兄妹。
・兄妹。
「なんか、ヘンな気分。私達、あの舞台で対戦しているのよね」
「ああ。宿命とも云える程の好敵手としてこの場に居る」
「大げさよ」
「そんな事は無いぜ。俺たちは敵同士なのだから。その関係は変わっていないだろう」
ツヴァイリヒトの手から俺は悪離馬を受け取った。異なる体温の温もりが柄に残っていて、握った掌に伝わるあたたかさがとても愛しかった。やはり、ボロックスを前にすると俺は散々に乱される。
「一寸聞きたいのだが、その腰の刀。元からお前のモノか? 」
悪離馬の違和感、ツヴァイリヒトの短刀の震え。この二つが関係する事象に俺は心当たりがあった。が、確信には至らない。それ故、何故、どのようにしてツヴァイリヒトがそれを有したのか、俺には知る必要があった。
「違うわ。貰ったの」
俺はさらに問う。
「貰った? 誰からだ? 」
「先生からよ」
「センセイ? 」
「私に闘い方を教えてくれた先生から貰ったのよ」
足踏み状態からの脱却を得る答えだ。前進か後退か分からないが、少なくともこの場からは動くことが出来る。俺は投げ捨て、地面に転がったままの鞘を拾いに向かった。白い空間に取り残された鞘が、俺には孤独の象徴に思えた。刀身と鞘。互いに補うべき関係。俺はこの白鞘を真っ先に捨ててきたことを恥じた。
― 抜刀術。居合抜きの先生、か。
思い当たる人物が居た。だが、まだ確信は出来ない。俺は片手に悪離馬、もう片手に白鞘を持ち、ツヴァイリヒトを見た。ツヴァイリヒトは青い瞳で手にした短刀を見つめている。表情に陰りが見え、何かを思い出している様子だ。
「そういえばこの匂い。二階堂君の匂いは先生に似ているような………。 」
「ツヴァイリヒト。その先生の名を教えてくれ」
俺はボロックスの思考を遮るように訊ねた。悪離馬を鞘にしまう際、わずかに拒否するような素振りを見せたが、それは悪離馬が確信している表れだと思う。ならば、あとは俺の推測を確信にするだけだ。
「さあて、ね」
俺の問いに口ごもるツヴァイリヒト。
「言えないのか? 」
「分からないのよ。突然現れて、ふと居なくなったから」
「無責任な奴なんだな」
「違う! 言えない理由があったんだ!」
冷静なツヴァイリヒトは一転し、噛み付きそうな勢いで言った。
「先生が居なかったら、私は此処に居ない。爪も牙も無い半端な私が生きてこられたのは先生のお陰なの! 」
「爪牙が無い? 」
身のこなし、耳介は狼系獣人の特徴を示し、銀髪、碧眼は父親である狼人“銀”に類似している。そんなボロックスに爪牙が無いのとは考えもしなかった。
「事故で父さんが死んだ。母さんは私を育てる為、無理を続けたの。でも、人間の身体はそれ程強くは無い。だから……。 」
口を閉じるボロックス。俺はそれで構わなかった。言う必要は無いし、困窮した母の死際など、聞きたくもない。
「そうか」
俺は目の前にいるはずのない宿敵を見つめる。
― 爪、牙の無い半端者な狼系獣人の少女。母の面影を十分に宿した義妹。そして、名を語らずに抜刀術と短刀を授けた先生の存在。
「あと、一歩だ」
「え? ナニ? 」
「つまらん事だ。関係ない」
俺はボロックスと向き合った。適当な距離をとり、左手に悪離馬を持ち、柄に右手を添えた。
「さて、頃合いだ。勝負再開といこうか。皆さんがお待ちかねだ」
ボロックスが顔を上げる。銀髪、瞳、鼻、唇、そして耳。不思議と全てが愛おしく思えた。俺は居合抜きの型で身構える。
「最後にもう一つ、聞きたい」
「ナニ? 」
「その刀、名はあるのか? 」
「うん」
「教えてくれ」
「時意留よ」
「ジイル、か」
