PARADOX.2 おきてしまっていること
PARADOX.2 おきてしまっていること
ガシャン、ガシャンと、金属鎧と背負う大剣が擦れ合う音を響かせながら、彼女は宮殿の廊下を全く歩調を乱さず歩く。白一色で染め上げられている宮殿内部は、そこにいる生命体を嫌でも引き立たせ、その存在を露にさせる。
ただ、いかなる場所であろうとも彼女の存在は目立って仕方無いのであるが。
生涯傷んだことの無い生粋の長い金髪を両サイドに纏め、かと思えば上品かつ無駄の無い大人なメイク術を駆使した西洋の女性。その洋装は、鎖帷子の上から白銀の上半身の甲冑を着込み、金属製繊維で編まれた腰巻の下に鎧に合わせた具足を身に付けるという、正に西洋の女性騎士の代表の如しなもの。更には彼女の愛剣、刃渡り1・5m、刃幅40cmという巨大な黒鋼の刃を携えたクレイモア、『ナイトメア』がその存在感と威圧感を支え、胸に下がる金の十字架は彼女の壮麗さをささやかに引き立てていた。
そんな彼女、イギリス人のシオン・デイライトは今、ある魔物の討伐隊のリーダーを務めてこのバルフェニア宮殿に足を運んでいた。宮殿は地球上に現存する最大級の城が3つ並ぶくらいの広さを誇り、必要以外の場所のマッピングは済まされていないところでもある。
システムの上では最大の5人パーティ×6レイドの30人を纏める立場としてこの討伐計画を開始してから一週間、計画の立案から情報の収集、装備の確認や実際の戦闘の役割分担の指示まで全てをこなして来た彼女は、表には出さずにいたが疲労していた。
そもそもが、顔見知りですらない人達を共通の目的があるとはいえ何一つ問題を起こすこと無くここまでまとめられただけでも評価されるべきことだが、例の魔物が巣食うらしい宮殿の内部(勿論討伐対象以外の魔物も存在する)に陣を構え、他のメンバーのコンディションは整えさせたものの、肝心の指揮官である自分が十全ではないことに少なからず情けなさと申し訳無さをシオン自身も感じていた。
しかしながら、その責任感の強さから討伐の成功を盤石にしたがったシオンはメンバーに平謝りをしつつも一人、ある人物に協力を要請しに今の今まで行っていたのである。
……結果は芳しくなかったが。
「あ、シオンさん。お帰りなさい」
本陣に戻ったシオンにいち早く気付いたのは、サブリーダーを務めていた自称狙撃手の青年。シオンとは対称的に威厳の欠片も無い如何にも日陰が似合う黒髪の青年からも、
「……あの、ダメだったんですか?」
という心配をされてしまうくらいには、シオンの表情は曇っていた。
「ああ、決してそういうわけではないのだけれど……」
不安。
シオンの胸中を蠢いて気分を悪くさせる。
そう、決して断られたという事実があるわけではない。だからこその不安なのだ。
「不確定要素を期待しても仕方ありません、今は私達だけでどうにかしませんと。そのために準備をしてきたわけですし」
事前に得ている情報からして、現状の勝率は上手く行けば8割5分程とシオンは睨んでいる。部の悪い賭けではないにしろ、ここは異界。備えて備え過ぎないことは無い。
何より、自分の失策で脱落者を出してしまっては心苦しいにも程があった。
「では、作戦を開始しましょう」
体力の回復ポーションを口にしつつ、シオンとサブリーダーの青年はメンバーの待つ宮殿最深部、討伐対象エンテルバイトが巣食う一〇三柱の間へと歩を進めた。
エンテルバイトは体長4m程の小型竜だが幾度となく他の討伐組が取り逃がしている魔物で、そのせいか『強大魔物』という討伐困難種に分類されるようになった魔物だった。翼を持つが基本は地上で過ごし、その主だった特徴は全身を覆う甲冑と、その体躯と重量に似合わない俊敏さだが、最大の特性は、地形を最大限に利用する知性にあった。
初めて討伐を試みたチームはシルフィ地域の巨大な渓谷で対峙したそうだったが、その際も巨木の影や崖の壁面を縦横無尽に駆けこちら側の攻撃を巧みに回避していたという。そして散々無駄に攻撃させたところで、得意の突進からの攪乱近接戦を挑んでくるらしいのだ。
そして謎なのが、本体の負傷の程度とは無関係に、こちらを徹底的には攻撃せず一定の成果を上げると逃亡するという習性を持ち合わせるというのだ。しかもその度に別の複雑な地形の場所に住処を変えるため、これまで一度も討伐されることなく今に至っているという話である(故に死者が出る危険性は限りなく低いのではあるが、シオンはそれすらも考慮して計画を練っていた)。
そんなわけで、エンテルバイトに付いた俗称が、
「『狂戦竜』、僕らで討伐出来たら有名になりますよね」
戦闘を狂しんでいる竜。
シオンからしてみれば、そんなものがいられては誰にとっても楽しめない現実だと思っていた。だからこそ、この討伐に誘われた時に自ら指揮を執ることを志願したのである。
名声は、二の次だった。
「動機は自由ですが、まずは討伐あってこそですから。逃がしたらそれこそ笑い者になるだけなんですからね」
他のメンバーが名声を得て喜べるならそれはそれで嬉しいので頑張りたいところではある。
一〇三柱の間の前では、準備を済ませ後は突撃を待つだけのメンバーがシオンの帰りを期待して待っていた。皆一様に士気は高く、むしろこっちの方が戦闘狂なのではなかろうかと思えなくもないほどにうずうずしている連中の中に女性はいない。そういう意味でも、やはりシオンは指揮官には適任だった。
ちなみにエンテルバイトが仮住まいしている一〇三柱の間は、その名の通り一〇三本の柱で構成された大広間だ。本来ならば王族への謁見や何かしらの儀式のための空間であり、まずもって戦闘には障害物が多く不利な、エンテルバイトには利点だらけの場所である。
そんな場所であってもシオンは戦闘を決意した。全てを考慮し、計算に入れた上での綿密な作戦も用意して。
ただ、唯一の不確定要素のあれについてはその範囲外であり、その場での自分の判断力が問われるのであるが。
「シオンさん、号令を」
促され、シオンは呼吸を整えて全員の前に堂々と、しかし優美に踏み出した。
「それでは、これよりエンテルバイト討伐を開始します。皆さんが自らの役割を全うしてくだされば必ず討伐出来ると信じておりますので、どうか、お力を……」
深々と一礼。これぞ男性パーティにおける女性の強み、紅一点を守り抜くという男の悦びを刺激するという鼓舞の仕方を何の躊躇いも無く行使するシオン。
それを見た男達は次々と、「任せてくれ!」「やってやんぜぃ!」「おぉっしゃー!」とかいう歓声をホイホイ上げていた。シオンにとっては至って当たり前の悪意の欠片も無い事なわけだが、もしもこれまでのシオンの指揮官っぷりをずっと見ていた女性がいたならば、この時点で嫌気が差して抜けていたかもしれないくらいこれは見事な籠絡させっぷりなのである。
結果、シオン以外はかなり興奮状態で戦闘に臨むことになった。
「では、開扉っ!」
号令と共に、男達が間に続く大扉を開く。重厚な造りの扉はガガガガッと大きな音を響かせて、外とは異なる異様な冷気を伴ってシオン達を内部へと誘った。
中は事前の調べ通り、巨大な石柱がずらりと立ち並ぶ、70m四方はあろうかという広大なフロアだった。昼間だというのに廊下に比べて薄暗いのは、日の光を取り入れるのが奥にある細長い8枚の窓と、20mの高さにある天井に設えられた目測直径5m程の天窓だけしかないからだろう。本来ならばそこかしこにある松明に火を灯すのだろうがそれも無く、おかげで少々肌寒い。
そして、シオン達はまず一番の出入り口である大扉を閉じた。エンテルバイトの逃走経路を少しでも減らしたいがための措置ではあるが、これにより殲滅戦になる可能性も跳ね上がる。
が、それは当然全員が納得済みの事であった。元より討伐に来ているのだから従わない理由も無い。光源も減るが、それも織り込み済みである。
シオンは室内を一瞥するが、すぐにはエンテルバイトの姿を確認することが出来ずにいた。一番開けた奥の壁際、玉座が置かれている小さな石の檀上にいるものかと思っていたが、そこにもいない。
「全員、陣形を維持して。前方に盾戦士組、両翼に攻撃組、中央に魔法組。索敵をまずは優先して。魔法組は詠唱を開始しておいて」
全員の最後尾から一人指示を出すシオン自身は、取り敢えず指揮官らしく殿を務めることに普段からなっていた。全員が自分の背中をシオンに預けるというこの陣形は指揮官に対する絶対の信頼が成せるものでもあったが、シオンの消費を防ぐためのものでも正直あった。
シオンの戦闘は、とにかく、激しいのである。
が、その相手がいなければともかく何もしようが無く、自分達の足音以外はほぼ聞こえない中、
「……何か、聞こえねえか?」
右翼の槍使いが斜め上を見てそう言った。それに反応して一同が足を止めて上の方へと注意を向ける。
すると、竜特有の低く篭もった息遣いが微かに耳に響いて来た。だが、奇妙なことに各々のその声が聞こえる方向はバラバラで、結果それぞれがフロアのあちこちに注意を向けることになってしまった。
それが、大勢の初動を遅らせる結果となる。
「……、……?…………ッ!」
ふと何の理由も無く大扉の遥か上を振り返ったシオンの暗い視界の片隅に、巨大な黒い塊が蠢いた。その塊は、天井近くの壁からこちらへ向かって正に飛び出してくる寸前の動き。
「反転ッ!」
有らん限りの絶叫と共に、シオンはその塊に向け武器を取り出し全力で跳躍する。撃ち出された弾丸の如し速度で飛び出したシオンは、しかしてすぐに何かにぶつかり奥の玉座に向かって思いっ切り弾き飛ばされた。
「っ、くぅっ……!」
空中で体を旋回させ、何とか両脚と片手で勢いを削ぎながら無事着地出来たシオンは、最早目で確認する前に離れてしまったメンバーに向け叫んだ。
「エンテルバイト、討伐開始!」
シオンが言うと同時に、地鳴りを響かせメンバーの目前に急降下してきた黒い塊、漆黒の皮膚に灰色の全身鎧を纏った狂戦竜エンテルバイトが、真正面から全力の咆哮を解き放った。
「グアアアァァァァァァァァァァァァァッ!!」
咆哮による風圧が、全面を固めていた陣形を後方から直線的に突き崩していく。
密閉された空間での音の反響により注意力を散漫させられていた一同は、適切な対応を取れないまま呆気無く左右と吹き飛ばされた中央にと分断され、当初の計画からいきなり反れた。
「壁に貼り付けるなんて、聞いてないって!」
これまでのエンテルバイト戦で、屋内戦になったという事例は無かった。だからこそ木々や岩肌には生物として当然しがみ付く技量はあろうが、まさか垂直な壁にすら停滞出来る術を持つとまでは誰も考えもしなかったし、まさか超重量の竜種がそんな離れ業をやってのけるという発想も常識的に無かったのである(壁や柱の間を飛び回るということは想定していた)。
が、ここは異界。地球とは似て非なる法則が支配する、割と何でもありな世界。起きた現象は、理屈が分からずとも是なのである。
自分の考えの甘さと迂闊さに舌打ちして、シオンは仕方無く大勢を立て直すための緊急措置を取ることにした。
「ハアアァァァァァァァァッ!」
吹き飛ばされて来たメンバー達を一足飛びに越えて、シオンは大剣を振りかざしエンテルバイトに斬りかかった。
脳天に向けて振り下ろしたその斬撃は、俊敏に左方へ飛び退いたエンテルバイトの遥か横の空を斬った。しかし初めからそれは承知していたシオンは、その動きを即座に追跡する。そう単純に追跡することによって、時間稼ぎを試みようとしたのだ。
実は一足で10mを移動出来る脚力を持つシオンではあったが、この柱の間を飛び移りつつ移動してくれているエンテルバイトの動きを追うのは本人の予想よりも苦労を強いられることになった。
シオンの脚力に比して、事前に想定していたよりも柱の間隔が狭かったのである。
機動性に関しては体の小さいシオンの方が小回りが利くと思っていたのだが、直線的にしか移動出来ないシオンに対し、円柱にすらしがみ付けるエンテルバイトはするりと柱の反対側へと回り、自在に明後日の方向へ飛び去ることが出来るのだった。
おまけに柱は等間隔にかつ位置的に交差して配置されているため一気に直線的に距離を詰めることが構造上難しく、しかも全力でシオンが飛んでしまうと柱に着足する際に余計な圧力が自分にかかってしまうために若干ながら力を抑えねばならず、思ったほどの速度も出せなかった。
おかげでシオンはエンテルバイトに追い付くどころか距離を詰める事すら満足に出来ずにいたのである。
「それに、まだスキルを使うには早すぎる……」
そうやってジリジリと、決め手を出せないまま離されて行く不毛な空中柱間追いかけっこが一分程続いた頃、数手前を行くエンテルバイトが飛び出した先で突如、小規模の爆発が起きた。
それが直撃したエンテルバイトは真っ逆さまに落下し、初めて動きを完全に止めた。
シオンがその原因を見ると、ある程度大勢を整え直した魔法組がシオンの援護用にと続々と詠唱を開始しているところだった。周囲に盾戦士組がいることから、本来の予定にそろそろ戻せそうだとシオンは判断を下す。
「よし……、行きますか」
エンテルバイトが止まった刹那の間で、シオンは直上の柱へと辿り着く。そして、一気に直下へ跳躍して再びの斬撃を繰り出す。
今回は、その黒い剣に白い光を纏わせて。
「『クレセントウィング!』」
振り下ろすと同時に辺りを覆い尽くす程の光の爆発が巻き起こる。
剣の軌跡を光属性の魔力の斬撃に変えて飛ばすシオンの得意技『クレセントウィング』、それを敢えて斬撃と同時に放つことで威力を倍加させた一撃は、確かな手応えと共にエンテルバイトのどこかを吹き飛ばす鈍い音がした。
光と土の煙がもうもうと立ち込める中、メンバーの歓声が沸く。さすがにこれで倒せたとは誰も思ってはいないものの、それなりの傷を負わせたことは間違い無かろうという思いがついつい溢れ出たものである。人間誰しも優位性や希望が見えると必然的にそうなってしまうものだ。
そして、それからのお約束。
立ち込めていた煙が、突如として激しい風圧と轟音と共に一気に霧散する。そこからメンバーの方へ飛び出して来たのは僅かに肩で息をし始めたシオン。
更には、右の肩当てのみが砕け散っただけのエンテルバイトが、再びの逃走劇を開始した。
メンバーの歓声は一瞬にして焦燥と不安のものに変わり、緊張がその間を支配しようとしている中、シオンは冷静に告げる。
「只今より、フェーズ1に移行します。各々方、攻撃の手を緩めませぬよう」
フェーズ1。つまりはここからが当初の計画である。
シオンはメンバーの返答を待つ事無く、エンテルバイトの追跡を再開した。柱から柱へ飛び移りながら、まずはエンテルバイトを視界に捕らえようとする。地上を走らないのは頭上が人間にとって死角になることを知っていたからに他ならない。
そして数秒の追跡の後、広間の端の柱上部に引っ付いているエンテルバイトの姿を捕らえた。だが今度は素直に接近はせず、再びシオンは中距離からのクレセントウィングを柱もろともなぎ倒しつつ放った。
技の発生から着弾までは一秒と無かったが、やはりエンテルバイトは別の柱の下部へと自慢の敏捷性で余裕の回避。しかしシオンはそれを気にせず更にクレセントウィングをそこから畳みかけた。が、それもエンテルバイトは留まる事無く飛び退いて回避する。
するとシオンは、エンテルバイトと一定の距離を保ったまま平行に移動し、柱をガンガン壊しながらクレセントウィングを放ち続け始めた。直径2mの石造りの柱が光の刃で次々に斬り崩されて行く様は何とも倒錯的であるようにシオンは思ったがこの際そんなこと言っていられない。心の中で建造物に謝罪しつつ、文化財(?)の破壊を続行。
