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8. 友情

 演習場から自室に戻るなり、フェルはベッドにうつ伏せに飛び込んで、声を殺して泣いた。頭も心も混乱していて、どうしたらいいのかわからなかった。ドアの隙間からしんしん漏れてくる真冬の冷気にくしゃみをして、ごろんと仰向けになって、そこでようやくひとつ深呼吸をした。


 食事も取らずに、沈むように眠った。


 目覚めると幾分頭はすっきりしていた。シャワーを浴びながら、浴室の壁にかかる小さな鏡に映る自分の体を見て、またひとつ深呼吸した。


 何を置いても、まずは口封じだ。


 あの様子だと、サムは自分の正体にぴんと来てしまっている。一刻も早く口封じをしなくてはならない。女だと周りにバレたら、魔法師団にいられなくなる。せっかく掴んだチャンスを、こんなことでおじゃんにするわけにはいかない。


 過ぎ去った色恋沙汰の悩みなど、今の環境を追われる危険に比べれば全く大したことはない。


 いつもよりきつめにさらしを巻いて、師団の訓練着に身を包んだ自分の男らしい姿を姿見で確かめて、フェルはずかずかと自室を出た。思い切ってサムの部屋のドアをノックするが、反応はない。


 早足に食堂に向かい、まだ人もまばらな食堂で昨夜の分までがつがつと食べ、再び寮の方に戻る。今日に限って、いつもは目立つサムの姿がどこにもない。焦る気持ちのまま時間になり、訓練が始まるが、どうやら、サムは訓練にもいない。


「なあ、サムはどうしたんだろ」


 訓練の合間にこっそりトビーに尋ねれば、肩をぐりぐり回しながらトビーも首を傾げる。


「さあ……あ、そういや今日はお茶会がどうのって言ってたような」

「お茶会?」

「月に一度は両陛下とお茶会することになったんだって。あまりにもこっちに入り浸ってて、王子様らしいことを全然してないから、ついにお咎めが入ったらしいよ」


 ざまあみろ、とトビーがおどけて舌を出した。へえ、と相槌を打ちながら、フェルは肝が冷えるのを感じた。


 なんというタイミングだ。両陛下にバラされでもしたら、もう一貫の終わりである。


 気もそぞろに訓練を終え、とにかく一度自室に戻る──もう夕方だ。汚れた訓練着から私服に着替え、いても立ってもいられずに王宮方面に足を向ける。


 とはいえ、王宮内なんてそう何回も来た場所ではない。口封じのような話をするのに、サムをどこで捕まえて、どこで話せばいいのかなんて、皆目見当もつかない。


 ふと、長い廊下の向こうの方に、何やら煌びやかな服装の人影が見えた。侍従もつけず、人を探しているような様子の、金色の髪の青年。


 サム、と出そうになる声をこらえる──ここは王宮だ。


 フェルの心の声が聞こえたのか、彼の方がこちらに気づいた。上品なグレーのスーツとシルクのシャツに身を包み、確かに茶会にでも出ていたのだろうという服装だ。金色の髪を揺らして小走りに近づいてきた彼は、フェルに目線で合図して、少し手前の回廊を曲がった。


 黙ってついて行くと、回廊を中庭に降りる階段があった。木立に隠れるように小さな東屋があって、サムはそこに腰かけていた。


「サム」


 隣に腰かけるのをなんとなく躊躇って、フェルは東屋の入口で立ち止まった。サムの方が立ち上がって、躊躇うフェルの手を取った。隣に座らされて、フェルはうつむいた。


「お願いがあるんだ……つまりは、私はフェリックス・シモンズだっていうことなんだが」

「うん」


 サムの真摯な相槌に、フェルは顔を上げた。


「私はフェリックス・シモンズで、それ以外の誰でもないんだ」

「うん」

「これは私が選んだことなんだ。サム、お願いだ。何に気づいたって、それを誰にも言わないでほしい」

「分かってる、誰にも言ったりしないよ」


 フェルの目をまっすぐ見てサムがはっきり言った。嘘偽りのない、どこまでもまっすぐなその態度に、フェルは心底ほっとした。重ねたままだった手をぎゅっと握って、サムは続けた。


「だから、俺にだけはちゃんと教えてほしい」


 フェルはぎくりと肩を揺らした。重ねられた手が、急に座り悪く感じられた。


「君が誰で、どうして魔法師団にいるのか。君の夢は、ここで叶えられるのか」

「……それは、言えない」

「どうして?」

「王子殿下が共有すべき秘密じゃない」


 首を振りながら、フェルは手を引っ込めた。魔法師団にこっそり忍び込む女、しかも王子殿下の同期として配属された女なんて、世間一般の目で言えば、やましい下心がないはずがない。それに王子殿下自身も協力的だなんて知れたら、ほとんどそういうものだと証明するかのようなことだ。


