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福音。

・福音。


「それで、試合はどうなりましたか? 続きを聞かせて下さい」


 そっ、と彼の手が私の手に触れた。


「先輩。試合の続きを話して貰えますか? 俺は結末を知りたい」


 彼の手から伝わる温もりが、私を優しく包んでくれる。私の中で凍てついた時間が溶け始める。


「そ、そうね」


 潰された心臓が放たれ、圧迫感が吹っ飛んだ。頬は涙が蒸発する程に火照り、声が裏返った。上ずり、裏返った声では動揺、赤面は隠しようも無く、根元から萎れていた両耳も一気にMAXまで跳ね上がってしまう。


「えー、っと。そうだった。そ、それからね、彼女跳ね起きたのネ、びよーん、と。でも、手にネ、刀が無かったの。で、刀は何処だって、ネ。周囲を見渡すの。だって、普通、そ、そうなるでしょ。そしたら、その彼女の刀ネ、バ、バフォメットのココ、此処に刺さっていたの」


 心臓が暴動を起こし、身体中の血管が悲鳴を上げる。髪先、爪先の血管にまで激しく血流を感じる。各細胞の発する熱で昇天し、脳細胞が焦げかかった私は、彼の掌から手を引き抜き、そのまま額に当てる。両手をグーにして、幼稚園児のお遊戯程度のジャスチェーを繰り出す。ハッキリ言って、挙動不審者だ。


「ここ、此処にブサリ、こっちからニョキリ突き出していてね」


 ニヤリ、と彼が笑った。


「先輩。ジェスチャーが可愛い過ぎですよ」


 目の前に彼の屈託の無い、素の笑顔があった。



何度、どん底を経験しただろう。その度に深い闇の中でのたうち回る自分を想像した。

何回、空を飛んだのだろう。喜びのあまり、天井に頭をぶつけ、痛みに痺れた事も二三度ある。その度に、天井の無い空を想像した。



今まで何度、恋愛をしてきたのだろうか?

これから何回、成就するのだろうか?

それは分から無い。

ただ、私はやすらぎ、幸福感に満ちている。

上、横、斜め。全てが解放され、温かくて心地よい。時間が失せたように静かだ。爪先から髪の先まで優しい何かで貫かれ、痺れている。

幸せすぎて表現できない。



「そう? でね、彼女が刀を取り返そうとバフォメットを追いかけるんだけれど、バフォメットが捕まらないの。奴の回復力とタフネスは半端じゃないわね。そして、動きも流石だったわ。狼系獣人の速さに負けていないのだもの」


 それからの私は饒舌になった。高揚感を抑えきれず、話せば、話すほど幸福感に包まれる。


「クラリスが手伝って、追いかけたんだけれど、どう考えてもクラリスじゃ無理よね。牛歩+方向音痴の彼女がウルフガールより早い筈、無いじゃない。彼女って、本当に親切よ」

 

はい、そう思います。と、適所で聞こえる彼の相槌が、私の饒舌を加速させた。


「だけれど此処で急展開があります。意外な伏兵が現れるの、誰だと思う? それはね、イーサーちゃんよ。あの、クラリスが連れてきた迷子ちゃんが伏兵だったの。え? 知らない? ああ、そうか。和十君は知らないか。あのね、イーサーちゃんって子はね、」

 

試合内容から反れた話でも彼はにこやかに聞いてくれた。だから、増々楽しくなる。嬉々と話続けることができる。私の幸福は続いているのだ。


「そのイーサーちゃんがコロシアムに上がっちゃたのよ。クラリスの手伝いを、と思ったのでしょうね。舞台は何でもアリの、ルール無用の武闘会。そんな試合だから第三者が現れても違反では無いのだけれど、やっぱり危ないじゃない? クラリスも『危ないから降りて! 』って何度も言っていたわ。でも、その度に『大丈夫! お姉ちゃん、任せて! 』って、イーサーちゃんはホント、クラリスが好きなのね」


