PARADOX.3 おころうとしていること
PARADOX.3 おころうとしていること
『決めたの?』
あたしの心の声が、あたしに問いかける。
決めたって、何をさ?
『決まってるでしょ、誰に付いて行くかをだよ』
付いて行く?
このあたしが誰に先導してもらうってのよ。
『だってそうでしょう?異界に来てから、乗りかかった船みたいな形でルイに付いて行って、暁ミクの話にも乗って、結局自分の意思が今まで介入してないじゃんか』
乗りかかった船に船頭してもらう、我ながら上手い洒落を思い付いたもんね。
『反らすなよ』
反らしてなんかないさ。我ながら洒落の分からん奴だな。
分かっているとも。今のあたしは流されるままここにいるだけだってことくらい。途中の細かな暮らしは確かにあたし自身で動いていたけど根本の目的が未だに定まっていない、あたし自身がこれからどうしていきたいのかがまだはっきりしていない事くらい。
でもあたしの周りには幸か不幸か、何本かフラグが立っている。
過去を求めて世界を潰そうとするサクヤルート。
今の平穏を留めるため冒険ついでに世界を守るルイルート。
全く意図の読めない未知の世界のミクルート。
……どれもかしこも近くにあるくせにやることがデカいんだよ。そのくせ面白そうだしさぁ。サクヤは難易度バカ高だし、ルイは無双の楽しさがあるし、ミクはカオスの匂いしかしないし。
どれに味方したって等しく楽しくつまらない思いは出来るでしょうけど、だからこそ決められない。でも、決めないとあたしはこの先に行く資格が無くなってしまう。
……どうせなら全部選びたいんだけどな。三つのルートを全部同時に体感出来ればあたしにとっては最高だと思うんだけど、それが出来れば苦労は無いんだよなぁ。混ざんないんだもん、この三つ。
『混ざらないなら、もう放っとけばいいじゃん』
思考の放棄か?それはあたしらしくないな、好きじゃない。
『だったら、無理矢理でも早く何かを選びなよ、あたし。もうそんなに時間は無いんだから、もたもたしてっと選択肢すら全損しちゃうぞ』
そうなんだよね、もう先延ばしが出来ないところまで来ちゃってるんだよ。とっとと自分で何かを選ばないと全てが無駄になっちゃうんだ。
だって今は、12月23日。終わりの始まりの、前日の夜。
目を覚ますと、木造の宿の味気無い天井が見えた。
深夜の筈なのにほんのり部屋が明るいのは、このシャバナ・レイの土地的な特徴だ。この地域は昼が長く、夜もそこまで暗くはならない。半白夜帯みたいなものだ。
おかげで眠りが浅くて、あんな自問自答な夢を見させられてしまった。まったく、ここの暮らしはあたしには合わないのかもしれないなー。夜はきちんと寝ないとお肌に悪いのよねん、一時前後で寝てないと成長ホルモンが分泌されなくて疲労回復が見込めないんですよこれが。
まあ、そんな心配は今日限りのものだけど。
窓から外を見てみると、朝になったら登る霊峰ゼルデリカが高々と鎮座しているのが目に入った。富士山級の高さなんでちょっと行くのがかったるくはあるんですけどねぇ。
これも異界の頂点に立つための試練の一つってやつなんだろうか。隣の部屋にその試練の元凶がいるんだからソッコーで消し去りたい気持ちもあるんだけど、それが出来ないもどかしさよ。
あーそれにしても、悩ましいったらないね。何がって?さっきの夢の内容ですよ。
管理人室に首尾良く辿り着けたとして、最終的にそこでルイとサクヤは戦わなきゃならないわけ。一緒にくっついて行くあたしとしては、それを傍観していること程つっっっっっっっっっっっっっっまらない展開はないんで、その争いには参加したい。つか、こんな世紀の決戦を目の前に参加しないわけがない。
でも、果たしてどっちに手を貸すのがあたしにとって楽しいことになるのかが分からないんだよね。それが最大の問題なんだよ。
一応さ、世界の命運とか賭けなきゃいけないんで気楽に決められる事じゃないのはさすがにあたしでも分かってるんだけど、それでぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだ半年近く悩んでるってのもあたしらしくないって言うかね。何か素敵な落としどころを探してるんですよ、誰か素敵なアドバイスをしてくれる人はいないもんですかねぇ。はぁ。
「………………………………あ」
そう言えばいたなぁ、すんげー身近に。
最近連絡取ってなかったから、気は引けるんだけど。
「……まあ、いっか」
あたしは携帯電話を取り出しコール。深夜だから起こしてしまうかもしれないけどそこはゴメンだ。
5コールくらいして、相手は電話に出てくれた。
『……ん。お姉、ちゃん?』
「あー、ミカゲ。悪いねー、起こしちゃったよね」
『……別に』
ありゃ、てっきり怒り散らされるかと思ってたんだけど。寝てなかったのかな、いつも23時には寝てるいい子だったのに。
『……それで、何の用?わざわざお姉ちゃんがこんな時間に、しかも久しぶりにそっちから電話してくるなんて、何かあるんでしょ?』
……やっぱりちょっと怒ってたか。
まあ、この半年くらいあたしから連絡取ったのって片手で足りるくらいだもんね。しかも初めは心配してくれてたのに最近じゃ本当に生存確認くらいになってたもんなぁ。ああ、愛が足りないぜ、妹よ。
「ああ、それがさぁ。えーと……明日世界を変えるんだけど」
『はぁ?』
「その変え方に今悩んじゃってるんだよ、どー転んでもあたしが楽しめ切れなさそうでさ。壊すにしろ、守るにしろ、預けるにしろ、あたしの渇きは満たされないような気がしていけないんだぁ」
『……へぇ』
うわ、すっごくどーでも良さそうな反応。
一応その経緯とか流れとかは簡単に説明しておく。興味を持ってもらわないと話が進まなそうだし進める気がミカゲには無さそうだし。
あたしがミカゲの返答を待っていると、結構間があってから心底呆れたような声で返して来た。
『……お姉ちゃんさぁ、何に悩んでんの?』
え。
「いや……初めに説明しましたよねぇ?」
『されたけど。そんな事で悩むお姉ちゃんでもないでしょ』
いやー……、悩んでんですけどね?
『お姉ちゃんはさ、いっつも人の言う事なんか聞きもしないで、考えもしないで、自分のやりたいようにやって来てんじゃん。それが今になってどの派閥に賛同するかーなんて、何腐れ新人議員みたいな事言ってんの?』
……言ってることは分かりますけど、どこでそんな汚い言葉遣いを覚えたんですか。
『……お姉ちゃん』
「あ、はい」
『お姉ちゃんは、主人公なんじゃないの?』
っ――――!
『主人公ってさ、自分の信念貫き通して結果誰かを救ってるような存在でしょ。あたしの知ってるお姉ちゃんは昔からずっとそんなんだったんだけど、異界に行って降板しちゃったの、つまんなくなっちゃった?』
「…………バカ言いなさんな。あたしはいつだって、あたしの物語の主人公だよ」
陳腐な台詞を言わされちゃったねぇ、妹に。
主人公、か……。
あーまったく、理解が速くて遅い自分がバカに思えて来るね。
与えられた選択肢をぽちっとしてるだけで全部解決するなんて、そんなのが真の主人公のわけないって。
選ぶのはいつだって自分で作った選択肢、信じるのはいつだってあたし自身の感覚だ。
これこそ陳腐な台詞だとは思うけど、道が無ければ作ればいいってね。納得出来る選択肢が用意されてないなら自分で提案すればいいだけの事。
それが決して、あたし以外に誰も味方がいない道だったとしてもだ。
「……さんきゅ、ミカゲ。愛してるぜっ」
思えば、こうして直接妹に感謝を口にしたのは初めてかもしれないな。電話越しだけど。
『……そう。私は別に愛してないけど』
うわ、冷たいお言葉。愛が無ぇ。
心なしか本当に声のトーンがいつもよりドライだし。
『……そうだ。愛って言えばさ、この間お父さんが来たよ』
ッ!
