第2話 どうして貴女は...
「...ようやくか」
アレックスからの手紙。
仕事を早く切り上げた私は自宅の書斎で、1人アレックスから送られて来た手紙を読む。
それはサリーとの結婚を決意した事の報告と感謝が綴られていた。
二人で力を合わせ、医師が不足している場所で力を尽くす、その為に新たな赴任先をお願いする内容も添えられていた。
赴任については私の一存でなんとかなる。
それにサリーは優秀な医師だ、アレックスと力を合わせれば王国にとって悪い話じゃない。
後は二人を何処に派遣するかだ...
「貴方、食事の用意が出来ました」
書斎の扉が開き、妻のマリアが一礼する。
屋敷には使用人はいるのだが、妻は自分でこうして教えてくれる。
もっとも、私はいつも夜遅くに帰宅するので今日みたいに家族と食事を取る事は珍しいのだが。
「ありがとう」
手紙を机の引き出しに戻し、ゆっくりと立ち上がる。
後でもう一回読み返すとしよう。
「は...はい、失礼しました」
マリアは手紙の邪魔をしたと思ったのか、頭を下げた。
「いや、読み終わったところだ」
「...そうですか」
気遣いは要らないといつも言ってるが、マリアは直ぐ遠慮をする。
彼女はハリス様の娘、今は貴族籍を抜けているが、王族の血を受け継いでいる。
ハリス様から、気にするなと言われているが、やはり気になってしまう。
「さあ食べよう」
「「「...いただきます」」」
妻と二人の娘、10歳のアンナと6歳のレイラ、みんな食堂のテーブルに着き、家族と仲良く食事を始める。
「美味しいよマリア」
食事はいつもマリアが作っている。
お陰で屋敷にいる料理人は使用人の食事作りが中心になっていた。
「...ありがとうございます」
私の顔を見つめ、笑顔の妻。
いや。妻だけでは無い、なぜか私の顔を子供達も笑顔で見ているではないか。
「お父様どうしました?」
「何がかな?」
娘のアンナに聞き返す。
一体なんだというんだ?
「凄く嬉しそう」
「そうか?」
「そうよね?」
アンナが妹のレイラを見ると頷いた。
「うん、凄く笑ってるよ」
「ええ、貴方のそんな笑顔は久しぶりで...」
マリアまでも。
「そうか...」
悩みはなるべく家に持ち来帰らないつもりだったが、やはり顔に出ていたのだろう。
気持ちが軽くなったのは、アレックスからの手紙のお陰だ。
「マリア、ちょっと良いか?」
「はい」
食事の後、部屋を出る前にマリアを書斎に呼んだ。
察しの良い妻は使用人にお茶を頼み、私の元にやって来た。
「座って」
「ありがとうございます」
書斎に置かれた大きなテーブルセットに妻を座らせる。
向かいの椅子に私も腰を降ろした。
「実はアレックスから手紙が来てね」
引き出しからアレックスの手紙を取り出し、妻に差し出した。
「読んでも?」
「意見を聞きたい」
「そういう事でしたら...」
マリアは胸の眼鏡を掛け。真剣な表情でアレックスからの手紙を読み始めた。
結婚前は王宮で、情報調査の仕事に携わっていたマリア。
現在は退職したが、未だに顔が利く。
「...なるほど」
眼鏡をゆっくり外し、視線を私に向けた。
もう私が何を考えているか分かった様だ。
「あそこにアレックス夫婦を派遣させる事をお考えなんですね」
「そうだ」
アレックス夫婦の派遣先、それは旧ハミルトン領。
25年前、前公爵の妻サラと情夫ハラウムによって廃絶された忌まわしき土地だ。
「確かに旧領民達は苦しい生活を余儀なくされてますが...」
「ああ」
ハミルトン領は三つに分割された。
キャメロン侯爵とパトリック伯爵、モートン伯爵の領地に組み込まれた。
旧ハミルトン領の住民は公爵家の領民である事を鼻に掛け、尊大な態度で三家に接していた。
