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「ダンディズム」に生くる
高貴たらんとする者は、反骨の魂を持たねばならぬ。何故ならば、近代の病理を引き摺った大衆社会は、得てして醜悪だからである。
高貴たらんとする者は、慎み深さを体現しなければならぬ。何故ならば禁欲的、克己的である存在そのものが、時代に対する美意識の反逆であり、非難だからである。
高貴たらんとする者は、美の観念と思索を求め続けなくてはならぬ。何故ならば彼は、「陶酔の為の陶酔」を断じて許す訳にはいかないからである。
高貴たらんとする者は、美を演じなければならぬ。何故ならば彼は、彼自身の精神に酔わなければならないからである。
高貴たらんとする者は、高貴たらんとしなければならぬ。何故ならば、対象に恋い焦がれ、求めようとする態度そのものが、つまりは対象であるということだからである。
皇紀2679年5月4日