「……それ、マジ?」
あたしの声もやや乾く。
『うん。一年前のお姉ちゃんの報奨金がそろそろ入ったんじゃないかって』
「一年前って…………あ、あれか」
中学生の時、あたしはアメリカで開かれたとある世界的な数学大会でそれなりの成果を残している。その時両手で数えて何とか桁数が収まるくらいの報奨金を獲得したけど、あたしが未成年であることや海外で獲得した公的な巨額な資産ってことでちょいと手続きで手間取って、結局あたしの口座に振り込まれるまで割と時間がかかってしまっていたのだ。
異界に来たんですっかり忘れてしまっていたが、あれを狙って来ていたのか、あの男は。
「当てが外れてさぞ残念がってただろうねぇ、あの男」
『そうでもないよ。結局、お金は手に入れたから』
「はぁ!?何それ、不可能でしょ。あたしは今こっちにいるんだから預金を引き出す事なんて出来っこないじゃん!」
『お姉ちゃんのお金じゃないよ。持って行かれたのは、お母さんのお金』
「な……」
何よ、それ……。
「何で……、何でそんな事させちゃったわけ!」
『そうでもしないと帰ってくれない雰囲気だったみたいだし』
「みたいって……」
『対応したのはお母さん。ついでに言うと、ちょっと怪我して通院中』
「怪我ぁ!?」
『あ、別に暴力されたとかじゃないから。たまたま転んで打ち所が悪かっただけ、打撲だよ』
ああ、ならいいけど。いや、良くはないか。
でもまずったなぁ。あたしがいない間にあの冒険家に来られるとはね。いつもは直接あたしが追い返してるんだけど、うちのあの緩いお母さんじゃなあ。って言うか、ミカゲは何もしなかったのかよ。あたしのやり方見て追い返し方も知ってただろうに。
それに何だかんだで家にメインでお金入れてたのあたしだからなぁ。お母さんの貯金持って行かれたら生活費とか危なくなってそうだ。ううむ。
と、不意に電話の向こうの音が引いた。
『……早く帰って来てよ』
「え?」
『お姉ちゃんが好き勝手してるせいで私がどれだけ苦労してるか分かんないでしょ?お姉ちゃんがいてくれないと……困るんだよ』
「困るって……、あたしがいなくてもミカゲは大丈夫でしょうよ。あたしの妹だぞ?」
『だから!妹でしか、ないからっ……。お姉ちゃんみたいに、私は……何でも上手く、出来ないっ……』
え、ちょ……、泣き始めてる?
『……お姉ちゃんが異界に行って、本当言うと、ちょっと嬉しかった。お姉ちゃんがいなければ、私は……比べられなくなる。天才のお姉ちゃんと比較されてストレスを抱えることも無いって、そう思った』
え、あたし邪魔に思われてたのか。何か傷付くね。
『でも……違った。お姉ちゃんがいなくなったら、代わりにさせられた私がどれだけ出来ない子だったのかを身をもって知らされた。……私は所詮お姉ちゃんの半分も出来ない、明日実の足元にしかいることが許されない影、実影なんだって思い知らされたよ』
うちの妹、ネガティブだ……。
『お姉ちゃんなんかいなければいい。そう思ってた筈なのに、いざいなくなったらお姉ちゃんに戻って来て欲しいって思い始めて……。何かもう自分でも訳分かんなくなってきたの。それもこれも全部お姉ちゃんが悪いんだから!家族の事なんか考えもしない自己中なお姉ちゃんのせいなんだからっ!!』
あ、やばい。うちの妹思春期だ、反抗期だ、成長期だ。
んー……、めんどくさ。
って言うか、最初はあたしが相談してた筈なのになぁ。何故こんな話の流れに。
「あー……、まぁ、何だ。ごめんよ」
『……謝るくらいならとっとと帰って――』
「あ、うん。それは無理だ」
『っ、またお姉ちゃんはそうやってっ』
「だって、実影がさっき言ってくれたんじゃん。あたし主人公だから」
『あぅ、それはそうだけど……』
おお、困ってる困ってる。
心的矛盾は本当に分かりやすく迷いが見えて面白いなぁ。さっきのあたしもこんなんだったのかね、だから実影にも分かりやすく突っ込まれたのか。
ひょっとして、ルイやサクヤにもそう見られていたのか?
「あたしとしてもそんな事があったんなら帰ってやりたいのは山々なんだけど、中途半端に投げ出すなんてそれこそあたしらしくないじゃん?実影のおかげで、あたしのやりたいことにも目星が付いたしね」
それに、今帰ろうと思ったらもの凄く痛い目に遭わなければならんし。クリスマスどころか正月も病院生活になっちまうだろうからそんなのは死んでもごめんだ、とは思ってても言わないけど。
『私の、おかげで……?』
「そう。あたしが異界にいられるのは実影のおかげ、あたしが家に帰らないのは実影のせい。さて、どっちがお好きか?」
『…………』
黙っちゃったよ。どっちでもええがな。
「何にせよ、あたしはまだ帰らないから。まあ、もしかしたらすぐに帰れるかもだけど」
『え……?』
「気にしなくてよし。とにかく、あたしの事以外は心配しないで大人しく待ってなさいって。万事良い具合に運んで見せるからさ」
『だから、それじゃ――』
「ついでにもう一つ言っとく。別にあんたはあたしの代わりじゃないんだし、あたしの代わりなんてどこにもいないんだからさ。そんなの気にしないで実影もしたいようにしてなよ。実影には実影にしか出来ない事があると思うけどね、まあ探してはあげないけど。そいじゃ、メリクリイブイブー」
ブツッ。
あたしはそこで強引に話を切った。
こうでもしないと、あたしか実影が力尽きるまでこの話終わらなそうなんだもん。姉妹って、そういうもんだよ。
まあ頭の悪い子じゃないんだし、14歳なんだからもう聞き分けも出来るよね。姉ちゃんも頑張ってんだからよー。
ただ何にせよ、実影のおかげであたしの進むべき方向も取り敢えずは見えて来たんでそこは感謝だね。まだ具体案をどうするかはこれから徹夜で考えなきゃいけないけど、ひとまずは楽しくなってはいけそうだ。
さて。
「…………やっぱり、聞いといた方が良いかねぇ」
寝ようかとも思ったんだけど、こういうイベントも大事なんじゃないですかね。
あたしはひとまず隣の部屋のドアを叩きに行った。
「サークヤー、起きとるー?」
寝てたら申し訳ございません、叩き起こします。
木製の厚くも無いドアをそこそこドンドンと叩きながら呼んでいると、割とすぐにドアは開いた。
出て来たのは、眉間に皺が寄りそうでギリギリ寄ってない、ピンキーなふわふわパジャマ姿のサクヤだった。何だよ可愛いなこんにゃろめ。
「……何ですか、うるさいのですよ」
「やー、めんごめんご。ちょっと話したくってさ。ラストダンジョンに行く前夜に仲間内と話すのは物語の基本らしいよ?」
「知りませんそんな基本。まあ、取り敢えず中へどうぞ。ここではセキュリティが利きませんし」
あたしは既にサクヤのセキュリティが一個突破されちゃった気分だけどね、このパジャマで。
サクヤの部屋の中はまだ明かりが点いていて寝てはいなかったらしい。それにこういう宿で他人の部屋に入ったのは初めてだから知らなかったが、部屋にふんわりとお香のいい香りがしている。こういう事も出来るんだね、つか異界にあるんだなお香。
サクヤはドアを閉めると、あたしを特に構いもせずに備え付けのテーブルの前の椅子に座り、何やらウィンドウを開いてホログラムキーボードで何かを打ち込み始めていた。
「ん、それ何?」
ベッドにどっかりと座らせてもらったあたしに、サクヤは視線をこちらには向けずに答える。
「宣告文ですよ」
……は?
