師団の中でも実力も発言力も並ぶ者がない男が、師団に紛れ込んだ女に気がついていて何もしないようなことは考えづらい。
「アドルフは分かってて見逃してるんじゃないの? 僕がアドルフの立場でも見逃すね。だって、君みたいな才能ある魔法使いなんてそうそういないもの。せっかく魔法師団まで来てくれたのに、女だからというだけで追い出すなんて、王都の損失だよ」
カルロの説明は、分かるような分からないようなものだった。褒められていることは理解しつつも、困ったように眉尻を下げるフェルを見て、まあ、とカルロは足を組み直した。
「もちろん、誰でもそう判断するわけじゃないだろうね。フェル、魔物には気をつけなよ。使い魔を持つ魔法使いの中には、よく思わない奴もいるだろう。足を引っ張られないようにね」
カルロはそれだけ言って、ひょいと立って、サムの背中をぽんと叩いた。我に返ったサムも慌てて立ち上がり、懐中時計を気にしながら東屋を出た。
「フェル、また話そう!」
慌ただしく去っていく二人をぽかんと見送り、フェルはしばし呆然としていた。
魔物には分かる? アドルフにも、ばれている?
理屈はとんと分からないが、事実だとしたら大ごとだ。回廊に出て寮の方に戻りながら、フェルは険しい顔で思案した。
アドルフがフェルの才能を買ってくれているのは確かだとは思うが、女だと知れているのに見逃してもらうほどの義理はないはずだ。かといって、自分が女だということが魔物には分かる、という話の方を疑うには、カルロの態度は堂々としすぎていた。
次の日の訓練後、果たして、フェルはアドルフに呼び出された。大人しくアドルフの執務室に向かいながら、フェルは生きた心地がしなかった。
ドアをノックして部屋に入れば、岩のような相貌の上司は、いつものように煙草をふかしながらフェルを見た。
彼の肩には、彼の使い魔である、水色のオウムの魔物。
ごくりと唾を飲むフェルに、アドルフはいつもと同じ調子で口を開いた。
「フェル、例のジュール子爵から、サイラスの工場まわりの護衛の依頼がきている。これもつまらん仕事だとは思うが、受けるか?」
肩すかしを食らって、フェルはぱちぱちと瞬きした。オウムの伺うような目線に気がついて、慌てて頷いた。オウムのくせに、主人に似て、鷲のような目つきである。
「ええ、サー、喜んで」
「じゃあそう回答しておくぞ。また騎士団の若者が一緒だが」
騎士団の若者、と聞いて、フェルはほんの少し顔を強張らせた。ここまで拍子抜けするほどいつも通りだったアドルフは、ここにきて──気のせいか、少しだけ気遣わしげな顔をした。
「大丈夫か」
それは表面上は、単なる念押しと取れる言葉だが。
再びごくりと唾を飲んで、フェルは頷いた。アドルフが何をどこまで分かっているのか、心を読みたい衝動に駆られて、やめた。今は訓練外である。
「問題ありません」
私はフェリックス、フェリックス・シモンズという名の男だ。
アドルフは満足そうに頷いた。肩のオウムが品定めするような目線を伏せて、ゆっくりと瞬きした。




