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ごきげんよう勇者様。突然ですが、貴様を粛清する!

作者: invitro

「ああっ、勇者様、まだ幼い貴方を危険な旅に送り出さなければならない私たちの弱さをお許しください」


 聖女は自分よりも小さな男の子に頭を下げていた。

 その悲痛な顔には、魔王軍の侵攻が激化してきたことで、まだ修行中の幼い勇者に人類の命運を託してしまうことの後悔と謝罪が見える。


「だいじょうぶだよリリアン、ぼくは勇者だ。それにこんやく者のリリアンのためならどんなこんなんにだって立ち向かってみせる!」


 小さな男の子は祈りを捧げる聖女の頭を優しく撫でる。

 幼い少年の勇気に感動した聖女は、その豊満な胸に勇者を抱きしめると、勇者は年相応の男の子らしく顔を朱に染めてはにかんでみせた。


「じゃあ行ってくる」

「ええ、旅がつらくなったらいつでも帰ってきて。どんなに傷ついても私が貴方を癒すから」

「ありがとうリリアン、帰ったら結婚しようね」


 未来を祝福するかのような青空に響き渡る教会の鐘の音の中、聖女の涙を拭うと、幼い勇者は一度も振り返ることなく魔王討伐へと旅立った。



 * * *



 聖女と勇者の別れから二ヵ月後――

 王都の大聖堂では、聖女リリアンが先日魔王討伐の旅へ見送った年下の想い人の無事を祈っていた。

 想うは勇者エイル。聖女と勇者は婚約者であり、勇者が魔王を討伐した暁には結ばれることが国と教会によって決められている。


「さぁてと、今日の勇者様は」


 ようやく手に入れた神の祝福を受けし水晶に魔力を込めて勇者の姿を遠見する。

 リリアンの聖女としての役目は王都に結界を張り民を守る事。しかし彼女には“神眼の聖女”というもう一つの呼び名があった。

 神の眼と呼ばれるように、リリアンは神具を通じて世界を見ることができる千里眼という力の持ち主だった。

 リリアンは、エイルが五歳の時に勇者の力を覚醒させし者として教会に連れて来られてから五年間、大事に大事に自ら教育してきた。

 エイルの行方を視たくなってしまうのは女としても保護者としても仕方のないことだ、と自分に納得させ、二ヵ月ぶりのストーキングを開始する。






『無事かエイル!』


 魔狼、そう呼ばれる巨大なモンスターが倒れる場面だった。

 熊よりも二回りは大きな狼を一刀で切り伏せた戦士メイアは勇者に駆け寄る。


『ふえーん、いたいよぉメイアぁ』

『すまない私が目を離した隙に……』


 エイルはケガをしてメイアに抱きしめられていた。

 勇者の特性とは、周囲の仲間の潜在能力を限界以上に引き出すことだ。まだ十歳のエイルが戦闘で足手まといになってしまうのは仕方がない。

 王都の結界を預かるため外に出ることは許されないリリアンだが、自分が立場を押してついて行っていればケガを治してあげられたのにと臍を噛む。


『メイア……よろいが』


 筋肉質な女傑であるメイアに強く抱きしめられていたエイルが苦しそうに。


『ああっ、あたしってば……本当にすまない、がさつな女で……これじゃあエイルの護衛失格だな……』

(まったくよ。エイルは子供なのよ、もっと繊細に扱いなさいよ、この男女!)


 メイアが自分を卑下して暗い顔になる。

 国一番の戦士と名高いから勇者のパーティーに選ばれたのに、モンスターからエイルを守れないだけでなく自分の装備でエイルに傷をつけるメイアに、リリアンは水晶玉の向こうから憤慨していた。


『ううん、そんなことないよ。メイアに抱きしめられてるとママに抱きしめられてるみたいで安心する』

『あ、あたしが、ママだって!?』

『うん、メイア、いつも守ってくれてありがとう』


 エイルがメイアの胸当てに顔を押しつけた。

 メイアは全身を筋肉の鎧で覆う、超がつく大柄な女だ。胸はデカいと言われるが大半は筋肉で女扱いなどされたことがない。


『やめてくれよ。あたしはそんな柄じゃないって!』

『メイアは優しいし頼りになるよ? メイアが守ってくれるから、ぼくは旅を続けられるんだ。メイアママ、ずっとそばにいてね』

『本当に……あたしなんかがママでいいのかい?』


 エイルは王都に連れてこられる前に両親を亡くしている。

 そんなエイルにママと甘えられて、メイアはまんざらでもない様子だ。顔を真っ赤にして抱きしめ返していいのか迷っている。


(どうして? エイル、私以外の女にそんな……それにメイア、自分は女であることは捨てたとか言うから勇者の護衛に選んだのに!)