「12年前、暁ミクが行ったのと同じものです。あれを私の文で全世界に発信しようかと思いまして、今から準備をしているところです。ログも残っていますからそれを参考に」
「はー……、あれをねぇ」
世界中の人間の意識が改定の影響で一瞬ブラックアウトして、そこから目覚めた直後に送られて来た例の暁ミクの宣告。あれをもう一回って……、いや、必要と言えば必要か。また文明レベルが変わっちゃうかもしれないんだし。
「……サクヤは、12年前の文明に戻したいわけだよね?」
少し声のトーンを落として真剣味を出してあたしは言う。サクヤもそれを汲み取ったか手は止めずに真面目に返して来た。
「……馴染んでしまった文明を手放すことは、現代人にとっては耐え難い苦痛でしょう。けれど、こんな人外の未知の技術による急激な進歩は進歩とは言わない。人間は自ら生み出した文明で生きて行くべきなんです。間違いは、正さなくてはならない」
固っ。
「ジャッジ・システムも、数多の作品で間違いとして描かれた、機械による人間の管理に等しいもの。それは基本的に人類の尊厳と自立的進化を失う悪魔の技術、やがて人間を甘く優しく堕落させて行く毒でしかない。そんなものに管理されている今の世界は、絶対に正しいわけがない」
「それはお題目としてはごもっともだけどさぁ、サクヤの本心って訳じゃないじゃん。没落しちゃったお家の再興だっけ、それが目的なわけでしょ?」
「……それは」
「恥じる事じゃないよ。誰だって行動の指針は自分の欲望に根差す事なんだからさ。サクヤのだって、転落させられた人なら誰だって抱く欲望だ。しかも自分には全く非の無い事情によるものなんだし、倫理的にも道理的にも動機的にもサクヤのすることは本来誰にも責められるもんじゃないからね」
これを聞いているであろう張本人の暁ミクとしては、耳が痛いのか痒いのかって話なのかね。本当に、どんなつもりでドナー契約をしたんだか本当のところを聞きたいよ。
するとサクヤは、ようやくあたしの方を向いて目を見て話しかけて来る。
「なら、明日実は私の味方?」
お、聞いて来たねその事を。
本来の流れならあたしはルイ側に付いている人間なんだけどな。一応はあたし達の間では中立って立場を表明してはあった。出会った当初では想像もつかなかったろうが、今ではあたしもまあまあの戦力にはなるから引き入れることが出来れば自分の目標の達成が楽になることは明白だ。
ルイより圧倒的に実力では劣るサクヤとしては、あたしを味方として確定させておきたいのは分かる。分かるんだが、
「いんや。あたしはあたしだけの味方だ。他の人間の肩を持つ気は今んとこ無いよ」
理解はしてやる、けど力は貸さない。そんなところだ。
サクヤはそれでもしつこくあたしを誘ってくるかと思っていたが、
「……そう」
未練がましさなど一切無く、元の作業に戻ってしまった。あれ、つまらんな。
「私には、暁ミクがいるから」
あー。形の上ではそうだった。
「でも、暁ミクが本当に最後まで力をサクヤに貸してくれるって保証は無いっしょ?」
あたしもこんなこと言って何がしたいんだろうな。サクヤにおせっかいでもしたいのか?まっさかぁ。
すると、サクヤは背もたれに体を預けて大きく息をついた。
「……そんな事は分かってる」
「へ?」
「暁ミクには私とは違う目的がある、そんな事は分かってる。ただ、その導線上に私の目的がある限りは暁ミクは私の味方でいてくれる、それは間違いない。でもそれで構わない。きっと暁ミクと私の目指すものは文字通り世界が異なるから。互いを害する事は無い」
……なるほど、そういう考えか。都合の良い関係ってものよの。
まあ、理屈の上では問題は無いかもしれないけどさ。
「でも、サクヤの望む世界って、本当に実現する価値があるのかね?」
「ある。理解されなくても、結果論として支持される筈。それに、明日実の言うようにこれは私の望みでもあるのだから」
「そーは言うけどねぇ……」
「……何」
あたしと違って、ここはサクヤには核になる重要な問題だ。
「肝心の、サクヤの家族はどう思ってるんだろうかと」
「…………」
黙るのかよ。
「文明を戻したところで一度没った経営が即座に戻るわけでもなし、極貧生活が改善されるわけでもなし。むしろ一時的な文明衰退で世界が混乱して恨まれることの方が多いんじゃないの?」
「…………」
「子供がそんな事を引き起こす事を、親が望むものですかね」
「……知った風な口を」
「当たり前過ぎる問いだよ。サクヤの望みは、愛する母親の願いに反していたとしても、叶えたいものなのか?自分の愛する者にさえもしかしたら恨まれるかもしれなくても叶える覚悟があるのか?ってね」
「……………………」
さすがに神妙な顔で黙ったか。まあ、当然の反応だよな。
平穏な暮らし。
一言でそう言っても、中身は千差万別だ。人の数だけ解がある。同じものでも中身が違えばそれはただの押し付けだ。そういうところは日本語の妙だよな。
サクヤの望む世界は半分は家族という他人を基にしたものだ。なのにここでサクヤが即座に「覚悟がある」と答えていたら、あたしはサクヤを軽蔑出来ていたかもな。出来ていれば、色々単純で良かったかもしれないね。
無論、この問いはそのままあたしにも返ってくるものなんだけど。
「っ……」
「サクヤ?」
不意にサクヤが電波を感じたように左耳を塞いで宙を仰いだ。
「……暁ミクが話したがっています。変わりますね」
「お、おお」
急だな。まあ互いに好都合っちゃそうかもね。
サクヤは目を閉じ、ジャッジに呟く。サクヤの体を光が包んだかと思うと、それはまたすぐに一瞬の輝きを放って霧散した。
「……ふう。直接話すのはマグナ・ノミナの天帝騎士団のアジト以来?」
「今回はサクヤのままなんだな、先生」
「ふむん、ひょっとして明日実はロリ巨乳好きだったのかにょ?それは申し訳なかったねぇサクヤのままで」
そこはどーでもええわ。あとサクヤが怒るかもしれんぞ。
本人が言った通り、今回はサクヤの瞳の色が真紅に変わっただけの限定バージョン顕現だった。マグナ・ノミナでの人形みたいな暁ミク本人の姿は今夜は拝ませるつもりは無いらしい。あれはあれで確かに可愛いんだが。
「あー、今の話は聞いてたんだよね?」
「イエス、アイ、ディド」
親指立ててグッ、ってすんな。ちゃんと過去形にしてるし。
「んじゃあ、先生はどう思ってんのさ?」
「サクヤの事かい?んー、そりゃあ願いが叶うと良いよねぇ?」
という事は、叶えてやるつもりはないんだな。
「叶えたい夢は自分の手で成し遂げてこそ自分のものになるんだよ、人に叶えてもらったらそれはもうその人のものだ」
それは確かにそう言えるかもな。だが、
「あたし論で言えば、夢って言ってる時点でそりゃもう叶わないけどな。夢は見るもので叶うもんじゃない。人の夢って書いて儚いって言うくらいだし」
「ほー?」
これは、あたしの座右の銘にしている言葉。
「本当に叶えたい夢は、目標と言うべきだ」
いや、正確には違うか。
あたしの本当の座右の銘は、夢は決して叶わない、だからな。人に紹介する時だけはポジティブな変換をしてあげているんだよ。
その変換が効いたのか、暁ミクもいたく気に入ったようで素直な感動顔で拍手をしてくれた。
「なかなかにその通りな言葉だね。それでいて誰もが見落とす、目を逸らす事実だ。うん、是非とも広めたい言葉だね。明日の改定に無理矢理にでも組み込むかにょー?」
やめてくれ、そんなネガティブな意味合いの言葉を最強便利ツールで強制的に世界中にインプットさせるの。
「……って言うか、その言い方だと明日の管理人戦、負けてあげるって気は無いみたいだな」
「ん?そりゃあそんな素直に負けてあげる気なんか無いよん。折角の異種格等義戦だもん、出来る限り楽しまなきゃじゃないか。そしてそれに勝てれば大満足」
「変な字を使う戦いだな」
「対等な戦いって事にゃよ」
心持ちだけだよね。
「……それで。ミクに聞きたいのはそんな事かい?」
サクヤの姿で、椅子の上で膝を抱えて顔をそこに埋めこちらを見る暁ミク。本当のサクヤを知ってるだけに倒錯的でキュンキュン来そうだ。来ないけど。
あたしは一つ息をついた。
「明日の前に聞いておきたいことがある」
「何じゃい?」
「……どうして、この異界を作ったのか」
暁ミクの思考の根本。
あたしが知っておきたいのはそこだった。
世界の法則を捻じ曲げて書き換えてまでやりたいことは何なのか、そうさせるものは何なのか。
それを少しでも知っておかなければ、あたしの全てはこの女には通用しないだろう。
が、その返答の入口は少し外れたところだった。
「ミクは異界を作ったりなんかしていない」
「……え?」
「根本的な勘違いだよ。ミクはこの異界を一から作ったわけじゃない、あくまで管理人だからね。世界を丸々一個作るなんてそんな事が常識的に考えて人間のミクに出来るわけがないでしょうに」
常識的という台詞を吐くか。
「ミクは世界を弄っただけ、異界の主から話を持ち掛けられてね。ああ、主って言っても何をするわけじゃないよ、世界を作って後は観察するだけの存在だから。今頃は別の世界をどっかの次元で作ってんじゃないかなぁ?」
話が加速し始めたな、まだ理解は追い付いているが。
「こういう話は一般の頭の奴にはどうでもいいことだし理解しようともしないから伏せてるんだけどにゃ、明日実ならいいでしょ。つまりはミクのしていることは、世界観だけ渡されて丸投げされたクリエイターみたいなもんなんよ。だったらまあ全権委任されていることだし好き勝手させてもらおうかと思って、やりたかった実験も兼ねてこういう世界観にしてみましたってとこ。地球側にもそのテクノロジーを持ち込んだのは単純にそういった異界への理解と馴染みをビギナーに持たせるためだったりするんだにゃ。後は実験にご協力いただくお礼的な意味も隠し味程度に」