エンテルバイトは巧みに攻撃を避けていくが、その度に崩れていく柱が広間の中央付近を中心に増えていく。そして半分程の柱が完全にシオンの攻撃で崩れきった頃、いよいよ他メンバーの攻撃が始まった。
飛び移る柱が減り地上に降り立つタイミングを狙って、広域系の爆裂魔法を数発エンテルバイトに浴びせていく。HPゲージは1分も減らないが、直接のダメージが目的ではないためそこは構わず、可能な限り間髪入れずに叩き込む。
そしてその爆発の嵐を嫌がったエンテルバイトは残る柱に飛び移ろうとするが、今度はそれを狙って死角に潜むシオンが直接斬撃を叩き込む。
最初は鎧に防がれダメージは通らないが、この地上に誘導して魔法→逃げる先を読んでシオンによる迎撃の基本攻撃を何度か繰り返す内に、狙いであった鋼鉄の外皮にも等しい全身鎧の胴体部分を破壊出来、本体に少しずつではあるがダメージが入るようになった。
「盾戦士組、攻撃組、準備してください。フェーズ2に移行します!」
エンテルバイトのHPゲージの減少を確認したシオンはメンバーに指示を出す。そして全員が予定通り号令を合図に伏せた直後、シオンは大剣を振りかざし、一気に解放した力をそこに集約させた。
「『トライエッジ・サークル!』」
そして高く跳躍しながらの、広間の壁をも刻む超広範囲旋回斬り3連。下から上へと水平に360度、渦を巻くように光の斬撃を放つことにより、広間に残るすべての柱を斬り崩したのである。エンテルバイトもその崩された柱にいたためそのまま落下、靄立ち込める瓦礫の中に真っ逆さまだった。
無論、本来はこのような超広範囲で使用することは無い、この場限りの限定技だ(最初から使わなかったのは柱が多すぎて威力が一気に減退してしまうからである)。おかげでシオンのHPはオーバーヒートによる減少とそれまでのクレセントウィングの乱発とで残り3割まで削れてしまっていた。しばらくは回復に務めなければならない。
ここから先がフェーズ2。恐らく障害物が無くなったら接近戦を挑んでくるであろうエンテルバイトと残りのメンバーとの消耗戦である。
当然ながら崩れた柱の瓦礫も障害物にならないではないが、人間と違ってエンテルバイトにとっては最早隠れ蓑にはならない上、脆くなったため重量級の奴には足場としても使えないというただの足枷でしかなくなったので、むしろこちら側には有利になるであろうとシオンは踏んでいた。
接近戦に入る時のエンテルバイトのパターンは、どこか高めの足場を使った三角飛びからの突進が常套手段であった。今までは体勢が整わない内に突っ込んでくるのでどうしようもなかったらしいが、今回はこちらが攻めに転じていられたため防御の余裕がある。最初の突進さえ凌ぎ切れればこちらの個々の能力も低くはないため十分勝算は高いと認識し、既に自慢の盾達がエンテルバイトに対して対峙している。防ぎ切って、鎧を破壊した脆弱であろう本体に各々が攻撃を叩き込めばそれで終わりだ。仮に一度で倒しきれずとも、繰り返せば遠くなく倒せるはずだというのがシオンの読みだった。
無論それは、これまで通りの戦闘の状況ならば、であるのだが。
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!」
気合の咆哮を上げ、埋もれていたエンテルバイトが瓦礫と共に突っ込んで来てしまっては、その余裕も無くなるというものだろう。
エンテルバイトの重量だけを想定していたメンバーの防御壁は石の嵐と竜の弾丸の合わせ技に、ボーリングのピンよろしく狂乱の悲鳴と共に散らされてしまったのだった。
「くっ……、こいつ、何という規格外れな事を……」
元より規格などという言葉はこの異界には存在しないのだが。
瓦礫を蹴散らし踏み越えてくるならまだ分かるが、瓦礫を押し流しながら突撃してくるという斬新な攻撃法を用いる竜がいるなどという発想が出来る人がいるのか、とシオンも流石に心の中で行き場の無い恨みを吐かずにはいられないところである。
が、どんなに毒づこうが迂闊さを呪おうが、現実は現実。シオンの目の前にはいつも通り接近戦に持ち込めたエンテルバイトがほぼ無傷で立ち塞がっていた。
対してこちらは負傷した指揮官に防御の薄い攻撃組と魔法組数名のみ。
と、思いきや。
「うわぁ!」「がぁぁっ!」「どはっ!」
息つく暇も無く暴れてくれたエンテルバイトのおかげで、呆然としかけていた残りのメンバーも次々と負傷していく。死者は出ていないが、あっという間にシオンは再び最前線に立つことになってしまった。
「ああ、もうっ!」
シオンは大剣を構え直し、エンテルバイトに対峙する。こうなると時間稼ぎがどこまで出来るか見当もつかないが、最低でも全員の生命の安全だけは確保しなければと決意していなくもなかった。
「全員、私が攻撃し始めたら扉まで撤退。それまでは何とか抑え込みます!」
指揮官として、やはり最後まで戦って殿を務めるのが責務とシオンは号令を出す。
が、実際はそうもいかなかった。
「何、言ってるんですか、シオンさん」
「女一人残して帰れるかって話っすよ!」
「リーダーこそ、俺らに任せて下がってくださいよ!」
残った戦闘可のメンバーが、我先にとシオンの前に躍り出る。驚いて周りを見れば、負傷者の中にも戦意を失ったものはおらず、シオンの周りによろよろと集まってくるものさえいた。
「皆さん……」
シオンは思った。ああ、この人達は本当に、本当に……、
……困った人達だ。
「死んでも、知りませんからね……」
シオンの呟きに、男達は大いに盛り上がる。
こうなったら、シオンも覚悟を決めるしかなかった。剣を立て、勇ましく号令を出す。
「では……、攻撃開――」
ガッシャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!
突如、広間の天窓が派手に砕け散った。
その場の生命体の注意がさすがに全てそちらに向くと、砕けた天窓から一つの小さな影がふわりと飛来する。
「あーーーろーーーはーーーーーーっ!」
何故かこの場に1%もそぐわない挨拶を口にしながら、その影はシオンとエンテルバイトの間に何の躊躇いも無く降り立った。
某都立高校の制服を身に纏い、長い茶髪のポニーテールを優雅に躍らせ、両の手に光り輝く刀身の剣を携えた、楽しさを全身から溢れさす少女。
「いやいやー、いい感じに弱ってくれちゃってるね。結構結構っ」
「あ……、あなた、何で……?」
シオンがその少女に呆気に取られた風に言うと、エンテルバイトを一瞥した少女はシオンに対して何言ってんの?的な顔をして言った。
「わざわざ呼んでおいてその言い方は無いでしょうが、折角要請に応じて立ち寄ってあげたってのに」
言って、姿を消した。
否、エンテルバイトの懐に潜り込んでいた。
「そいじゃ、ちゃちゃっと潰しましょうかね」
少女は、燃えた。
文字通り、全身を紅蓮の炎が包み込んでいた。
そして不敵な笑みを浮かべ、華麗に炎の剣舞を舞う。
「『ブライトレッド・タイラントっ!』」
「ふぁ~~~~ぁ……」
おっと、いけないいけない。ついついここに来ると眠くなってしまうねぇ。
「何だ、珍しくお疲れかい、お嬢ちゃん?」
カウンターの向こうから低く重厚な声がかかってくる。その声がまた眠気を誘うんだよ、分かれし。
あ、ここはヴァル地帯の中心都市、マディリィ・ヴァルにある酒場『火と水の精製水』で、これまた古き良き港町の酒場みたいな味のある内装をしてるところだ。石造りだし、酒樽とか並んでるし。店の名前は変だけど、結構くつろげるもんだからすっかりあたしもここがお気に入りで、ちょくちょく遊びに来てるんだな(古いものが好きなのかな、あたしも)。
で、今あたしに声をかけたのがマスターのおっちゃん、ヴァル族のダイグルヴ。竜顔してっから見た目怖そうなんだけど、単に体がデカいだけで粋なおっちゃんだよ。
「いやはや、強大魔物ってのはなかなか雑魚とは勝手が違ったねぇ。ちょびっと苦戦したよん」
「ほぅ、ちょびっとかい。それはそれは結構なこったなぁ」
おっちゃんが火吹きそうな勢いでガッハッハと笑う。うるせー。
ちょびっととは言ったが、昼間のあれは体感としては実は結構どっこいなラインだった。
エンテルバイトとかいうあの竜、デカくて重いくせに人間並みの体捌きしてくれるもんだからなかなか攻撃がクリーンヒットしてくれなくてねぇ。ちょっと最後の方はあたしもマジになっちゃって竜相手に一本背負いとかやっちまったよ。STR上げといて良かったー、空手と柔道の経験も生きたね。
それに意外とあの竜、タイマン張って戦うのが好きっぽかったからね。何かほんの1、2分だったけど、互いに楽しくバトれた気もするんだなぁ。リポップしたらまた狩りにでも行こうかね。そんな時間があれば、だけど。
だもんで、今のあたしは柄にもなく疲れているんでございますよ。
「おっちゃん、メニューにマッサージってのは無いのぉ?」
「あー、今度取り入れてみるかぁ。存外儲かるかもしれねえな」
でれーんとカウンターに突っ伏すと、おっちゃんがグラスにビールを注いで出してくれた。異界に法律は無いんで、未成年のあたしでもお酒は飲み放題なのだ。おっちゃんも気が利くぅ。
「こら、法が無くても自覚はあるでしょう。未成年の飲酒は日本でもここでも厳禁です」
と、あたしの横から説教と共にグラスを誰かにかっぱらわれた。あぁ、あたしのビールぅ。
「いらっしゃい、ねーちゃん。今日はあの坊主はいねえぞ」
「目的はそれではないですから、ダイグルヴさん」
そう言いながらグイッと良いビールの飲みっぷりを見せてくれたのは、ルイを通じて最近知り合った女剣士、シオン・デイライトだった。金髪、長身、ナイスバディと、三拍子揃ったまー美人さんなんだけど、あたしはちょい苦手だ。
だって……、
「アスミ、昼間のあれはどういうことですか。納得の行く説明をしてもらいますよ!」
「どうってー……?」
「私達が行っていたエンテルバイト討伐への乱入、そして討伐報酬の独占、更には他の方々への無礼千万、それらについての納得の行く言い訳です!」
「言い訳って言ってる時点で怒る気満々じゃん……」
お堅いんだよねぇ、この人は。
会うといっつもいっつもあたしにお小言くれちゃってさぁ、あたしを誰だと思ってんのよ(日本の一女子高生だけど)。
しかもこの人、いわゆる聖騎士気取りのお人で、人の役に立つ事をこっちでの生きがいにしてるようなもんなんですよねぇ。愛用の大剣の名前が『knight-mare』ってのも徹底してるっていうか何て言うか……。
一言で言うと、反りが合いません。はい。
「いや、あたしはさ?朝急にシオンから『魔物退治に協力してもらいたい』とか言われちゃったから『気が向いたらね』って返事して、気が向いたから途中参加しただけなんですけど?」
しょーがないじゃんねぇ?何の準備もしてないんだから遅れちゃったりもするさ。
「だからって、討伐報酬の独占は……」
「パーティ組んでないんだから、経験値もドロップアイテムも倒したあたしの総取りになるのは理に適ってるって言うか、分けられないものに文句言われてもさ……」
あの状況でパーティ組み直す暇なんか無いでしょうに。独占って言われるのは心外だわぁ。
「それに、あの場にいた他の方々への……」
「弱っちいのに弱っちいって言って問題あるぅ?実際問題、大した役に立たなかったんでしょ?つか、あたしそんな野良パーティに面識無いし」
知らない人に気を遣えと言われてもさぁ。それにあたしより強い奴なんて誰もいなかったし。言われたあいつら、凹んでたなー。
「確かに、あなたの強さは別格です。720というレベルは、一般の方々では到底辿り着けない境地でしょう。でもだからこそ、その力を私欲的に使うのではなくですね――」
「身近にいるあたしより強い風来坊は問題無いわけぇ?」
カウンターに肘付いて顎乗っけちゃうよ、全く。
「彼は彼できちんと人の役に立っています」
えー……。
ってゆーかさ、あたしこれでも結構頑張って来てたんだけど、誰も褒めてくれないんだよなぁ。そりゃあ褒められるためにやってるんじゃないんだけどさ……。
話をまたちょい戻して、6ヶ月前。あの、あたしら4人が初めて出会った朝の話の続き。
「それで。お前が暁ミクだとして、俺に何の用だ?」
ルイが、やっぱりまだ椅子にもたれかかったまま聞いた。
暁ミクinサクヤは、結局それからパンケーキとコーヒーのセットを注文してもっしゃもっしゃ食べてから、あっさりと言い放った。
「平たく言えば、世界を救ってちょうだいって話」
「いやいや、そんなトンデモ展開いきなり……」
あたしがついつい突っ込むと、暁ミクは今気付いたと言うか、興味を持った風にあたしをまじまじと見た。
「……そう言えば、ユーは?」
「ミーは今日来たばかりの女子高生ですよ、暁ミク先生」
「ほー、今日来た、ねぇ……。ってか、先生ぃ?」
「これでも、あたしの憧れだったんだよ。異界の開祖、天才暁ミクはね」
今目の前にそれがいるわけなんだけど、あれー、尊敬する気になれないのは何でじゃ?
「憧れ、か……。そんなこと言われたのは初めてだねー」
てへへ、と、本当に嬉しそうに笑ってくれちゃってるミク先生。おおう、な、何だかこっちも照れくさいのぅ。
……ん、一瞬目が陰った気がしなくもないが。
それが気のせいだったみたいに、暁ミクは楽しそうな笑顔を再び見せた。
「じゃあ、その憧れを真に受けて、ユーもお仲間に入れて差し上げましょうかね。見たところ潜在能力は高そうだ。名前は?」
「火蓮アスミ」
「アスミ、ね。オッケ、把握」
あたしの潜在能力なんてどうやって見たんだよ、教えろそのやり方。
そんな疑問はどこ吹く風で、コーヒーをズズッと飲んで、暁ミクは話を進めた。
「キミ達は、管理塔を知っているかい?」
「管理塔……、北の果ての山中にあるっていうやつか」
「そ。ゲーム的に言うならラストダンジョンみたいな場所だよ。まあ、誰だって行こうと思えば行けるんだけどさ」
誰でも行けるって、それは随分門の広いラストダンジョンだな。
「端的に言えば、サクヤをそこに連れて行ってもらいたいんよ。管理塔の最上階、管理人室までね」
「勝手に行け。以上、終わり」
ルイ、バッサリ。おいおい……。
「人の話は最後まで聞き給えよ、損するじょ?」
「お前の話を受けて得することも俺には無い」
席を立って出て行かんとばかりに歩き出すルイ。おおっと、止めた方が良いのかなぁ。ってか、シャンネプちゃん置いてけぼりなんですけどー?
暁ミクはそれでも一切動じず、座ったまま静かに言い放つ。
「みんな、消えちゃうよ?」
「……ああ?」
な、何ですと?
聞こえてきた言葉を再確認するみたいに、ルイは歩を止めて返した。
「お約束でしょ?突然現れた行方不明の異界の開祖、そこには世界の存亡に関わる重大な秘密が隠されていたのだった。少年少女の、世界の命運を賭けた冒険が今始まる!みたいなお話はさ。ちなみに言っとくけど、ミクは別に頭に虫が湧いてるわけでもなければ痛い子ってんでもないんで。そこんとこ、了承OK?」
暁ミクの一人称はミクなんだな。キャラが被んないからいいけど、それは少し痛い子なんじゃないか?
「ちなみに風見ルイ、火蓮アスミ。君達へのミクからの報酬は、『地球にパラメータを引き継いだまま無傷で帰還出来る権利』、でどうだい?」
はぁ!?
「まあ、ミクからの報酬というわけでもないがね。聞いたことない?管理塔の最上階に行くことが地球に無事に戻れる唯一の手段、って話。それを実現させる良い機会をミクからのプレゼントとさせてもらおう」
確かにその噂はあたしも知ってる。でも都市伝説扱いだったし、管理塔の最上階っていう場所までははっきりしてなかったけどな。
さすがにこれはルイもちょっとは食い付きが――
「要らん、そんな権利」
ええええええええっ!?