 一方、王都ではリリアンが神具を砕いてしまいそうな力で握りしめていた。

 エイルを抱きしめ慰め支えるのは自分の役目である。ずっとそう思っていたのに筋肉女にその立場を奪われた嫉妬がリリアンを襲う。


(いいえ、ダメよリリアン。怒ってはダメ。誰でもいいのよ、甘えるのなんて。エイルはまだ十歳、たまたま近くにいた大人にすがっただけよ。女神様は浮気なんて許さないもの)


『メイアママ……今日はこのまま一緒に寝て?』

『ああ、いつだってメイアママはエイルのそばにいてやる』

(ダアアアアアアァ! ふざけんなこの筋肉女ぁああああ!!!)



 その瞬間、遠見の水晶が真っ二つに割れた――



 * * *



「まさか神具を修理するのにこんな時間がかかるなんて」


 半年後、再び神の祝福を受けた水晶を手に入れたリリアンは、千里眼の儀式を行う祭壇へ上っていた。

 台座へ神具を置くその手は、以前の女性らしい細く真白な雪のような手ではなく、訓練された戦士のものになっている。王都の結界を張る以外に聖女の仕事などないのだが、リリアンは聖騎士と共に鍛錬の励むようになっていた。

 この日も、いつか自分がエイルを守れるようにと剣を振るってから儀式を行っている。


「はぁはぁ……さあ水晶よ、勇者エイルの姿を見せておくれ」


 治癒魔法でも追いつかない擦り傷を携えた手により薄っすらと赤い斑点のついた水晶玉に魔力を込める。






『エレイン、ぼくはもうだめだ、とおくに死んだ父さんと母さんが見える……』

『エイルしっかりして! 寝てはダメよ!!』

(え、うそ。エイルが死にかかってる!?)


 勇者一行は雪山の中にいた。

 吹雪で白く染まった世界、水晶に映るのは勇者と横になった勇者を抱きしめる魔法使いのエレインだけだ。


『あなたを絶対死なせないわ。雪の精霊よ、炎の精霊よ、私たちを守って!』


 エレインが呪文を唱えると雪と炎の結界が現れる。

 精霊の力によって生まれた雪のドームは吹雪を寄せつけず、氷点下だった空気は温められ暖かい春の気温を思い出させる。

 真っ青だったエイルの顔に赤みが差し、紫色だった唇も徐々に熱を取り戻しピンク色に戻っていった。


(ふぅ驚かせないでよ。確かに私にはこういう魔術は使えないからエレインがいてくれて助かったけど、できるならもっと早く助けなさいよ!!)


 リリアンは安堵と感謝と糾弾を同時に吐いた。


『あったかい、すごくあったかいよ……』

『ええ、魔法の結界を張ったからもう大丈夫』

『ううん、魔法の力じゃない。エレインがあったかいんだ』

『え、そんな、エイル』

『エレインお姉ちゃん……』


 エイルはそう言ってエレインの胸に顔を沈めた。

 メイアとは違い、少し脂肪のついた体つきに柔らかいローブ。女性らしい体をしたエレインに甘える姿にリリアンは言葉を失う。


(……以前は割れたガラスのような刺々しい女だったのに、一体どうして?)


 エレインは旅に出る前に年の離れた弟を魔物に殺されている。その復讐のためなら何でもすると言って勇者の仲間に選ばれた。それがいつの間にか普通の女の顔になっていた。


『ううう、お姉ちゃん、まだ寒いよ』

『ごめんね、これ以上は魔力が』

『お姉ちゃんも震えてる……ごめん、わがまま言って』

『じゃあ……今度はエイルがお姉ちゃんを温めてくれる?』


 エレインはローブを脱いだ。

 雪で湿った服では抱き合っていても体温が奪われる。ならば互いに肌を合わせていた方がいい。そうエイルにも裸になるように誘った。


(おいおいおい、こらこらこら! エレイン何言ってんの、×すよ?)