そこをメインの味付けにしておいて欲しかったところだろうね、無関係の人には。
それにしても、実験とな。
「にしてもさぁ、ほんっとーにミクのやる事って理解されないんだよねぇー。確かに異界はファンタスティックでデンジャラスな世界で受け入れがたいかもしれないけど、やってる事はその辺の小説とか特撮とかドラマとかと変わんないのにね。それが紙面上か脳内上か画面上か現実上かの違いってだけで。でも、その三次元的事象にだけは拒絶反応を示すのが人間って生き物なんだよねー」
軽いノリで動いている口に反して、暁ミクの瞳は全く動かない。まるで壊れた玩具を見るかのように。
「結局、人間はコンマ1%でも自分に害が及ぶ可能性のある事を拒絶する傾向にあるんだ、他の人に害が及ぶのは厭わないのにね。むしろその光景を見て楽しみさえもする、自己中心的な生き物なんだよ。そんな自己利益追求の塊が40億も寄り集まって共存出来てるなんて奇跡に近い、そう思わないかい?」
実際は共存出来ている、とは言えないかもしれないが。20年程前より人口は3割減ったわけだしね。けどその減少もジャッジ・システムの監視と制裁で止まったから、共存に一役買ったどころか礎を築いたんだよなこの女。それでもこういう台詞を吐けるんだから凄まじい。
「だからこその、異界システムなんよ。そんな凝り固まった人間の概念を変えるための。無理矢理物語の主人公にさせられた人間の自律進化を促すための。そうして少しずつでも人間を変えていく、気の長い実験さ」
暁ミクは天を仰いで目を細める。歩んで来た道に思いを馳せているんだかどうなんだか。
「……最初の問いに答えようか。ミクが異界を作った理由は、アップデートだ」
「あ、アップデート?」
「人間の、地球の、世界のアップデート。そのためならミクは全てを利用する。全ては私が、ミクが世界を謳歌するために。こんな低次元な世の中じゃ、ミクは満足出来ないんだよ」
世界を謳歌……ね。
分かっちゃうんだよなぁ、その感覚。
「んで、そのためにミクはサクヤと手を組んだ。過去にしがみ付く蒼衣昨夜と、先を目指す暁未来が手を組んだら、普通とは違う角度から新しい世界が見えて来るんじゃないかって思ってね」
「はぁ……。で、その新しい世界とやらは見えたわけ?」
「さて、どうだろ。まあまだ期限の12年までは一週間あるわけだからね、可能性はとことんまで考慮してこその最善になるのさー」
はぐらかしたって事は……、そうなんだろうな。
「……あ、そうだ。ずっと気になってたんだけど、何で12年なの?5年とか10年なら分からんでもないけど、キリも悪いし」
「干支は12年周期じゃないか。それに、世代が一つ変わるのには丁度いい期間なんだよ、まともな小学生なら高校を卒業するくらいだ。実験の第一経過を見るには頃合いだと思って設定したのだよん」
その理屈はどうなんだ……。納得出来なくは無いけども。
「ついでに気になってるかもしれないから解説しておこうか。異界に召喚される人間の選別方法について」
「え。それって、完全にランダムなんじゃないの?」
「ランダムなんてつまんない事しないし。つかそれじゃ実験が確実に進む保証も無いし。だからジャッジ・システムを使ったある一定の法則を持たせた」
「ジャッジ・システムを?」
「そ。対象者の記憶を読み取って分析するシステムを使った、人生に窮した人間を選別して召喚するっていう法則をね」
軽く言うが、さらっと恐ろしいことをやってのけてるんだな。
本来そのシステムは刑事事件の証拠探しに使われるものなんだが。あ、いや、本来と言う言い方はしないのか。本来の使い方がその召喚の選別で、証拠探しの方がついでの使い方になっていた訳なんだからな。
つまるところ、異界に招かれる人間と言うのは初めからどこかアレな人間だってことだね。特に初期の人間ほどその度合いが強い傾向があると。あたしがなかなか呼ばれなかったのは他の連中よりも人生に困ってはいなかったから後回しってことか。
それなら、割と早い時期からいるルイにだって、立派に何か地球で諦めたことでもあったって事なんだろうな。それでいて異界に未だにいるんだ、よほどの意志力なんだろうね。
……しっかし、人生に窮した人間の選別の為だけにそんな高度な便利技術作ったのか。資源と能力の無駄遣いもいいとこだ。
「いやいや無駄なもんかね。未来としてはとても素敵な3Rシステムを作ったもんだと自負しているよ。自分の人生に腐った人間を未来の実験に使用するリユース、ゴミにも等しい消費するだけの人間を減らすレデュース、異界という世界を使って抜け殻に目的を与えて入れ代わり立ち代わり地球に真人間を増やすリサイクル。ほぉら、どこに出しても恥ずかしくない立派なエコシステムでっしょ?異界からのエネルギーは現状枯渇の心配も無いむしろ飽和状態で困っちゃってるくらいだから使い放題だしね。実験ってのは思索と試作とを繰り返してするものだから、このやりほーだい状況は最高なのだぁよ」
「嬉々として語ってくれてるがあたしの思うところと違う。もっと素直に万人のためになるシステムを作ってやりゃあ良かったのになって話なんだけど。それなら今と違って素直に感謝される事も多かっただろうし」
何だかんだで地球で暁未来の名は凄い人よりもヤバい人としての認識が多い。だから如何に偉大な功績が現実として残っていても奇人を堂々と認める人は少ないのだ。きっちり利用だけはしてな。
それが分かっているからこそか、こう言うと思っていたよ。
「それこそふざけんなだ。どうして未来が万人のためになるシステムなんざ作ってやらなきゃなんないんだよ。未来永劫未来永劫、そんなものは生まない生まれない。未来は未来の未来だけで手一杯だ。未来から何か欲しけりゃ未来の食べカスでも拾ってろよ、それでも旧人類には十分すぎるご馳走になるんだろう?現に大多数の旧人類は食べカスで満足した生活を送ってるじゃないか。そんな連中に未来が施してやるものなんか何も無い、必要も無い。変わる努力をしない奴は、恵みを受ける権利も無いさ」
至極当然の考えだ。
「何度でも言う、結局ズルいんだよ人間ってのは。自分にとって都合の良いことしか認めない、受け入れない、正当化しない。認めたものでさえ少しでも害を生みそうなら手の平を反して非難する、排除する、淘汰する。未知の物に恐怖ばかり感じて挑戦しない、学習しない、進化しない。……そんなつまらない連中しかいない世界に未来が興味を持つはずがない」
そして暁未来が、あたしに告白するかのような、満面の無表情でこう締め括った。
「改めて、最初の問いに答えるよ。未来が異界を作ったのは……未来のためだ」
濃い濃い話で胃もたれ気味になりながら、あたしは昨夜の部屋を後にした。
あの二人、本当にどこまで共闘し続けてられるんだろうな。この後二人で脳内で討論し合うんだろうが、過去と未来の人間が協力し合って今を変えるとか、そんな美談に収まれば素敵なんだろうがねぇ。
あたしが凹ませた昨夜の機嫌を暁未来が直してくれるとは、到底思えないけどさ。明日の昨夜の健闘を微妙に祈っておく。
さて、残るはあの最強剣士様だ。最強とは言うが、あくまで剣士の中ではであって異界最強ではないと補足させてもらいたいが。
何故か階が違う部屋を取りやがったためわざわざ下の階まで足労させられたあたしは、その腹いせも兼ねて結構激しくドアを叩いて中の奴を呼んでやる。
「おーい、あたしだぞー。いるなら3秒以内に最高の苦い顔をしながら開けろーぃ!」
ドンガンドンガンと必要の無いくらいに大きく。あー手が痛ぇ。
ちなみに、最高の苦い顔ってのはあたしがルイに抱いてる一番良い顔だ。眉間に皺が寄っているのが最高に似合っていると自負している。
その後、3秒どころか10秒経ってもドアが開かないのでもう一回同じ事をしてみる。すると今度は3秒でカチャリと鍵が開き、隙間程度にドアが開いた。勝手に入れって事か?
そんじゃあ遠慮無く文句の嵐でも投げ付けながらその顔拝んだろーじゃない。
「おうおうおう、このあたしを15秒も待たせるたぁ良い度胸じゃねぇ――」
ぽふっ。
「――?」
ドアを開けてから上げていたあたしの目線の先に想像していたものはそこに無く、代わりにあたしの胸元辺りに何か柔らかい感触が接触した。
一歩下がって目線を下げてその正体を確認してみると、そこには銀色のワカメみたいな物体がふわふわと漂っていて、
「って、何だシャンネプちゃんかうわおぉぉう!」
見えたままをここに記す。
その銀の長いふわふわの髪の毛で微かな二つの膨らみを含む大事な三角ポイントだけは何とか隠れて後は白く透き通った美肌剥き出し状態で、太くてイボイボした緑色の物を生で噛んで非常に不味そうな顔をしたシャンネプちゃんがそこにいた。
さて、理解していただけたか?
つまりは、全裸のシャンネプちゃんが何故かゴーヤを銜えてお出迎え、である。
「……あ。ひょっとして、あたしの言った事実行しちゃってた?」
もぐ、コクン。
更にゴーヤを一齧りして頷くシャンネプちゃん。
あたしの言った事とはつまり、「3秒以内に最高に苦い顔しながら開けろ」である。
きっと、最高に苦い顔を実行するためにはどうしたらいいか→実際に苦い物を食べればいいんじゃないか→えーっとどこにあったっけ(アイテム欄探し)→あああったあったパクリ→苦っ!→ドアガチャ。……って言う流れを、室内にいたシャンネプちゃんはご丁寧にやってくれていたんだろう、15秒くらいかけて。ええ娘や。全裸なのもたまたまタイミングが悪かったんだね。
で、シャンネプちゃんにこんなことをさせることになった原因の姿を入って探すが、室内には無かった。自分で言うのも何だが、こんな深夜にどこに何しに行ってるんだ。
「――ルイ君に、用?」
不意に、あたしの背後から小さな声がかかる。けど、誰の声だ?