ルイさんや、またバッサリっすね!
ミク先生もこれにはちょっとビックリだ。
「キミほどのパラメータを持ってるなら、地球に戻れば国宝級の扱いを受けられるはずだ。一生遊んで暮らせるはずだぞ。魅力的な提案だとは思わないのかい?」
「一生遊んで暮らしたいなら異界にいればいいだけの話だ。それに俺は地球の暮らしに嫌気が差してこっちにいるんだ、戻る理由が無い」
「ああ、それはそうだろうね」
それはそうって、ミク先生もやけにあっさり納得したな。まあ、あたしも確かにその部類入るかもだけどさ。
それに確かに地球にパラメータを引き継いで戻ったって使い道も無いだろうしな。壁を走れるとかのビックリ人間として有名になるかもしれないが、そのせいでそれこそ命がけの何かしらに巻き込まれかねないしね。
けどミク先生、まだまだ余裕は崩さない。
「まー、キミの言い分はよく分かるが、それなら尚更ミクに協力してもらいたいところなんだけどねぇ?」
「何故そうなる」
「言ったろ、みんな消えちゃうからだよ。これは虚言でも誇大妄想でもない、もう起きてしまっていることだ」
暁ミクの瞳は揺るがない。言葉にもどこにも嘘をつくとき特有の震えも感じられない。
暁ミクはルイに手振りで着席を勧めた。長い話になるよ、ということなんだろう。ルイもしばし黙考していたようだが、やがて一つ溜息をついて大人しく元の席に座りなおした。
しっかし本当に、ここ隅っこのテーブルで良かったな。こんな話、色んな意味で他人に聞かれたくねえよ。
それを分かってか分からずか、暁ミクは声を潜めて悪い笑みを浮かべて言った。
「この異界の寿命は、残り一年だ」
「……はい?」
これはあたしの声だ。ルイは例の如くジトッとした目で暁ミクを見てたぞ。
「正確に言うと、今年の十二月三十一日。今は四月二十日だから、あと二百五十日ってところかな。その時点で、この異界にいる全てのヒュム、つまりは地球の人間が異界から弾き出される。そして二度と誰も、異界に来ることは出来ない。キミ達の大好きな異界に留まる事も、許されないってわけ」
「……強制ログアウト、って事か」
「ネトゲ的に言えばそうなるね。ああ、キミ達はネトゲ詳しい人?」
「あたしはゲーム初心者だけど」
「おや。ああ、そっか、初日でそのレベルならビギナーって事か」
ちなみに、あたしはゲームは初心者だが、ジャパニメーションにはそれなりに詳しいからある程度のオタク用語は知ってるんだよ。ゲームはハマると時間の浪費が怖かったからな、敢えてやらずにいたんだ。
にしても、またしてもレベルに言及してきたか。しかも今度はビギナーサポートの事も。誓って言うが、あたしは暁ミクにもサクヤにも自分のパラメータ閲覧を許可していないし見せてもいないぞ。そういう描写無かったろ?
「ならまあ、専門用語は使わないでおくか。じゃあ簡単にキミ達にして欲しい事を説明するよ。キミ達には、サクヤを連れて管理塔の最上階、管理人室を目指してもらいたい。道中の経験値やらアイテムやらは全てキミ達に進呈しよう、そこはサクヤも了承済みだから――」
「待てよ、まだ引き受けるとは言ってないぞ」
ルイさんや、そんなこと言っても、それは引き受けるフラグってもんじゃないんですかい?
案の定、暁ミクはもの凄く悪ぅーい顔をしてルイを(精神的に)見下ろして言った。
「そっかー、じゃあキミはこの異界が消えちゃっても構わないと?」
「異界が消えるわけでもないんだろう。それにその言葉が真実だとお前は証明出来ない」
「何だ、人が折角プレッシャーを和らげてやろうと気遣ったのに。……さっきの説明は嘘だ、本当は異界の全てが消滅の範囲内だよ。やれやれ、これでキミ達のプレッシャーは倍増だな。折角のミクの珍しい気遣いを返してくれないか、勿論体でね」
いやん、体でなんてぇ。って馬鹿なツッコミしてる場合じゃないわな。
暁ミクの言う通り、守るべきものが増えちゃったな。引き受ける側としては嫌気増し増しってことになるけど、何でわざわざ嘘を認めたんだ、この人は。
「そんな大役、ますますもって俺にはふさわしくないな。誰か他の奴に当たってくれ」
やっぱりそういう事言い出すし。
「キミにしか頼めないんだよ。他のちゃらんぽらんな人になんか依頼出来ないね。勿論、皆のためにこの身を捧げます、なんて偽善主義者にもだけど。」
「どして?そういう人なら喜んで引き受けるんじゃないの?」
「んー、ミクがそういう人を信頼出来ない、生理的に嫌いっていうのもあるけど。究極のところ、他人のために力を振るうっていうのは、弱いんだよ。自分の肯定を他人に求めるなんてのは、信頼してくれてるはずの自分の体に対して失礼だ。ミクはそんな、心も体も弱い奴には頼りたくないの」
……これは、何と言いますか。
似たもの同士、か。あたし達三人は。
「そういう意味もあって、腕の立つソロプレイヤーを探していたの。ミクの知り得る中で、風見ルイ、キミが最強だ。礼ならいくらでも成功したらしよう。だからどうか、ミクの依頼を引き受けて欲しい」
少しだけ真面目な顔をして、暁ミクはいよいよ頭を下げた。
つーか。女の子にここまでされて断ったら、そりゃあ何かもう、男としてアカンのと違うか。会話の内容は聞こえていないにしろ、一見プロポーズみたいな様子に何事か何事かと興味持たれてますよ、お兄さん。
「あー……、分かった分かった。取り敢えず最後まで聞いてやるから顔上げろ」
さすがにそういうのには困惑せざるを得ないのか、ルイもそっぽを向きつつ答えた。
あ、顔上げる直前に一瞬だけニヤッとしたな。うん、ドナーになっても女子だわぁ。
「だがその前に一つ聞かせろ。お前は腕利きのソロプレイヤーを探していると言ったな」
ルイの返しに、暁ミクはキョトンとした顔をした。
「そだよ?それが何か?」
「なら、何故お前はサクヤとドナー契約をした。単に管理塔の頂上を目指したいなら、それこそ俺にドナー契約を申し込めばよかっただろう。俺の商売を知っているなら尚更だ」
確かに、それはそうだ。わざわざこんな回り道をする理由も無くなるし、他者に頼るよりも成功率も高くなるだろうし、他人を経由する利点が見付からない。それは明確な矛盾だな。
「キミがミクの依頼を受けてくれるか、完遂してくれるかが不安だった。では納得しないかい?」
「しないな。だったらそもそも誰ともドナー契約自体をしないだろう。……回りくどいことが嫌いなんだ、そろそろ真相を話せ」
ルイの眼が僅かに苛立っていた。相手に会話のペースを握られ続けられるのは嫌いなんだろう。本当に分かりやすいなぁ。まああたしもごちゃごちゃしたのは嫌だけど。
暁ミクはしばらくの間ルイと視線を交わしていたが、やがて何か諦めたように大きく息をついて天を仰いだ。
「なはは……。なかなかどうして、素直に乗ってはくれないもんだ。これは、サクヤとの出会いのエピソードを語ることになるんで、後でサクヤから怒られておいてよ?」
茶っ気目を出したいのかウインクして見せる暁ミク。要らないよそんな中身のウインク。
「一ヶ月程前になるかな。ウェンネ地帯のとある湿地帯で、フラフラしていたサクヤと出会ったんだよ。アスミ、キミと同じくビギナーだったおかげでかろうじて生き残れてはいたが、これは危険だと判断しすぐに一緒に街に帰還した。そして詳しく話を聞けば、彼女には私が力を貸すべきやんごとなき事情があったのだよ」
「事情?」
「彼女の家は、ミクの改定のせいで没落したんだ」
……は?
声が出なかった。当然でしょ、すぐに分かるかぃ。
「蒼衣家と言えば、12年前まで航空・運送業で世界的なシェアを誇っていた一大企業だったんだ。それが、12年前ミクが異界のテクノロジーを利用して作り出したトランスポーター、つまり転送機によってその需要の71%が奪われてしまい、経営が破綻。お家はボロボロ。借金苦の末に両親は離婚。サクヤは母親に引き取られて、これまでの裕福な生活から一転、極貧生活の末に母親も体を壊して入退院を経験する羽目になってしまいました。めでたくないめでたくない」
「ちょ……」
おいおい、プライバシーだだ漏らしかよ。しかもまあまあへびぃな家庭のご事情じゃないっすか。
そんな事をあっさりと、それもほんの少し楽しそうに語ってくれる暁ミクは、やっぱりどっかあれだな。ひん曲がってるなぁ。
にしても、サクヤはいわゆる『犠牲者』側の人間だったんだな。
サクヤの例もそうだが、改定によって世の中は大まかに便利になった反面、そのせいで淘汰されてしまった文明も存在する。それが主に航空系、医療系、防犯系、燃料系だ。勿論全てが不要になってしまったわけではないんだが、ジャッジ・システムに大抵の機能が代わってしまったからねぇ。
でも、ほぼ全ての人はそこら辺は無視してるのが今の世の中の現状だ。一部の人の犠牲で自分達が楽出来るってんなら、そういう暗部の事は無視出来ちゃうのが人間って生き物だもんな。みんながみんな楽しく幸せな世の中ってのは、地球上じゃ実現は不可能だ。自分と自分の周辺が良けりゃそれでいーんですよ。
ある意味、その犠牲者にこそ異界は相応しいのかもしれないな。そういう意味では、サクヤがここに来たのは運命と言えるかも……。
「だからそのサクヤはこの異界に、文明の回帰を求めてやって来たんだそうだ」
って、ええっ!?何ですとぉ!?
「つまるところ、改定前の文明に、史上通りの発展力に地球を戻したがっているんだよ。そうして、お家の再建を望んでいるわけ。いやー健気だなぁと思ったミクは、それに協力してあげることにしたって流れなわけですよ」
いやいやいやいや待て待て待て待て!!
「ん、何か不思議かいな?」
「不思議も何も!文明の回帰なんて事が出来るの!?」
「改定が出来るんだから、回帰も出来て当然でしょうよ。ま、条件ありきだけど」
「条件?」
「異界のエネルギーを管理する存在、管理人。それになることが文明を改定出来る条件。12年前から今に至るまでミクがそれに就任してるよ。ミクが文明を改定出来たのはその管理人権限があったからさ」
おいおい……、何か一気にぶっ飛んだ話になってきたなぁ。
「ようやく話が元に戻るけど、管理人になるためには管理塔の最上階、管理人室にて現職の管理人を倒す必要がある。世襲制とか指名制とかじゃないからね、管理人は。だからキミ達にはサクヤを連れて行って欲しいんだ、管理塔のてっぺんまで」
はー、そういう事ですか。
……って、納得出来るかぁいっ!
「はぁ……。冗談も大概にしろ」
ルイもさすがに呆れの溜息を出したか。そりゃねえ、文明の回帰だ何だっていう話普通信用するわけは――
「それはどうでもいい」
いいんかいっ!
「俺が言ったのは、暁ミク、お前の動機だ」
「動機とな?」
「そうだ。お前のような奴が、他人のために動くわけがない」
言い切ったぁー!
「お前の言う事象は事実なんだろう、それはこの際もう認めといてやる。だが、お前自身の事に関しては嘘だ。サクヤとの出会いも、お前がサクヤとドナーを結ぶことになった経緯もな」
「おりょ。ズバッと来たね」
「言ったろ、回りくどいことをするな。お前が管理人室に行くことで何が起きるのか、全部語れ。嘘偽りなくだ。このまま消滅することは許さんぞ」
ルイの眼が結構マジになった気がする。
そうだった、今の暁ミクはドナーで再現されてる状態なんだった。いずれ消えて何も情報を得られなくなる、それじゃあいざって時に対応しきれなくなりかねない。
昨日のタタラナの再現時間はせいぜい一分ってところだった。けどこの話が始まってもう五分くらいは経っている、いつ消えてもおかしくないんだ。
暁ミクはルイの剣幕には全く動じる様子も無かったが、やがて両手を上げ目を細め、今までとは全く異なる静かな、大人の女性の声を出して言った。
「まず、ミク達が管理人室に辿り着けなかった場合。これは最初から言う通り異界の全ては消滅、そういう設定にしてあるからこれは確実で、地球には取り敢えず何の影響も無い。次に、サクヤが管理人室に辿り着き管理人になった場合。これはサクヤの希望通りにミクの改定した文明をリセットして元の文明レベルまで戻すことになる。その場合異界の文明レベルも等しく以前のものに戻ることになるから、今のような異界での生活は送れなくなるだろうね。かなり原始的な生活を強いられるようになり、楽しさ激減、死者続出、阿鼻叫喚。そしてキミ達が管理人になった場合。取り敢えずは現状維持することが可能、付け加えたい機能があればまあ好きに出来なくもないってところか」
急にいっぱい喋ってくれるね。付いて来れてるか?
「風見ルイ、キミには選択肢は多くない。ミクと行かなきゃ気楽で楽しい大好きな異界はどのみち消滅、サクヤが管理人になれば楽しさ半減つまらない、自分でどうにかしなけりゃ今の生活は守れない。つまりミク達は協力して管理人室まで辿り着き、最終的に管理人権限を賭けて潰し合う。キミに関して言えば、ミクを力を合わせて潰した後にサクヤを始末する、そして異界消滅の時限スイッチを切る。お分かりいただけた?」
自分倒されることを織り込み済みの提案をするって、どんな頭してんだろう……。いや、それよりも。
「あのさ先生、やっぱり自分の事話してないよね?ルイの言う通りサクヤに全面協力するわけないとして、目的があってサクヤと契約したんでしょ?何しに先生は管理人室に行かなきゃいけなかったわけさ?」
「順序良く話したかったんだけど……、まあいいか。ミクが管理人室に行く理由はまず、異界の消滅を止めたい。これは信じてもらうしかないし、異界が消えるのはミクとしても大変困るもんで。後、管理人の能力行使と交代は管理人室でないと出来ないっていう制約があるから。いつでもどこでも出来るならこんなに困ることは無いし。そして何より、管理人を交代されるわけにはいかないから」
……あれ?
「管理人として、いつでも挑戦者は受け入れないといけない。サクヤは偶然だとしてもミクを見つけて管理人に挑戦しようとしてるから案内だけはさせてもらうけれど、簡単に代わってあげるつもりはないし、ミクはまだやりたいことがあるからね。互いに目的地は一緒だって事でひとまず契約したんですよ。最終的に潰し合うことになるとしてもそれまでは仲良くしようねって。ただ、さすがに今のサクヤでは到底管理塔は攻略出来ないんで助力を頼むことにしたという顛末になるわけです。ああ、さすがにサクヤと会う前までの事は長くなるからここでは割愛するけど構わないね?」
まあそれくらいは仕方無いでしょ。こっちも時間に追われてるし。
にしても、敵と手を組むことを初めから強要するんだ。えげつねぇー。
「……なあ、素朴な疑問なんだが。お前さ、管理人なら管理人室に直接転送出来る手段は無いのか?」
あ、ルイが至極まっとうな問いかけを。
そして暁ミクがすっごい苦笑い。
「いやー、それが。ジャッジ・システムとかの設計に集中しすぎてそういう事考えてなかったんだよねぇ。契約上、管理人は文明の設定が終わったら管理人室を出なきゃいけなくて。それはそれで異界巡りが出来るからまあいっかなーとね。12年もあれば戻る機会もあるんじゃないかと踏んでた事もあって、楽観視してたらこうなっちゃった。テヘペロッ☆」
うわー、可愛いけど可愛くねー。んでうっかりさんかぁー。これって用は、オートロックの家に鍵置いて出てきちゃったみたいなもんですか。
まあ、管理人になるためには試練がどーのこーのっていう考えにも出来なくはないよね。もうそうしちゃえよ先生。
「さ、長ったらしい説明はもうお終いにしよう。キミだって馬鹿じゃないんだ、どうするべきかもう分かるでしょ?」
期待した目で見られてますよー、ルイさん。さすがにあたしももう詰んじゃってると思うなーこれ。
すっかり冷めてそうなお茶をじっくりじっとり口に含み口の滑りを良くしたルイが、注目の第一声を息を吐き出してから言った。
「ちょっとした冒険ついでに、異界を救ってやればいいんだろ?」
「いかにもその通りでござい」
先生ニッコリ。ああ耳が疲れた。
異界ってのはさ、ゲームみたいに特定のクエストが用意されているわけじゃないある意味地球と変わらない自由な世界で、あたしもそういうやらされてないっぽいところに憧れて異界に来たかったってのもあるんだけど、この話の展開ってまんまRPGの主人公的立ち位置っすよねー。別にそれが嫌って訳じゃないんだけど、異界に来た初日にそういう話に出会うってのはねぇ。
あれですね、持ってるってやつですね、分かります。知らんけど。
「とは言えー」
暁ミクがわざとらしく声を上げる。
「まだ時間的な猶予はあるし、即席ビギナーズで管理塔に行くのも何かと大変でしょうから?実際の決行はもうちょい後にしましょ。アスミだって、せめてもう少しくらいこの今の異界を堪能しておきたいでしょ?」
「ふぇ?ああ、そりゃあまあ……」
読まれてんのかー、あたしの心は。いや、この提案の真意は分かってるけれども。
「じゃあ決行は……、面白そうだから十二月二十四日ってことにしとこっかー。それまでに準備あーんど堪能を済ませちゃってくださいませませー。そいじゃ、ミクは一旦引っ込むことにしますわぁ」
暁ミクが指を振って何やらコマンドを出そうとする。
……え、一旦?
