閑話 ハミルトン公爵家の誇り
「...色々と...ありがとう」
「いいえ、ご苦労様でした」
家族が集まり、ハロルドが代表して言葉を掛ける。
大きなベッドに寝かされているヒューズ。
激動の人生を駆け抜けた彼の旅は78年で終わりが近づいていた。
若い頃から無理を重ねて来たヒューズ。
まだ意識がはっきりしている間に言いたい事があると、全員を集めたのだった。
「あなた...」
ヒューズの妻ミリスは彼の髪をそっと撫で上げる。
ミリスも既に61歳、老境に差し掛かろうとしていた。
「分かっていると思うが...」
「はい、全てを財団にですね」
「ああ、頼む」
ヒューズは満足そうに頷く。
世界中を回り、恵まれない人々の為奔走してきた人生だった。
めぼしい資産を残した訳では無い。
しかし彼は一つだけ、この世に遺した物があった。
ハミルトン財団
前ハミルトン公爵が作った各地の孤児院や学校を全てハミルトン財団として管理運営されている。
もちろんサルマン王国の支援があってこそだった。
疲れからか、ヒューズは目を閉じる。
その場に1組の家族だけは何も言わず、部屋の隅で立ち尽くしていた。
アレックスの家族。
ここにはヒューズが呼んだ。
辞退するアレックスにハロルドが説得し、この場に来ていた。
これまで交流する事の無かったヒューズとアレックス。
それは当然の事、アレックスは妻の裏切りによって産まれた不義の子だったのだから。
皆、複雑な顔でアレックスの家族を見ている。
ある者は同情を込め、ある者は気の毒そうに。
蔑む視線をアレックスに向ける者は居ない。
現在は妻サリーの故郷を中心に医療活動を行っているアレックス夫妻。
貧しい人達に手厚い治療を、ハロルドのバックアップもあり、アレックスの名はヒューズ同様、知られていた。
「アレックス」
「...兄さん」
「何も言わなくていいから」
「...分かった」
小さく頷き、アレックスはヒューズの前に立つ。
静かな寝息を立て、眠るヒューズ。
アレックスの心に沢山の記憶が甦って来た。
産まれて以来、ヒューズからは距離を取られ、母と祖母に溺愛された。
父を、兄であるハロルドの事も、蔑むよう言われ、我が儘だった幼少期。
自らの立場が虚構だと知ったあの時。
長い幽閉に絶望し、死を望んだ時間。
なにより父の名を呼び捨て、助けを乞うた悪夢は未だアレックスを苦しめていた。
「アランドか...」
「...え?」
ヒューズの閉じられていた瞼が再び開き、その瞳はアレックスの姿を捉えていた。
「よく頑張ったな」
「い...いいえ」
予期せぬ労いの言葉。
その場にいた全ての人達は息をするのさえ忘れ、二人を見つめていた。
「...お前には、あれはアランドの罪では無かった」
「止めて下さい」
苦しそうに喘ぐヒューズの言葉。
アレックスは涙を堪え首を振った。
「アレックスは...私の父が幼少期に名乗っていた名だ」
「まさか?」
驚愕の事実にその場が凍る。
ヒューズが初めて明かす、アレックスの由来。
「父は領地の金を持ち逃げし、母と私を捨てた、母は絶望から命を断ち、私は孤児院に...そんな男の名を...すまない」
ヒューズの言葉が続いた。
「私はヒューズ様がつけて下さった、アレックスの名に誇りを持っていますから」
「...ありがとう」
震える手をアレックスが握る。
堪え切れない涙がアレックスの頬を濡らした。
「お前も...私の誇りだ」
「そんな...」
ヒューズの言葉にアレックス以外、全員が頷いた。
「ミッシェルは悲しい女だった」
「...はい」
「悲しくて、愚かで、流されるままに破滅した...」
「ええ」
アレックスとハロルドの脳裏に母ミッシェルの最後が浮かんだ。
今は王都にある墓地に一人眠るミッシェル。
その周りには誰の知り合いも居ない。
処刑されたミッシェルの母は、ハラウムと共に罪人墓地に埋められ、捨て置かれていた。
「だが、アイツは二つ、素晴らしい物を遺したよ...」
「それは?...」
「ハロルドと、お前だよ、アランド」
「ち...父上!!」
アレックスは思わずそう叫んでいた。
「話しは終わりだ、少し眠りたい」
「ありがとうございます」
後はミリスに任せ、家族は部屋を出る。
アレックスは肩を抱くサリーに小さく頷く。
その目に新たな決意が秘められていた。
ヒューズが息を引き取ったのは、一週間後だった。