声のした方を振り返ると、そこにはまだ律儀にゴーヤを齧るシャンネプちゃんが。苦味に慣れたのか、表情はいつもの澄まし顔になってはいたが。
……って言うかよ、今のはまさかしなくても。
「シャンネプちゃん……、今、喋った?」
「にゃあ、喋った」
これぞ王道、猫っ娘ポーズで肯定するシャンネプちゃん。
おいおい、まさかここに来て寡黙キャラが喋り出すとは。しかも相変わらずの美声で。
「別に、寝る前は喋る事は許可されているから。ルイ君といつも寝る前だけはお喋りする」
何その設定は。つか、いつもルイと相部屋だったん?いやそれ以前に、寝る前はいつも裸なんですかっ!?
「寝るとき服、邪魔だから。ルイ君とは一緒のベッドでいつも寝てる」
…………おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい問題発言じゃね!?
何、あの男、毎晩裸のロリ猫っ娘と一緒の布団で寝てるんすか。代われよそのポジション今すぐに!
やべー……、抱き心地とかすんごい良さそう。想像しただけでお姉ちゃんキュン死に出来そうなんですが。ああ、今すぐ目の前の実物見本をいい感じにハグして想像を現実のものにしたいっ!
「……寒い」
あ、いかん。猫科の鋭敏な感覚があたしの欲望の刃を捕らえたか。シャンネプちゃんが身震いしちまった、ちっ。
シャンネプちゃんは猫よろしく音も立てずにベッドまで歩くと、そこにぴょんと飛び乗った。そして、それと同時にシャンネプちゃんをボフンと白い煙が包み込む。
「…………ぁ、なーる」
煙はすぐに晴れ、そこに現れたものを見てあたしは全部得心が行った。
そりゃあ、本物の猫に服はいらんわなぁ。部屋も丸々一つは要らねえわ。
シャンネプちゃんはベッドの上で銀色の猫(毛並み抜群、純度100%)の姿になって丸くなっていた。寝るときはこうって事か。
さっきまできっとこういう状態だったんだろうなぁ、ごめんね起こして。
「ナァ……」
顔をくしくしと擦って満足気に伸びをするシャンネプ猫。ほんの数秒ではあったがそれでそこそこリラックス出来たらしく、起き上がって元の(って言っていいのか知らないが)全裸シャンネプちゃんの姿に戻った。動物の考えと体調はよく分からんね。
ついでに言っとくが、ベッドの上で全裸でふさふさの銀髪に包まれながら上目遣いで女の子座りする幼女の姿は艶めかしいにも程がある。……どっかのラノベのタイトルっぽい感想になっちまった、全く。
「……それで。ルイ君、いないけど。どうする?」
無表情で、純粋に尋ねて来るシャンネプちゃん。あー、ほんと、どうすっか。結構な肩透かし感があるんだよなぁ……。
でもま、これはこれで貴重な機会か。シャンネプちゃんとまともに話すなんてこれまで出来ないと思ってたからな。
「ルイはもういいや。代わりにシャンネプちゃんに聞くことにするよ」
「――そう」
あ、ほんの少し面倒そうな顔。本当ごめんよ、深夜に。でも明日じゃ間に合わないからさ。
「それで……何聞く?」
微妙に助詞を欠く可愛い喋りのシャンネプちゃんに対して、あたしはさて何を聞こうかと思案する。ぶっちゃけそろそろあたしも眠かったりするので、なるべく簡潔に、かつ一度に色んなことが聞ける事柄が良い。
とすると、やはりベタだがこれだろう。
「シャンネプちゃんはさ、どうしてルイと旅するようになったの?」
以前ルイに聞いたことがあったのだが答えてくれなかった問いでもある。あの男が黙ったならさぞ面白いエピソードがあったに違いない。
問われたシャンネプちゃんは、僅かに戸惑ったようで悩んだようで、そして更に僅かに憂いたようでいて、それでいて無表情になりながらもあたしに対してゆっくりと話し始めた。
「出会ったの、6年前。12歳の時」
……ん、12歳?6年前に?
あれ、シャンネプちゃん今18歳っすか!?あたしより2つ年上だったんすかっ!?
……それでこの幼女っぷりかぁ、反則だよな。いやそういう話じゃ今は無かった。
「シャンネプ、ママと、生きてた。ずっと山の中の、小さい小屋で」
人里離れたところで母親と二人暮らしと。
「でも、寒い雨の日の夜、ママ、街から戻って来なかった。三日待った」
普段どれくらい戻らないのか分からないが、特別戻らなかったんだろう。で、何かあったんだな。
「だから、探しに行った」
行っちゃったのかよ!自分から動いちゃったのかよ!?
「そしたら、ママ帰ってた」
入れ違い!?
「燃えてる家の前で、立ってた」
ママ放火犯!?
「それが、ルイ君だった」
お、おぉぉ……?
すいません、意外とよく分かんないですシャンネプさん。過程が色々すっ飛んでるな。
というわけで、もうちょっと詳しく思い出してもらいつつ、シャンネプちゃんの語りでは説明不足になりそうなのであたしが語り手となって回想をまとめさせていただこう。
6年前。
異界の中央地域、リンクス地方北部の山間部の街シュイリベル・リンクスから更に北、荒れ地にも等しい環境の山の中で、シャンネプちゃんとその母親、リルが、質素な山小屋で暮らしていた。
まず初めに気になるであろう、何故二人はそんな僻地で暮らしていたのかという事だが、これは至ってありがちな話。
リル、そしてシャンネプちゃん親子は、希少種だったのだ。
普通に考えて、地毛が銀髪の人間が珍しいというかほぼいないのと同様に、リンクスという種族においても銀髪種はかなりのレアであった。それにリンクスの毛というのは元々衣類や装飾などの素材にもなり(自分で自分の毛を売買する商魂逞しい奴もいる)、レアな色の持ち主はそれだけで貴重な扱いを受けるのだ。
貴重な扱いと言うのは、大きく分けて二つ。飼われるか、狩られるか。二人は後者だった。
父親を同様の理由で無くした二人は、住処を頻繁に変えながら細々と暮らしながらもまずまずの満ち足りた人生を送っていたようだった。リルも今のシャンネプちゃんに負けない歌の使い手で、自然の中で暮らすにはその能力は大いに役立ち(採集やちょっとした狩りにも使えるとのこと)、生活の問題は無かったそうだ。
だがそんな暮らしが、6年前の冬に終わる。
その日、リルは久し振りにまとまった買い物をするためシュイリベル・リンクスに朝方からシャンネプちゃんを置いて出掛けて行った。別に何の問題も無い、幾度か街にも出掛けたことがあるためそう警戒する事も無い普通な外出。シャンネプちゃんも付いて行きたい気持ちはあったが黙って送り出した。
結果として、それは大きな間違いとなった。
夜には戻るはずのリルは結局翌日になっても戻らず、シャンネプちゃんは健気に丸一日何も食べずに待ち続けたものの翌日の夜にもリルは帰って来なかった。
そして更なる翌日の夕方。氷雨が降る中、いよいよ耐え切れなくなったシャンネプちゃんは街へ降りることに決めた。ボロボロの外套を羽織っただけの軽装で山下りという無茶をしでかす程に焦りを感じていたシャンネプちゃんであったが、問題は山下りそのものではなくその装備の貧弱さ故の戦闘にあった。
人里離れた山奥であったためにそれなりの魔物がそれなりに生息しており、普段はリルが上手く魔物を回避していたが今はそうはいかない。当時はレベルも低かったシャンネプちゃんは逃げるのに精いっぱいで知っていた下山ルートを大幅に外れ、お約束のように道に迷ってしまったのである。
それから当時僅かに習得していた魔よけの歌を心細げに歌いながら、どうにかこうにか奇跡的に死ぬ事無く知った道に辿り着いた頃には既に夜も更けており、幾ら夜目の利くリンクスであっても一人で何の装備も無く山下りを敢行するのは無理があった。不幸中の幸いか下山ルートの四分の一も来ていなかったため、泣く泣くシャンネプちゃんはそこから山小屋に引き返すという選択を取った。
山の上が不可解に明るくなっていることにシャンネプちゃんが気付いたのは、歩き始めて間も無い時だった。
確かな予感など無かった。けれど常日頃から抱いていた、抱かされざるを得なかった不安がその時一気に膨らみ戻る脚を自然と走らせた。魔物に狙われる可能性すら思考から放棄して、強まる雨に濡れるのも厭わずに、一目散に山道を駆け上がった。
……そして見た光景。
それが、シャンネプちゃんが今日に至るまで最も目に焼き付いたものだった。
朦々と立ち上る黒煙、燻りながらも未だその手を広げようとする橙炎、そんな焔を恐れるかのように辺りに強く降り注ぐ灰色の雨。
