エピローグ 僕と父上、家族の話
医学校を卒業した僕は、王立医院に赴任するまで1ヶ月の休みに、父上が暮らす辺境の町へと急ぐ。
12年前、ハミルトン公爵家に起きたスキャンダルに巻き込まれた父上。
僕は当時まだ9歳だった。
母と祖母がしでかした煽りで僕も学校や寄宿舎で肩身の狭い思いをしたが、父上はその比では無かっただろう。
孤児院から叩き上げ、王立医院の医局長にまで登り詰めた父上が、どうして大変な目に遭わなくてはならないのか、当時の僕は母と、その一族を恨んだ物だった。
「父上は凄い...」
揺れる馬車の窓からは田舎の長閑な光景が続く。
あの後、父上は医局長の職を辞し、王国はもとより、世界中の飢餓や医療、そして教育を受けられない人々の為に走り回っている。
今、僕が向かっているのもそんな町、父上は3年前から家族で暮らしている。
「父上!」
馬車の窓から顔を出すと懐かしい父上と家族が僕を待っていた。
陽に焼けた父上の笑顔、僕にとって一番に待ち焦がれていた物だった。
「来たかハロルド!」
馬車の扉が開き、荷物を手に降りる僕に父上が笑う。
3年振りの再会に胸が熱くなる。
「ハロルド君元気にしてましたか?」
父上の隣に立つ女性。
僕の恩師で今は父上の新しい奥さん、ミリス様。
「はいミリス先生もお変わりなく」
「あら?もう先生じゃありませんよ」
そう言って笑うミリス先...ミリス様。
元王族でありながら、気さくな態度は昔のまま。
10年前、王族のミリス様が、爵位を失い、更に不貞を働かれた父上に逆プロポーズした時、王宮はパニックとなった。
当然固辞する父上。
しかし、ハリス様を始めとする一部の人々はミリス様を応援した。
ミリス様と父上の噂は王族と爵位を失った悲劇の元公爵、禁断の恋として、ロマンスのネタとなり、民衆は2人の恋を全力で応援し、押しきられる形で陛下も結婚を許し、父上とミリス様は結ばれた。
父上もその頃にはミリス様を愛していたと自覚していたそうだが。
「...すみませんミリス様」
「いいのよ、でもお母様って呼んで欲しいわ」
「それはちょっと」
さすがに抵抗がある。
ミリス様を義母と認めて無いのじゃなくって...
「ミリス、冗談はそれくらいに」
「ごめんね、でも本気よ、早く母上と呼んでね」
だから、母上なんて気安く呼べないんです。
王族を抜けられ、今は父上と同じく爵位を持たないミリス様だけど。
「「お兄様!!」」
父上とミリス様の後ろから飛び出した可愛い子供達。
僕の弟アンドリューと妹のカリーナ。
随分大きくなったな。
「元気だったか?」
「はい!」
「良い子にしてたよ」
元気な兄妹、確かアンドリューは8歳でカリーナは7歳だ。
「偉いな!兄ちゃんからプレゼントだ」
王都で買って来た絵本とおもちゃを2人に渡す。
どっちも2人が欲しがっていた物、父上から手紙で事前に聞いていた。
「ありがとう兄上!!」
「嬉しい!ありがとう兄ちゃん!」
「早く見たいだろ?家で開けて来な」
「良いの?」
「良いよね父上?」
「ああ」
「「やった!」」
元気に2人はプレゼントを持って走り出す。
そんな姿に羨ましさを感じる。
僕にとって腹違いの2人。
そして僕にはもう1人の弟がいる。
母が産んだ不義の弟が...
「ハロルド疲れただろ?来なさい、家を案内しよう」
「大丈夫です父上」
「そんな事ないでしょ?
