1. カロイェート師団
フェリックス・シモンズは孤児の男だ。老人シモンズに拾われて、彼の藪医者のような仕事を手伝いながら、ひとり黙々と魔法の勉強をした。授業料を払って魔法学校に通うことはできなかったが、給料が出る魔法師団ならと、育ての親に孝行するために軍隊に入った。
そういうことになっている。
王宮前のだだっ広い広場での陸軍全体の入隊式が終わり、魔法師団の入隊式とオリエンテーションへと移動する。広場を出れば幾分緊張も解け、フェリックスは渋い茶色に染めた短髪の、襟足のあたりをなんとなく掻いた。
自分はこれから、ここ陸軍で、魔法使いの見習いの男としてやっていくのだ。
髪の渋い茶色は、どこででも手に入る草で染めたものである。頻繁に染め直さないと、元の赤いブロンドがすぐにでも見えてくるのが難点だ。青い目は隠しようもないが、そんなの別にどこにだっている。女にしては高い背で、さらしで胸をつぶして軍の制服をきっちり着てしまえば、我ながらどう見ても男ではある。
男しか入れない軍隊で、女だということがばれてはいけない──まして、自分の正体が、春の舞踏会で王宮で攻撃魔法を放って処された、フェリシア・ラザフォードだということは。
「よ、初めまして! 同期だよなおまえ」
気合いを新たに勇ましく歩くフェリックスは、そう気安く話しかけてきた男の声にかなりびっくりした。フェリックスの隣を歩きながら人懐っこい微笑みを浮かべているのは、明るい茶色のくせっ毛の、フェリックスとそう背丈の変わらない男だった。
「俺はトビー! よろしくな」
「……フェリックスだ。よろしく、トビー」
できるだけ低い声で、フェリックスはぎこちない微笑みを返した。握手を求められ応じると、握った手を勢いよくぶんぶんと振られる。
「緊張してる? 緊張するよな! なんせ貴族連中ばっかりだしさ」
そう言ってにかっと笑ったトビー自身には、緊張している様子はまるでない。よく見れば彼の制服の襟元も裾も、微妙に曲がっていてちんちくりんな着こなしだ。フェリックスの視線に、トビーはおちゃらけて肩をすくめる。
「俺は庶民の子なんだよ、王都の下町の光技師の子さ。フェリックス、おまえの噂は聞いてるよ。学校にも行ってないって本当?」
なるほど、他のメンバーと雰囲気が違うわけである。フェリックスはなんだか気が楽になり、トビーの真似をして肩をすくめた。
「本当だよ。私なんて孤児の出だ……ともかく、庶民仲間がいるのは心強いな」
「そうだよな、仲良くしてこうぜ! ああ安心したよ、学校に行ってないのに魔法師団に入れるなんて、どんなとんでもないコネがあるのかと思ってた。案外、普通の奴じゃん」
トビーは笑って、フェリックスの肩に腕を回した。男同士ならなんということはない距離感なのだろうが、慣れないフェリックスは内心どぎまぎする。しかし隙を見て心を読んでみても、トビーは大して深いことは何も考えていないようだった──こいつ、孤児だけあって肩幅ちっせえなあ、くらいのものだ。
「トビー、また君はそう無理に絡んで……」
遠慮がちにそう声をかけてきたのは、いかにも貴族らしい立ち振る舞いの、かなりの大男だった。真面目そうな顔立ち、清潔そうな印象で、トビーと近づくとコントラストが面白い。
「ああフェル、こいつはハワードっていうんだよ。俺たちの同期で、見ての通りのぼんぼんさ」
トビーはハワードを親指で示した。トビーは苦笑して、改めてフェリックスに挨拶した。
「フェリックス、僕がハワードだよ。別にぼんぼんじゃないし、トビーの言うことは話半分に聞いた方がいい」
よろしく、と答えながら、フェリックスはハワードを見返した。貴族の令嬢をしていた頃の曖昧な記憶を探り、ああ、確かに名のある貴族の嫡子だろうというのを思い出す。
「トビーとハワードは知り合いなの?」
探り探り尋ねると、トビーはおかしそうに、ハワードはため息交じりに頷いた。
「リリアテラ魔法学校の同期だよ。学校の同期といえば、もう一人いるんだけどさ」
気がつけば、もう魔法師団の演習場のあたりに到着している。先輩たちが列を作っているのに倣い、新人はその列の前に並ぶ。
魔法師団の入隊式は、陸軍全体の入隊式に比べたら簡素なものだった。教会の司祭だか何かが物々しいお言葉を述べ、それから新人一人ひとりに小さな紋章を授けて回った。鷲と月桂樹があしらわれたそれが、陸軍、特に魔法師団の一員であるという象徴である。
