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6. サイラスのジュール子爵

 王宮に馬車がつくと、フェルとノエルは侍従のようにジュール子爵夫妻の後をしずしずと歩いて夜会の会場に向かった。あの夜と同じ舞踏会場だ。中庭を歩いて向かう道すがら、フェルは無意識に、自分がアランに転移魔法をかけられたあのバルコニーをちらりと見上げた。


 王宮で催されはするものの、別に国王陛下が参加する夜会ではない。第一王子のハリス・エル・サクリノスとその妻エリザベスの姿は見えるが、そこに案内もなく挨拶に行くほどの向こう見ずさは、さすがのジュール子爵にもないらしい。


 夜会が始まってしまえば、指示通り、壁際で見守るだけだ。他にも警護の兵士はいて、着帽していない者も当然いるが、自分たちはつまらない帽子を被っている。なるほど、ノエルが目深に被っているのを見れば、自分たちへの指示の理由は分かる。


 それにしても気が滅入る。


 思い出したくなくても、あの夜のことを思い出してしまう。


 まだ夜会は序盤で、楽隊は準備すら始めていない。各所で談笑という政治を交わす貴族たちを眺めていると、どこかで自分のことが、つまり、5月に婚約者に振られてヒステリーを起こした女のことが噂されているのではないかと錯覚を起こす。


 ──人柄を考えても、家柄を考えても、婚約者がいながら別の女性を舞踏会に連れて行く、なんてことをノエルがしそうには思えなかったのだが。


 そうまでして関係を壊したいほど、フェリシアのことが疎ましかったのだろう。


 人知れず深くため息をつき、フェルは、汗を流しながら歓談するジュール子爵を遠く眺めた。


 何となくサムの姿を探してみるが、今のところ見当たらない。今朝も王子殿下らしくなく、魔法師団の演習場で汗水流して訓練していた彼は、こんな場に顔を出すにはよほど入念に湯を浴びねばなるまい。


「……フェリックスは、夜会に出るのは初めて?」


 帽子を目深に被ったまま、ノエルが小声で尋ねてきた。お前がそれを聞くか、と内心非常に腹が立つが、そんなことを言う訳にもいかない──何せ今の自分は、彼の元婚約者の女ではなく、学校にも通えなかった卑賎の出の兵士ということになっているのだ。


「初めてですよ」


 簡潔に答えれば、そうだよな、と呟くような返事が返ってくる。沈黙が妙にいたたまれず、別に聞きたくもないのだが、一応話を振っておく。


「貴方は経験豊富でしょうが」

「いや……最近は、めっきり」


 フェルは帽子の下で眉をぴくりと動かした。本当に庶民の男ならば、ここで野次馬根性を出して詳しく聞きもするのだろうか。


 遠く見守る先で、確かに、ジュール子爵の周りには特に怪しい動きもない。こう離れていてはどんな話をしているのかも聞こえない。


 だが。


 フェルはすっと目を細めた。どこかの子爵と肩を並べて懸命に話すジュール子爵の、遠く見えるその虹彩をじっと睨んだ。


 ああ、この数か月が正念場だ。例のややこしい浄水装置の話をうやむやにしなくては、利益がまた減ってしまう。最近は奴隷のストライキもあって、本当に困ったものだ!


 ふう、とため息をついて、フェルは子爵の心を読むのをやめた。こいつを読んでもしょうがない。


 サイラスの環境汚染の話は、なるほど、魔法師団に入ってからも自然と耳に入ってきた。大した規制もなく工場が乱立しており、大気と水は汚れ、伝染病が蔓延しているらしい。一部の工場では労働環境もひどく、耐えかねた市民によるストライキだとか、工場を標的にした暴動まで起き始めているそうだ。


 その原因の一端が、どうやら、ジュール子爵にもあるらしい。


 命を狙われているなどと子爵が気にする理由も分かる。しかし彼一人をどうにかしたとして、サイラスの環境が改善するわけではない。事態はもっと複雑で、構造的なはずだ。


 どうにかして、サイラスの現地に行くことはできないか。魔法師団の普通の活動では特にそういう予定もないし、少ない休日に自腹で行けるほどの資金もない。


「フェリックスは、どうして魔法師団に入ったの」


 再び小声で、ノエルが尋ねてきた。ゆっくり瞬きして、いま腹の中で燃えていた怒りをこらえるように息を吐いて、フェルはノエルを見返しもせず答えた。


「自分の力を活かすため……少しでも世の中を良くするためだよ」


 答えてから、既視感に襲われた。こういう話を、フェリシアはノエルにしたことがあっただろうか──あったかもしれない。ノエルは驚いた顔をしたかもしれない。そんなことを言う女は、およそ、貞淑な女主人にはふさわしくなかっただろうから。


