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7. 魔法は”魔法”ではない

 ジュール子爵の夜会の警護は、当然のように何事もなく終わった。事の次第はともかく、サイラスの工場回りの護衛までしたいと報告したノエルは騎士団長にかなり不思議な顔をされたようだが、恐る恐る同じお伺いを立てたフェルへのアドルフの返事は、


「そうか、分かった。あまり暴れるなよ」


 それだけだった。


 とはいっても、ジュール子爵の方から具体的な打診がない限りは現実にならない話である。ある日の訓練途中の休憩時間、魔法師団の演習場を囲む回廊に若い騎士様の姿を認め、フェルは演習場の真ん中あたりで露骨に嫌そうな顔をした。近くにいたトビーがフェルの顔を見て怯んだ。


「どうしたの? ……あれ、イーグルトンさんだっけ、フェルと一緒に仕事した」


 フェルは黙って頷き、無視しようと顔を背けた。しかし歩み寄ってきたハワードから、


「フェル、ノエルが遊びに来てるよ。少し話したいんだって」


 爽やかにそう告げられたら、逃げるわけにもいかない。考えてみれば、貴族仲間のノエルとハワードが元々知り合いだということも十分あり得る。友人同士が仲良くなったようで嬉しい、という雰囲気で話しかけたハワードは、フェルの仏頂面を見てぎくりとした。


「ごきげんよう、フェル。ジュール子爵の件、その後何か聞いているかな」


 しぶしぶ回廊に向かったフェルに、ノエルが機嫌良く話しかける。訓練中の汚れた姿でノエルと話すのに一瞬抵抗を感じたが、よく考えるまでもなく、別に構いはしない。


「何も聞いてないよ。何かある時は、そっちに話が来るんじゃないのか」

「さあ、進展があったら情報共有しようよ。今は訓練中?」

「そうだよ」


 渋い茶色に染めた短髪をかきながら、フェルは素っ気なく言った。休憩の終わりを告げる先輩の声がして、これ幸いに、フェルはじゃあと手を振って演習場に戻った。去り際にちらりと盗み見れば、今日もノエルは、例のブローチをつけている。


 顔をしかめる。やっぱり意味がわからない。


「次は土の魔法だ。少しでもへましたら大けがするぞ、気を引き締めていけ」


 アドルフの淡々とした言葉に、フェルの横でトビーがごくりと唾を飲む。


 新人たちも、最近ようやく実戦で使う魔法の訓練をさせてもらえるようになった。相変わらず誰も木刀試合でアドルフに勝てはしないのだが、それはもうそういう、通過儀礼の一種らしい。


 アドルフが大きな杖の下の端で演習場の地面に魔法陣を描き、反対側の端、つまり魔石などの装飾がある側で魔法陣を軽く叩くと、フェルたちが立っていた地面がぐぐと1mほど持ち上がった。驚いてサムがよろけ、横にいたフェルが咄嗟にサムの腕をつかんで支えた。魔法陣を見て何が起こるか予測して身構える、ということに失敗したサムは、気まずそうに苦笑した。


「土を操るのは基本中の基本だ。土はたいていどこにでもあるし、動かしやすい。道を作ることも、壁を作ることも、生き埋めにすることもできる」


 アドルフは喋りながら次々と魔法陣を描き、魔法を発動させていった。演習場に人間の腕ほどの大きさの土の人形がにょきにょきと数体生えてきたかと思えば、その周りを土壁が円形に取り囲み、次いで土人形たちに向かって崩れた。実にスムーズな一連の魔法を高い場所から見物させられて、ハワードは息を飲み、ザカリーはそわそわと肩をすくめ、トビーは目を輝かせた。


「いいか、よく分かっているだろうが、魔法は“魔法”ではない。魔法陣も呪文も回路だ。正確な作図と発語、そして戦況に応じた魔法陣の選択がなければ、役には立たない。まずは正確な作図と発語、これをいつ何時でもできるようになれ」