現在は迫害とまでは行かないが、立場はかなり弱くなり、小さくなって暮らしている。
「お義父様を悪く言っておられてましたし」
「そうだな」
サライを始めとした旧ハミルトン領の使用人達は復興の為、力を尽くした父上を成り上がりの平民が媚びを売っていると言いふらした。
大半の領民はそれに乗ってしまい、後に真実が暴かれた時、嘲笑の的となってしまったのだ。
「だからアレックスをと、私は」
「そうですね...」
マリアの顔色は冴えない。
旧ハミルトン領には診療所が不足している。
生活も貧しく、充分な医療を受けられず、命を落とす人が多数報告されていた。
その中には旧ハミルトン領民に対する診察拒否の被害も含まれていた。
「義父様は?」
「父上は自分が行こうとされてな、止めるのが大変だったよ」
「でしょうね」
子供達が卒業した事で、王都から再び地方医療現場の先頭に立つ事を決めた父上。
旧ハミルトン領の現状に自ら行こうとしたが、母上を始めとする人々が止めた。
まだまだ父上を知る人々が多数住んでいる。
逆恨みが心配だ、それに父上も60歳を過ぎている、病に倒れる懸念もあった。
「だからアレックスをですか」
「そうだ、誰もアレックスを見てもアランドとは思わないだろ。
何しろアランドは死んだ事になっているし」
「...ですが」
やはりマリアの表情は暗い。
どうしてだろう?
「何か心配か?」
「はい、一つ」
「何が?
「アレックスの顔です」
「顔?」
「ええ、現在のアレックスは生前のハラウムに似ていると情報が」
「なんだと?」
忌まわしき男ハラウム。
母の元婚約者でありながら、その母サラと肉体関係を結び、更に稼いだ金で人身売買を行い、奴隷として自らも数人の少女と関係していた男。
そんな奴がアレックスと?
アレックスが現在どんな顔をしているか私は知らない。
しかし情報室に居たマリアは知っていたのか。
「まだハラウムの事を知る住民も多数存命でしょう。
万が一アレックスがハラウムの子だと知れたら」
「それは危ないな」
妻の言葉はもっともだ。
やっと幸せを掴んだアレックスにそんな事をさせられない。
「この話は止めよう」
「そうですね」
残念な私を見ながらマリアは微笑む。
何がおかしいのか?
「貴方は弟想いですね」
「そうか?」
そんな事は無いが。
「だって、アレックスをこんなに気に掛けて」
「確かに」
言われてみればそうだ。
「弟だ、兄として気になるのは当然だろ」
「ですが...」
マリアには分からないだろう。
「私は母から愛され無かった。
いつもアランド、アランドと。
だから寂しい思いをした、母の愛情が一番欲しい時期だったからね」
「...貴方」
マリアは、しまった表情をするが、ちゃんと説明しないと。
「だが、私には父上が居た。
本当に私を愛してくれる父親がな。
だから耐える事が出来たんだ」
「そうですね」
「だが、弟には誰も居なかった」
マリアは目を見開き、固まる。
やはり、理解が早い。
「愛して貰っていた母の豹変、それはアレックスにとって、どれだけ辛かっただろう。
王都で捕まった時、母は炎天下の下、アレックス...アランドをおぶり、数時間歩いたそうだ。
本当に打算で出来るだろうか?」
「でも...」
「分かってる、最後に母はアランドではなく私を選んだ事は。
だが、極限状態に置かれた人間の行動だ。
愚かな母の...だが私はまだ...」
「...ハロルド」
マリアが後ろから私を抱き締める。
母はなぜ最後に私を選んだのだ!?
苦し紛れの言葉は要らなかった。
最後までアランドを選んでいれば...
いやアランドをおぶったりせず、道に投げ捨てていたなら、こんなに苦しまず済むのに。
未だ息子に愛情を見せた母の幻想に囚われないで...