フェリックスは手渡された紋章を感慨深く眺めた。
これがスタートラインだ。自分はここから、のしあがる──誰より優秀な魔法使いになってやる。
「──以上で堅苦しい式典は終いだ」
そう言って式典を締め括ったのは、魔法師団のひとつ、フェリックスらが所属するカロイェート師団の師団長であるアドルフだ。
王都陸軍の魔法師団は四つの師団から構成される。文官を輩出するククヴァギア師団、陸軍全体の衛生兵も兼ねるセントローズ師団、兵器の整備や改良・開発を主な使命とするマキネ師団、そして実質的な戦闘部隊としてのカロイェート師団である。
このうち一番の花形は、言うまでもなくカロイェート師団だ。戦争にまつわる歴史の数々の場面で、カロイェート師団は華々しい成果を残してきた。王都の魔法使いにとって最高の名誉である王宮付き魔法使いの職位へも、最も多くメンバーを輩出してきたのはカロイェート師団になる。
その師団長アドルフは、魔法使いというよりも格闘家と言われた方がしっくりくる風貌だった。上背があり肩幅も広く、無駄のない体つきをしているのが、制服の上からでもよくわかる。岩のような顔つきにスキンヘッドに近い短髪で、何を言っても迫力がある。
「新人は自己紹介でもしてもらおうか」
アドルフの鷲のような目がフェリックスの方を見るので、フェリックスは黙って小さく頷いた。ちらっと心を読んでみれば、前座は孤児の男だな、と聞こえてきたので。
整然と並んだ列から数歩前に出て振り返り、改めて魔法師団全体を見回す。
トビーのような例外はいるが、やはりほとんどが貴族らしい雰囲気の男たちだ。深呼吸して、フェリックスは少し微笑んで敬礼した。
「カロイェート師団の、フェリックス・シモンズです。どうぞよろしく」
寄せられるのは好奇の目線ばかりだ。それはそうだ、と、敬礼を解いて列に戻りながらフェリックスは内心毒づいた。いいんだ、見てろ、今にこの中の誰よりも優秀な魔法使いになってやる。
浅くため息をついた戻り際、入れ違いに前に出る同期らしい男と目が合って、フェリックスは思わず目を見開いた。彼もまた目を大きくし──美しい紫色のその目を大きくし、それから優雅に微笑んだ。
金色の髪が揺れて、彼が前に出る。振り返って兵士のように敬礼し、彼ははきはきと名乗った。
「同じくサミュエル・ダンです。場違いなのは分かっていますが、鍛えてもらえると嬉しい」
フェリックスは唖然とした。
どうしてこいつが、陸軍なんかに?
列に戻りながら、サミュエルは再びちらりとフェリックスの目を見た。フェリックスが思わず読んでしまった心の中で、尊い姓を名乗らなかったその王子殿下はこう考えていた。
──彼女と同じ色の目だ。彼女と同じくらい、俺も強くなれるかな。
*
『水の都のルカ』という少女小説と、その世界を模した空間魔法の箱庭にまつわるとんでもない事件のことは、人々の記憶に新しい。
主に貴族女性の間で大流行したその少女小説には、いつからか、その世界に飛び込んで、主人公ルカになりきって遊ぶことができるらしい、という都市伝説が生まれた。実際にその中に入って遊んだという証言をする女性も現れては、幻覚だ、麻薬のやりすぎだとか揶揄された。しかしどうやら本当に、そういう舞台装置が用意されている。そのことはいつしか知る人ぞ知る事実になっていて、『水の都』に遊びに行くことはひとつのステータスにさえなった。
『水の都』の正体は、王宮内のたった一部屋にひとつの街をしまいこむ、大規模な空間魔法だった。王宮近くの妖精の村を丸ごと吸い込み、妖精たちに『水の都』の住人を演じさせ、人々は作られた理想郷でまやかしのファンタジーを楽しんだ。
しかし享楽には代償が伴う。文字通り無限の可能性を秘めた空間魔法には、それが形を保てなくなった時、ひずみを正すように──つまりは圧縮されたひとつの街がその大きさを取り戻すように、いわば爆発してしまう、というリスクがある。
『水の都』を模したその箱庭が破裂の危機に陥り、さらにはその中に王都の第三王子であるサミュエルが閉じ込められたままだと分かり、王宮は大変な騒ぎになったものだ。箱庭の爆発を許せば王宮は丸ごと消し飛ぶ──しかしそれを防ぐには、サミュエル王子ごと箱庭を消滅させなければならない。