 アドルフが杖で地面を叩くと、新人たちを持ち上げていた土の台座がぐぐぐと下がって、元の演習場の高さに戻った。


 新人たちが演習場で距離を取って立ち、先輩たちは演習場を囲む回廊や、新人の傍らで見守る。そこから、土の魔法の演習が始まる。


 指示された魔法陣をいくつか試し、フェルは感触を確かめるように杖を持ち直した。演習場の地面はもうどこもがたがただ。まだ真冬だというのにこめかみから流れる汗を拭ったとき、労働時間の終わりを告げる王宮の鐘が、遠く大きく響くのが聞こえた。ふと思い出して回廊を見れば、当然、ノエルの姿はもうなかった。


「よし、今日はここまでだ。フェル」


 訓練の終わりを宣言したアドルフがそのままフェルの名を呼ぶので、フェルは片眉を上げて振り向いた。近くでザカリーが顔をしかめているのが見えたが、気にしない。


「演習場の整地をしておけ」


 ぶっきらぼうな指示に、フェルは軽く敬礼だけして応えた。こういう雑用は新人の仕事だし、とりわけ卑賎の出であるフェルがふさわしい。──というふうにも取れるし、師団のメンバーが三々五々帰っていくがらんとした演習場で、好きに魔法を使うチャンスをやるぞ、とも取れる。


 演習場が空になるのを待って、フェルは杖を構えた。ふと視線を感じて振り返れば、回廊から見ているのはサムとザカリーだった。


「気にせずやれよ、フェリックス・シモンズ」


 ザカリーは腕を組んで回廊の柱にもたれ、いかにも不機嫌そうな様子だ。リリアテラではない魔法学校の出身で、生まれも王都ではない彼が、同期に僻みのような感情を持っていることは分かる。ザカリーと比べられないほど身分が低いフェルがアドルフから目をかけられるのが面白くないらしい、ということも。


 一方のサムは、ただ見学したいという風情である。フェルは肩をすくめ、演習場のがたがたの地面に向き直った。


 整地するだけならたぶんいくつかやり方はある。一番地道な方法は、最初にアドルフが使ったような、地面の高さを変える魔法を全域に逐一施すことだ。時間と手間はかかるが、今日やった訓練の範囲で確実にできる方法ではある。


 アドルフが言ったように、魔法は“魔法”ではない。土の魔法の魔法陣には、動かす大地の範囲と高さ、自分からの距離が正確に設計されている。演習場全部、のような、人間都合の範囲設定は容易ではない。魔法陣と呪文の両方を要する複雑なものも、いずれかだけで発動する簡便なものも、そうした制限があるのは同じことだ。


 しかし、今は訓練外だ。


 真に優れた魔法使いは、定型外の魔法を使いこなすものだ。自分たちのような新人にはまだそういうチャンスは与えられていないが、今は訓練外だ。


 演習場を壊すようなことでもしなければ、大概何をしたって許されるはずである。


 フェルは深呼吸して、演習場の端の地面に、二重円と六芒星と、いくつかのひし形と、蔦を模した模様とを──つまりはシンプルだが、どの魔法の教科書にも載っていない魔法陣を描いて、唱えた。


『私が命じるものよ、在れ!』


 魔法陣が淡く紫色に光った。フェルは目を大きく開いて、全神経を集中させて、想像した。今日訓練が始まる前の演習場の平らな地面を。そして目の前のがたがたの地面に、そのようになれ、と心で命じた。


 だだっ広い演習場の地面全体が、息をするように波打った。


 それらは探るように上へ下へ波打ったが、すぐにその振り幅は小さくなり、ものの数秒のうちに静まった。綺麗に元の高さに整った演習場の地面を見渡し、演習場を囲む回廊に何の傷も歪みもないことも確認し、フェルはようやく、大きく肩を下げて、止めていた息を吐いた。すぐ後ろの回廊にどすんと座り、うつむいて目を閉じる。


 疲れた。でも、できた!