俺は思わず呟いた。期待通りの答えが聞け、俺は全てに納得をする。宿敵の姿が明確になると同時に、緊張が解けた安堵の溜息がでた。それは腹の底にあった蟠りをすべて吐き出していくように感じられた。
「そうか。やはり時意留か」
父が鍛えた兄弟刀、悪離馬と時意留。俺は幼少の頃、悪離馬を継いだ。その際、掛けられた言葉を思い出す。悪と離れ、馬のように駆ける、だから悪離馬だと。
「はははは。親父の奴、ずるいぜ」
突然笑い出した俺をボロックスは面白そうな目で見つめる。
「時意留の事、知っているの? 二階堂君。ねえ、なにがそんなに可笑しいのかな? 」
知っている、と言いかけた言葉を、俺は呑み込んだ。
「いや、やっぱり知らんし、全然面白くも無い」
「へーんなの」
ボロックスが笑った。その笑顔が記憶の母と重なる。義妹は銀髪碧眼であるが、母によく似ている。もう、訊ねる事は何も無い。迷い、偽る必要もない。全てが俺の独り善がりであった事を知る。
「さあ。来な。居合で勝負だ」
「その刀で? 居合勝負? 」
ボロックスの驚きも当然だろう。俺だって今まではそう確信していたのだから
「二階堂家をなめるな。悪離馬を舐めるな。義兄を舐めるな」
「え? オニ? 今、ナンて言ったの? 」
「悪離馬と二階堂家伝来の技に負けは無い。格の違いを見せる、と言った」
「そう。じゃあ、存分にヤリましょう」
ボロックスが構えた。左手を鞘に、右手を柄に添える。やはり俺の型と同じだった。
― 直刀に居合は不向き、か。
そんな勝手な思い込みが俺の視野を狭めていたのだと今更になって気が付く。父から叩き込まれた抜刀術は悪離馬には不適だと判断し、俺は封印してきた。長い直刀に適したのは正眼の構えである事に間違いは無い。隙が無く実践的だ。だが、本当にそうなのか?
「行くよっ」
視界からボロックスの姿が消えた。俺は目を見開き、耳を広げ、皮膚の感触を研ぎ澄ます。遅い。俺は構えもせず、悪離馬を抜きもしなかった。身を反らし、刃を躱す。ボロックスが起こす風が頬を掠めた。
俺は足を滑らせるように動かし、少しだけ、離れた。
「すごいわね」
ボロックスが時意留を鞘に戻す。そして、再び、身構えた。
「もう一度」
「ああ」
俺も身構える。同じ型に驚いたのか、ボロックスの動きが止まった。
従者に妻を寝取られた家長の所為で、地に落ちた二階堂家の名声。親父はそれを恥じて姿を消した。そう思いこんでいた。だから、俺はその名を再び高める為に切りまくった。その最後の相手がボロックスだった。
― ただ、踊らされていただけ、か。
そうだ。俺は踊らされていただけなのだ。評価や醜聞、他人の顔色に。そんなツマラナイ事に惑わされず、信念のままに生きる事が正義だ。その正義こそが“誇り”なのだ。親父は誇りをもって、ボロックスを指導したのだろう。
もし、大切したい気持ちを“誇り”というのなら、俺はこの銀髪の義妹を大切にしたい。過去は変えられないが、唯一の家族として、寄り添って生きていきたいと思った。その為に、この場で帳尻を合わせるとしよう。
混沌の社会で悪鬼は強大だ。強大な力は弱者を従わせ、秩序を作る。秩序は法となり、規則となり、常識となる。常識は他者との比較を強要し、優越を求める。優越は強者と弱者を正と悪とする。そして、ヒトは正へと駆け出す。
― 無意味な世界だ。
だが、悪離馬は悪鬼を遠ざける業物だ。そして、自由な馬のように駆ける事が出来る。
俺は目を閉じた。軽く息を吸い込み、大きく吐き出す。目を開くと、静かだった。俺と、正面のボロックスだけが存在している全てだった。
俺はボロックスに駆けた。見えるよりも、考えるよりも早く身体が動き、影を潜り抜ける。そして悪離馬を抜いた。