この難題は、結果的に、謎の魔法使いによって解決を見た。その魔法使いは、箱庭の内側からサミュエル王子を含む全員を転移魔法で運び出した。王宮付き魔法使いたちが直後に箱庭を消滅させて、この未曾有の危機は幕を閉じたのだった。
結果としてサミュエル王子は助かり、『水の都』の箱庭も無事に消滅した。王宮の落ち度も大きいこの事件は一般市民につまびらかにされることはなかったが、噂を抑えきることは不可能だ。
中でも人々の興味を引いたのは、箱庭の中にいた謎の魔法使いは誰か、ということだった。
転移魔法は、空間魔法、延命魔法と並んで最高難度の魔法のひとつだ。王都でも一握りの非常に優秀な魔法使いしか使いこなすことはできない。『水の都』に出入りするような貴族女性に、そんな魔法の使い手がいるわけもない。
サミュエル王子自身は、それが誰なのか知っていた。しかし誰にも言わなかった。人々に分かったのは、遊び人として有名だったこの第三王子が、事件の後には心を入れ替え、日々鍛錬に励んでいるらしい、ということだけだった。
そしてこの秋から魔法師団に入隊したフェリックス・シモンズも、その魔法使いの正体を知っていた──彼が、正確には彼女が、謎の魔法使いその人だからである。
フェリシア・ラザフォードが『水の都』の箱庭に放り込まれたのは偶然だった。婚約者の横暴にパニックを起こしたフェリシアは王宮内で攻撃魔法を放ってしまい、王宮付き魔法使いのアランによってその場から転移魔法で飛ばされた。飛ばされたその先が、たまたま「ルカ」の席が空いていたその箱庭だったのだ。
フェリシアは魔法使いになりたかった。でもこの国では、女は魔法学校にすら入れない。偶然飛ばされた箱庭の中で、フェリシアは好きなだけ魔法の練習をした。そしてその才能をめきめき伸ばし、結果的に、王都を救う転移魔法を使えるまでになった。
箱庭の外に出れば、しかし、フェリシア・ラザフォードは犯罪を犯して死んでしまったことになっていた。これはむしろ好都合だった。生まれ変わるチャンスを得て、フェリシアはフェリックスになり、男しか入れない軍隊の魔法師団に入り、自分の夢を叶えるための大きな一歩を踏み出した。
まさかそこで、サミュエル王子殿下と再会するとは思ってもみなかったのだが。
*
カロイェート師団の新入隊員はフェリックス、トビー、ハワード、サミュエル、それからもう一人がザカリーという男だった。東方の国の出身であるザカリーも珍しい人物ではあったが、どう考えても王子殿下が混じっているのが不思議極まりなかった。
「リリアテラのもう一人の同期があいつなんだけど」
入隊式がすっかり終わって先輩たちが解散する中、再びフェリックスの肩に腕を回しながら、トビーがこそこそ耳打ちした。親指で示す先にはアドルフと話すサミュエルがいて、さすがに不敬ではないかとひやひやするフェリックスをよそに、近くでハワードも苦笑するだけだ。
「正直、意外すぎるよね」
「ほんとだよ、ちゃらちゃらした王子様って感じだったのに。遊びで軍隊に来るにしても、カロイェート師団でなくなっていいじゃんか」
トビーとハワードの口ぶりを見ても、サミュエル王子殿下の魔法学校での振る舞いは中々のものだったと察せられる。
例の箱庭で王子殿下扮するトーマスという少年と会っていたフェリックスも、これには同感である──しかし間違っても同意はできない。何せ、学校にも行っていない孤児の男と王子様なんて、普通は出会うはずがないのだから。
よく知らないが大変そうだな、という顔を作って頷いていると、アドルフと話し終えたらしいサミュエルがこちらに歩み寄ってきた。やや緊張するフェリックスにサミュエルが声をかける前に、アドルフがぱんぱんと手を叩く音が演習場に響いた。
「さて、ままごとはおしまいだ。早速訓練を始めるぞ」
淡々とした言葉と共にがちゃがちゃ音を立ててばら撒かれたのは、新人の人数分の、木でできた短剣だった。
気づけば、先輩隊員たちは演習場の周りに座って、にやにやしながら新人たちを眺めている。いまいち状況が掴めない新人たちに、自分も木の短剣をくるくると弄びながら、アドルフが淡々と説明した。
「一人ずつ俺と手合わせをしろ。木刀の先に朱を浸して、その朱をほんの少しでも俺につけられたら合格だ──その前に朱まみれになったやつは、合格するまで魔法は禁止だ」
フェル様第二部スタートです。ここから呼んでも成立するようにしたかったので、説明的な部分が多くすみません。




