23. 入隊式
渋い茶色に染めた短髪の襟足をかき上げて、フェリシアは鏡の前で微笑んだ。
9月も終わりになれば、王都では秋の気配が濃くなってくる。深い森の中に佇むシモンズ先生の小屋は、周りの木々が紅葉し始め、自然の祭りのさ中にあるような美しさだった。
「フェル、準備はできたのかい? ああ……またそんなに短くして」
後ろからひょいと覗き込んできたのは、すっかり兄弟子の雰囲気となったウォルターである。無精ひげに覆われた彼の顔を振り返り、フェリシアはにやりと得意顔をした。
「似合うでしょう」
「似合うけど! もったいないなあ……ああ、ほら、もう30分もしたら馬車が来るよ」
慌ただしくそう言って、どさりと鞄をひとつ置いて、ウォルターはまた奥に引っ込んだ。懐中時計をちらりと見れば、確かにそんなに時間がない。
18歳の夏を過ごしたこのシモンズ先生の小屋から、今日、フェリシアは旅立つ。
赤い豊かなブロンドを切って、渋い茶色に染めて、男の服を着て──フェリックス・シモンズという名の、魔法使いの見習いとして。
今日魔法師団の寮に入って、明日からはいよいよ師団の一員、つまりは王都陸軍の一員である。女にしては高い背に、兵士の男の普段着らしい服装は我ながらよく似合っていた。少ない荷物を確認して、さあもう出発できるぞと小屋を出ると、シモンズ先生は小屋の外の切り株に腰かけてじっとフェリシアを待っているところだった。
立ち上がるシモンズ先生に、フェリシアは駆け寄り、ぎゅっと抱き着いた。
「フェリシア。──君ならきっと、何があっても大丈夫だ。けれど疲れた時は、遠慮せず、いつでもここに帰っておいで」
「ありがとう、先生。……先生も、元気でね」
元より、永遠の別れというつもりはない。シモンズ先生と、戸口に出てきたウォルターにもう一度ずつハグをしてから、フェリシアは元気よく小屋を出発した。
あの箱庭からの脱出劇ののち、フェリシアはシモンズ先生の小屋で、三か月ひたすら勉強をした。王宮付き魔法使いのアランは度々お忍びでシモンズ先生の小屋を訪れては、フェリシアに勉強を教え、魔法師団入隊試験のための実技の手ほどきをした。彼がそう労力を割くほどには、確かに、フェリシアの才能は捨てがたいものだったらしい。
勉強とアランの入れ知恵の甲斐あって、魔法師団の試験には驚くほどあっさり合格した。
当たり前だが、フェリシアの名をそのまま使うわけにはいかない。フェリシアが演じることになったのは、フェリックス・シモンズという名の男だ。孤児だったのを老人シモンズに拾われて、学校にも行かず独学で魔法を学んだという設定の。
森を出たところで馬車を待つ。ほどなく乗合馬車がきて、御者が乱雑に荷物を上げるのに顔をしかめながら、フェリシアも──フェリックスも馬車に乗り込む。
緊張はしている。しないわけがない。
森のそばを離れ、馬車はだんだん街に近づく。思わず帽子を目深に被り、つばの下から通りを覗き見る。実家にいた頃に靴の底が擦り切れるほど歩いた道を、少女ではなく男の姿で、馬車の上から目を細めて眺める。
王宮の裏、役人街の外れの方に、魔法師団の寮はある。周りの建物と同じくらいに歴史の古そうな寮の建物の入り口をくぐり、中庭で馬車を降りて、受付の係をしているらしい執事めいた男に声をかける。フェリックス・シモンズという名を名簿で確認した男の、丸渕眼鏡の奥の目が、品定めをするようにフェリックスをちらりと見た。
メイドに案内されるがままに、個室の部屋に荷物を運ぶ。メイドが荷解きを申し出るのを辞して、扉を閉めて、ため息をつく。
部屋が個室なのは良かった。これはアランが手を回したというより、たいていは上流階級の出身である魔法師団の人間への、そもそもの配慮だ。
陸軍の中でも魔法師団は、この国きっての魔法使いたちが育成され、活躍するところである。たいていは、才能にも環境にも恵まれた者たちが、当然の成り行きとしてたどり着く組織だ。
学校にも行っていない孤児の男など、それだけで死ぬほど目立つ。これは覚悟しておかねばならない。