 リリアンの頭に聖女らしからぬ言葉が浮かんだ。

 ――がすぐに頭を振って否定する。


(ダメよリリアン。エレインはエイルを救うために厚意で言っているのよ)

『でも、裸なんてはずかしいよ』

『姉弟なのに何を恥ずかしがるの? 早くおいでエイル』

『……うん』


 マントを広げるエレインの腕の中にエイルが入っていく。 


『お姉ちゃん、女の人ってやわらかいんだね』

『ふふふ、もっとくっついていいのよ? ほらっ』

『うわっ!』

(ちょっとエイル、何してるの!! もっと抵抗して! あとそこの売女! 離れないとホントに××××××××××××!!!!)


 リリアンの手の中で、今度は遠見の水晶がバラバラに砕けた。



 * * *



「はぁ、どうして神具の新造ってこんな時間がかかるのかしら」


 気づけばあれから一年が経っていた。

 完全に粉砕された神具は修理不能で、新しい水晶玉が神の力を宿すまでに一年もの時間を要してしまった。


 焦る気持ちをどうにか抑えて水晶を儀式の台座へ設置する。

 リリアンが焦るのは、この一年間エイルの様子を見られなかったからではない。勇者一行と魔王軍の戦いが激化するにつれ、新しい僧侶が派遣されたからだ。


 その僧侶テレサは、かつてリリアンと聖女の立場を争った女。そしてメイアよりもエレインよりも危険を感じていた。何故ならテレサはリリアンに似ているからだ。

 高度な治癒魔法を習得し、大変女性らしい肉づきをした豊満な体も、教会で習った話し方や仕草も、リリアンを彷彿とさせる。故郷を恋しがるエイルが自分の代わりを求めてしまうのではないかとリリアンは心配で仕方なかった。


 次は壊さないように、水晶にそっと魔力を込める。






『はああああああああああ!!』


 水晶には、聖剣を持って悪魔を叩き斬るエイルが映っていた。


(きゃあああああ! エイルエイル私のエイル! かっこいいいい!!)


 エイルは最後に見た姿からはかなり成長し、聖剣を振り回す姿も一人前の戦士として様になっていた。

 斬り捨てた悪魔を一瞥し、メイアと並び次々とモンスターを屠っていく。悪魔の集団は瞬く間に全て退治されていった。

 勇者として成長した姿にメイアとエレインは少し寂しそうな顔をしている。


(もうあなた達はエイルを一方的に守る立場じゃない。エイルもようやく偽物の母親と姉を離れられたようね)


 リリアンはたくましくなったエイルを見て安心していた。しかし――


(……あら? でもこの人たち、女の顔してない? 薄汚い雌の顔をしてるわ)


 エイルが勇者としてたくましくカッコよくなれば、その一番近くで見ている女たちがエイルを男として見始めるのは当然のこと。リリアンの額に冷や汗が流れる。


『テレサ、無事か』

『ええ、すいません。聖女様の代わりに来たのに迷惑をかけてしまって……』


 エイルが真っ先に駆け寄ったのがメイアでもエレインでもなかったことに、一瞬喜びかけるが、その相手を見てリリアンの瞳孔が大きく開かれる。


『いや、テレサはいつも役に立ってくれている』

『そんなこと……ありません』

『君に必要なのは自分の力と魅力に気づくことだ――うっ』

『勇者様! お怪我を!?』


 テレサは慌ててエイルに治癒魔法をかけた。

 わずかに悪魔の爪で切られていた脇腹の傷が淡い光に包まれて治っていく。その温かい光にエイルは感嘆の息を吐いた。


『ほらね、君はいつも僕を救ってくれる』

『でもきっとリリアン様ならもっと速く完璧に……私は所詮聖女様の代用品で』

『ちがうっ! テレサはリリアンの代わりなんかじゃない!』


 エイルは怒鳴ってテレサを抱きしめた。

 まだ体が成長しきっていないエイルは、不格好でも慰めようと必死にテレサの背中に腕を回す。


(前からちょっと疑ってたけど……エイルって、女が欲しい言葉がわかるのかしら? なんだか天然ジゴロみたいになっているような……それに……)


 リリアンの眼には、テレサの豊満な胸を自分に押しつけ、エイルの鼻の下が少し伸びているように見えた。


(え、あれ? もしかして、私の知らないところでエイルが色を知って……なんてことは、ないわよね……? エイルはまだ純粋な私のエイルなのよね?)

