命の価値
お前たちは哀れだ。
籠から引っ張り出した鶏をフックにかけながらそんなことを思う。
ここに運ばれてくる鶏は生まれてから3か月程度でその命が終わる。自分はその手伝いをしている。
何も知らずに生まれてくるのはどんな生き物にも言えることだが、コイツらは自由を知らない。
生まれてから死ぬまで常に人間の監視下に置かれある日突然狭い箱に押し込まれる。次に籠から出るときはそれが経済動物の最後となる。
お前らはもっと怒っていいよ。
籠から引っ張りがした鶏が暴れる。3キロ程度の体重だが暴れられると掴んでる手にも負担になる。つかむ手だけでなく肩にまで力が伝わってくる。
最後の抵抗だ。
だがそれもフックに足をかけるまでだ。フックにかけられたら、もう暴れても逃げることはできない。
かけられた鳥が流れていく。壁の向こうに。
次は首だ。血抜き。この工程で鶏はいよいよ死ぬ。3か月の命の最後。
一日に何万羽もの鶏がここで殺されて肉に変わる。肉になるために育てられ、ここで肉になって出荷されていく。
出荷され、その先で値札がつく。子供の小遣いで買える程度のただの肉として。商品として。私達が鶏をどう見ているのか、それが数字となって表れる。人間の一方的な価値観だ。だが、それが少し前まで生きていたと意識する者はあまりいない。私達が気にするのはいつも値段なのだ。
自分の財布とそこに並んでいる商品の値段を見比べて安いものを選んで買っていく。できるだけ安く。できるだけ多く。それを手に取るときどれだけの者が想像するだろうか。それが生きていた事を、それを加工した作業員がいることを。それが人間のために一方的に殺されたことを。消費者がそれを安く済ませようとしていることを。
それが私達が見ている命の価値なのだ。
数字にした途端に命からただの肉になる。
鶏だけじゃない。
豚も牛も。
私達が食べるために。
私達が生きるために。
私達のお金のために。
私達は動物を殺している。
君たちが私達を必要としているのではい。
私達に君たちが必要なのだ。
それなのに私達は君たちを安く済まそうとしている。
自由なんてないのに。
怖いのに。
首を切られるのは痛いのに。
変えることのできる生き方ではないけど君たちは怒っていいと私は思う。