そして、燃え朽ち果てた安らぎの世界の前に立つ、一つの影。
腰の下まである緩やかな銀髪を炎の揺らめきと共に靡かせ、虚ろに絶望に似た悲しみの瞳をして黒煙を見つめる消え入りそうな小さな女性。
紛れも無く、それはリルの姿だった。
喜怒哀楽その他が混ぜこぜになった涙を流してリルの名前を叫びながら駆け寄るシャンネプちゃんにリルは初め信じられない物を見るかのような表情をしたが、やがて自分の娘の姿を認め満面の笑顔でシャンネプちゃんを抱きしめに走った。
……までなら感動の話で終わったんだが。
リルはシャンネプちゃんを抱きしめず、どころか、途中で自ら駆け寄る足を止めてしまった。
そんな母親の事は何の疑問にも思わず、シャンネプちゃんはリルの胸に遠慮無く飛び込み、リルも結局はそれを慈愛の抱擁で迎え入れてくれた。さながら、別れの前に大事な感触を刻み込むかのように。
二人は雨の打ち付ける中かなりの時間そうしていたが、やがてリルがシャンネプちゃんを抱きしめたまま耳元で小さく切り出した。
「……ごめんね。もう、時間なの」
ゆっくりと、名残を惜しむように体を離すリル。シャンネプちゃんは何の事だか分からずリルの顔をじっと見たまま説明を求めたが、すぐにリルの体が淡い光に包まれ始めてしまう。
「後の事はこの人に任せておいたから。きっとあなたを守ってくれる」
自分の体に手を当てて、リルは母親の顔をして微笑んで言った。
シャンネプちゃんはこの時、何かの予感を感じてリルを掴む手を僅かに強めた。けれど、その手をリルは優しく解いてシャンネプちゃんの胸元へと添える。
もう、私に甘えられる時は終わったのだと言わんばかりに。
「じゃあね。出来れば、幸せに生きてね……?」
その言葉と涙目の笑顔を最後に、リルは光に包まれ世界に溶けて消えて行ってしまった。
そうして、シャンネプちゃんは何の心の準備も済まないまま、母親と永久の別れをすることになってしまったのである。
――ただ、別れるだけでは済まなかった。
リルを消し去った光は、そのまま別の存在をその場に生み出した。
足元から書き換えられるように現れたのは、全身を漆黒のコートと衣服で包み、他に類を見ない長さの白銀の長刀を手にした、表情も瞳も凍ったように冷たい背の高い黒髪の男。
それが、シャンネプちゃんと風見ルイとの、異常なまでに異常な邂逅だったらしい。
それから、シャンネプちゃんは突如目の前に現れたその黒い男にまず絶対的な恐怖を、そして深い疑念を感じ、その男から目を逸らすこともその場から動くことも出来なかった。それは大人と子供という圧倒的な存在の差と言うだけではなく、その男から溢れ出る何か刺々しい気配を感じてのことだったようで。
ルイはしばらくシャンネプちゃんを見たまま何もしないでいたらしいが、やがてその場でコマンドウィンドウを開き、燃え盛るシャンネプちゃんの元家に向かって手を向ける。
「『オブジェクティブ・アクアフォール』」
ルイがスキルを呟くと、周囲に振る雨が一気にルイが突き出した腕に巻き付くように集まり出し、巨大な水の塊と化す。そしてその水の塊はルイの手を伝って一気に撃ち出され、燃え盛る家の火を見事に一蹴して掻き消した。その撃ち出した衝撃はそこそこ激しかったんで横にいたシャンネプちゃんは腰を抜かしてしまっていたが。
一見、朽ちかけの家を巨大な質量で駆逐したようにも見えなくは無かったろうが、ルイにしてみたら消火しただけらしい。放っとけば勝手に消えたんだろうけど、それでは跡も残らなかろうから部分部分小屋の壁が残っているだけでも良しとするべきだったのだろう。
無論、そんな気遣いらしきものがこの時のシャンネプちゃんに分かるはずも無く、依然ルイはただの怖い人で、更に言えば魔法が使える怖い人になっただけだったが。
そしてこっちもこっちでそんな心持ちなどお構い無しに、ルイは腰を抜かして怯えるシャンネプちゃんに対して自身もしゃがみ込み、同じ目線で喋り始める。
「……麓の街で、リルに会った」
「……お母さん、に?」
「いや……会った、とは言い難いか。既に死にかけていたからな」
「――ッ!」
ルイ曰く、シュイリベル・リンクスの路地裏で如何にも胡散臭い様相の多種族の男達にリルは襲われていて、気紛れにその連中を痛めつけて退散させたが(状況証拠があるのでこの場合ルイはジャッジ・システムによる裁きは受けない)、既に衰弱していたリルはその場でルイとドナー契約を結んだらしい。
そしてその内容が、
「娘を、守ってください」
「――……」
契約を結んだルイは、状況から察するに家に残されたシャンネプの方にも先程の連中の仲間が向かっていると推測し急ぎここへ来たのだと言う。そして案の定男達が家に火を点けている現場に遭遇しその連中を斬り倒したのだが、シャンネプの生存を確認することは出来ず、仕方無くリルを顕現し契約の処理をしていた最中にシャンネプが後ろから来た。という状況なのだと言う話だった。
「俺はお前の母親の遺言に従って、お前を守る。来るか?」
取りようによってはそれは魅力的過ぎる殺し文句かもしれないが、ルイのその言葉はシャンネプちゃんにとっては母親の死を改めて突き付けられたものに過ぎない。
視線を逸らすシャンネプちゃんに対して、ルイはあくまで平坦に、子供に言い聞かせるものとはとても思えない当たり前なトーンで言葉を続ける。
「お前が望もうと望むまいと、俺がお前を守ることに変わりは無い。それを受け入れようと受け入れまいと、俺がお前を守ることに変わりは無い。だが母親の後を追いたければ勝手に追え、俺はそれを全力で阻止するだけだ」
「…………勝手」
「ああ。だが、それがお前の母親の望みだ」
それを否定する心が、お前にはあるのか?
そう言われたら、シャンネプちゃんは黙るしかなかった。
子供ながらの、しかし純粋な二律背反の思いがシャンネプちゃんの動きを縛る。前と後ろ、血に染まりそうな手と血に染められてしまった手、生と死。どちらを取るのか、取りたいのか。分かっていながらも認めたくないというだけの可愛らしい、しかし可愛さの欠片も無い問いかけ。
ただ、目の前にいるこの男はあまりそういうことで人を悩ませてくれる奴ではなかった。
「いつまで黙ってるんだ、早く選べ。そう難しいことでもないだろ」
「む……」
浅めに眉間に皺を寄せて睨むシャンネプちゃんに、ルイは諭すように息をついて言う。
「……与えられたものをただ受け入れるだけならそれは思考の、ひいては人間性の放棄だ。だが自ら選んで手にするのであれば、それはどんなものであれ正しい。大事なのは何を選ぶかじゃない、与えられた選択肢から自分で望む未来を作り出すことだ」
そんな事を言って、ルイは立ち上がり手をシャンネプちゃんの顔の前に差し出した。
「改めて問う。俺はお前を守る。来るか?」
子供に対して、何の遠慮も気遣いも持たない選択を迫るルイの問い。しかしそれは裏返せば誰構わず対等に扱うという大人な姿勢でもあった……のかもしれない。
少なくともこの時のシャンネプちゃんはそんな風に感じ取った節もあったようで。
「……行く」
シャンネプちゃんは、立ち上がってからその手を取った。
自分から、受動ではなく能動で。
そして、まだ全身にこびり付いている喪失感と悲嘆を溶かすように、歌った。
小さな声で、雨に紛れて。
「…………っていう話で良かったんだな?」
「うん、そう」
以上、シャンネプちゃんの回想シーンをお届けしました。
それからは何だかんだ一緒に旅をしつつ、初め抱かされた印象とは違う人物だとルイの事を文字通り見直したんだとか。あたしにはまだ分からん境地だな。
聞いていて、万人の憐憫を誘うエピソードであると思いはしたが、別にそんな事を望んでいるわけでもないだろうからこれっぽちも涙しないでおくことにする。
それよりも、ルイがどうしてこの時リルのドナーを引き受けることにしたのかが納得行かんと言うか、腑に落ちん。この時まだルイはドナー屋を始めていた訳ではないだろうし、リルのドナークエストは『娘を守ってください』な訳だからそれは今も継続中な筈であって、しかも終わりがほぼ無いものの筈だ。あの強化狂がそんな何にも特にならないものを何故引き受けることにしたんだか。
余程、特別な何かがあったって事、なのかねぇ?