『テレサ、リリアンはここにいない……いてくれない』

『それは王都の守護があるから』

『君が僕のそばにいてくれているのが重要なんだ。テレサ、ずっと僕のそばにいて、後ろで僕を支えてほしい。そうすれば君は僕が守るから』

『エイル……さま』


 テレサが大粒の涙を流し、エイルの背中を抱き返した。


(そんな! どうして、どうしてなのエイル! なんでそんな増長してしまったの! 私がそばにいないから悪いの!? ……いいえ、違うわよね。エイルは騙されているのね。そこにいる悪魔が化けた女どもに! エイル、どうか悪魔に惑わされないで!)

『テレサ……』

『エイルさま……』

(いやああああああ! やめてエイルぅううううううう!!)


 またしても遠見の水晶玉が、今度は跡形もなく粉々に砕け散った。



 * * *



「先に発注しておいてよかったわ」


 前回完全に水晶を破壊してしまった時に、もしもの事態を予想してリリアンは神具を複数注文していた。おかげで今度は半年たらずで新品の神具を手に入れることができた。


「エイルも男の子。勇者といっても性欲はある。押さなくてもベッドに自分から倒れるクソビッチが回りにいたら盛ってしまうのが男の子というもの。仕方がない、仕方がないの。あれは病気、男の発作なのよ。リリアン落ち着きなさい」


 丹田に力を込めてリリアンは深く呼吸をする。

 すでに魔力を込める前から水晶玉に亀裂を入れてしまった。聖女といえども神具のスペアをそう幾つも用意できない。

 リリアンは精神を落ちつけ、勇者を見守る慈愛を以って千里眼の儀式を行う。






 水晶に映ったのは、どこかリリアンの知らない国の宮殿だった。

 見た事のない金髪の縦ロールのドレス少女が膝をつき、王子らしき男と見慣れぬ祭服の少女が抱き合っている。

 何かの事件を解決した後のようだ。エイルは王子たちに感謝され、握手を求められる。


(エイルったら、国同士の付き合いまで考えられるようになったのね)


 リリアンはエイルの成長に喜び涙を流す。

 アベンスト教の勇者であるエイルだが、世界には別の神を信じる民族もいる。人類の敵である魔王と戦うには全ての国が力を合わせなればならない。エイルはそうした宗教上の理由で距離を取っていた国との繋ぎ役も担っているのだとリリアンは理解した。


『カティア、巫女に悪事を押しつけ、その立場から貶めようとした罪は重いぞ!』

『王子、その処罰は待つべきだ』


 高飛車風な貴族女に、王子からの沙汰が下ろうとした瞬間、エイルが割って入った。


『なぜだエイル、なぜ邪魔をする。君がカティアの罪を暴いたのだろう』

『元はと言えば婚約者であるカティアを蔑ろにした王子にも責任があるだろう。巫女が見つかったからと一方的に婚約を破棄するなんて』

『だが我らの婚約は形だけの』

『それは君がカティアを見ようとしなかっただけだ! どうして彼女の気持ちを理解して――』

『もういいのです! エイル様、それ以上私に恥をかかせないでくださいませ』


 少年エイルは何故か修羅場の真っただ中にいた。

 まだ13才になったばかりのはずなのに、恋愛巧者のような威厳を放ち、赤の他人の国の恋愛模様に説教をくれてやろうとしていた。


『バカな! 人を想う気持ちを理解しようとせず裁く国など許されるものか!』

『エイル様、ですが私は醜い感情に流されるまま巫女を』

『醜くなどない。王子を見つめる君は、いつも儚げで美しかった。そんな君を安い反抗心で一度も見ようとしなかった王子にこそ罪がある』


 リリアンには状況が読めていないが、エイルが見知らぬ女のため、他国に喧嘩を売っているのは分かった。

 あわあわと水晶の向こうで慌てるリリアン。しかし、どういうわけか周囲はエイルの話に感動したようで、カティアと呼ばれた貴族令嬢は無罪放免となった。

 気づけば大所帯となっている勇者一行は、しばらくその国に留まり、軍事の連携や魔法の研究などの話し合いをするようだった。


(というか、いつあんなに仲間を増やしたの? それも女ばっかり……)