王都から1週間の旅だったんだから」
「そうだ、遠慮するな」
「はい」
本当は疲れていたが、父上家族のお邪魔にならないか少し心配だった。
「ヒューズ様、往診の帰りですか?」
「いや、息子が訪ねて来たんだ」
「へえ~噂の神童様ですか」
「どれどれ...やっぱり噂通りだ」
道行く人達から親しげな声が次々と掛かる。
父上と家族が町に溶け込んでいるのがよく分かるけど、神童は止めて欲しい。
「父上...」
「仕方ないだろ、お前の評判はここまで響いているからな」
「そうよ、行商人から広がってね。
王国の宝って」
「そんな訳無いでしょ」
持ち上げ過ぎた。
少し医学論文を評価されただけだ。
まだ医師としての実績は無いのに。
「過度の謙遜は妬みを呼ぶぞ」
「父上?」
「肝に銘じなさい」
「分かりました」
昔からそうだ。
父上は多くを語らない。
しかし父上の言葉には重みと暖かさがあった。
石造りの一軒家が見えて来た。
ここが父上の暮らす診療所兼、住居なのか。
結構大きいな。
「ミリスがここで町の子供達に勉強を教えているんだ」
「そうなんですか?」
「ええ、人に教えるのは天職だから」
ミリス様の笑顔に充実した日々を送っている事が分かる。
天職か、僕も胸を張って言える様になりたい。
家の中は綺麗に整頓されていた。
住居スペースは大きく無いが、暖かな空気に包まれていて...
『父上は?』
『まだでございますハロルドぼっちゃま』
『...そう』
寂しかった子供時代を思い出す。
寄宿舎に入るまでの僕は忙しい父上を1人待つ日々だった。
母はハミルトン領へ頻繁に帰ってばかり。
僕は全然向こうの家族に馴染めなかった。
祖母や、ハミルトン領の使用人は僕を無視し、食事すら出ない事があった。
母に訴えても煩わしい態度を取るだけで、僕が行きたく無いと思ったのは当然だ。
父上に言えなかった。
母と向こうの奴等に気を使っていたのが、幼い僕にも分かったからだ。
だから僕は寄宿舎に入った。
「美味しい!」
「ほら、ちゃんと野菜も食べなさい」
「兄ちゃん、お肉美味しいよ」
「そうだね」
賑やかな食事。
仲の良いアンドリューとカリーナ。
笑顔で2人をみる両親。
僕が一番欲しかった家族の姿がここにあった。
食事が終わり、寝室のベッドに潜った兄妹に王都の話を聞かせる。
目を輝かせ、僕の話を聞く2人。
兄として、嬉しい時間。
兄としてか...
僕はアランドに兄として接した事があっただろうか?
父上は明らかにアランドを避けていた。
母はアランドを甘やかすだけ甘やかし、僕はそんなアランドに距離をおいていた...
いつの間にか寝てしまった2人に毛布を掛け、リビングに向かう。
父上とミリス様はお酒の入ったグラスを傾けながら待っていた。
「飲るか?」
「頂きます」
父上からグラスを受け取り、酒を注いで貰う。
お酒は結構強いから、多少のアルコールが高いお酒でも大丈夫。
「美味しい」
口に広がる芳醇な香り、これはかなり高級なお酒だ。
「お前にも分かるか、ハリス様からのプレゼントなんだ。
ハロルドが来たら飲めってな」
「ハリス様が?」
ハリス様はこれから王立医院では僕の上司になる。
昔から可愛がって貰った。
第二の父と言っても良い位の恩人。
「兄上も嬉しいのよ。
ハロルドが自分の後を継いでくれるから」
「そんな、畏れ多い...」
王族であるハリス様の後継なんて、誰かに聞かれでもしたら誤解の元だ。
まだまだ、ハミルトン公爵家の噂は無くならないのに。
「...あの人はどうだった?」
酒瓶を一本空けた頃、父上がポツリと呟く。
もちろん、その意味は分かった。
「相変わらずです...」
「そうか」
そう言って父上は黙ってしまい、ミリス様は複雑な表情で見ていた。