 『好き』この一言を口にしたとき、私は思わず彼の目を見てしまった。あわてて目を逸らして、話を続けた。だけれど、この気持ちを逸らす事は出来ない。


「さっきも言ったけど、クラリスは牛歩。鈍間なりに頑張っているのだけれど、イーサーちゃんに全然追いつけないの。結局、逆に見兼ねたツヴァイリヒトがイーサーちゃんを捕まえたのよ。でも実際、彼女も心配していたと思うのよね、小さな伏兵さんを」


 私はホンの少しだけ、デル・ツヴァイリヒト・ボロックスを褒めてあげた。この件に対し、私の意地悪心からも、不満は無い。


「ツヴァイリヒトはあっさりとイーサーちゃんを捕まえたわ。怪我をする前で本当に良かった。

それで、クラリスがぎゅーとイーサーちゃんを抱きしめた時、ツヴァイリヒトは何かを感じたのね。表情に驚きがあったもの」


「ツヴァイリヒトが何に驚いたのか、分かりますか? 」

 

高揚している状態での錯覚かもしれないが、彼の口ぶりから彼女への執着心が消えたように思える。もう、私の顔は歪みっぱなしだった。


「残念だけれどそれは分からないわ。私は当人では無いのだからね」


ウインクもばっちり決まる。嫉妬心、妬み、意地悪は消えたのだ。そんなモノは存在しなかったとすら思える。あんなモノは世界に必要では無い。


「ただ、あの表情は予期せぬモノに触れた驚き、もしくは予期していた事を確信した驚き、そんな表情だったカナ」


 だから、すんなりと感じた思いを口にできる。装いの言葉など不要だった。


「予期せぬ驚き、確信した驚き、ですか……… 。よく分からないな」


 分からない、分かってくれない、それはお前もだ! とツッコミを入れるタイミングだったが、流石にハイウェイスター状態の私でも、躊躇する。自分に若干の理性が残っているのが安心でもあったし、憎くもあった。


「では、先輩の推測を聞かせて下さい」


「推測? 推測って、何の? 」


「原因の推測ですよ。ツヴァイリヒトは何に驚いたのか? 」


「イーサーちゃんかな」

 

考える前にポロリと出た言葉に驚く事もある。どうせポロリなら、『好き』という二文字の方が良かった。


「もしくは、バフォメットかな。頭部に刀を突きさしたヒトが動くなんて、想像もつかないわ」


 ポロリ言葉を慌てて誤魔化す。誤魔化す必要など全くないのだが、いやある。いや、うーん。とにかく誤魔化す。


「キング・バフォメトが原因か。確かにそんな気もしますね」

 

しみじみと言った。あの変態デビルを知るヒトの言葉は大抵、一致する。


「アイツは相当にヘンよ。稀に見る異常者よ」


 私達は会話を続けた。その間の私達の距離、口から出る一語一句で私の想いは一層強くなる。


「イーサーちゃんをコロシアムの外へ出した途端、激しい雷がバフォメットの頭上に突き刺さったわ。その際、バフォメットは『ピギャー』って叫んだの。観客もドン引きするほどの絶叫だったわ。

もう、瞬時にコロシアム全体が白けてね、毎試合コレだもの。ずずーん、とした沈黙が広がったわ」


「ははは、」


「でもね、何処かの誰かがクスリ、って笑ったの。そうしたらさ、観客席のあっち、こっちがくすくす笑い出してね、最終的にはゲラゲラ大爆笑。コロシアムの上の二人も笑い転げていたんだけれど、試合は継続中。そんな状況を理解したのよね。ツヴァイリヒトさんが倒れた黒焦げバフォメットに近づいてね、突き刺さった刀を回収したわ。で、試合が再開。だけれど、すぐに終了よ」


「ツヴァイリヒトの居合が決まったのですね。ガードの弱い箇所は多々ありますからね。喉とか、手首を狙ったのでしょう」


 和十君が和んだ笑顔で私を見つめる。本当に良い展開だ。このまま、ずっと見ていたい。私は結果を伝える事を躊躇った。が、嘘は付けないし、約束だ。


「違うわ。刀の回収後、すぐにツヴァイリヒトさんが棄権したのよ。きっと落雷の衝撃で刀に何らかのダメージが有ったのよね。ま、これも推測だけれど。でも、狼系獣人なのだから、刀が無くても戦えたと思うけれどな」