 エイルと共に行動するのは、女戦士メイア、魔法使いエレイン、僧侶テレサ……だけでなく、リリアンの知らない女が十人ほど増えていた。


『本日は私のパーティーに参加下さりありがとうございます』


 何日かして国を立とうという時、エイルに救われた貴族令嬢が慰労と壮行会を兼ねたパーティーを開いた。


『ねぇ、エイル様。魔王を倒した後はどうなさるの?』

『国に帰るよ。婚約者もいるし』

『その……噂で聞いたのですけど、その方は私達より結構年上なのですよね?』


 パキン――水晶に亀裂が入った。


『もし魔王がいなくなれば、もう聖女に価値などありません。でしたらこの国に帰って――この国をエイル様の帰る場所にいたしませんか!』

(なんなのこの女? 王子に振られたばかりなんでしょう。もうエイルに乗り換えようっていうの? ダメよエイル、そんな×××に騙されては!!)


 突然誘惑しはじめた少女を見て、水晶玉の向こうから大声で叫んだ。

 しかしエイルにリリアンの声は聞こえない。遠見の神具は見るだけの道具だ。遠くにいる誰かと気持ちを繋げる道具ではない。


『でもリリアンを裏切るなんて――』

(ああ、エイルっ。まだちゃんと私のことを……)


 すでにエイルが裏切っているのではないかという疑惑は忘れ、エイルの横顔に見入る。


『私ならエイル様と年も変わりません! それに重婚も認められています! エイル様がお仲間の方々を大切に想っていることは存じております。ならば、やはりこの国に帰るべきです!』

『……………………たしかに、そうかもしれない』

『エイル様、分かっていただけたのですね』


 リリアンのアベンスト教では、一夫多妻は認められない。

 たとえ王族であっても妻は最大で二人までと厳しい。現在リリアンの恋敵が何人いるかは不明だが、エイルが母国へ帰還すればその多くは涙を飲むことになる。

 エイルも国教の教義は何年もかけてリリアンから厳しく教わっているはず――しかし、苦悶の表情こそ浮かべてはいたが最終的にカティアの言葉に頷いた。


(なんで! どうしてなのエイル! 私よりも他の女を取るというの!)


 両手で遠見の水晶をがっちりと掴む。


(英雄色を好む、なんては言うけれど、勇者たる者すべからく民衆の範たるべし。そうよ、エイルが股の緩い女なんかを選ぶなんて有り得ない!! 在り得ないあり得ない有りえないありえないアリエナイ! エイルは私を愛している。私もエイルを愛している! 他の女は遊び、害獣、病気、いつか私のところへ帰ってくるのよ!! 二人は結ばれる運命、それは絶対に変わらない! 運命が狂うことは許されないはずよ!!)


 力み過ぎた爪からは血の色が失せ真っ白になるほどだった。

 しかし、今回は水晶が砕けない。リリアンが過剰なほどの魔力を込めているからだ。そして更に、人間が最も魔力を宿す二つのものである血と涙が混ざった液体がリリアンの眼からこぼれ神具の上に落ちると――


「え、なっなに?」


 リリアンの血涙を受けた神具が輝きだした。

 千里眼の儀式場に、かつて地上にない膨大な光が満ちる。


「この光は――――――神!?」



 * * *



 リリアンの国教で祀られる者、その名を平等の上に立つ者アベンスト、またの名を愛と誠実の女神アベンストという。

 リリアンたちは、古の時代にアベンストが残した「怨恨というものは神の手により返されるべきもの。神罰を恐れるならば、愛し子の平等平和を見守ろう」という神託に従っている。そして、


 二心を抱くなら神に問え。

 二心を致した後なら神の裁きを待て。

 悪は必ず神の手により裁かれる。


 という教えの下、アベンスト教の高位聖職者が悪を裁く代行者を担っている訳だが、実際に神の姿を見ることが許された者は、直接謁見の叶った者はいない。いや、この瞬間までいなかった。