「ちょ、ちょっと待って!何、ドナーって一回顕現したらもう消えちゃうもんなんじゃなかった!?」
えーと、そういう話でなかったでしたっけ確か?ルイも焦ってたし。
「中途半端にサクヤが言ったみたいだけど、改めて教えとこう。今ミクは管理人権限のおかげでドナーし放題受け放題な状態なので。当然顕現にも回数制限はありませんよん。ついでに、管理人は管理人室以外ではHP0になっても死なないチート持ちなの。そいではー☆」
結局また子供っぽくなり手を振って、サクヤの体が光り出した。そして顕現した時と同じくふわっと一瞬強めに輝いて光は消える。ミク先生ご退場か。
……ってか、最後ものすんごい重要な事言ってなかったか!?
「……。ああ……、疲れました」
おおっと、眼の色が元の藍色に戻ったサクヤ嬢、お目覚め!
ついでに、話の途中から完全に寝てたシャンネプちゃんも横でお目覚めだ。まだ目がしぱしぱしてるっぽいけど。
「ああ、二人とも依頼を引き受けてくれてありがとうございます。恩に着ます」
恭しく頭を下げてくれるサクヤ。顕現の間の記憶ってあるんだな、これも特例なのかもしれないけど。
さて、何から整理したらいいものか。
「恩に着るのは結構な事だがな」
サクヤの頭の上からルイが呆れ交じりの声で言う。
「管理人室で、最終的に俺と戦うことになるんだぞ。俺とお前と、おそらく暁ミクもそれぞれ目的が違う。全員に勝つ自信がお前にはあるのか?」
「それはまあ、何とでもなるでしょう」
うお、即答で言い切るか。すげぇな、この子。
でも、あたしからしてみたら、大事なのは勝つか負けるかじゃないんだけどな。あたしのその懸念事項をクリアしてるんだとしたら、この子は結構な大物だよなぁ。大物な上に、お仲間だよ、あたしらの。
「では風見ルイ、私を鍛えて下さい」
「はぁ!?」「はぁ!?」
おいおい、いきなり何言い出すんだこの子は。打ち合わせも無しに疑問符がユニゾン出来ちゃったよ。
「あなたが私に勝つ自信があるというなら、私を鍛えたって何の障害にもならないでしょう?でしたら、片手間でも構いません、同行させていただくだけでも構いませんので、私を鍛えてもらいたいのです。そう長い期間でもないですし、報酬は、暁ミクと対話できる権利なら過分でもないかと思いますが」
強かだ。すげー強かだ!
勝手に名前を使われた暁ミクも今頃その辺でエアツッコミでもしていることだろう。
だがしかし、その強かさは見習わなければなるまいて。
「んー、だったらあたしもそれに乗っかりたいなぁ?」
「お前まで何を言い出す……」
「サクヤが良くてあたしがダメって理由は無いでしょ?むしろあたしの方が初心者なんだし、鍛え甲斐があると思うんだけどっていうかぁー、うら若き乙女二人を同時に自分好みに育成出来るんだぞ!?これを引き受けないなんてオタクとして……じゃなかった、人間としておかしいでしょうよっ!」
あたしゃビシッと人の鼻っ柱を指して何言ってるんだ……。
ルイがオタかどうかは知らないが、そういう方には魅力的と思える文言を即興で考えて並べてみたんだけどなぁ、後半部分は。自分を頼ってくれる女子中学生と女子高生を同時に手取り足取り育てていくなんて、萌えるんじゃないのかい男性諸君?
で、肝心のルイはというと。あたしの指した指先をものごっついアホな物を見る目でジトーッと見てくれやがった後、何か諦めるような溜息をついた。
「……ま、勝手に付いて来る分には構わんがな」
おー、許可した許可した。
サクヤもどことなく安心した表情になってるな、強気に言ったはいいが上手く行くかは不安だったわけだ。若いのう。
ただな。あたしはこの男、絶対断らなかったと思うぞ。こればっかりは自己中とかシンパシーとかは無関係に分かる。
だってさ……、
「おい、いい加減に起きとけ。そろそろ出発するからな」
「……、――(コクリ)」
隣にシャンネプちゃんがいる時点で、その答えは明白だろ。な?
「そんじゃ、とりま目指せ管理塔最上階って事で。四人で頑張っていきまっしょーい」
ぱちぱちぱちぱちぱちー。
って、一応話の〆としてあたしが拍手なんぞしてみたんですけどね。
ルイはムスーッとしたまま腕組んでるし、シャンネプちゃんはキョトンってしてるし、サクヤは軽く手を叩いてくれてるけどすっごく冷静に仕方無く感満載な感じだしで、あたしの心引っ搔かれまくりだよ、トホホ……。
まあそんな流れがありまして、あたしら四人(+ドナー一人)の、解散前提のパーティが組み上がったわけなんですよ。
……さあ。回想してみたけど、皆さんお分かりか?
あたしさぁ、半年でレベル700くらい上げたんすよ!?
これがどんだけの苦労か分かってくれる人は少数だと思うんだけどさー、ゲームのコントローラー握ってレベル上げすんのも普通疲れるのに、こちとらセーブもゲームオーバーも許されない上に体動かして実際にバトってやってるんだからね?そりゃあ神経擦り減りまくりってなもんですよ。
ついでに言えば、異界についての知識も可能な限り、誰が呼んだかAW板(Another World板、異界におけるネット攻略掲示板ですよ)を隅から隅まで読み漁ったり、レベル上げとか装備の材料集めとかで実地に行って調べたり、暁ミクを締め上げて聞いたりとかして入れまくってさ、最初の2ヶ月くらいまでは殆ど寝てなかったんだぜ?まー努力の甲斐あって今ではすっかりうら若き異界通と呼ばれるほどになりましたけどさ、へへへ……。
そんな頑張り屋さんのあたしに対してさぁ、労いの言葉はあっても説教は無くてもいいんじゃないかなぁって思うんだけどねぇー。年上のブロンド美人に責められて悦ぶ趣味もあたしには無いし。まだ横できゃいきゃい言ってくれてるけど、もう聞こえてませーん。
それに、何だかんだでもう約束の日まで2ヶ月も無いってことでさ、ちょっとずつあたしも鬱っぽくなりつつあるんだこれが。充実はしてるし、新鮮で楽しいことが多いけど、そうしてばかりもいられないってね。
何せ、最強の味方でもあり敵でもある奴らと、ガチバトルせにゃならんのですから。そんで異界であるが故に、そのバトルもアクション・SF映画の比じゃないってな。撮影しとけば高く売れそうだが、それも生きて帰れればだ。
あたしを無償の愛で包み込んでくれる人が恋しいよ、全くね。
「シオンさん、もうそのくらいにしておいてあげてくださいな?」
不意に、背後からやわらかい女性の声がかかった。
「少なくとも、アスミさんの活躍だって、大勢の人の役に結果として立っていますよ?特に、私達家族にとっては素敵なお客様です」
成分の8割が優しさで出来ているみたいな笑顔と声と物腰であたし達に話しかけてくれたのは、透き通る白い肌に鰭の耳をした、水着(下はパレオ)と変わらない服装と豊満なお胸を瑞々しい蒼い長髪で包み込んだ(要するにめっちゃエロい)ウェンネの女性。
ここのマスター、ダイグルヴの妻。おっとり美人のレリームさんである。
あたしの理念。このお方を見かけたらそのお胸に向かって即、ゴー、ダイブ!
「うにゃぁーん、レリームさぁーん!」
ぽにゅんっ。
「あらあら」
ふぁー……。包まれるわぁーあたしの頭が、やーらかぃ胸と腕で。
……やべぇ、マジ気持ちいー。
女体は神秘だわぁ。これぞあたしの求める無償の愛っ!
「あー!こらこらアスミちゃんっ。ママの胸を独占したら、めっ、だぞー!」
おおう、ひんやりした腕にあたしの腰が包まれて引っ張られとる。く、この至宝から離れてなるものかっ。
あ、でもさすがに体の上下が伸びて痛いから一旦は離れよう。
「こぉら、フィアちゃん。あんまりアスミちゃんを引っ張っちゃだめよぉ?骨盤がずれて便秘にでもなったら大変よぉ?」
ふんわりした声で地味に嫌な事を言う……。
至福のぽよよんから離れてあたしの腰を抱えてくれている奴を見ると、そこには想像通りあたしと同じくらいの年頃の、短パンビキニのウェンネの少女がいた。
目元と乳の豊満さ以外はレリームさんそっくりの、この夫婦の娘、フィア。あたしの異界での数少ない友人ってゆーか、親友みたいに思ってる子だよ。竹を割ったみたいな裏表無いさっぱりな性格があたしの好みだ。
そういや、この店の名前『火と水の精製水』ってのは自分達の事から付けたんだとか。これは単に親子関係を表してるだけじゃないぞ。
「おう、帰ったかお前達!」
「はい、ただいま帰りましたよ、あなた」
「今回はねー、結構売れそうな情報仕入れて来れたんだよっ。誉めて誉めてっ♪」
「おっ、さすが俺自慢の娘だなぁ。ようし、抱きしめてやるぞぉ!」
「わっははーぃ!」
こらこら、店内で抱き合って大回転するなよ。危ねぇなぁ。
この店は、酒場兼情報屋なのだ。おっちゃんが酒場切り盛り、妻と娘が各地で売れる情報を仕入れる情報屋。普通逆じゃねぇかと思うんだけど、異界は適材適所な考え方だからね。トレジャーハント的な能力はこの家族では女性陣の方が高かったらしいよ。
で、ルイがここの常連で、その繋がりであたしもここを贔屓に利用させていただいているというわけさね。ご飯も美味いし、情報も頼れる、ついでに女体の安らぎがと、三拍子揃ったええとこなんよ、本当に。
「あなた方がお戻りになったということは、また良からぬ事をしでかすつもりなのではありませんか、アスミは?」
そんな微笑ましくもはた迷惑な家族団欒の様子を静かにカウンターに座って見ていたシオンが、またくだらん言いがかりを、しかもレリームさんにし始めていた。あたしにもレリームさんにも失礼だぞ、それは。
「私達は、依頼主の知りたい情報をお届けしているだけですから。それをどう使うかはアスミさん次第ですし、私達は是非は問いませんよ」
あ、あれ。ニコニコ話してるけどフォローしてくれてないっすよ、レリームさぁん?
「それとアスミさん、今回の情報料なのですけれど」
「んー?」
「お代は結構ですから、代わりに頼まれ事をしていただけません?」
おりょ、それはまた。
「お代の代わりにって、結局のところ支払いはするんだねぇ」
「今回は特別です」
ああ、魅惑の営業スマイルがあたしに向けてっ!
内容を聞かなくても、このレリームさんの笑顔の前では引き受けたくなっちゃうんだよなぁ……。
女体は神秘。色んな意味で。
「お優しいアスミさんならきっと引き受けてくださると思いますので、早速お話をさせていただきますね」
あーもう、愛らしくも怖いお人や。おっちゃんも本当は尻に敷かれてるんじゃないのかね。
それからレリームさんに説明された話はこうだった。
ノミナの中心都市マグナ・ノミナに拠点を置いている戦闘集団『天帝騎士団』が、どうやら最近不審な動きをしているらしく、しかも最近では集団内で行方不明者が出ることがあるらしいという垂れ込みがあったという事だ。じゃあいっその事これを機に壊滅させてしまってはどうだろう、っていう話である。
「って、壊滅!?」
この突っ込みは、隣で聞いてたシオンもそんな顔してたんでしたかったに違いない。
「何で壊滅っていう話になるわけ?」
「どうもマグナ・ノミナで独裁政治を執ろうとしている風潮が見られるとか。政治なんて誰も望んでいないんですけれど、やはりヒュムの方々なんですねぇ。あ、別にアスミさん達の事を悪く言うわけではないんですが……」
「ああうん、それはいいんだけどさ」
政治、か。いつかはその問題に関わることになるだろうと思ってたんだけど、このタイミングとはね。
そもそも異界に政治という概念は無い。言っちゃえばご近所付き合いだけで成立しちゃっているような世界なのだ。
それには勿論ジャッジ・システムによる監視のおかげもあるんだけど、それよりも異界の人達の大らかな性質によるところが大きい。みんながみんな頑張って生きて行き合っているから、利権とか支配とかそういうものに興味が無いんだよね。こういう都市も長がいるわけでもないし税金が取られるわけでもないし、物流や物価もジャッジが適正管理してくれてるから問題は起きてない(改定前も不便はあったが不便故に問題は起きなかった)。
でも、地球の住民としては、どーしても楽したいとか優越感に浸りたいとか、そういう欲が生まれてしまうのだ。相手がまた争う気の無い異界の人だとそういう気も刺激されやすいんだろう。か弱い乙女が暴漢に襲われやすい理屈ですよ。
そこで今台頭してきたのが、『天帝騎士団』というわけだ。
この『天帝騎士団』、あたしも一度勧誘されたことがある。ゲーム的に言えばギルドってものとイコールな集団だ。こういう発想があるのも地球人ならではらしく、亜人の方々は大層不思議がっていたらしい(亜人さんは必要あらば勝手に群れるので、わざわざ組織立てたりはしないんだそう)。
で、この集団のリーダーが岩澤ハナテという男で(ハテナじゃないぞ、分かりにくいけど)、何と異界召喚第一期の生き残りさん。今はあまり戦うシーンは見られないらしいが、12年異界を生きているってことで相当の強者であることは疑い無いし、天帝騎士団もそんな男がリーダーということもあってメンバーが集まりやすいらしく、末端含め数百名にもなるんだとか。あたしはそういう群れるのとか、人の下に就くってのが本能から嫌だから入らなかったけどね。
そんな天帝騎士団が、独裁政治をしようとしてるのと行方不明者が出るってので何だか不穏に見えて仕方無いと。きっとマグナ・ノミナの亜人の方からのお達しなんでしょうね。
まー、亜人の方からしてみりゃあたしらは余所者ですから、余所者が暗いことしてたらそりゃあ気になるし嫌ですわな。数の力ってのもあるからのぉ。
だがしかし、それが何であたしのところに回ってくるんだい?しかも壊滅させろなんておまけ付きで。まあ邪魔なのかもしれないけどもあたしには関係無いしなぁ。
「アスミさんなら有無を言わさずぶっ潰しに行くんじゃないか、と言われまして」
誰よ、人をそんなミサイルみたいに言うのは。
「ルイさんとミクさんに」
あの二人かっ!!
前者はまだ分かるがおい後者っ、何気軽に他人と話してんの。大人しくドナーでいなさいよ。
「それに、この話は元々ルイさんからお聞きしたもので。ルイさんは無関心でしたが、サクヤさんがシャンネプさんを引き連れてマグナ・ノミナに向かったらしいですよ?」
にゃにゅっ!?