 目を開けて顔を上げると、ザカリーとサムが駆け寄ってきて、たった今フェルが使った魔法陣を覗き込んでいた。


「……これは何だ、お前のトレードマークか何かか」


 眉根を寄せながらザカリーが呟いた指摘があまりに的確だったので、思わずフェルは笑った。けれども頭がぼんやりして、口にできたのは簡潔な一言だけだった。


「ご名答」

「なるほど……」


 しばらくの間腕を組んで魔法陣を眺めていたザカリーは、理屈は分かった、と素っ気なく言って去っていった。理屈が分かるというだけでも、さすがザカリーというところではある。実のところ、これはシモンズ先生と一緒に開発し、アランに助言をもらって洗練させた、フェルにだけ使える魔法なのだ。


 魔法は“魔法”ではない、つまり、全てを意のままに自由にできる手段ではない。しかし、やり方はある。魔法陣も呪文も『光』に特定の働きをさせるための回路だが、強く練られた意思も、同じく回路として作用する場合がある。


 そもそも、『光』は自然界でも偶然に集積し、誰の意図でもない効果を発揮することがある。魔物や妖精の類が生まれるのはそうした偶然の『光』の吹き溜まりによるものだし、王都のはるか北に広がる樹海のように、自然にできた森が偶然に回路を形成していて、魑魅魍魎の跋扈する場所もあるほどだ。


『光』の振舞いの全てが解明されているわけではない。未だよく解明されていない『光』の作用のひとつが、人間の強い意思を回路として、それを具現化させるというものだ。


 フェルがたった今試したのは、フェルを名指して、その意思を形にすることを意図した魔法陣である。


 演習場の地面全体の整地、という規模で試したのは初めてだが、狙った以上にうまくできた。しかし、消耗は多い。雑念を排し、望む状態を正確に意図しなければ、この魔法は意味をなさない。とんでもなく集中力がいるし、こんなに疲労するとは。


「フェル、お疲れさま」


 ぼんやりする意識を戻すのに苦労していたフェルは、サムの声に顔を上げた。今日も王子殿下らしからぬ汚れた格好のサムは、フェルの隣にひょいと腰を下ろした。


「ねえ、今の魔法は何だったの? 俺にはさっぱり分からなかったよ」


 サムがフェルの肩に手を置くと、フェルの体がぽっと温かくなった。体を温かくする程度の魔法を継続する集中力すらなくしていたのだな、と気づいて、フェルは苦笑すると同時に身震いした。


「まあ、まだまだだよ」


 それだけ答えるのが精一杯なフェルに、サムは微笑みを返して、膝を抱えた。真冬の夜の演習場には、ちらちらと雪が舞っている。


「フェルはすごいな。どうやって勉強したら、そんなにできるようになるの」


 ザカリーほどではないにしても、この王子殿下もいくらか僻む気持ちがあるらしい。ようやく呼吸が整ってきたフェルは、座ったまま後ろに手をつき、どんよりした夜空を見上げた。


「師匠に習っただけだ」

「師匠ってどんな人?」

「どんな……普通の、隠居した魔法使いだよ」


 そういえば、シモンズ先生が隠居する前に何をしていたのか、フェルはよく知らない。それに魔法を師匠に習っただけというのは正確ではなくて、あの箱庭を出てから魔法師団に入隊するまでにアランに仕込まれた部分は大きい。


 王宮付き魔法使いのアランを家庭教師にしていたのだから、サムだって、ある意味自分と同じような環境だ。いや、環境で言えば間違いなく、サムの方がずっと恵まれている。


「サムはどうして魔法師団に入ったの」


 好奇心に従って、フェルは尋ねた。そうだ、環境が恵まれているとはいえ、箱庭で出会ったあの少年トーマスを演じていたサムは、魔法師団に入ろうなんていう気概がありそうには思えなかった。


 サムは苦笑して、肩をすくめた。


「強くなりたくて」


 へえ、とフェルは曖昧な相槌を打った。


 ──君のそばにいたら、俺だってもっと強くなれそうな気がするんだ。


 箱庭で聞いた、トーマスの心の声が蘇る。フェリックス・シモンズが知るはずのない心の声が。


 普通の同期だったら、ここで野次馬根性を発揮するだろう。例の事件で何か心を動かされるようなことがあったのか、いいから教えてみろよ、なんてにやにやしながら尋ねるかもしれない。