「サム、私はお前に迷惑をかけたくてここに来たんじゃない。私の夢は、ここで叶えるさ。そのためにも、お前にも私にも不利があるような内緒話を共有すべきじゃないんだ」

「関係ないよ。フェル、俺が魔法師団に入ったのは、君にもう一度会いたかったからだ」


 フェルの目をまっすぐ見たままで、サムは言った。


「あの箱庭で、君は、王都を出ると言っていた。夢を叶えるにはそれしかないと──だったら、君にまた会うためには、どこかでもっと強くなる君とちゃんと戦えるくらい強くならなきゃって思ったんだ」


 戦う、という言葉が出たので、フェルはなんだか苦笑した。笑われたことにむっとしながらも、サムも、困ったように微笑んだ。


「君は俺のヒーローなんだ。ヒーローの夢を、俺が邪魔するわけないだろ」


 目を細めながら、フェルは、高鳴りそうだった心臓が落ち着いていくのを感じた。


 ヒーロー、ヒーローか。


 それはつまり、何か女らしいものなんて、微塵も求められてはいないということだ。


 当たり前だ、自分は男として生きることを選んだのだ。サムにしたって、そんな人間に女としての魅力を感じるはずもない。


 だったら、自分がきっちり男をやりきればいいだけである。


 心のどこかにあった浮ついた予感を振り払うように、フェルは首を振った。


「……それにしたって、もうそれだけ分かってれば十分だろ。これ以上話すことなんてないよ」

「いや、あるよ、たくさんある。本当のことを教えてくれたら、君の悩みだって共有できる。第一、あいつの、イーグルトンのことだって」


 ノエルの名が出て、フェルはぎゅっと眉根を寄せた。


 サムの口封じをしなければとそればかり考えて今日を過ごしたが、確かに、そのことだって心に大きな影を落としている。


「……フェルがあいつと金輪際関りたくないなら、俺にはできることがある」

「いや、すべきじゃない。……なあ、サム」


 フェルは拳を作って、震えるそれでそっと、サムの肩を小突いた。


「言っただろう、私はフェリックス・シモンズだ」


 真剣な顔で、サムが唾を飲んだ。


「過去は捨てた。ノエルはただの仕事仲間だ。もし本当に、あいつが死んだ婚約者を愛しているとしても、それは私とは別人だ」

「…………」


 いつか彼女にも会える気がして、と、過去の自分が贈ったブローチを見つめて言っていたノエルの姿が思い出される。


 本人が目の前にいるというのに、そんな滑稽なことがあるだろうか。


 本当は、ノエルはフェリシアを愛してなどいなかったのだ。思い出を美化することは誰にでもできる。二度と手に入らないものを儚み、悲しむ自分に酔っている、くらいが関の山だ。


「私は男として生きるんだ。あんなくだらない男、噂が立つようなやり方で回避するだけの価値も、意味もない」


 自分にも言い聞かせるように、フェルは低い声で言った。


 サムは黙って頷いて、自分も拳を作った。拳と拳を突き合わせて、どちらからともなく笑った。


 友情が成立した瞬間だ、とどこか他人事のようにフェルは思った。


 とにかく、かなりの懸念が晴れた。立ち上がりながら、


「お前、お茶会の途中じゃなかったのか? こんなところで油を売ってていいのか」

「フェルと早く話したかったんだよ。ああ、話せて良かった。また戻るの嫌だ……せっかくだから夕食も王宮で食べてけって言われちゃって」


 サムが本当に嫌そうに肩をすくめるので、フェルはまた笑ってしまった。すっかり魔法師団の生活が板についたようで、あの箱庭にいた頃の、わがままなお坊ちゃんという風情はすっかりない。


 王子様も大変だな、同情するよ、とかなんとか言いながら立ち上がったところで、コツコツと回廊を歩く軽やかな音が聞こえてきた。ぎくりとし、フェルとサムは顔を見合わせた。足音はどんどん近づいてきて、


「サム、どこ行ったんだ? 陛下がお待ちで──あ」


 二人がいる小さな東屋に、美しい銀色の髪の少年がひょっこり顔を出した。彼はフェルをひと目見るなり、金色の目を輝かせた。


「ルカ! ルカじゃないか、また会えるなんて──」


 慌ててサムが少年の口を塞いで、はしゃいだ声を押さえた。少年は──灰色猫のカルロはサムとフェルを交互に見比べ、へえ、とにんまり微笑んだ。

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