おいおい、何で二人だけで行っちゃうかねぇ。つか止めろよ保護者よ。言っちゃ悪いが、もしもバトるような展開になったらサクヤ一人でシャンネプちゃんを守り切れるとは思えんぞ。最近会ってないから成長っぷりは分からんが。
でもなぁ、そんなこと聞いちゃったらさすがにあたしも行かない訳にはいかないよなぁ。サクヤだけならいーけど、シャンネプちゃんがいるんじゃあ守りに行かないといけないじゃないか、ネコミミ幼女は世界の宝だぞ。
あたしはちょっと悩んだ後、レリームさんに報酬の要求を提示した。
「……情報前払い。それと、5分間のレリームさんのハグで手を打とう!」
あたしゃビシッと人の鼻っ柱指して何言ってんだ……。
勘違いしないでもらいたいが、あたしゃ変態でも痴女でもないぞ。可愛いものと素敵なものが好きなだけだっ!
周りはどよめいてくれてるが、当のレリームさんは全く微笑みを絶やさずに逆提案してきた。
「ハグは後払いの方が、やる気に繋がりませんか?」
ぬなっ!?
し、強かだ……。この人魚族の女、強かだっ!
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん……」
ああ……、目先の気持ち良さか、ご褒美の気持ち良さか。
たっぷり一分くらい悩ませていただきました。
「じゃあ……、後払いでっ」
「はい、承りました♪」
承われましたーっ!よっしゃ楽しみだなぁこのやろー!
「じゃあじゃあ、私も行くよっ。ママのハグは私のだっ!」
何か父親に肩車されながら、フィアがキャッキャ言い始めた。
降りろ取り敢えず、そしてハグはやらん。お前は日頃からよく引っ付いてんじゃんか、マザコンめ。
「では、私も同行しましょう」
げ、シオンも言い出すし。
「言っておきますが、ハグは結構です」
「そこは心配してないから」
あんたらがしちゃったら画的にまずいって。
それに、シオンは暁ミク関連の事を知らないからあんまりいて欲しくないんだよねぇ……。これ以上こっちの事情に絡んで来て欲しくないっていうかさ。
ま、そこら辺は上手く切り離させていただこう。
「はぁ……。そんじゃ、サクッと片付けてきますかね。おっちゃーん、夜食の準備よろー!」
「おーう、頑張って来いよー!」
「いってらっしゃーい。フィアちゃん、ご迷惑はかけちゃだめよー?」
「はーい!パパ、ママ、いってきまーっす!」
どこまでも微笑ましい家族のやり取りを尻目に、結局店に来てから何も食べないままあたしはさっさと店を出た。
別に、自分の家族が恋しくなったとかじゃ、ないからな?
……私、蒼衣サクヤは、弱い。
生れ落ちて14年、奪われてからは12年。生存権と社会権だけを与えられて過ごしてきた私にとって、学ぶという行為は、私に許された数少ない権利であり娯楽だった。
知識欲は業が深い。知れば知るほどまた新たな知識を求めるようになり、一つの事象を知るため枝葉を広げるかのように他の知識を増やさねばならないこともある。そしてそれらは全て無駄にはならない。特に私のような弱い者にとっては。
脆弱な肉体しか持たない人類がこうして生きていられるのは、偏にこうした知識の積み重ねの結果であると言えよう。
故にこそ、今正に私が遭っている事象だって、これまで積み重ねて来た知識を十全に活用すれば必ず切り抜けられると信じている。
「おい、いたか?」
「いんや。だが近くにいる筈だぜ、絶対見付けてやる」
「おう。あんな上玉、滅多に出会えないもんな」
……だからと言って、納得出来る筈は無いのだが。
別行動していたアスミが合流するという電話が本人からあったので、それまで街をシャンネプさんと探索しようとマグナ・ノミナに入ったまでは良かった。けれど街に入って数分もしない内に兵士風の格好をした男三人組に声をかけられ、見てくれからして鬱陶しいので無視を決め込んでいたら何故か追い回される羽目になってしまったのだ。
暁ミクから聞いていたマグナ・ノミナは、種族の特徴がよく出た緑と花が溢れる可憐な大都市という事だったが、今私達のいるマグナ・ノミナはその面影が全く無い実に重苦しい街ダンジョンのような雰囲気が支配している。無論、もう夜も遅い時間であるということも要因だろうけど、他の街に比べて圧倒的に人が表に出ていない。それに露店なども一切合財畳まれてしまっているため街の景観も物寂しい。
そのせいで、今私達が路地裏の家と家との隙間数十センチの場所に、安全のためとは言えあんな下賤そうな男達に追いやられているのは、全くもって屈辱的で納得行かない光景だ。私が直接あの連中(恐らくは天帝騎士団の構成員だろう)と渡り合えるだけの実力が無さそうなのが悪いのだけれど、どうしてこうも私は巡り合わせが悪いのか。そう嘆きたくなるのもご理解いただきたい。TAGシステムによる街の安全も、所詮は対魔物用という事か。
「シャンネプさん……、まだ走れますか?」
隣で私の服の裾をキュッと掴んだまましれっとしているシャンネプさんは、どこかうんざりしているような半目で私に頷き返して来た。口にも顔にも出さないが、少なくとも楽しくは思っていないだろう。連れ出した手前、本当に申し訳なく思う。
『だーかーら、大人しく相手してあげれば良かったんじゃないかとミクは思うんだけどぉ?』
突如脳内に響くハスキーボイス。私のドナー契約者、異界の管理人、暁ミクのものだ。
「死んでもごめんです」
私はいつも通り脳内に言葉を返す。通常のドナーはこんなこと出来ないが、暁ミクの規格外の仕掛けがこんなことを実現させているらしい。詳しいことはどうでもいいけれど。
『相手って、べっつに男女のお相手って事じゃないのにぃ。サクヤの腕なら、どうとでも出来るでしょ』
「……、観察がまだ不十分です。戦闘となったら不安要素が多いですし、シャンネプさんを守りきる自信もありません」
風見ルイやアスミならともかく。二人にとっては役不足にも程があるかもしれないけれど。
「何にせよ、旅人にもこんなナンパ紛いな行為が許されているようなこの街の現状は、異界においては異常ですね。噂の一端を垣間見れたと言ったところでしょうか」
現地調査として第一歩は済んだと言えなくもないが、それでこの状況では先が思いやられる。とても上手く行っているとは言えない、私に似合いの不甲斐無さばかりの評価だ。
だからと言って、ここでいつまでも手を拱いているわけにもいかない。私は所持している装備品の中から愛用のスローイングナイフを選び装着し、僅かばかり表に顔を出して周囲を観察する。
最初は咄嗟に街中に逃げてしまって失敗してしまったけれど、ここからは余さず周囲の情報を自分に叩き込む。少なくともこれ以上下手しなければ、街の入口までは私でもシャンネプさんと共に脱出するくらいは出来なくはないだろう。
さっきの男達は少し離れたはずなので、私は路地から顔を出してみた。通りには人ひとりいやしない、絶好の動くチャンスだけれどそうはしない。相手は人間、しかも組織に属する人間なので、敵があれだけとは限らないから。
目視は済んだので、次はスキルによる探索。再び路地に身を隠し、目を閉じる。
「『ミストスキャニング』」
私が口にすると、目を閉じた視界に自分を中心とした周囲のモノクロ世界が、輪郭はぼやけながらも描かれて行く。これは水属性の探索スキルで、空気中の水分の流れを感知して障害物や人の位置などを把握するものだ。今の私が関知できるのはせいぜい20mと言ったところだけれどそれで十分。大体の周囲の街の構図と人の位置が分かればそれでいい。
うん……、背後の方の通りには誰かいる。こちらは避けて正面を突破した方が安全かな。遮蔽物が一切無いからいざ戦闘にでもなったら足で逃げ切らないといけないけれど、何とかなるでしょう。
「そうだ、シャンネプさん。走りながら歌うことは出来ますか?」
私の唐突な質問にシャンネプさんは一瞬考えたようだったけど、すぐに首を横に振った。さすがに移動速度を上げながら逃げることは無理か。出来れば楽になったのだけれど。
ではいざ、シャンネプさんを引き連れて走るとしよう。
「こっちです、シャンネプさん」
私はシャンネプさんの左手を握って全速力で路地から駆け出した。ひらひらした服を着ていてもシャンネプさんはよろける事無く私とほぼ同じ速度で走れているのだから凄いと言うか何というか。見た目通りにはいかないのがこの異界だということは分かってはいるのだけど。
ただ、2ブロックほど走ったところで先の家の角からまた兵士風の男二人組が飛び出して来てしまった。明らかに視線がこちらに向いていて、何かもう駆けだしかけている。
どうやらこの短時間でも私達の事は伝わっているらしい、見事な無駄な組織力だ。もっと他の事に使えばいいものを。それとも使い道が無いのか、あるいはこういう事のために作ったものなのか。何にせよ、残念だ。
私達はしかし引き返したりはせず横を一気に駆け抜けようとする。その方が捕まる可能性はぐんと低くなるし、さっきも言った通り、異界とは見た目通りではないため私達の方がスペックで勝る可能性もあるからだ。
でも、軌道上通り抜けるのに最低でも一度は相手に攻撃を加える必要があった。
こちらが逃走中という事実があるからさすがにジャッジのクリミナルコードには引っかかる心配はしなくていいだろうけど、人間相手に攻撃なんてしたことが無いからか、柄にも無く私のナイフを握る手が汗ばんでいた。情けない。
すると、そんな私の緊張が繋いだ手から伝わってしまったのか、シャンネプさんがほんの少し私の手を引いて半歩前に飛び出した。そして刹那私に目配せをしたと思ったら、向かってくる二人の男に向かって顔を向けた。
そして、呟く。
「にゃ!」
パァンッ!
「だっ!」
「ごわっ!」
蚊の羽音のようにか細い声でしかなかったけれど(むしろ初めて素の声を聴いたけれど)、シャンネプさんの声は前方に激しい衝撃派を生み出し、男二人を一気に5m背後の家の壁へと吹き飛ばした。
……心持ちとしては、三秒程今の現象を呆然と見ていたかったところであったけれど、この走る脚を止めるわけにもいかないため仕方無く分析しながら逃げ続けよう。ほんの少しだけ私の顔が間の抜けた風であってもどうか誰も気にしないで欲しい。
シャンネプさんは普段全く喋らない。それは別に病気とかではなく、自己の能力のためだそうだ。
シャンネプさんはいわゆる歌使い。歌を歌うことにより様々な現象を引き起こすスキルの使い手だ。私がさっき提案したような身体強化のものや、その気になれば天候を変化させる事なんかも出来るらしい。歌により声質もかなり違う。
ただ、その能力を十全に発揮させるために極力喋る回数を減らし、喉の消費を防いでいるという事だった。これは風見ルイによる指示でしていることだそうだけれど、あの男が単にそんな理由でそれをシャンネプさんに課しているのか甚だ疑問。
で、先程の二人を吹き飛ばしたシャンネプさんの行為。あれは風見ルイ保証付き、攻撃能力が無いシャンネプさんの唯一の防衛手段であろう、単なる、音だ。
プロの歌手が常人よりも肺活量や腹筋が優れている事と同じ原理かつそれを大げさにしたもの、と言えば説明はつくだろうか。ネコ科らしく言語は「にゃ」であったけれど、数値的にスキルとしてその一言にかなりの風圧と言うか音圧を込めて飛ばした。それにより相手は吹き飛んだ、というだけの事だったんだろう。
ただ、私が驚いたのはその原理の事ではなく、見た目同様あんなか細く小さな声のシャンネプさんがそんな事象を引き起こせた、という事だ。本当についさっき自分で確認したばかりなのに驚いてしまった自分が馬鹿らしい。異界は、見た目通りの世界ではないのに。
小さくても、大きいんだ。私が手を繋いでいるこの女の子は。
「にゃ!」
その後もシャンネプさんは眼前に迫る男達を毎度毎度丁寧に一声で吹き飛ばしてくれていた。それにいつの間にか私よりも半歩前に居続けてしまっている。
……本当に、私はどこにいても弱いな。情けないにも程がある。
『自分の情け無さを嘆いているほど、キミは暇なのかね?』
脳内からのツッコミが。確かにそうなのだけれど。
『そんな暇が無くなるように、知恵を貸してやったろう?ミクの限りある労力と善意まで無駄にしないでくれないか』
「……分かっていますよ」
半歩の差くらいなら、一歩で追い抜ける。私には、進むための脚が付いているのだから。
「シャンネプさん、そろそろ下がってください。それなりにHPを消費しているでしょう?後は私が切り抜けますから」
ほんの少しだけれど観察させてもらえたおかげでよく分かった。街でうろついているのは雑兵だ、それほど危険は無いし私でも対処は出来そうだ。こういう状態を専門用語で、無双……?と言うらしいけれど。
シャンネプさんは何か言いたそうな眼をしてはいたものの、すっと大人しく一歩下がってくれた。まあ後は街の門にいる連中くらいなものだから今更と言えなくもないのだけれど。いや、だからなのか?
何にせよ、走れば門までものの一分程度の距離だったのは幸いだった。騎士団の連中との接触は数回で済んだため消耗もここまで少なくて済んでいるのも嬉しい事だ。
だって、こういう時門には必ず堅固な守りがあるものだから。
そしてその想像通り……、でもなかったが、想像通りだった。
「…………」
『……さて、どうするんだい?』
「……閉まっちゃってますね」
街の外へと繋がる大門。その前に門番二人と、ばっちり閉まった大扉。横は外とを区切る街を囲んだ高い外壁だ。
……もっとこう、人海的な守りを想像していたんですけどね。さすがに短時間では門を閉めるのが精一杯だったという事ですか。逆に言えば、さっさとここを抜けないと私達は挟撃に遭うというわけですね。
では、せめて門番は早急に仕留めるとしましょう。
……ところで、何だか私達、悪人みたいじゃないですか?
「『麻痺蜂』!」
走って接近しながら、私は装備するスローイングナイフを両手で二本ずつ門番二人に放った。射程ギリギリではありましたが、どうにか二人共にナイフを当てることに成功したようで、門番二人はその場に崩れ落ちた。死んでませんよ、麻痺させただけです。にしても、随分と気の抜けた門番。
さて、目の前に来てみれば、本当に大きな門だ。入る時は気にもしなかったけれど、閉じているとこうも圧迫感があるものか、5m級の木製の大扉とは。
「力ずくで開けるのは大変そうですね、どこかにスイッチでもありそうなものですが」
『まあ、普通はそうだろうね。そこら辺に外壁に登れるところでもあるんじゃないのかな?』
シャンネプさんは扉をぼーっと見上げているので取り敢えず放置で。
左右を見回ってみても外壁に梯子がかかっている様子は見当たらないし、壁や門付近に装置らしきものは無いように見える。はてさてどこでどうやってどうするのやら、専用のスキルでも必要とするのだろうか。
「っと、あまり時間的余裕はありませんか」
遠くから複数の走る音が響いて来ている。さすがにこれは少し焦るかな、殺人鬼に追い詰められた被害者の気持ちがよく分かりますね。
そう言えばこれまた今更ながら、どうして私達はわざわざ逃げているんでしょうか。それは勿論暴漢から逃げるというのは女子として当然の反応であったことは疑い無いんですけれども、一応私達はここに目的があって来たんでしたよね?