 そう論理的に考えたフェルが口を開くより先に、サムは目を逸らして遠くを見た。夜空から降る雪が、少しずつ勢いを増している。


「憧れているひとがいるんだ。でも全然、まだまだ、追いつけそうにないよ……フェルみたいに才能のある人が羨ましい」

「……サムだって、頑張ってるでしょう」


 王子殿下に言うには不敬な物言いかもしれないが、サムはへらりと笑っただけだった。そうだ、と呟いて、サムは再びフェルを見た。


「フェル、今度サイラスに行くんだろ。ジュール子爵の護衛と聞いたけど」

「ああ、行くつもりだよ。本当に呼ばれるかはまだ分からないけどね」


 答えながら、魔法師団の演習場にまで顔を出したノエルの姿を思い出して、フェルは内心げんなりした。


 もう二度と会いたくないのに、顔を見ることができるだけでも嬉しい自分がいるのも否定できない。


 でも何もかも、終わった話なのだ。ノエルが選んだのは別の女で、フェリシア・ラザフォードは死んで、自分は今、孤児の男のフェリックス・シモンズをやっている。


 サムはそんなフェル複雑な心の内には気付かないようで、ずいと身を乗り出した。


「それ、俺も一緒に行けないかな」


 フェルは目を丸くした。うじうじした物思いが吹き飛んだ。とんでもないことを言いだしたサムを、まじまじと見返した。


「なんで?」

「サイラスに行きたいんだ。何が起きているかを見たい」


 きっぱりとサムが言うので、フェルは閉口した。


 確かに彼も、怪盗ピーターと約束していた。彼の故郷サイラスの惨状を聞き、いつか必ず救うと言っていた、が。


「子爵の護衛で?」

「ああ、いいチャンスだ」

「無理だろ」

「なんで!」

「どこの国に、くだらない子爵の護衛をする王子殿下がいる」


 サムはぱちぱちと瞬いてから、確かに、と眉尻を下げた。自分ではそんなことにも思い当たらないほど、彼はすっかり陸軍兵士の気持ちらしい。おかしくて思わず笑うフェルに、サムはむっと顔をしかめた。


「同行するのはイーグルトンなんだろ、あいつはいいのかよ」

「知らないよ、それもどうかと思うけどさ」

「だいたい、俺はあいつのこと嫌いなんだ。ああ、あいつが良くて俺が駄目なんて!」


 フェルは苦笑して、悔しそうなサムの紫の目を見た。無意識に、膝を抱えていた。


「イーグルトンが嫌いなの?」

「うん、秘密だけどね……春の舞踏会で、あいつ、婚約者にひどいことしただろ。そのくせ彼女がいなくなったら、本当は愛してたのにって言い出してるらしくて」


 サムの言葉に、フェルは固まった。サムは演習場の地面に目を落として、他人事にしては恨みのこもった話を続けた。


「ああ、フェルはこういう、貴族の噂話には興味ないかもしれないけど……あいつの婚約者がいなくなったのはあいつ自身のせいなんだ。それなのに何を今更って、俺は思うよ。美しい愛だとか何とか言う人もいるみたいだけど、そんなこと言うなら初めから……フェル?」


 サムの慌てた声で初めて、フェルは、自分たちが座る回廊の床や演習場の地面に、ぴしぴしと氷が広がっていることに気がついた。


 ああ、とフェルは顔を歪めた。


 魔法は“魔法”ではない。そのくせ、どうやら、自分の強すぎる力は、不要な感情まで形にしてしまう。


 サムがフェルの両肩に手を置くと、氷はすぐに崩れて消えた。


「……今日は冷えるね」


 乾いた微笑みを浮かべて苦しい言い訳をするフェルの目を、サムが真剣な顔で覗き込んだ。


「フェル、今のは?」

「何のこと?」

「前にもあった? こういうこと」


 前からというか、二回だけだ。あの舞踏会の夜と、それからあの箱庭で、トーマスとデートした日だけ。もう、うまくコントロールできるものと思っていたのだが。


 フェルは首を傾げ、目元を歪め、肩に置かれたサムの手をどけて立ち上がり、寮に向かってさっさと歩き出した。


「ずいぶん遅くなったし、もう戻ろう」

「フェル、待って! ……本当にサイラスに行くの? イーグルトンと?」


 慌てて追いついたサムが、人目を気にしながら小声で言った。その必死な様子に、自嘲気味に肩をすくめてみせ、フェルは淡々と返した。


「仕事相手を選べる身分じゃないんだ。……どんなにいけすかない奴でもね」

この世界の魔法がどんなものなのか、詳しめに描いた回です。整地する場面のフェルの呪文は本当は古語で書きたかったのですが筆者の語学力が……足りない……

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