その夜は食堂の隅で隠れるように夕食をとり、そそくさと自室に戻り、さっさと寝床に横になった。シモンズ先生の小屋の壊れかけていたベッドよりは幾分寝心地が良かったが、なかなか寝付けるわけもなかった。
翌朝、冷たいシャワーを浴びて、さらしを巻いて胸をつぶす。男物の下着を身に着け、支給された制服をできる限りきっちりと着る。
鏡を見て唇を結ぶ。自分はフェリックスだ。フェリックス・シモンズだ。
*
入隊式が催されるのは、王宮前のばかでかい広場である。
中央に大きな噴水を擁する巨大な円形の広場は、その周辺をぐるりと回廊が囲んでいる。回廊には朝から多くの人が集まり、魔法師団を含む陸軍全体の新人の入隊式をひと目見ようとひしめいている。
整然と並ぶ列の一部になりながら、フェリックスは密かに深呼吸する。
鼓笛隊の儀式的なラッパが鳴り響き、壮麗な音楽に合わせて式典が始まる。軍隊の入隊式なんて王宮の数ある行事の中では大したことはないが、それでも、この世界で一番の国を自称する王国の式典というのは物々しい。
式典が進み、遠く王宮の建物のバルコニーから王族方が姿を現す。豆粒くらいの大きさにしか見えないそこを目を細めてじっと見つめる。
王族方の後ろには、騎士と魔法使いが控えている。国王陛下の斜め後ろで彫像のように立っているのは、あれは多分、アランだ。
ああいうところに立つ人間に、自分はなる。
王族方への歓声の中で目を閉じて、フェリックスはあの朝のことを思い出した。あの朝、箱庭から転移魔法で飛んだ朝。あの巨大な魔法陣の真ん中にいて、複雑なあの魔法を震えもせずに完遂した、あの時のことを。
自分には才能がある、誰にも負けぬ才能が。それを活かさなければならない。神がいるなら、神から賜った能力に違いない。それを正しく、世の中に返さなければならない。
目を開けて、再び王族方のいるバルコニーを睨んだ。そこにいるはずのあのお坊ちゃまの姿を無意識に探して、なんだか見つけられないので諦める。
式典が終わり、広場を埋め尽くす整然とした列が、順に行進して退出していく。魔法師団は引き続き、魔法師団の演習場で独自の入隊式になる。王宮横手の広い建物の中庭がこれまた広大な演習場になっており、物々しく防護魔法で保護されたその演習場に足を踏み入れ、フェリックスはまた気を引き締める。
「──以上、堅苦しい式典はこれで終了だ。新人は簡単に自己紹介してもらおうか」
簡単なセレモニーが終わり一通りの説明があった後で、魔法師団の師団長がそう言って、新人たちを見回した。目線で促され、フェリックスは頷いて、数歩前に出て振り返った。孤児の男は上流階級の皆様の前座なのだというのを察して。
魔法師団の先輩と同期、数十名を見回す。誰も彼も育ちが良さそうな、男たち。
この中の誰よりも、自分が、優れた魔法使いになってやる。
「カロイェート師団の、フェリックス・シモンズです。どうぞよろしく──」
努めて低い声で、少し微笑んで、フェリックスは敬礼した。敬礼を解くと、好奇の目線から逃げるように元の列に戻った。
浅くため息をついた戻り際、同期らしい一人の男と目が合った。
フェリックスが思わず目を見開いたので、その男も目を大きくし、それから優雅に微笑んだ。美しい紫の目が逸らされ、金色の髪が揺れて、彼が前に出た。兵士のように敬礼し、彼もまた名乗りを上げた。
「同じくサミュエル・ダンです。場違いなのは分かっていますが、鍛えてもらえると嬉しいです」
フェリックスが思わず読んでしまった心の中で、彼はこう考えていた。
──彼女と同じ色の目だ。彼女と同じくらい、俺も強くなれるかな。
フェリシア・ラザフォード改めフェリックス・シモンズの兵士としての人生は、こうして幕を開けたのだった。
カクヨム版からかなり変更してようやく完結させました。フェルのギラギラ度が増しています。サム以外の師団の同期たちはややこしいので登場させませんでしたが、第二部以降ちゃんと出てきます。
第二部のテーマは「頑張るフェルとヤバ男たち」です。前回までのお話は努めて児童文学風に書いていましたが、ここから先はどろどろぐるぐる王都の貴族という感じです(予定)。お楽しみに!!