「我が誠実なる信徒リリアンよ」

「ははぁー」


 白い光の世界で、何故かリリアンは眩しさを感じることなく目を開けられた。

 声の方へ体を向けると一人の美しい女が立っている。聖女はすぐに相手が女神だと気づきその場に跪いた。


「其方の信仰、其方の愛が、私にまで伝わってきました。ですが、どうやら其方の伴侶には信仰が足りていないようです。あの者では魔王を倒すことは難しいかもしれません」


 エイルに対する女神の叱責に、リリアンは顔面蒼白となる。

 最愛の人が主神に罪人の烙印を捺されたら、聖女と勇者が結ばれる未来はなくなってしまう。


「エイルは正真正銘の勇者です。その能力に女たちがコバエのように集るとしても幼いエイルに毒の誘惑を退ける力はありません。ですがそれはエイルの罪ではありません。勇者として成長する前に送り出してしまった私の責任なのです!」


 女神は無言のまま威圧感だけを与えてくる。

 自分にエイルの一時の過ち(不貞)を被ることはできるのか。そしてその罪を償うにはどうしたらいいのか。リリアンは女神に問う。


「私は、勇者を正しく導けなかった罪をどうしたら……」

「……足りないのです」


 女神の答えに、跪いたまま疑問を浮かべる。


「勇者からの依存が足りないのです」

「依存……」

「女はただ男を受け入れ癒しを与えるだけの家ではいけません。愚かな男を導く道までも用意してあげなければなりません」

「おお、なんと尊い教えを」


 頭上から押しつけるような圧迫感が消える。

 リリアンの前には痛々しさを感じさせる鋼の茨を纏った錫杖が現れていた。


「これ、は?」

「聖女リリアン……其方にこのアベンストが持つ裁きの杖を授けましょう」


 新たな神具を下賜され、リリアンが真の使徒となった瞬間だった。


「その杖は、愛する者の裏切りを受け止める度に力を増す杖です」

(つまり……私は試されている? 私の愛がエイルの罪を浄化する。これまでのエイルの過ちは全て私のための試練だっと証明しなければならないのですね)


 リリアンはまだエイルに会いに行けない。エイルの周囲にいる女にも手を出せない。毒虫に制裁を加えることは許されない。最愛の人を寝取られ復讐するのは愛ではない。諦めず何度でも愛を教えることが純愛なのだ。