 悲しみに吸い寄せられるように、フェルはノエルの顔を見上げた。そして驚いた。


 ノエルは嬉しそうにしていた。まるで、懐かしいものを見るように。


 おーい、と不躾な声がして、見ればジュール子爵がフェルとノエルに手招きしている。おおかた、わざわざ騎士団と魔法師団から護衛を雇ったのだということを自慢したいのだろう。けれど話し相手の貴族がノエルの顔を知っていないとは思えない。やめとけやめとけ、とさすがに肝を冷やし、フェルは小さく敬礼をして、この場を離れない意思表示をした。隣でノエルも敬礼したので、それで満足したのか、ジュール子爵はそれ以上こちらを呼んだりせずに歓談に戻った。


 ちらりとノエルの様子を伺うと、ノエルは何食わぬ顔で兵士らしい待機を続けている。


「……ああいうのに腹が立ったりはしないんですか」


 野次馬根性をこらえきれずにフェルが尋ねると、ノエルは苦笑した。その目線の先では、ジュール子爵と話していた貴族もどうやらノエルの正体に気づいていないだろう、ということをしっかり確かめているようだ。


「できるだけ、色々な世界を見たいので」


 フェルは瞬きした。意外な返答だ。別に成金貴族の振舞いなんて、取り立てて見たいものでもなさそうだが。


 楽団の準備が整って、今日のダンスの音楽が流れ始めた。ジュール子爵夫妻の踊りは、なかなか見るに堪えない出来である。仕事なので彼らの周囲を見守る必要があるが、これがなかなか苦痛なほどだ。


 あの夜のことがまた頭をよぎる。──自分はついぞ、自分たちどちらかの屋敷での練習以外で、ノエルと踊ることはなかったな。


 あの夜ノエルが連れていた女性が、ノエルと踊る場面を想像してしまい、ため息をつく。


 こんなことをくよくよ考えていてはいけない。自分は今や、魔法師団の男なのだ。いずれ偽装で妻をめとることがあっても、男性にエスコートされて踊るようなことは二度とない。


 予想通り特に何事もなく、不審な人物も出来事も一切なく、夜会はつつがなく終了した。送りの馬車の車中でも、ジュール子爵はいかに自分が要人と関係を構築したかを延々と語った。確かに、成り上がりの貴族としては素晴らしい成功を収めている方なのだろう。


「ああ、しかし社交というのは肩が凝りますな。工場まわりの方が、治安は悪いが、気は楽だ」


 汗を拭きながら子爵が言うので、フェルは思わず居住まいを正した。


「近く、工場まわりのご予定も?」

「ああ、来月の半ばには一通り予定を組んで回るよ。もう普段は王都に住んでいるがね、たまには現地にも顔を出さねばならない。あの町は汚いから、長居するのはたまらないが」

「そうでしたか。……もしも工場まわりでも護衛が必要でしたら、ぜひ私をご指名くださいね」


 トビーに習った揉み手をしながらそう言えば、ジュール子爵は明らかに気を良くして、自慢の髭をくいっと撫でた。


「ええ、そりゃいいな。検討しますよ。その際はまたよろしく」


 フェルは微笑んで、興奮する胸をなでおろした。サイラスの現地に行けるかもしれない! 行きさえすればチャンスはいくらでもある。来月半ばなら準備の時間もある──


「彼が行くなら、ぜひ私も」


 隣でノエルがそう言うので、フェルはぎょっとした。ますます気を良くしたジュール子爵が何度も頷いたところで、ちょうど馬車が子爵の邸宅の前に着いた。恭しく夜の挨拶をして見送ってから、王宮に戻る馬車に共に乗り込み、フェルはさすがに確認した。


「……サイラスの町の環境汚染はひどいものだと聞きますよ。騎士様が、わざわざ行く場所ではないかと」

「フェリックス、同じ仕事をしている同僚なんだ、丁寧すぎる話し方はもうよしてくれ。言っただろう、できるだけ色々な世界を見たいんだ」


 そう微笑むノエルの上着の下に、ふと、妙に見覚えのあるブローチを認める。フェルの視線に気づいたノエルが、ああ、と嬉しそうにしながらそのブローチを取り外した。大振りの魔石の周りを囲む、珍しい鉱石であしらわれた蔦や葉の模様。


「お守りなんだ。──色々な世界を見ていたら、いつか、彼女にも会える気がして」


 フェルは神妙な顔をして瞬いた。


 それは紛れもなく、フェリシアがノエルに贈ったブローチだった。確か、15歳の誕生日にとか、そういうタイミングで。

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