「……聞きたい事、終わり?」
シャンネプちゃんが眠気を堪えた感じで聞いて来る。
いかんいかん、長らく喋らせてしまったからかなりお疲れっぽいぞ。まあ回想翻訳したのはあたしだけどさ。
「じゃあ、あと一つだけ聞いとこうかな」
バックボーンが分かったから、愚問かもしれないが。
あたしは、きっといつかのルイのような表情をして聞いた。
「あたし達が戦ったら、シャンネプちゃんはどうする?」
その問いにシャンネプちゃんは、いつか問われた時とは異なるであろう明朗快活な様子で、しかし静かに答えた。
「……ただ、歌う。どうなったとしても」
それなりに貫徹する覚悟を今更ながら決めて、あたしは宿の外に出た。やはりこういうときシメを飾るのは深夜の外っすよねぇ。
さっきは予期せぬ形で話が後回しになってしまったが、やはりこいつからも聞いておかないとこのイベントは終わらんでしょ。つか、後々気になってしまいそうだしさ。オセロで取れないところに逆色があるのが許せないタイプなんだわ。
そんなわけで、シャンネプちゃんとの初対話を済ませたあたしはクソ寒いのを我慢しつつ、外に出て行ったという風見ルイの姿を探す。これですれ違いかなんかで知らん内に戻ってたら出発前にフルボッコにしたるぞあんにゃろめぃ。
近い所でまず宿の裏を捜し、まさかと思って街の酒場の方も覗きに行き、それこそまさかと思って近場で最後のレベル上げをしてるのかと思ってちょいと街の外にも足を運んでみたものの、どこにもいやしねえでやんのあ奴は。トランスポーターはこの辺には無いし、深夜だからロクに聞き込みも出来やしない。無理ゲーじゃなかろうなこれ。
結局20分くらい探した頃だろうか(小さい街で良かったよホント)。オチは至って下らなく、宿の屋根の上にいやがるのを戻って来た時に発見するってものだった。宿が街の高台にあったのが運の尽きって事ね。あたしのぬくぬく返せよマジで。
せめて不意打ち気味に現れてやろうと思って、宿の裏側から大ジャンプ。音を立てないギリギリの跳躍力を面倒にも計ってそんな事をするこの手の込みよう、凄くね?アホか。
そんでようやく屋根の頂点に腰掛けるルイの姿をきちんと視認すると、なんとまあルイは電話している真っ最中だった。
この男がこんな時に電話する相手ってのも何だか興味をそそられるんで、あたしはその場から動かずに全神経を聴力に傾けて盗み聞きを試みる。が、冬の澄んだ空気は本来音を伝えやすい筈なのに全然聞こえて来やしない。どんだけ小声で喋ってんだよ。
んで、またまたこんな時のお約束。
「……っくしょい!」
全神経を耳に傾けていたせいで体が冷えた事に地味に気付かずくしゃみ。
結果、気付かれる。やっぱアホだあたし。
当のルイはほんの少しだけ驚いた風にこちらをチラッと見てから、短く電話に何かを喋ってその電話を切った。そしてあたしには背を向けたまま話し始める。
「長らく探されていたみたいだが、何だ?」
「長らく電話してたみたいだけど、何なの?」
対句法で返してやる。
「……実家だよ」
おりょ、答えて来るとは。
「あんたの実家って、まだあったの?」
「俺の家を知ってるみたいな口振りだな」
「知らねーけど。そういう意味で聞いたんじゃねーし」
分かってるよ、みたいな感じでルイは鼻で笑った。ムカ。
「まあ、実家が無くなるなんてことはまずないだろうな、世界でも有数の財閥だ。それこそ蒼衣家の比じゃないくらいのな。世界が書き換えられても生き残るくらいには図太い商売してるんだ、俺一人がいなくなったって問題無いだろうよ」
おや、口火を切ってくれたか、空気の読める奴だ。まあこの寒々しい空気が分からん奴はいないだろうけど。いたらそいつは相当面の皮も皮下脂肪も厚いに違いない。
「あんたは、逃げて来たのか。家から」
あたしも、こいつと対するときは最近マジのトーンになる。でないと言い負かされかねんからだ。
「……まあそうだな。贅沢が嫌になった、みたいなもんか。昨夜に聞かれたら殺されかねん話だけどな」
「何なら電話で繋いでやろーか?まだ起きてんでしょうから」
「要らん。追及される前に答えといてやるが、さっきの電話の相手は実家に残ってる俺の部下だ、定期的に実家の様子やらを報告させている。掘ったところでお前の喜びそうな話は出て来ないぞ」
男がそう言う時は女にとっては面白いものが隠れてる時だな。きっとその部下も長年仕えているメイドさんとかで、むしろ同い年くらいで幼少期から一緒に暮らして来てて、雇い主の息子と使用人の娘っていうちょっとアブナイ関係での甘酸っぱい信頼関係があったりするんじゃなかろうか。異界に来てからもちょくちょく連絡を取ってるって事は、そのメイドさんが異界に来てもルイが戻ることになっても大丈夫なように備えているって事なんじゃあないのかねぇ?
ま、あたしは空気が読める奴なんで、きっと事実に肉薄しているであろうその辺の妄想は内に留めておくことにしておいてやるか。聞いておくことは他にある。
「ねえルイ。あんたはどうして自分が異界に呼ばれたか考えた事ってある?」
暁未来の話があったからこういう聞き方になってしまったな。
その辺を感じ取ったかどうか知らないが、ルイは少しの考える間を置いてから答えた。
「……別の世界に行きたいって思ってたからじゃねえの?少なからず後ろ向きな心持ちだったから地球から弾かれたんだろうな」
実際は少なからずどころじゃなかったんだろうねぇ。7年前って言ったらそれなりに昔なんだし、まだまだ順番待ちな奴らも多かった筈だしな。
しかしこの回答、さすがと言うか何と言うか。
「じゃああれか、あんたは裕福過ぎる家の暮らしが嫌になって自分の力で生きてみたいなぁと思って家出、それでも家の事は気にしてあげてる優しい坊ちゃんって事かい?」
「後半は肯定しかねるが、前半はその通りだな」
きっぱり否定じゃないんだな。
「そんで、家出の最中異界に引きずり込まれて、自力で生きるっていう目的と合致。そんな暮らしが心地良いから昨夜や未来の目論見を阻止するために今現在同行中、ってことで合ってるのかな?」
「そうだな、概ね間違いは無い」
「へぇ、そうかい……」
未だにあたしに背を向けたままのルイに対して、あたしはルイの頭上を飛び越えて目の前に着地してやる。ひょっとしたら一瞬チラリしたかもしれんがこいつならどーでもいい。
そして、最高に悪い笑顔をして、イジメっ子のボスのように腕組みをしながらルイを見下ろしながらあたしは言った。
「じゃ。その概ねじゃないとこ、じっくり聞かせてもらえやしませんかねぇ?」
「あ?」
「あたしが知りたいのはそこなんだよ。あたしのいい加減な設定に全乗っかりするようなエピソードの持ち主なわけないだろあんたが。そんなつまんない奴と最終決戦に向かいたくないし、そんなつまんない奴がこんなに強くなれるわけない。あんたの強さを支えるものが、あたしは知りたいんだ」
我ながら気持ち悪い言い回しだが、まあ聞きたいところはそこなんだよ。モチベーションの部分だな。
そして予想通り、ルイは嫌な顔をする。
「何でそんな事を言わなきゃならんのだ……」
「あたしが知りたいから!ねーねーいーじゃーん、教えんさいよー!!」
こういう時は力技である、小細工は無駄なのだ。ま、一応女子高生らしく可愛さも織り交ぜてはあるけどね。効かんとは思うけど。
で、ルイの肩をがっしり掴んでガクガク揺らし続ける事数秒、腕を払われて言われた台詞がこれだった。
「言って何が変わるってんだよ」
「はぁ?」
「言って俺にとって何が変わるわけでもないし、して意味の無いことならしないに限る、無駄だからな」
「あたしには意味がある」
「知るか。それに、知って気持ちのいい事とは限らんだろう。知らぬが仏、とも言うしな。ならそんな不調和なものは出さん方が良い、出して現状が悪くなった時の責任まで俺は負いたくない。だったら出さんままに自分で小さな不具合を背負った方がまだマシだ、幾らでも調整が利く」
「随分と保守的な気遣いね、似合わない」
「似合わんで構わんが、俺はそうしてきた。言いたくない事を言わんのも言っても仕方の無い事を言わんのも俺らしくあるし、立てなくていい波風を立てたくも無い、面倒だしな。俺はあくまで俺が出来て俺がしたいことをするだけだ、それ以上を俺について知る必要も無い」
「……ほんっと、似合わない」
こいつ……、見た目と日頃の態度の割に随分と可愛い事を。
つまるところ、こいつのモチベーションは『平穏』なのだ。平穏と言っても、それはあくまで自分の平穏だけど。自分の世界の平穏を守るために動くのが全てなのだ。