あの人、母ミッシェルの事。
12年前の断罪で、ハミルトン公爵家は廃絶となった。
祖母のサラと母の愛人にして祖母の情夫だったハラウムは処刑された。
その最後は見苦しい物だったと学校で聞いた。
泣き叫び、命乞いをする祖母は失禁と気絶を繰り返し、罪状の読み上げが終わると同時に首を刎ねられた。
ハラウムは更に酷く、父上こそが元凶と叫び、罪状の読み上げを散々妨害した。
更には母が悪いだの、アランドはヒューズの息子だのと叫び、挙げ句はハリス様と国王陛下にまで悪態を吐いた。
結局処刑は中止となり、ハラウムは身の毛もよだつ拷問の末、1ヶ月後に改めて処刑された。
手足を失い、何も話せず、芋虫の姿だったと聞いたが、愚かな人だ。
そして、母ミッシェルはまだ生きている。
それはただ、生きているだけ。
査問会で発狂した母は完全な廃人となってしまった。
何を言っても、ただ笑うだけ。
時折、父上と僕の名前を呟き、涙を流し、また笑う。
その繰り返し。
アランドの名前は滅多に口にしないそうだ。
「アランドは?」
「父上...アランドは」
父上は大分酔っている様だ。
何故ならアランドはもう存在しない事になっているのだから。
「そうだ、今はアレックスだったな」
「はい」
アランドは罪人の息子として幽閉された。
母の発狂が治まらないまま、3年間の幽閉が続いた。
誰からも話して貰えず、ひとりぼっちのアランド。
遂にアランドも発狂した。
ハリス殿下からその事を聞いた僕はアランドに面会した。
父上は反対したが、どうしても会いたかった。
『アランド』
『...兄ちゃん?』
発狂し叫んでいたアランドは僕を見て呟いた。
『...殺してよ、もう嫌だ』
そう呟くアランドに僕は言った。
『僕はアランドを殺せない。
だって、同じ母から産まれた兄弟なんだから』
どうしてそんな事を言ったのか分からない。
しかし今も多分同じ事を言うだろう。
『....ごめんなさい』
そう言ってアランドは涙を流した。
その様子を見ていたハリス様はアランドの幽閉を解いた。
アランドは死んだと発表し、アレックスと名を変え、現在は密かに王国から監視をされながら遠くの町で暮らしている。
「アイツも運命に翻弄された」
「そうですね...離ればなれだから」
父上の呟きにミリス様も複雑だ。
それは僕に向けた言葉と分かった。
「父上はいつまでここに?」
しんみりした空気を変えよう。
せっかくのお酒に全く酔えない。
「来年には一旦王都に戻る」
「そうなんですか?」
知らなかった、父上家族が王都に?
「子供達の学校の為よ、父がうるさいの」
「ああ...」
父とは国王陛下の事か。
ミリス様、せめて、父上と呼ばれた方が。
「窮屈よね、何年我慢出来るかしら?」
「ミリス様は変わりませんね」
昔から砕けた口調でミリス様は大半の生徒から慕われていた。
一部の生徒や、父兄からは威厳を損ね無いよう注意されていたが。
「第八王女なんてそんなもんよ」
「陛下には一番下の子供だからな」
悪びれず笑うミリス様。
父上も苦笑いで応じた。
そんな僕と父上を見たミリス様はフッと笑い、グラスのお酒を呷る。
そして小さい声で呟いた。
「だからかな、あの人が歩んだ道も少し分かるの。
流されるままに生きたら、人って自分で考える事を放棄しそうになるから」
「...ミリス」
真剣なミリス様に父上と僕は息を飲む。
まさかミリス様が母の気持ちを?
あんなに母を毛嫌いしていたのに。
「もっとも、あそこまでのクズは稀だけど。
私はヒューズがいたから最高に幸せなの、最高の家族をありがとう!!」
「おい、息子の前だぞ」
ミリス様は父上を抱きしめて笑う。
その笑顔に僕もつられていた。
「ありがとうミリス...いいえお母様」
小さな声で呟いた。