「ボロックスは自意留が無ければ駄目です」


 和十君の表情は一転し、険しくなった。変貌した彼は震えるほど、拳を握りしめる。


「そ、そうなんだ。とにかく、M・J・クラリスの優勝が決定したわ。あのコ、相当なラッキーガールよ」


「落雷程度で時意留が狂う筈が無い。何か、他に理由がある筈です、ボロックスが棄権した理由が気になるな」


― また、ボロックス、って呼んだ………。


 彼の言葉に胸がチクリと痛む。


「それでね、決勝戦の報告はこれでお終い」


これで決勝戦報告は終了する。これ以上、彼と話すことは何も無い。だが、私は彼の傍に佇んでいた。聞きたい言葉と伝えたい言葉が喉元に閊えている。


「あのさ、和十君はツヴァイリヒトさんと親しいのカナ? 」

 

言葉が心のガードの、微かな隙間を潜り抜けてしまった。無覚醒状態の呟きに私は慌てた。


「良ければ、君と彼女の関係を教えてくれないカナ? イヤ、別に嫌だったら、別に言わなくても、サ、あれ、何を言ってんだろう、私」


 しどろもどろに『私、あれ、私』と繰り返す私と、激しくなる鼓動、熱くなる顔。二度も三度も飛びあがってしまう両耳を胡麻化す事も不可能だ。

私は身体を強張らせ、うつむき目を床に落とした。


― 私って恰好、悪い。


 本気で泣きたくなった。


「先輩」


その時、意気消沈した私に彼の手が差し伸べられた。柔らかく触れられた感触が温もりと変わり、私は彼の優しさを感じた。

本当に、私は彼に為されるがままだ。


「俺の話を聞いて貰えますか? 」


 私は彼の顔を見上げる事も出来ない。只、コクリ、と頷く事しか出来ない。


「デル・ツヴァイリヒト・ボロックスとは多少、縁があるだけです。別に親しい訳では有りません」


「うん……。 うん」


 彼の手は温かかった。それでいて、それだから私は怖くて彼の話を聞けなかった。


「もう十分。ごめん、ありがとう」


 振り解き、立ち去ろうとした私の手を彼は強く握った。その力強さと彼の行動に私は驚き動くことが出来ない。


「待ってください、先輩。まだ、行かないで下さい」


 

「うん……。 うん」


やはり、どうしたって私は彼に為されるがままだ。


「こんな機会は滅多にありません。だから言わせてください。いつも俺を支えてくれてありがとうございます。感謝しています。毎日、本当に感謝しています」


「感謝だなんて…… 」


『私が欲しいのは感謝じゃないの』私は言いたかった。でも、凹んだ心が少しづつ膨らんでいくのが分かる。


「先輩は綺麗だし、とても素敵な女性だと思います。そんな先輩が何故これ程、俺を助けてくれるのか、己惚れた想像を何度もしました。実際、今も勘違いかな、って思っています」

 

顔を上げると真正面に彼の顔があった。しかも近すぎる。彼の瞳に映る私が見える。まんまるの目玉、飛びあがった耳、そして大きく開いた口。

間違いなく、私だ。

この驚きの展開で、私の胸は一気にぱんぱんへと膨らんだ。驚きと期待と喜びで肺が押しつぶされ、上手く呼吸が出来ない。

アップアップ、と釣られた金魚のように口を開けて酸素を取り込む私。


― え! まさか! きっと! お願い! ああ神様! 早く! 早く言えよ、和十!


「たとえ俺の勘違いでも構いません。こんな機会はもう、来ないと思います。実は俺、先輩に…… 」


 シャシャリ、と音を立て、白いカーテンが開かれた。反射的に私と彼は振り返る。カーテンで仕切られただけの隣のベッドの上、そこには横たわる福音者の姿があった。


「姐御。乙女の幸福が恋愛なんて嘘パチだぜ」


 ふーっ、と吐き出される煙草臭い言葉。こんなのが福音なんて決して認めない。



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