だったらいっそ、戦力的な不安はあるにせよ私達だけで先に騎士団の本拠地に行っておいても良い気がしてきたなぁ。私は弱いが、それならそれでやりようはあるというものですし。
それに何かもう、この門、開かなそうだし。
「……シャンネプさん。申し訳ないんですけれど、もう少しだけ面倒にお付き合いいただけますか?」
やはり門を見てボーっとしていたシャンネプさんにそう告げると、シャンネプさんはちらっと私を見てから僅かに顔を縦に動かした。ああもう本当無駄足をさせて申し訳ありませんね。
やがて私達に追い付き取り囲んだ騎士団の連中に対して、私はナイフを突き出しこう言った。
「ここまでしておいて申し訳ありませんが、あなた方の騎士団の団長さんのところにご案内していただけます?ああ、私達に触れたら問答無用で刺しますので」
連中の前で倒れている麻痺した門番を踏み付けながらの威嚇とお願いは、雑兵を怯ませるには十分だったようで。
かくして、私とシャンネプさんはいともあっさり全くの無傷で、要塞のような天帝騎士団の本拠地に、お客様として招かれることになった。
天帝騎士団の本拠地、マグナ・ノミナ中心地であり街の5%の広さを誇る建造物、そこは何とも暗いところだった。
巨大な割に階層は無く天井が高いだけな上に通路や部屋に点々とした小さな灯りくらいしか光源が無いからで、暗いもそうだが寒々しい。まるで監獄にいるかのような心地になって来そうな気配さえしつつある。要はならないんだけれど、いいものじゃない。
奥に行けば行く程外の世界と隔絶されたような気さえして足が震えてくる内部を進む内に、要塞内で見かける騎士団の団員に微々たる変化があったことにも気付ける程には、私の頭は逆に集中して来れていた。それは心地良くも悪くもある事だけれど、この先で待っているであろう騎士団の団長と対面すると思うと、どっちかと言えば悪い。
だけど、仮に団長と対話出来たとしたら、あまり時間をかけずに事態の解決を図らないといけないだろう。何故かと言えば、時間をかければかける程安全は増すけれどそれが原因で安定が損なわれるからだ。何この反比例。
来て欲しいけど、空気読んでから来て欲しいなぁ、あの人は。
とか考えている内に、青銅製の縦長な大扉の前に案内された。恐らくはここが団長のいる部屋なんだろう、案内役の兵士も小走りに立ち去って行ってしまった。そんなに団長は恐れ多いのだろうか。
一応聞こえるかどうか分からないけれど、ノックをしてみる。
「入れ」
小さくくぐもった高めの声がかろうじて響いて来た。
遠慮無く扉を開くと、中は想像通りではあったけれど想像とは違った部屋だった。
広く、何も無い部屋の中央に悠然と立つ、長身で長槍を持った兜無しの全身鎧姿の男。全然そうは見えない線の細い顔立ちをしている団長らしきその男の周りに、三人ばかり他と比べて貧相な装備の兵士が疲労困憊な様子で倒れていた。
団長らしき男がこちらに視線を向けると、まずは私達ではなく周りに倒れている兵士達に声をかけた。
「お前達、もう出ていけ。指令は追って伝える」
尖り過ぎているその声は、倒れていた兵士達に無理矢理喝を入れてフラフラとこの場から退出させて行った。
すれ違い様にチラッとその表情を見ると、疲れているだけじゃなく他に何か、最後通告を浴びせられたかのような絶望と焦りが入り混じったかのような酷い顔だった。扉を閉める所作も力が無い。
……長々としごかれていたんだろうか?
「気にしないでくれ、我々の中での恒例行事のようなものだ」
見た目優しそうな微笑みを浮かべてそんな事を言う。すんごく嘘くさい。
「女性の客人は久しぶりだな。初めまして、お嬢さん方。私はこの天帝騎士団の団長、岩澤ハナテ。まあ、団長と言っても勝手にそう名乗っているだけだがね」
きちんと腰を折る紳士的な礼をしてくる岩澤氏。年齢は三十代と言う事だからか、私達相手なら余裕もよっぽどあるだろう。これだけでどういう人かは分からない。
改めてきちんと顔を見てみると、狐のような笑みをする男だ。鎧の無骨さに反して人間の方は全体的に細いし、けれどさっきの部下への態度を見るに性格が柔らかい訳でも無さそうで。
総評、不気味だ。
「私は蒼衣サクヤ。こちらはシャンネプさん」
でもこちらも礼は返さないといけない。シャンネプさんは黙ったまま動かないけれど。
「ふむ、サクヤさんにシャンネプさんか。して、お二方はここに、と言うより私に一体何の御用かな?」
さあ、戦わない戦いの始まりだ。
「近頃、この天帝騎士団に関するとある噂がある事は知っていますか」
「噂。はて、どんなものかな?」
「このマグナ・ノミナで独裁政治を行おうとしているという事と、団員が度々行方不明になっているという事です。それに関して真相を知りたく」
「わざわざ足を運んで来たと。ご苦労様だね。てっきり入団希望者かと思って内心喜んでいたんだが」
「集団で若い女子を追い回して愉しむような下品な集団などお断りです」
「おや、そんな事をしていたのかい?それはそれは、後でお説教が必要な連中がいるみたいだな」
「それは勝手にしていただいて構いませんけれど。それで、その噂の真偽に関してはどうなんですか?」
岩澤氏は、細い切れ長の目をほぼ閉じて何かを思案し始めた。そしてやはり笑みを浮かべた顔で話を再開する。
「前者は是、後者は非、と言ったところでしょうかね」
「認めるんですか、半分は」
「半分も認めたくはないがね、独裁政治というのは少々聞こえが悪いよ。異界でより良く過ごすために独自の政策をしようというだけの事だ。別にここ以外に手を出すつもりも無い」
「それはあくまで自分達だけに都合の良い政策なのでしょう?マグナ・ノミナの住人は迷惑なだけです」
「君はここの住人というわけではないだろう?それに迷惑ならば我々の仲間になればその迷惑も解消だ。そうでないなら好き好んで迷惑を被っている奇特な奴なんだろう。はい、この話は終わりだな」
「終わりですか」
特に是正する気は無いと。
「行方不明がどうとかいう話は完全に誤解だろう。どこからの情報ソースだい?」
「団内部からと聞いていますが」
「又聞きか。それは良く無い事だよ、サクヤさん。情報は自ら得たものでないと信用性を失う」
「ですからこうして直接調べているわけですが」
「……ふむ、それはもっともだ。サクヤさんはMMORPGをしたことはあるかい?」
「いえ、家が裕福ではないもので」
「そこは別に聞くつもりも無かったことだが……。まあいい。MMORPGにおいては我々のこの天帝騎士団のような集団、つまりギルドというものが大抵存在するもので、大きなギルドの場合はノルマを設定していることが多いんだよ」
「ノルマ、ですか?」
「お金であったり、レベル上げであったりね。それが出来なければ退団、という事さ。そしてそれはここでも適用しているんだよ、能力上げという形でね。その経過で魔物狩りに出掛けて命を落とす、という事例も少なくない。それが団員も知らぬ内に起きているため、行方不明という形で伝わってしまったんだろう。ウチは人数も多いからね、人員の全てを把握しているのは私ぐらいなものだ」
死んでしまえば異界から消えてしまいますから行方不明と思われても仕方無いと言えば仕方無いですけれど。それでも、連絡手段くらいはあるはずですがね。
しかし、話を聞く限りは特におかしいところはありませんね。ノルマというのもそうおかしな話ではなく、むしろ真っ当でもある……。
これは、物理的に壊滅させてしまうのは難しいかもしれませんよ。
「こちらばかり質問されるのはフェアじゃないだろう、私からも質問して構わないか?」
腕を組み、姿勢を整えた岩澤氏が言う。
「ええ、良いですけど」
「ふむ、では」
ああ、何を聞かれることやら。
「君は世界が好きか?」
「……は?」
誰だってこんな質問にはこう返すしかないと思う。何このチョイス。
「地球でも、異界でもいい。世界が好きか?」
「……地球に関して言えば、好きか嫌いかで聞かれれば嫌いに入る」
「そうか。なら、君は私と来ると幸せになれるぞ」
「……はい?」
「天帝騎士団は私を初め、地球の暮らしに嫌気が差した連中の集まりだ。異界での生存率を少しでも上げるため出来るだけ大勢で徒党を組み、団員同士でドナー契約を結び合い信頼も深め、強くなるための切磋琢磨も存在する。それに最終的には、異界を我々にとっての楽園にすることを夢見て日々力を合わせて動いているんだ。弱さで迫害されることの無い最高の楽園をね。君は地球では裕福ではないと言い、嫌いとも言った。ならば、それらの事は我々の仲間に入れば解決だ。多少の差はあれど困窮することは無いし、団員も同じような傷を持つものばかりだから打ち解け易かろう。地球で味わえなかった生きる充足感が、ここでは味わえる。どうだね、女の子という事で入団テストも免除させてもらうが?」
「ああ、そういうことですか」
何とも味の無い口説き文句だ。人生で口説かれた事なんてほぼ皆無だから分からないけれど、こんな口説かれ方をされたら百年の恋も冷めそうだ。
「愛玩生物になるのはごめんですので」
「誰もそんな事を言っていないではないか」
「言ってはいませんが聞こえましたので。そもそも、別に私は傷の舐め合いをしたいわけではないですから」
異界に来てまで泣きたくはありませんし。現在進行形の傷を今改めて抉られるなんて嫌にも程がある。
『愛玩生物かぁ、興味はあるなぁー』
頭の中から場違いな相槌が。
「あなたは私のどんな姿を想像しているんです」
『首輪を付けられて全裸か裸ワイシャツ?』
はぁ、と呆れ果てて溜息が出ますね。
「くたばればいいと思います」
ついでに暴言が声に出てしまいました。あらうっかり。
「何だと?」
しっかり岩澤氏にも聞こえてしまっていたようですね。やれやれ、どう誤魔化しましょうか。
そんなちょっとしたミスによる焦りを抱えていると、
『丁度良いサクヤ、代わりんさいよ』
「は?」
その言葉の意味を捕らえる時間も無いまま、私の体をドナー顕現の光が包み始めた。それが全身を包み込んだ後、足元から徐々に私の存在が書き換えられて行く――
って、書き換えっ!?
『済まないね、今回は完全に顕現させてもらうよ』
私の意識が宙に浮き、そして完全に光が包み込む私の肉体から切り離された。やがて光から解放された中の体は、私のものとは全く異なる容姿をそこに露にする。
中学生である私よりも更に小柄なほぼ小学生の身長、それに不釣り合いな程に発達した胸元を谷間を見せる形で包んだ、肩も腹部も露出する薄い黒のチューブトップの上半身に、腰から左右に垂れた足首までの白い防御布に包まれた、太腿を完全に露出する無骨なベルトを巻いた超ミニの青いデニムパンツと脛まで包む革製の編み上げサンダル姿の下半身。そして、腰の下まで緩やかにふわっと伸びた淡いクリーム色の髪にそっと主張する蝙蝠の髪留め。
自信に満ち溢れた、幼くも威厳のある表情と態度。
不惑の存在、暁ミクがそこにいた。
「ふう。こうして自分の脚で立つのもなかなかに久しぶり」
暁ミクは、タン、タタンと、地面の感触を確かめるようにその場で飛び跳ね、嬉しそうに適当なステップを踏む。髪と腰当て代わりの布がひらりふわりと舞って、何だか妖精のダンスのようにも見えて来る。ここが硬質な建造物内でなければ良かったのにと思えてならないのが残念だ。
「……何だ、貴様は」
私のドナー顕現を目の当たりにした岩澤氏が、当然ながら明らかな警戒と敵意を持ってこちらを睨んでいた。
ここで妙な事を言えば彼の持つ円錐型の長槍の切っ先がこちらに向くことになるんだろうけれど……。
「はぁい、ミクだよん☆」
本気に可愛く横ピース。
この人に常識的な行動は求めてはいけないのです。
後この人、これでも26歳です。
「……、……」
ああもう、岩澤氏も黙り込んでしまったではないですか。ただでさえ細い目が更に表現が難しい事になってしまいましたよ。見えてるんですかね、あの細さ。
暁ミクも、あまりに反応が無かったのが不満だったのか(岩澤氏は大人の対応だったんですね)、ちゃらんぽらんな空気を纏うのをやめて改めて普通に名乗り直した。
「蒼衣サクヤのドナー、暁ミクだ。名前くらいは知っているだろう、天帝騎士団団長殿?」
対して岩澤氏は、微動だにせず静かに問い返した。
「暁ミク、とは……12年前の文明改定を起こした、あの?」
「そう。その暁ミクだ。よーろろん」
声と雰囲気だけはまともなのに、語尾が……。
岩澤氏は暁ミクを信じたのかどうか分からないけれど、取り敢えずこちらの出方を窺っているのか正対して黙っていた。
『何をするつもりですか、暁ミク』
「ん?キミがしていたような、お話だよ」
不安だ……。大層不安だ。
暁ミクは腰に手を当て、雑談をするかのようなリラックス度合いで話を始めた。
「さて、団長殿。あぁ、面倒臭いからハナテでいっか。さっきからのサクヤとの話で随分面白い所があったからちょっと聞かせてもらいたいんだけどね」
「……何だろうか」
「愛玩生物って、具体的にどんな感じになるんだい?」
『最初がそこですかっ!』
余程私のあられもない姿を見たいんでしょうか。変態でしょうか。
「……それはサクヤさんが勝手に言った事だ。私に聞かれても答えられない」
「真面目かっ!」
ビシッと裏拳でツッコミを入れましたよこの変態さんは。本当に何がしたいんでしょう。
「全くつまらない男だねキミは。それとも、ミクを実際に目の前にして緊張しちゃってるのかな?貴重なんだぜー、ミクをこうして目に出来る機会は。ルイやアスミもまだ見てないしなぁ」
言って暁ミクは、見てもいいよいやむしろ見なさい、と言わんばかりに色々ポーズをとって見せる。してくれるのは勝手ですが、小さく拍手してるシャンネプさんが可哀想なのでやめてあげてください。
「あなたが何をしようと一向に構わないが、まず一言言わせてもらいたい」
「ふむん、何かな?」
「……消え去れ、偽物が」
ビュッ!ズガァッ!!
「ッ!」
突如、岩澤氏が長槍と共に一足飛びにこちらへ突っ込んで来たと思ったら、暁ミクの腹部に槍の鋭い刺突を繰り出し、勢いそのまま暁ミクを扉の横の壁に激突させた。壁は激しく砕け大きく亀裂が走り、並の魔物ならひとたまりも無かろうこの突撃の破壊力を雄弁に物語っている。
さしもの暁ミクも一切防御を許されず直撃だった。壁に磔にされたまま、腹部に槍を突き立てられたまま、俯いて全く動かない。さっきまで無表情に暁ミクの冗談に付き合って拍手していたシャンネプさんも、意識だけの存在でその場に取り残された私も、あまりの一瞬の出来事に呆然とその行方を見つめてしまっていた。
そして、響き渡った攻撃の余韻が世界に溶けて無くなる程に時が経過した頃、ゆっくりと声がした。
「…………おー、やるねぇー。流石は天帝騎士団団長、ちょっとビックリしたぜ」
「なっ……!?」
驚愕の表情を見せる岩澤氏を余所に、未だ壁に突き刺されたままの筈の暁ミクが槍の先に手を伸ばして言った。
「刺突系スキル『ガンスティンガー』。自身の重量と加速で威力を倍加させて相手に向けて武器を突き立てて一気に突進する、威力補正も優秀な攻撃スキルだね。それにこの槍『ブリューナク』も結構な業物よねぇ、うんうん。ハナテ自身の能力もレベルにしては優秀だ、この槍を装備出来るだけの事はある」
グッと槍に手をかけ、力を込める。そしてゆっくり、ゆっくりと、槍が暁ミクの体の外へと動き始めた。
「ここまで来るのに何人、うんにゃ、何十人の部下を食ったのかねぇー」
やがて刹那、岩澤氏の槍が激しく音を立てて弾き飛ばされ宙を舞った。
「ま、それでもミクには及ばない、か。ふむん、残念だ」
言い終わりと共に、悪魔のような笑みを浮かべる暁ミク。
この場にいた全員に戦慄を感じさせた張本人はそれから呑気に貫かれた筈の腹部をすりすりと擦ってみせていたが、その原因の方の張本人はというと、即座に遥か後方に弾き飛ばされた槍の元まで飛び退くとそのまま驚愕と動揺が入り混じった表情で固まってしまっていた。
「にしてもだ、ミクの絹のような肌触りのお腹にいきなり槍を突き立てるとはねぇ。ミクの存在の証明にはなったと思うけんど、傷でも付いたらどうしてくれていたのかなぁ」
『はい!?』
え、貫かれていたのでは?