 エイルの罪(不貞)を全てを受け止める強さを身につけた時、はじめてリリアンは女神から勇者エイルと結ばれることを許されるのだ。

 女神の神託をそのように受け取った。


「我が意志の代行者リリアンよ、世界に真実の愛を見せしめなさい」

「ははぁ」


 世界から光が消えていく。

 気づけばリリアンは元の千里眼の儀式を行う祭壇に戻っていた。

 まぼろしだったのだろうか――そう思うが、リリアンの手の中には確かに女神から授かった神具が鈍い光を反射していた。

 リリアンは神に選ばれ、神と共感したのだ。


「エイルが最後に帰ってくる場所は私の胸の中、疑ってはならない。そうなのですね、アベンスト様……」


 心の中の女神が微笑んだ気がした。

 壊れたはずの遠見の水晶玉が元通りに復活していることを確認し、リリアンは再び魔力を込める。


 女神との邂逅を果たした以後も、聖女はリリアンは千里眼の祭壇に籠り、勇者エイルの旅路を見守り、無事の祈りを捧げていたが、その顔はいつも穏やかであった。

 そして時は経ち――






「クハハハ、勇者の力とはその程度かッ!」


 エイルたち勇者一行は魔王へと戦いを挑んでいた。

 リリアンの待つ王都を旅立った時は三人しかいなかったエイルの仲間も、いつしか三十人を超え、小さな軍隊となっている。


 しかしそれでも尚、魔王の力には遠く及ばなかった。

 すでに仲間は死に瀕している。メイアは魔王の剣に倒され、エレインの魔法では魔王の操る地獄の業火を防げず、テレサの治癒魔法は仲間を癒すのに間に合わない。

 決着はつき、全てが終わろうとしていた。


「そうはさせませんっ!」


 魔王の間に現れたのは白い法衣に身を包み、神々しさと禍々しさを兼ね備えた錫杖を持つ女だ。


「リ、リリアン……なの?」

「ごきげんよう勇者様。突然ですが、貴様を粛正する!」


 優雅に祭服の裾を持ち上げて一礼した後、リリアンは裁きの杖を振るう。

 相手は魔王、亜神にも数えられる世界最強の男だ。

 魔王は勇者の仲間を悉く打ちのめした魔剣を以って受け止めようと――しかし、裁きの杖の勢いは止められず、魔剣は折れ、魔王の頭蓋は粉砕された。


 たった一振りで魔王は葬られた。それまで勇者たちを一方的になぶっていた魔王は、断末魔を上げる暇さえなく肉片となりこの世から消滅したのだ。

 勇者たちは魔王が消え去った事実に歓喜するよりも、新たな絶対者の登場に震えていた。


「どどど、どうしてここに?」

「知りませんでした? 人の恋路を邪魔する輩はアベンスト様に叩かれて死んでしまうんですよ?」

「リリアンは結界を張るために王都から出られないはずじゃ……」

「悪しきを浄化する神敵撲滅は聖女の最優先事項です♪」

「……聖女様がなさったのは撲滅というより撲殺では」

「あら? ここはハエがうるさいわね」

「ひぃっ」


 すでにリリアンの耳には、他の女の声は聞こえなくなっていた。耳元でぶんぶんと飛ぶ鬱陶しい小虫を払うように錫杖を地面に叩きつける。


 決して浮気を許さないアベンスト教の教義と、聖女が勇者の婚約者であると知るエイルの仲間たちの顔から血の気が引いていった。魔王にやられ癒えぬ傷のまま生まれたばかりの小蜘蛛のようにリリアンから逃げる。

 数年ぶりに最愛の人と会えた悦びで、うっとりとした恍惚の笑みを浮かべるリリアンの視線に射抜かれたエイルだけが、這うことすらできずにその場で動けなくなっていた。


「は、は……はっはっ……はっ」

「もしかして私に会えた嬉しさで昂ってしまったのかしら……ほら、呼吸を落ちつけて」


 恐怖で瞳孔が開き過呼吸になっていたエイルを、リリアンは治癒魔法で強制的に落ち着かせる。


「大丈夫よエイル。全部、私はぜーんぶ(・・・・)わかってるから」

「ッ!?!?」

「あっまた、どうしたのエイル!」


 エイルが再びパニックを起こした。

 リリアンは半狂乱になって逃げようと暴れるエイルを胸の中に押さえ、何度でも治癒魔法をかける。

 魔王に負けたショックが大きく、まだ魔王が死んだという現実に頭が追いつかないのだろう――魔王は死に、自分が助けに来たと理解させるため、リリアンはエイルを抱擁する腕により一層強く力を込めた。抵抗をやめ大人しくなってから、涙と鼻水でくしゃくちゃになった顔を優しく拭ってやる。


「……り……あ……ああ、あ……」

「私はここにいるわよ、ゆっくりでいいから落ち着いて」


 エイルは瞳から光を失ったままだが、どうにかリリアンの姿を捉えていた。何かを言おうとしては声が出なくなり口を閉じる。音のならない声がかすかな吐息となって消えていく。

 絶対に次に口にする言葉を間違えられない。まるで命がかかっているかのような切迫した顔に見える。

 王の間の隅にまで逃げた女たちも、祈るように両手を合わせ固唾を飲んで見守っていた。エイルの言葉次第では自分たちが次の粛清対象になるかもしれない、と。


「リ、リリアン……」

「なぁにエイル」

「……………………結婚、しよう」

「ふふ、よくできました。おかえり、わたしのエイル……」


 リリアンは優しく頭を撫で、エイルと口づけを交わした――



 * * *



 聖女は結界の役目を終えて教会に縛られることもなく、勇者は魔王討伐の旅を終えて国に帰ることを許された。二人の行く手を遮る障害はもはやなにもない。聖女リリアンと勇者エイルは祖国へ帰るとすぐに華燭の典を挙げる事となった。


 いつも教会の奥で独り孤独に泣いていた聖女の顔には笑顔が溢れ、行く先々で鮮烈な伝説を残した勇者は安息を得て寡黙で物静かな少年に成長して帰ってきた。

 王都住民の万雷の拍手と大聖堂の清らかなる鐘の音は、そんな二人の献身に感謝と祝福を乗せ、いつまでも澄んだ青空へ鳴り続けていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] う〜ん、これは純愛だな。間違いない。
[一言] 魔王瞬殺。 まあでも聖女様美人だろうし、勇者良かったじゃん(棒)。
[良い点] 魔王も勇者の浮気に殺されるとは思うまい [気になる点] 勇者、旅の間の火遊びの罰を受けてませんね。 「一生、頭が上がらない」は罰になるのだろうか。
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