第1話 仕方ない事
たまに毒を吐きたくなるのです。
ハミルトン領に戻って来た私は息子を実家に預け、懐かしい彼の家に向かう。
幼馴染みで、私の元婚約者ハラウムの元に。
「久しぶり、ミッシェル」
「一年振りね」
屋敷に着いた私をハラウムが迎えてくれた。
今年30になるハラウム、元気な顔に胸が熱くなる。
男爵の彼は領地を持たない貴族で代々ハミルトン公爵に仕えて来た家系。
しかし、今はハラウム商会を立ち上げ、すっかり商人が板についていた。
「子供は?」
「お母様に預けて来たから」
「そうか、アランドに会いたかったな」
残念そうに下の息子の名前を呼ぶハラウムだけど。
「ごめんなさい、ここに毎回連れて来るのは」
「分かってるさ、立場上露見しては大変だからね」
「次は連れて来るから」
主人が居るにも関わらず、別の男性宅に来る事自体不味い事。
「楽しみにしてるよ、今日はゆっくり出来るね」
「うん」
優しい瞳で私の肩を抱き寄せるハラウム。
既に私はハミルトン公爵の妻である事を忘れ、恋人に想いを寄せる一人の女に戻っていた。
「いつもありがとう」
一晩の逢瀬が終わり、私はハラウムの屋敷を出る。
別れ際に、王都から持って来た大量の注文書を手渡した。
これは全て王都にある王立医院から発注された医薬品の注文。
ハラウム商会が一手に引き受けていた。
「それじゃ」
「ええ...また」
ハラウムと別れ、待たせていた馬車に乗る。
熱い身体の疼きに幸せを感じつつ、実家へと馬車は向かう。
「良かったですね、お嬢様」
馭者を務めるサライが呟いた。
彼の家は代々ハミルトン家に仕えていて、私を幼少期から見てきた。
「...ありがとう」
「もう役目は果たされたのですから、お嬢様は一人の女性として、ハラウム様と幸せを掴まれては如何でしょう?」
サライの言葉に胸が苦しくなる。
そうしたいが、出来ないのだ。
「...でも」
「お嬢様、失礼を承知で申し上げます。
ヒューズは王立医院の医局長と言っても元々平民の出、ハミルトン公爵家の地位が目当てで無理やりお嬢様を」
「...分かってます」
夫のヒューズとは愛の無い結婚だった。
元々平民上がりのヒューズは、優れた医師として、王立医院に務めていた。
更なる出世の為、ハミルトン公爵の娘である私と婚姻した訳だが。
「そうですか、ではこれ以上は申し上げません」
「ごめんなさい」
私の事情を知るサライには悪いが、この話はここまでにして欲しい。
なぜなら、サライはヒューズを知らないのだ。
「ですが最後に、未だ妻も娶らず、お一人でお嬢様を待ち続けておられるハラウム様をお忘れなきよう」
最後に言ったサライの言葉。
確かにそうだ、ハラウムは私との婚約が破棄されても、ずっと一人なのだ。
あれほどの商会を営んでいるにも関わらず、彼は私をずっと...
ハラウムの気持ちに全身がまた熱くなるのを感じていた。
「ただいま帰りました」
「おかえりミッシェル」
実家の屋敷に戻るとお居間でお母様が私を迎えた。
結婚前と全く違う豪華な衣装、それは屋敷も。
私が嫁ぐ前とは全然違う。
壁紙も綺麗に貼り直され、売り捌いてしまった先祖伝来の調度品は再び並んでいた。
「アランドは?」
「使用人の子供達と楽しく遊んでますよ」
「そう、良かった」
解雇してしまった使用人も再び雇えた。
みんな喜んでいたっけ。
「ハラウムはどうでした?」
「元気そうだったわ」
「そうですか、あの方も今やハミルトン領一番の商会の代表ね、素晴らしい商才よ」
あの方か、昔はあの者か、あの男だったのに。
「...そうね」
お母様の変わり身の早さは昔と変わらない。
仕方ない、15年前にお父様が亡くなってハミルトン領は荒廃した。
貴族令嬢だったお母様は随分苦労を重ねたから。
「ねえミッシェル」
「なんでしょう?」
「貴女ハラウムと再婚しては?」
何を突然、10年前にハラウムと婚約を破棄させたのはお母様自身ではないか。
「いきなり何を」
「だってハラウムと貴女は元々幼馴染みで恋人だったでしょ?
身分も元男爵だから平民上がりのヒューズとは比べ物にならないわ」
「お母様...」
そのヒューズと結婚する話を見つけて来たのも、お母様の実家ではないか。
手のひら返しが酷い。
「そりゃ、ヒューズは私達にたくさんの援助をしてくれたけど、もう充分じゃないかしら?」
「それは...そうだけど」
ずっと一人身だったヒューズは私との婚姻に際し、貯めていた財産の大半をハミルトン家につぎ込んでくれた。
ハミルトン家の養子になる為と分かっていたが、本当に助かった。
更に飢饉に苦しむ領民の為、ヒューズは王都から農地改良の専門家まで手配してくれたのだ。
「ヒューズの為に跡取りも産んだでしょ、えーと...」
「ハロルドです」
孫の名前位覚えたら良いのに。
でも長男のハロルドは父親であるヒューズによく似て黒髪に黒い瞳。
それがお母様には気に入らなかったのだろう。
金髪碧眼のアランドと明らかに差をつけた。
そんなお母様にハロルドも嫌気が差したのだろう。
領地に来なくなり、7年もお母様と会っていない。
「そうそうハロルドね、あの子に男爵を授けて、アランドにハミルトン家を継がせるの、名案じゃない」
母上は自分の言葉に酔っている。
でも今のハミルトン公爵の力なら出来るだろう。
男爵の地位くらいなら王都で買えるし、だけど。
「ヒューズが一人になってしまうわ」
身寄りの無いヒューズ。
ハロルドは寄宿舎に入ったから、王都の屋敷は彼しか住んで居ない。
質素倹約な彼は私が嫁ぐまで使用人すら雇おうとしなかったくらいだ。
「ミッシェル、もう良いのよ、あの男だってハミルトン公爵家の力で医局長の地位になれたの。
貴女と別れても地位は安泰でしょ?
早く本当の家族と暮らしなさい、それが貴女の幸せなの」
本当にそうだろうか?
ヒューズの評判は王都で非常に高い。
ハミルトン公爵家の力なんか無くても医局長になれたのでは。
「血の繋がりが無い家族と暮らす事があの男にも幸せとは言えないから」
「そうね...分かった」
血の繋がりが無い。
確かにアランドと、ヒューズはそうだ。
それはヒューズ自身も気づいているだろう。
ハラウムの存在も...
これ以上、ヒューズを苦しめてはダメだ。
彼はまだ、38歳。
私なんかと別れて早く後添えを貰うべきなのだ。
見栄えも悪くないし、性格も穏やか、きっと引く手あまただろう。
「直ぐ手続きを進めるわね」
「宜しくお願いします」
お母様はどうやら手回しをしていた様だ。
そのまま私は王都に帰らず、ヒューズに離縁の書面と、ハミルトン家からの離籍届を送った。
「これは...」
その書面は半年後に届いた。
王印が捺された封書、そこには私の不義に対する告発と、ハラウム商会に対する一切の取り引き停止。
そしてハミルトン公爵家は変わらずヒューズが当主であると書かれていた。
「一体どういう事なんだミッシェル!!」
「あの男はなんて事を!!」
知らせを受け、真っ青な顔で飛んできたハラウムと怒りに顔を真っ赤に染めた母上。
そんな2人を見ながら、罰が下ったと実感する私だった。