「んお?いやいや、ちくりともしなかったぜ?」
驚いた声を出した私に、暁ミクは見せつけるように私に自分の腹部を晒した。元々露出していましたけど。
見ると本当に、暁ミクの腹部には一切の傷がありませんでした。ご丁寧に背中まで見せてくれましたがそちらにも。
貫通どころか刺さってもいなかったと……。
それに壁に叩きつけられた時に結構激しい衝撃があった筈なんですが、それに関する傷らしきものも見当たりません。
「……馬鹿な。そんな筈が」
固まっていた岩澤氏がやっと小さく声を出す。それはまあ、自分の攻撃が通じなかったのはショックでしょうけれど。
「何なんだ、貴様は……。何故、私の力を把握している!?」
『把握って……、あ!』
岩澤氏の言う事が分かりました。そして何に動揺しているのかも。
それに暁ミクが、心外とばかりに言い返す。
「おいおい、ミクを誰だと思ってるんだい。ジャッジ・システムの設計者だぞ?全ての生物の全ての情報を管理しているジャッジ・システムの。他人のスキルやステータスくらい把握出来ない訳がなかろうが」
基本、他人のステータスは本人の許可無く見ることは出来ない。立派な個人情報でもあるし、数値として強さが分かってしまうため他人に見られてしまうと色々困る。
しかし、このイレギュラードナー暁ミクは、管理人権限なのかそれとも設計者権限なのか知らないけれど、それを盗み見れてしまう。相手のレベルは勿論、能力値、習得スキル詳細、装備品性能、その他ジャッジ・システムに登録されていること全て余さず。はっきり言って最高に質が悪い。
異界に長くいる人程その重要性は承知している筈で、岩澤氏は異界召喚一期の生き残り。対人戦におけるこのビハインドに対する恐怖は人一倍でしょうね。しかも相手は異界の開祖、心境は……分かってあげられません。
『……と言うより暁ミク、先程聞き捨てならないことを聞いた気がするのですけれど』
「ほえ?」
『部下を食った、とは、どういう事ですか』
ああそれね、といった顔をする暁ミク。そのまま岩澤氏に対して話を始める。
「本当にさぁ、キミのやってる事って気に食わないと言うかさぁ。ミクの理念に反してくれちゃってるんだよね」
「ど、どういう事です……?」
「天帝騎士団……。これ、別に弱い者の集まりってんじゃないでしょ。……んーん、それは言い方が適切じゃないか。弱い者の集まりである事は間違ってないけど、何のための集まりかってのでさっきの説明とは異なる事実がある。ま、それ以外にも根本的に好かんところもあるんだけどにゃん」
「何が、違うと……?」
「……楽園造り。それがこの天帝騎士団の目的であり、手段」
しばらくの間、静寂が空間に居座りました。
『……え、と。それは岩澤氏が語ったことに相違無いと思うのですけれど』
「相違有り。ん、総意は無いかもね。まず目的からして異なるのだから、意思統一がされているとは言い難い。末端やある程度の幹部はまとまっている、いや、まとめられていると言えるかも知れないけれど、それは偽り、建前、嘘。ミクの嫌いな美談を餌にした、正に餌なのだよ」
息を吸い直す暁ミク。
「実に小さな、蠅のように目障りな話だ。天帝騎士団とは楽園製作のために作られた、岩澤ハナテの自己満足のために作られた、壮大でちっぽけな組織。人の集まりも、独裁的な政治も、全ては岩澤ハナテが自分で飽食する為の養殖場に過ぎないんさ。楽園とは他人のためにあらず、異界のためにもあらず、ただ己のために造り出すものって事なんだよねぇ」
吸った息を盛大に吐き出す暁ミク。
『つまり、楽園と言うのは……』
「ハナテのためのもの。そのために集められたのが天帝騎士団団員。マグナ・ノミナはその団員を快適に肥やすための養殖場、そのための独裁政治。質の良いドナーを効率的に生み出して死なせ自分に還元させる、それが楽園。……って事で、間違っちゃないと思うんですけどいかがですかねー?」
わざとらしく明るく岩澤氏に問いかける暁ミク。岩澤氏も動揺は何とか顔の裏側にしまい込んだみたいだけれど、最初より敵意が剥き出しだ。
「空想も甚だしい。何を根拠にそのような事をおっしゃるのですか?」
「だ・か・らぁ、ジャッジ・システムの設計者を舐めんなって言ってんじゃんよ。レベルに比べて遥かに高い能力値、無駄に所有しているスキルの数々、これはドナー契約を繰り返した結果の当然の帰結であり傾向の一つ。それに、ジャッジメモリの解析をすればある程度の記憶映像が再生出来るから、ドナー契約に関する決定的な映像も出てきそうだよねん。まあ、大方さっきみたいな末端の中でも弱い団員数名と契約を結んで、訓練と称して強大魔物辺りに挑ませて死亡させる。疑われないように自分もそれに付き添って、そして助けない。それならドナーの自殺・他殺による違反規約には引っかからない。それを定期的に繰り返せば少しずつではあるけど能力は伸ばせる、ってところでしょ?10年前ならいざ知らず、ミクの作った今の世の中、証拠なんてすぐに燻りだせる。とぼけても良い事無いじぇ?」
言葉遣いはあれだしロリっとした決めポーズも非常に鬱陶しいけれど、ぐうの音も出ない程に黙り込んだ岩澤氏の様子を見るにこの仮説は大当たりだったのかも知れない。顔は仮面のように動かないけれど、細く閉じかけの目の玉がほんの少し明後日の方向を向いている事からも精神的動揺が見て取れる。それを見逃す暁ミクでもないだろう。
「ああ、勘違いしないで欲しいんだけどぉ、ミクは別にそのこと自体を咎めてるわけじゃないんだなぁ」
「は!?」『え!?』
凄くあっけらかんとしていらっしゃるのですけれど……
「いやね?当然の思考回路なんよ。ドナーシステムをミクが作った時にこういう使われ方をするのは織り込み済みって言うか、マゾいゲーマーなら究極的にはこの方法が一番手っ取り早く強くなれるって気付くだろうし。ただ、ジャッジ・システムの監視下ではそうそう無茶な実行は出来ないから実行する人間は少ないかなぁとは思ってたんだよねん」
「で、では……、何が気に食わないと言うのですか?」
死刑判決を待つ犯罪者みたいな聞き方です。
「……言っちゃえばさぁ、つっっっんまんないんだよ。ミクが考え付くような、一般的な方法を自慢気に取ってるキミは。ミクの理念ってのは、常に斜め上の発想を求める、ってのでね。勿論今この異界に存在して実行されているドナーシステムの利用法は全部ミクの想定内なんだけどさぁ、それでもマイノリティな手段を取る人に魅力を感じてるんだ。それは、あまり人に流されない、自分で考える力が多少なりとあるって事だからね。そういう奴こそ、世界を変えるには必要だ。マジョリティな奴に他人を利用する資格は無い」
暁ミクの僅かに苛立ちの篭もった言葉が進むにつれ、私も何故だか胸の辺りがムカムカしてくる気がしてきた。でも体を共有しているから、というシンクロニシティだけが理由ではない気がする。
私にも、この言葉に思う事があるんだ。
「ってなわけでぇ、ご苦労様でした。もうキミに観察の価値は無い、異界からご退場してもらおうかなー?」
ニヤッと悪辣な笑みを浮かべて、暁ミクは一歩前へと踏み出す。岩澤氏はそれに対して二歩退がった。
「きゃっははははっ!怖がっちゃってまー。何十人も食って来た筈のキミがミク一人を恐れるなんて滑稽滑稽烏骨鶏、チキンここに極まれりってなもんよ。……じゃ、そんなひよこなキミにチャンスをあげようじゃない」
そう言って、暁ミクは何やらメニュー画面を出して操作をし始めた。そして何かを選び終わると、岩澤氏の方にメッセージ画面が表示された。それを見て岩澤氏は今日一番の驚愕の表情を浮かべた。
「こ、これは……!?」
「デュエル申込み、及び、ドナー契約申し込みだよ。互いに互いの能力を賭けて戦おうじゃないの。勝てば、異界最強の座は手に入ったも同然になると思うんだけど……いかがか?」
デュエル。正式名は認可戦闘。ジャッジ・システムに申請した上でルールを決めて人間同士が戦う事で、これならどれだけ相手を攻撃しようとも罪に問われることは無い。通常、腕試しや決闘などに使われるシステム。
けれど、HPは0に出来ない上に何かを賭ける事までは認可されない筈なのに……どういうつもりなんだろう。
「ああ、不安だと言うならハンデを付けてやるよ。ミクの能力値50%OFF、こんだけのサービスは今までしたことないぞ?どーよ?」
『あの……、私の体でもあるんですけど』
私のツッコミはスルーされました。本当に自分勝手な人です。
岩澤氏も、見た目女児に大分馬鹿にされて退くに退けなくなったようで、
「……良いでしょう。その余裕、後悔させてあげますよ」
疑問点に疑問を持つ事無く承諾していました。あるいは、これも暁ミクの戦略かもしれませんが(本人にとっては戦略と言う程の事でもないのでしょうけれど)。
互いにドナー契約とデュエル承認を済ませると、三十秒のデュエルのカウントダウンが始まった。立ち位置も仕切り直し、互いの距離は部屋の半分に等しい約6m。
今回のデュエルは何でもあり、相手のHPを5%まで削ればその時点で勝ちが決まる一番シンプルなもの。ただし暁ミクの能力は半減するという特殊ルール付き。
暁ミクの実力の一端はさっきの不意打ちで見せてもらいはしましたが、実は私も具体的なステータスについては見たことが無いのです。ドナーと言えどそこまでの権限は私の側には無いわけで。
故に、暁ミクの勝利が非常に疑わしい。暁ミクが消えてしまえば私もこの場を無事には出られないでしょうから、負けてしまうと非常に困るんですけどね。
「あーそうだ、シャンネプちゃんよ」
不意に暁ミクに呼ばれたシャンネプさんはキョトンと首を傾げた。
「折角なんでさ、一曲歌ってくれない?こう、ボス戦にふさわしいかつ優雅な感じのやつ。何ならピアノ系だと嬉しいんだけどなぁー?」
言われたシャンネプさんは少し考えた後、コクリと頷いた。
と、突如シャンネプさんの前に漆黒のグランドピアノがブォンと音を立てて出現した。しかもマイク付き。
まさかと思ったらそのまさかで、シャンネプさんはそのピアノの前に立ったと思ったら、激しくアップテンポな曲の弾き語りを始めたのだった。高音でスタッカートを多用する曲調にシャンネプさんの歌詞の無い滑らかな旋律の紡ぎが、確かに非常に胸の底から高揚感を誘って戦いの気分になってくる。
「おー、いいねぇ。じゃ、せいぜい巻き込まないように全力でやろうねっ」
ターン、ターンと、軽く跳ねて曲を体に馴染ませる暁ミク。
「……善処しよう」
他を排除して、自らの装備を構えて体に馴染ませ直す岩澤ハナテ。
ピアノとソプラノの音が部屋に響き渡る中、カウントダウンが終わりに入る。
4……3……2……1……、
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
0と共に、岩澤氏が再びの『ガンスティンガー』を繰り出した。
空気を切る音と共に撃ち出された槍が、またしても暁ミクの腹部を直撃する。
「……おいおい。キミはアニメのお約束を知らないのかにょ?」
が、今度は槍はぴたりと暁ミクの肉の寸前で掴み取られ、静止させられていた。
「初見で通じなかった技が能力値が下がったとは言え、しかも同じように不意打ちで通じると思うなんて、頭が残念にも程があらぁね。ゲームでもしているつもりなのかい?」
ぐいっと暁ミクは槍を引いて、岩澤氏と思いっ切り顔を突き合わせた。まじまじと、冷徹な表情で。
「今キミと対峙しているのはこのミクだ。生きた人間を、ミク以下の人間が作ったAI如きと同じと思うなよ」
大人しく言われてしまった岩澤氏は、無理矢理自分に降りかかるものを振り払うかのように槍を大きく右に薙いだ。
槍に乗せられて暁ミクは壁際に吹き飛ばされたが、クルリと宙で体を回し壁に柔らかく着地した。けれどそこにすかさず岩澤氏の距離を詰めた追撃が迫る。今度は直接の突きではなくやや離れたところからの、槍に瞬時に込められたエネルギーを飛ばす刺突放射。これなら確かに受け止めることは出来ない。
暁ミクは放たれた攻撃を見るや、やはり横へと跳躍した。壁に攻撃が衝突し、その部分が槍の太さだけ深く抉られる。銃弾が撃ち込まれたように壁に罅はほぼ入らない。
「『ハートピアッサー』、ね」
僅かに目を細めて暁ミクは技を見る。
その後も岩澤氏は間合いを一定以上詰めず離さず『ハートピアッサー』を撃ち続ける。暁ミクはそれをギリギリでひたすら躱し続けた。縦に、横に。壁に、床に。部屋の全てを使ってひたすらに。
躱してはいるけれど、暁ミクの腰から垂らしている防御布がほんの少しずつ突き裂かれていてはいた。今更ながら、あの出来損ないのスカートみたいな布は本当に何の為にあるんでしょうね。いや防御の為なんでしょうけど。
それから一分程そんな一方的な攻撃が続き、部屋中に意味の無い穴が無数に空いた頃、遂に岩澤氏の攻撃が暁ミクの太腿を僅かに掠めた。防御布を削り続けた甲斐が出たというものでしょうかね。しかも壁の高い位置から床へ回避するタイミングで当たったものだからバランスを崩され、えらく見事にすっ転んでしまいましたとさ。
「げ」
「喰らえっ……!」
岩澤氏はさすがにここは全速で距離を詰め、対象の上から突き下ろす強烈な一撃を迷わず放った。これにもエネルギーが込められていたのか、突くと同時に激しく爆発を起こして周囲が爆煙に包まれる。
……直撃したように見えましたが、大丈夫なんでしょうかね?
「……今の一撃を躱せる筈がありませんよ、ましてや受けきれる筈も無い」
確かな手応えを感じたように、岩澤氏は言葉に歓喜を含ませて呟く。
しかし、直後に何度目かになる驚愕に目を見張ることになる。
「躱す、受ける。低次元だね。そして、面白くない」
爆煙の向こうから、可愛らしい声が聞こえてくる。その声の主は勿論――
「対人戦の神髄は、相殺する、だよ。覚えときな、小童が」
片膝をついたまま、自らに向けられた槍の先端にいつの間にか装備していた一丁の拳銃の銃口を差し込んで攻撃を止めている、暁ミクだった。
しかし……、まさかの銃、ですか。
暁ミクが今右手に装備しているのは、確かデザートイーグルと呼ばれる大型の銃。地球上では拳銃の中では最高威力の銃弾を使用出来、銃撃時の反動が威力に比して大きく体格に恵まれた人間でなければ扱うのは難しいとされている銃だ。銃身が白いのは暁ミクの趣味でしょうかね。
ただ、当然異界仕様でしょうから私のこの知識がそのまま当てはまるとは思っていませんが。
ともあれ、暁ミクはあの銃を使って岩澤氏の攻撃を防いだ。いや、相殺したらしい。
「銃っていうのは素晴らしいよねぇ。フォルムの美麗さは言うまでも無いけど、ミクみたいにか弱い女の子でもこうして扱い次第で大男の力任せの重い一撃を簡単に防いだりも出来るしぃ」
うっとり語ってくれていますが、どこの誰がか弱い女の子なのでしょうか。私かシャンネプさんならまだ分かりますが、暁ミクにか弱さのかの字も存在するとは思いませんが。
「それにこうしてさ……」
瞬間、暁ミクは岩澤氏の懐に潜り込み、左手を胸元に押し付けた。そして、
ガァンッ!!