そしてこいつにとっての自己中な他者の利益とは、傷付けない事、なのだ。家にいて非協力的な思考を持ち始めた自分がいて家が不利益になりかねないなら自分が出て行けばいい、一人では生きて行けない弱い人間がいるなら自分の手の届くところにいれば守ってあげられるからついて来させればいい、自分の言葉で誰かを傷付けてしまうのなら自分が黙って飲み込んでしまえばいい。そしてそれを知られたくないから少しだけ斜に構えて本来とは違う自分を見せて誤解させておけばいい。
そんな、真面目に自分を貫きながらも極力他人が傷付かないような道を探す優しい、自分のせいで他人が傷付いた時それよりも深く自分が傷付く事を知っている脆い、だからこそそうさせないよう敢えて自分で先に小さな傷を付け続ける不器用な奴。
それがこの、今という平穏な時間のために戦う、風見留今という人間なのだ。
……この短い会話の中でよくそこまで分かるなとツッコミたいかもしれないが、分かっちゃうものはしゃーなかろう。一種のシンパシーってやつだ、さすがに100%とはいかないけどさ。
んで分かっちゃったからこそ、やっぱ本当に知らなきゃ良かったかもなぁとか思ってしまう。こいつの言う通り知って良い事ばかりでもなかったね、やりにくくなっちゃったかもだよ。全く、相手の事情を知れば知るほど戦いは複雑になるってなもんなのに。
……まあ知りたがったのはあたしなんだから文句は言えないんだけど。って、飲み込みと諦めと開き直りが早いのもあたしら自己中の特徴なんだよな。自己の利益の為に、最低限の手間で最大限の効率を生み出すために、自分の美学とプライドに反さない事にはほぼ執着をしないってね。
それにしたって、分かっていたことだが。
このパーティ、本当によくもここまでバラバラでいられるものだ。昔に未練タラタラのと、先以外に興味無いのと、今を手放そうとしないのと、ついでに他人に雁字搦めのと。
パーティというものが一つの建物だとしたら、メンバーとは柱だ。素材も長さもてんで違うあたしらがこうして奇跡的に立てているのは、傾いて上手く支え合う一つの点があるからに他ならない。角柱ならぬ角錐、そんな歪な建物にあたしはいる。
それはそれで美しい一つの形かもしれない。あたしみたいなのはそれで満足するのかもしれない。けど、その不揃いが過ぎる決して角柱が作れない柱でどうしても誰もが納得する角柱を作らなければならないという矛盾を迫られた場合どうするのか。柱の特性を一つ一つ調べ上げ、理解して、納得したところで、それは出来ないと分かってしまっても。
あたしは自分の栓を抜くかのように大きく、大きく一度だけ息を吐いた。
「……ったく、馬鹿らしい」
電話なんかよりもボソッと小さく口の端を微かに上げて言ったあたしの呟きを、留今は聞き逃さなかった。
「あ?」
「あたしもあたしで、あんたらもあんたらで、揃いも揃って。あたしは悩みっぱなむし、あんたらは悩みもしないし。けど、そんなのもう馬鹿らしくなったよ全部。悩むだの悩まないだの、何の為だの誰の為だの、過去だの今だの未来だの、比べる事すら馬鹿らしい」
あたしはやおら自分の愛剣一対を取り出し、その光り輝く刀身に更に自らの炎を纏わせて空高く放ってみせた。そして、さしあたっては目の前の男に、ひいてはこの異界の全ての人間に対して意気揚々と腰に手を当てて言い放つ。
「あたしの回答は決まった。あたしは……あたしの意地を貫き通す、誰に何と言われようとも。その上で、あんたらが納得するような結末にしてやんよ!」
言い終わると同時に、あたしの両サイドに燃え立つあたしの愛剣が突き刺さった。空を斬り、地に這っても、未だ滾る一対の紅蓮の火。
あたしと共にあるには、最高だ。
「……お気楽な奴だ」
目の前で、そんな事を言う奴がいたとしても。
結局本日の睡眠時間は1時間あるか無いかって感じでしたよ。それで朝から半日かけて富士登山(仮)をしなきゃいけなかったこの辛さ、いくら身体強化されていたって面倒なものは面倒だったよ。
いや、体自体は元気なんですけどねっ!?もう色々吹っ切ったから!!
「……でもさぁ、これは萎えるわぁ」
ひーこらひーこらしながら霊峰ゼルデリカを何時間かかけて登り、山頂に聳え立つ管理塔を見て……だけじゃなくてね。いやそれはそれで管理塔でかいなとは思ったんだけど(全10階層らしいし)、あたしが萎えたのはそこじゃなくて、その入り口にいた人影の方だった。
「……ん?ああ、やっといらっしゃったのですね」
「遅っそいぞー、皆の衆!」
「し、師匠!来ちゃいましたっ!!」
開かない管理塔の入口でキャンプを作って待ち構えていた見知った顔の女三人。
偽善説教聖騎士ことシオン・デイライト。
異界でのあたしの数少ないダチことフィア。
そして、語る価値も無いエピソードにより何か知り合った平凡少女こと森羅有可。
……本当、何でいんの?
「昨夜さん、今回の事教えていただき感謝しています。おかげでこうして助力に来れました」
「いえ、私の発案というわけでもありませんし」
うわ、こっちのせいかよ。泣けてくるわ。
「こぉら明日実ちゃん、ここは喜ぶとこでしょー。傷付くぞー?」
「あ、うん、悪い悪い」
素直に喜べんよ。何と言うか、初めて海外に一人で旅行に行ってワクワクしてたら出先の空港でクラスメイトに遭っちゃったみたいな気分っていうか。ああ、これでアガるかサガるかは人それぞれでしょうけど、あたしはテンションダダ下がりだ。なのであたしに抱き付きながら頭グリグリすんのやめてもらっていいですかねフィアさんや。痛いんで。
「……二人はまだいいとして」
あたしは、自称弟子を謳う同年代女子を睨む。睨まれた方は緊張した面持ちで気を付けの姿勢。あたしは先生かっての。
「はぁ……。誘われても断んなさいよ、出来ない事を無理にやるのはどーかと思うけど」
「あぅ……、す、すみません」
しょげられても困るんですけどねぇ。萌えないし。
と、ガシャガシャと鎧の音を立ててシオンが会話に割って入って来る。
「待ちなさい明日実。彼女を誘ったのは私です、彼女を責めるのは筋違いで――」
「んじゃシオンを責めるわー。なーんでこんなとこ連れてきちゃったのよ、あたし仮にこの子が死んでも責任取れないんですけど」
「彼女は私が全力を持って保護しています、この付近の魔物のレベルからしても問題はありません」
そーいう問題じゃないんだけどねぇ……。
あたしが肩を落としていると、その落とした肩に誰かの手が乗った。
「いやいやー、悪いねぇ。未来が世界的に今日のこのイベント告知しちゃったもんだからさぁ、どうしても実況役というか証人が必要だと思ったわけだよ」
うぉう、いつの間に出て来たんだ暁未来in昨夜バージョン。つか最早描写すらカットするほどお気軽にやれちまうんだなドナーの入れ替わり。
それよりも告知って何、聞いてないけど!?
「だって、さすがに世界中に関係する事だからねぇ、勝手に未来達だけでどーこーしていいもんでもないっしょ?心配しなくても告知したのはついさっきだし、他に野次馬が来る事は無いよ。二人に関しては昨日の内に伝えておいたからここに来てはいるがね」
勝手に世界の法則を書き換えた人間がそんな殊勝な事を言うか……。
「という事で、RECの用意はばっちりです!」
「照明機材も完備してるでござるよ!」
暁未来によって擁護されたシオンとフィアが、もう完璧なまでのロケセットをいつの間にやら完備してくれていた。さらっと有可もそこに加わってるし。
「……もう好きにしたらええ」
ただでさえ疲れてる時にこれ以上疲れたくないわー、これから最終決戦的なものも待ってるってのに。……随分オープンで劇的なものになっちゃったけどさ。
ま、どうでもいいところは遠慮無く妥協しておこう。戦闘で邪魔にはならんだろうし。
そんな感じであたしが額を抑えていると、暁未来in昨夜が場を仕切るように手を叩いて全員の注目を集め出した。
「さて、そんじゃあここで全快するまで休んでから内部に侵入するとしましょうか。気分をすっきりさせてから、皆で協力して最終ダンジョンを攻略しましょー」
おー!と拳を高く上げるも、そのノリに賛同したのはシオンとフィアくらいなもんでした。そらそーだ。
んで、散々昨日留今達に話を聞いちゃったんで、ここでの休憩中でお届け出来るエピソードも特にありませぬ。普通に各々寝転がったり駄弁ったりご飯食べたりで、あれだけ分量使ってお届けした昨日のエピソードが残念になるくらい残念な風景が広がってましたよ。余り物のクラスメイトで組んだ修学旅行の旅館での風景みたいだ。あー締まらない。
でも、どんなにぬるっとしていても、物語は最終段階に進んじゃうものなのでした。