第1話 私で良いのか? 前編
いずれサリーがここに来る事は予想していた。
ハロルド様からの手紙で、ここの場所を教えたと書いてあったのだ。
本当ならサリーに会うべきじゃない。
黙ってもう1度姿を隠すべきだったが、出来なかった。
どうしてか?
未だ私は王国から監視中の身だから?
それは違う。
ハロルド様の手紙、その中に答えはあった。
[アレックス、いやアランド。
お前はまだ過去を引き摺るつもりか?
サリーを不幸にするつもりなのか?]
そう書かれていたからだ。
「もう離さないから!」
私の胸に顔を埋め、サリーの言った言葉が私の心を抉る。
思わず抱き締め返してしまったが、言葉がうまく出て来ない。
「...もうどこにも、行かないで下さい」
王都へ1年の留学を手配したのは私。
優秀な医学生の彼女にとって、留学は掛け替えのない財産となる。
3年間、彼女を身近に見てきた私には確信があった。
彼女の可能性に賭けたのだ。
もう1つはサリーと離れるためだった。
...私はサリーを愛してしまった。
私の様な人間がサリーと結ばれてはいけないのだ。
彼女には彼女の人生がある。
薄汚れた血を受け継ぐ私なんかと生きてはいけない。
そう考えたのに...
「...先生」
サリーは潤んだ瞳で私を見る。
彼女の好意には以前から気づいていた。
しかし、それに応える事が出来ない私は敢えて気づかないふりをしてきた。
しかし、限界だった、たからこそ、決めたんだ。
「私ではダメですか?
先生のお役に立て無いのでしょうか?」
「...そんな事は」
決してそんな事は無い、彼女は優秀だ。
ハロルド様からの手紙でサリーの勤勉さ、優秀さを教えてくれた。
碌に連絡も取らず、薬の手配等で迷惑をかけてばかりの不肖な私。
ハロルド様を兄と呼ぶだけでも烏滸がましいのに、ハロルド様は私の事を今も気遣ってくれている。
[アレックス、彼女をどうする気だ?]
サリーの事を伝える手紙はいつもそう書いてあった。
その言葉に対して1度もハロルド様に返事が書けないままだった。
[サリーを愛している、]そう書きたかったのに。
私の過去を知られては彼女に迷惑が掛かる。
それはサリーの両親にも。
身元保証人でもあるサリーの父親は私の過去を知っている。
それでも診療所の手伝いに彼女を預けてくれたんだ。
『申し訳ございません』
町を出る前に私はサリーの両親に言った。
『そんな事を気にするな』
『そうよ、貴方は町にとって、そしてサリーにとって必要な人なの』
二人はそう言ってくれたが、その優しさは逆に私を苦しめた。
こんな素晴らしい両親から育ったサリーを不幸にしてはならない。
私の強い決意にサリーの両親は折れ、後任も決まり、私は町を去ったのに...
「あの、入って良いですか?」
「あ...ああ」
ゆっくりと私から離れる小柄な身体のサリー、いつも診療所をリスの様に走り回り、私を手伝ってくれた姿が思い出された。
「ここが先生の新しい診療所ですか」
「そうだよ」
荷物を拾い集めたサリーは診療所の中を見回す。
珍しい物なんかない。
平屋の建物に併設された診療所はとても小さく、以前の半分程だ。
医薬品や医療道具も不十分だから、王都に手配して、先日来たばかりだった。
「患者さん来るんですか?」
「殆ど来ないよ、街道を行く旅人の為に作られた診療所だから」
「でしょうね」
街道沿いの診療所は近隣の町からも離れている。
町には大きな診療所が既にあるので、ここは緊急用だ。
「食事はどうされているんです?」
「え?」
「ご飯です、ちゃんと食べてますか?」
急に何を聞くんだろう?
サリーは町の診療所に居た頃、いつも私に聞いていた。
食べて無いと言ったらホッペを膨らませて怒っていたな。
「...食べてるよ」
「嘘、先生昔みたいに痩せちゃってますよ」
「そっか...」
元々食に興味が無い。
飢えたら食べる、その程度だ。
昔はそうで無かった。
3年間の幽閉生活が私をそうさせた、無言で部屋に差し入れられる食事のせいで。
「全く、食材はあるんですね?」
「ああ、町から食材の差し入れは貰ってるから」
溜め息のサリーは持参した荷物からエプロンと、調理道具を取り出した。
「先に、ご飯にしましょう、炊事場をお借りしますね」
「あ、ちょっと...」
サリーが奥の住居スペースに入って行く。
躊躇いの無いサリーに黙って彼女の姿を見送った。
「さあ、どうぞ」
「...ありがとう」
手際よく作られた料理。
彼女の手料理は町の診療所に居た頃からたまに差し入れて貰っていたが、私が驚いたのは今作られた料理のメニューにだ。
「...どうして、これを?」
「ハロルド様が食べてたいらした、お弁当の料理です。
アレックス先生もお好きな料理だったとハロルド先生が1度」
「ハロルド様が...」
思わずサリーに言ってしまったんだろう。
懐かしい料理、それは母の得意料理...
母は王都に居る時、時々料理を自分で作っていた。...ハミルトン領の郷土料理を。
ハロルド様...兄上にとって母は酷い女だった。
私ばかりを可愛がり、兄上は1人寂しい思いをしていた。
そんな兄上がなぜ母の料理を?
「どうされました?」
「な...なんでもない」
涙が止まらない。
料理を口に運ぼうとするが、嗚咽に邪魔されて...
「アレックス先生...」
サリーは私の手の上に自分の手を被せ、微笑みを浮かべた。
「何も聞かないんだな」
「ええ」
微笑みを崩さないサリー。
本当は聞きたい事が山ほどあるだろうに。
『ハロルド様は私の兄上なのだ』
そう言いたい。
しかし、言えない。
私は既に死んだ事になっている。
罪人の息子、アランドは幽閉生活中に、発狂して首を吊った事に、ならば...
「私は罪人の子だ」
「先生...止めて下さい」
「サリー、聞いてくれ」
ちゃんと言うべき事を言わなければならない。
私はサリーを愛する資格なんか無いのだ。
「私の母は結婚していながら、別の男と私を作った。
夫を騙してね」
「アレックス先生...」
「その事がバレた母は僕を捨てて、自分だけ助かろうとしたんだ。
挙げ句、兄上まで利用しようとしてな」
「...もういいです」
耳を塞ごうとするサリーに、首を振る。
「最後まで聞いてくれ、そうじゃないと私は先に進めない」
おそらくサリーは私が誰か、薄々気づいていたのだろう。
ハミルトン家に起きた事件は、未だ王国内で語られる公爵家の愚かな前夫人と、その娘が起こした一大スキャンダルだ。
悲劇のヒューズ前公爵様とその嫡子ハロルド様は国民全て知っている。
不義の子、哀れなアランドの名前も...
「分かりました、私が先生を受け止めます」
そう言いながらサリーは私の目を見詰め返した。