激しい爆裂音と共に、岩澤氏の体を数mは軽々と吹き飛ばして見せた。
「そんな大男をあっさりぶっ飛ばすことも出来ちゃったりして、ね?」
威風堂々とした態度で倒錯的にウインクをして見せる暁ミク。その左手には、もう一丁別のデザートイーグルが握られていた。
いやしかし、幾ら何でも銃撃一発で全身鎧の男性をここまで吹き飛ばせるものではないでしょうに。また何かチートでもしたのですかね。
「ズルは何もしてないじょ?偏に努力の賜物なんですばい」
む、私の無言の感想にも返してくるとは。何とも怖い女性です。
と、吹き飛ばされた岩澤氏が槍を支えに起き上がって来た。撃たれた胸元に穴は空いていませんが、その部分はかなりひしゃげてしまっているようです。それでもふらつくのは衝撃そのものは体に十分に伝わっているからでしょうね、零距離射撃ですし。
「貴様……、化け物ですか」
僅かに震える声で、岩澤氏は問うた。
「銃使いは私も見たことがある。しかしあまりに要求される技術と能力が高すぎて、小銃でさえ満足に扱えるものはいなかった。なのに貴様は……。まぐれだとしても、何故あんな事が……」
「出来るから、こうして立っているわけですけど?」
対して来たのは、有無を言わさぬ突き返し。
「それに化け物なんて、幼気な少女に対して失礼な。ミクはただの、ちょっと銃っていう火遊びに興味が沸いちゃって12年間手足に等しく扱えるようになるまで撃ちまくっただけの、健気な女の子ですよー」
ただの銃戦狂じゃないですか。
「はぁ。驚いたり怯えたりする暇があるくらいならとっととかかって来んさいよ。ようやくミクに銃を抜かせたんだよ?ゲームのボスで言うなら第2形態、ようやく本番ってとこじゃん。ほれほれ、来ないならミクから仕掛けちゃうぜ?何せミクはこの距離からでも指一本で攻撃出来ちゃうんだからにゃ」
ニヤッと片側の口角を全開にした笑みを浮かべ、銃口を前方の的に向ける暁ミク。
岩澤氏は最早完璧に精神的には追い詰められた顔をして、しかし頭と体はまだ諦めず、グッと姿勢を落としてから一気に暁ミクに突撃を仕掛けた。直線的な『ガンスティンガー』とは軌道の異なる、下から抉るような突き上げの攻撃。
銃を持つ相手に距離は不要、如何に銃撃を受けずに近付けるかが肝になる。そういう意味では岩澤氏の行動は最善、鎧も一撃で破壊されるわけでもないからほぼ確実に暁ミクに接近出来る筈だった。
そう、近付くだけなら。
「いいね」
ガァンッ!!
暁ミクの銃口が、岩澤氏の槍の一撃を銃撃と共に銜え込んだ。一歩間違えれば銃が破裂しかねない限界ギリギリの発砲、それを今暁ミクは行った。
つまり、槍の一撃と等しい衝撃を与えられるだけの威力を持った位置での発砲、そうすることにより互いのベクトルを0にして攻撃を完全に相殺する。それが、暁ミクが行った完全な計算と技術を要求される防御技――。
「『アブソリュート=ゼロ』、と名付けてみてはいるよ」
本来の意味とは異なる使い方ではありますけれどね、そのネーミング。
「ならばっ……!」
岩澤氏は、最初の一撃で仕組みだけは理解していたのであろうそれほど動揺することなく、その場で体を捻って槍を引き再び攻撃の姿勢を取る。
「『ビートファング』!」
繰り出したのは目にも止まらぬ速さの連続突き。ちなみに物理的には人間はそう何度も一定以上の速度で続けて突きの動作を放つことは出来ないとされている。体の構造上人間には無理なんだそう。
が、岩澤氏が放ったのは最終的に五発。それも私の体感では1秒も無い内に。異界のシステムアシストがあるとは言え、これはかなり凄い事なんです。
……けれど、そんな凄さを上回るのがやはり暁ミク。
五発の突き全てを、二丁拳銃での『アブソリュート=ゼロ』で防ぎ切りました。しかも一歩たりとも動く事無く。
驚異的では済まないレベルの計算能力、銃技術知識、そして反射神経。『天才』は未だに健在です。
「ちなみにデザートイーグルの装弾数は9発、二丁合わせて18回の攻撃を連続で捌く事が出来るんだねぇ」
そして全てを弾き切られ、これまで以上に絶望感が滲み出る表情の岩澤氏に暁ミクは容赦無く告げる。
「折角だから残りで体感して行きなよ、ミクの基本戦闘スタイル」
二丁拳銃を構え、初めて暁ミクからの突撃が始まる。
「ガン=カタを、さっ!」
懐に飛び込み、殴り上げるかのような動きと共に発砲。一撃に終わらず、二発、三発と。
そしてその三発で実際宙に浮いた岩澤氏を更に自ら追撃して打ち落とすかのように撃ち落とし、地面に正面から叩き付けられた岩澤氏の背中に残りの銃弾8発を全て叩き込んだ。
無駄の無い、鮮やか過ぎる連続攻撃。私もこうして描写出来たのが驚きな程に一瞬な出来事だった。
ガン=カタ。本来は、昔とある映画で使われた架空の銃近接格闘術であったものを再現した戦闘法で、今では様々な小説やアニメでも使われると聞いています。暁ミクはどうやらこのガン=カタを独自の理論で格闘と同時に射撃する事による相互威力倍化遠近両立格闘術として構築したみたいですね。きっと好きだったんでしょう、そういった作品が。
しかし、半減している筈の能力値でここまでの身のこなしが出来ると言うのは本当に恐ろしい話です。味方の内はいいですが、いずれこれを相手にする風見ルイの苦労が偲ばれますね。
そして、今正にそれを蹲って実感している岩澤氏の苦労も、ほんの少し。
「残りのHPは2割ってところかにゃ?今ので削り切れないって、さすがにタフではあるんだねぇ。いや、鎧の性能が良いのかのぉ。まあ、ミクが楽しいからそれはそれでいっか」
きゃははは、と本当に楽しそうに笑う暁ミク。もう何か怖いです、私の力不足故ですかね。
だって、実力者の岩澤氏はまだ立ち上がって来るんですもの。
「『ク、ラスター……レイ、ド』!」
肩で息をして途切れ途切れでも言葉を紡ぎ、暁ミクへと手を翳すと、岩澤氏の周囲に七つの巨大な岩塊が浮かんだ。そしてその岩塊が尖った先端を向けて一気に暁ミクへと降り注いだ。
「この質量の、魔法なら……銃撃で相殺など、出来ないッ!」
「ああ、それは正解。けど、不正解」
七つの岩塊が暁ミクを貫こうとした寸前、岩塊は暁ミクの目の前で先端から磨り潰されるように塵と化して行った。
「魔法でなら、相殺は可能なんですよねぇこれが。ま、相殺じゃなくて完全な防御なんですけどねぇこれは」
……無敵ですか、この女は。
「ついでにもう一つ不正解。ミクに魔法で勝負を挑むなんて最大の減点だよ、残り少ないHPを無駄に使っちゃってまぁ」
岩澤氏のHPゲージはさっきより減り、残り8分の1にまで減っていた。
「そんなに要らないんなら、お望み通り、奪ってあげましょー」
ビッと、暁ミクは岩澤氏を指差した。そして、紡ぐ。
「『ブラック・ネメシス』」
暁ミクの指先から無数の黒い蝶が岩澤氏に向かって飛び立ち、包み込む。戸惑い警戒しながらも未知の現象に槍で薙ぐことも触れる事すらも出来ず硬直する岩澤氏を余所に、暁ミクがパチンと指を鳴らすと、無数の蝶が一気に膨れ上がり青黒い炎を伴った爆発を引き起こした。辺りに飛び交う蝶たちも連鎖的に爆裂し、結果的に部屋のほぼ全てを巻き込んだ大爆発になる。
……って、あまりの爆発の勢いに歌ってたシャンネプさんが部屋の隅っこで驚いてピアノの影に隠れちゃってますけど!?と言うより、巻き込まれかけてますって!!
あ、暁ミクがシャンネプさんを抱き抱えて部屋から脱出した。ちゃんと気にしていましたか。
……ただ、私は置き去りなんですけど。まあ痛くも熱くも無いですが。
それから部屋の様子が分かるようになるまでそれなりの時間を要しましたが、岩澤氏がどうなったかは煙が晴れずともすぐに分かることになりました。
私が黒煙満ちる部屋から手探りで脱出して扉のすぐ横にいた暁ミクと合流すると、暁ミクの前にはデュエルのリザルト画面が表示されていました。そこには、『暁ミク 残HP92% 岩澤ハナテ 残HP5% 勝者:暁ミク』と出ており、デュエルが暁ミクの勝利に終わったことを示していたのです。
「ふぃー……。なかなか愉快な戦いだったねぇ、何年か振りにちょびっと本気出しちゃった
よん」
暁ミクが私に話しかけるように呟いた。ならばと私も返す。
『本当に、底が知れませんねあなたは。私に寄生せずとも一人でやって行けそうではないですか』
「つれない事言わないでよサクにゃん。人は一人じゃ生きて行けないんだぜ」
『説得力皆無の発言ですね。それに誰がサクにゃんですか、それはシャンネプさんにせめて言ってください』
「よし、では抱き付きながらそうしよう!シャーンネープにゃーんっ!」
『本当に実行する馬鹿がどこにいますかっ!』
すいませんシャンネプさん、全力でそのひっついてる女を引っぺがしてくれて結構ですから。あ、言わずともしてましたか。
『それよりも、これで岩澤氏と決着はついたわけですから交渉の再開を――』
「あー、いや。しばらく放っといてやんなって」
私が言うと、暁ミクはそう返して部屋の扉をバタンと閉めてしまった。
「ほら、こういう時って男って隠れて泣いたりすんじゃん。ミクみたいなか弱い女の子に負けたって、これまでの彼の経緯から考えてもそーとープライドが傷付いたと思うからさ。空気読める女は、そっとしておいてやるもんだよ。扉閉めてても窒息したりしないからだーいじょうぶだって。何分かして落ち着いたら、戻ってくればいいさ」
……何だか急にしおらしいと言うか、情緒のある事を言い始めましたね。まあ分からないではないですけれど。
暁ミクはシャンネプさんの背中をグイグイ押しながら部屋を離れて行きました。私もそれにふわふわ付いて行きますが、そろそろ自分の体に戻りたいんですけどね。
「まあ、ここを出るまでは安全も考えてミクが表に出ておくよ。じきにアスミも乗り込んでくるかもだしね」
そう言えば、もうそれなりの時間が経っている筈なんですよね。デュエル自体は五分も無かったと思うんですけど、この建物自体が広いし深いしで移動にそれなりに時間がかかっていましたし。あれだけ派手に暴れたんですから、アスミも近くに来ていれば私達の居場所の特定も出来るのではないでしょうか。
『でも、もしアスミが岩澤氏のいる部屋に今すれ違いで入ってしまったらどうなるんでしょう。弱ってる彼にうっかり斬りかかったりしないでしょうか?』
思い付きで言った私の言葉に、暁ミクが小さく笑ってこちらを見ずに言った。
「ふふ、そこは心配しなくても平気。むしろ心配なのはその弱ってる人の方じゃないかなぁ?」
『何故です?』
「だって……早まってしまうかもしれないだっしょ?」
『は?早まっ――』
ズドオォォォォォォォォォォォォォォォンン!!
『!?』
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!
な、何が起きたんですかっ!?
背後で突如爆発のような音が起きたと思ったら、振り返った回廊の奥から黒炎を越えものすごい勢いで土煙が迫って来ていました。
「……逃げるぞ、急ぎたまえ!」
暁ミクが迷う事無くシャンネプさんの手を引き一目散に廊下の先へと走り出す。この狭い廊下で煙にまかれたら大変なことになりかねませんからね。
ただ意識体の私は多少なりと余裕があるので逃げながら後ろを見れば、回廊の先から薄っすらと夜空が見えていました。
つまりは、さっきまで私達が戦っていた部屋であろう場所の辺りが派手に吹き飛んでしまっていたのです。
『これって、まさか……』
逃げ延びた廊下の先、開けた空間に出た私達は顔を見合わせました。
すると、ポーン、と、知らせを告げる機械音と共に暁ミクの前にウィンドウが浮かんだ。暁ミクはそれを一瞥すると静かに言う。
「岩澤ハナテが、死んだようだ」
『……では、今の爆発は』
「早まるな。早まったわけじゃないだろうさ。単なる不慮の事故だろう」
暁ミクがふざけない。つまりは今は現実的に動いているということでしょう。なら、本当にこの戦っていた部屋が崩れたという事態は不慮の事故……、だったんでしょうか?
先程の部屋、確かにあれだけの派手な戦闘を繰り広げたとはいえそれなりの広さはありました。最後の暁ミクの魔法は広範囲の爆発系の魔法ではありましたが、それだけでその後部屋が崩れ落ちるとは到底思えないのですけれど……。
それに、戦闘が終わってからの暁ミクの行動。扉を閉め、私達を部屋から遠ざけようとするかのような会話……。
「仕方無いさ。ミクだって結構必死に動き回っていたからこんな事になるなんて予測する暇も無かったよ。分かっていたらもう少しうまく立ち回っていただろうけどねぇ」
本当に思っているか疑わしく暁ミクがそう言いながら、何かウィンドウを操作していた。そしてそれを終えウィンドウを消すと、刹那、満足気な笑みを微かに口の端に浮かべてからまた外へと向かって歩き出していた。
『…………、まさか』
私の中で仮説が一つ組み上がる。
初めから、暁ミクは岩澤氏を排除するつもりだったのでは。そして、岩澤氏の能力すらも奪うつもりだったのではないか。
デュエル後の事故に見せかけた、計画的な故意で。
きっと、暁ミクはデュエルを始めた時から部屋中に細工を施していたんでしょう。縦横無尽に逃げ回ることで部屋のあちこちに部屋を崩壊させるための爆発物を仕掛けると言った方法で。無論実際の物ではなく恐らくは暁ミクの習得している時間差で発動する魔法の類でしょうが。最後に使った『ブラック・ネメシス』が良い例です。そしてそれはあくまでもデュエルの最中に仕掛けたものだからデュエル中に使用する予定だったという名目が立つ。それにより戦闘後に残っていた魔法が本人達がいなくなってから発動、部屋に残された瀕死の状態の岩澤氏は魔法の発動により崩壊した部屋の瓦礫の下敷きとなりダメージを受け死亡、という事故を演出出来たんでしょうね。
ここであくまで瓦礫の下敷きによると私が仮定したのは、直接の魔法のダメージでは暁ミクに故意殺人の疑いが向いてしまうからと考えられたからです。
そこはジャッジ・システムの基本仕様ですからね。故意による殺人の場合はドナーの権利は互いに全て剥奪される、という。それに故意に殺人を犯せば暁ミクと言えども牢獄行きです、異界にいる以上設計者でも管理者でもシステムからは逃れられない筈ですし。
だから、全てが上手く行って暁ミクは笑ったのではないでしょうか。部屋の崩落も、初めに岩澤氏が無数に放った『ガンスティンガー』の余波によるものとジャッジ・システムの審査に上手く偽装出来た筈ですから。そしてデュエルでは死なないため必要性が無いドナー契約も、こうして事故を装い殺害する事で意味を成した。
きっとさっきのウィンドウはドナー受領の完了を知らせていたんでしょうね。即席で結ばれた契約だったために遺言に該当するものの設定もされていなかったから死亡して即時に能力を手にすることが出来た、と……。そしてあくまでこれらは全て、ジャッジ・システムの機能の中で行った正当な行為にしかならない。
当然これは私の仮説に過ぎませんし、私が証明する義理も義務も存在しませんけれど。
結局、暁ミクの思惑通りの結末になったと言う事なんでしょう。自らの能力の底上げ、そして本人には邪魔な天帝騎士団の壊滅(リーダーがいなくなっただけではありますがそれに匹敵するでしょう)。後者はそれなりに人々に、特にこの町の人には喜ばれることでしょうから、どんなに腹黒かろうと暁ミクと私達は悪者扱いはされないんでしょうね。
……暁ミク。どこまでも狡猾で、利己的な女です。
「さ、帰って美味しいご飯でも食べるべー。あ、体はサクヤに返さなきゃか。うー、残念」
このおちゃらけた態度と幼女の外見の中に隠れた、所属と同じく悪魔のようなこの闇の女の事を、私はどこまで信用しても良いのでしょうか。最後に私も利用されて終わってしまうのではないでしょうか。
……今の弱いままの私では、その未来も近く、現実になりそうですね。
「……あれ。おーい、シャンネプちゃーん、サクヤー……じゃ、ないね。まさか暁ミクかぁ?」
そうそう。考えていたら、遠くの方からアスミ達が走って来るのが見えまして。
「おや、アスミに小煩い女騎士に情報屋の娘に……、そっちの幸薄そうなのは、誰?」
「あー……、さっきここで偶然。色々こっちもあってネ」
苦笑いするアスミのすぐ横に、本当に幸薄そうな女の子が恐縮していたんです。