PARADOX.1 おこっていたこと
PARADOX.1 おこっていたこと
「……っていうことがあったのよねぇこれが」
「ふーん」
話の終わりを、あたしは目の前にいる懐疑的な目をした青年に告げる。
「ってことで、首に当ててくれてるこの刀、もう外してもらえない、お兄さん?」
「まあ……、ずっと持っててちょっとプルプルしてきたからなぁ、手」
「すぐさま解除を要求したいんですがっ!」
ひでー話だ。少女虐待で訴えてもいいくらいだ。
迂闊にも気絶して目覚めてみればこの状況、今日はつくづく目覚めが最悪だわなぁ。
それでも未だにあたしの首から刃渡り2m程の長刀を外してくれない、風見留今と一応名乗っていた青年は、溜息をついてから口を開いた。
「本当にお前さんはこっち側に来たばっかの新人さんなんだな?」
「だからそう言ってんじゃん。文庫本見開き10ページくらいにも渡って苦労談を紹介したつもりなんですけど?」
文字にして振り返ってみれば、一派人なら何とも理解に苦しむ内容だったな。まあ、目の前にいるこの青年はそっちの分類ではなかろうが。
「あ~、じゃあちょいとパラメータ見させてもらうけどいいか?」
パラメータ?
聞き慣れない単語に一瞬首を傾げかけたが、すぐにそれが自らの身体能力を数値化したものを指すことに気付く。
「ん。まああたしは気にしないけどさ」
そう言えばこっちでは直接見れるようになってるんだった。それも楽しみにしてたんだよね、何気にさ。
あたしはちょいと指を振ってステータスウィンドウを開く。自分でも見るためにパラメータ表示欄をタップしてから、加えて呟く。
「ジャッジ・ステータスルック」
あたしが言うと、ポーンと聞き慣れた機械音がする。他人のステータスの閲覧許可が出た証拠だ。こうしないと他人の個人情報は見られないんですよねぇ。
ふむ……、なるほどねぇ。あたしの能力値はこうなってるのな。比較対象が無いから何とも言えないけど、傾向くらいは把握出来たしまずは良しとしておきますか。
「お?何だ、お前も見たいのか」
不意にそんなことをルイが言ったんで顔を上げて見てみれば、ひょこっとその肩の上に銀髪のフランス人形のような美麗さの顔が乗っかっていた。無言で問いかけに頷きながらルイの見ていたあたしのパラメータ画面を黙って見つめている。
「あ、あのさぁ……、さっきから見えてたそのちょーーーーーーーーぜつ可愛い娘は何!?」
間違い無い。それはさっきあたしをその歌声で魅了(絶頂からの気絶だった気もするけどさ)してくれた美少女だ。今すぐ抱きしめに行ってやりたいが、まだ喉元に刀があるんで行けやしない。ちくしょうめい。
「シャンネプだ、種族はリンクス。ついでに言うと、俺の所属はシルフィな」
ルイはあたしの方には目もくれずに返す。素っ気ねーなぁ、この美少女相手に。
ただ、言われたあたしとしてはちょっと理解が追い付かない。
「シャ、シャン……?リンクス?」
「名前がシャンネプ。リンクスってのは亜人の7つある種族の一つ、無属性の猫科の人種だ」
言って不意打ち気味にルイがシャンネプちゃんの鼻っ柱を軽く突いてやると、ほんの少しびくっと驚いたシャンネプちゃんはボリュームたっぷりの銀髪の中に隠していたネコ耳をピコッと飛び出させ、あたしを更なる萌えと興奮に陥れる。
「リ、リアルネコミミ少女!?いや、むしろ体格的には幼女!?しかもサラッサラの銀髪ネコミミ幼女っ!ちょ、マジ可愛いんですけど!コスプレとかじゃないよね、天然物よねっ、抱きしめても良かですかっ!?」
「初回のお客様にはご遠慮いただいております」
言うと同時にルイはステータスパネルを指を振って閉じ、合わせてあたしの首からようやっと刀を引いてくれた。
ふっふっふ……、我が身解放を得たり!いざ、全力で少女を捕獲っ!!
あ、シャンネプちゃんがルイの後ろに迅速に隠れた。さすが猫科、危機察知が早いなぁ。
あぁ、そんなもじもじと視線だけでこっちを警戒したらもっと興奮しちゃうからいけませんよぉ子猫ちゅわん。
「お前もとっとと所属決めろよ。てか何で決めてないんだ」
「所属?」
つい間の抜けた声で返してしまった。何のこったい。
「異界に来た地球人は、まずさっき言った7つの種族の内どこかに属さないといけないんだよ。火竜族のヴァル、人魚族のウェンネ、風精族のシルフィ、花精族のノミナ、天使族のレイ、小悪魔族のピクセル、そして山猫族のリンクスな。それぞれ火、水、風、土、光、闇、無の属性を司ってる。ま、自分の好きなものを選んでくれて構わんぞ。ステータス画面の下の方に所属欄があんだろ、そこをタップしてとっとと選べ」
ああ、思い出した、確かそんな話もあった気がする。ドタバタ過ぎて思い当たる暇が無かったというのが本当だけど。ちなみに、異界側から見ての地球人はヒュムと称するらしいよ。
しかもご丁寧に説明を省いてくれたみたいだけど、選択する種族ごとにそれぞれ恩恵と言うか特徴もあるはずで、本来はそこんとこも考えてじっくり選ぶもんなんじゃないかと思うんだけどねぇ。
画面を呼び出しタップして、選択画面を見始める。うん、確かに7種が表示されてるな。
へえ、それぞれの種族の代表的な様相が見れるようにもなってるのね。別にあたしらがその姿形になるわけでもないのに。まあ、亜人を見慣れていない人への配慮とでもいうものなのでしょうよ。
……おや?所属を決めるとその種族を象ったシンボルが貰えるのか。地球人の所属を判別しやすくするためでもあるみたいね。髪飾り、バッジ、ペンダントのいずれか、と。
「ふむ……、よしっ、決~めた!」
割と即決だったのが予想外だったか、ルイはあたしの宣言にキョトンとした顔をした。
「攻撃は最大の防御、情熱の赤、燃える竜のヴァルがあたしの性格には相応しいっ!」
「ああそうかい」
うわ、反応薄っ。ああまあ、他人の選択なんてどーでもいいことか。むしろ選ぶのにあれこれ言って来なかった分、分かっていると言えるかもな。
呆れ顔なルイは放っといて、あたしは所属欄にヴァルをタップした。シンボルには髪飾りを選択する。
すると、ステータス画面が閉じると同時に胸前に小さな光の玉が現れた。そしてそれは小さく弾け、中から何かが精製される。
滞空するそれを手にしてみると、それは根元が炎に包まれている赤竜の翼を象った、あたしの選んだヴァルのシンボルの髪飾りだった。いや、髪飾りって言うかヘアピンだ。小指ほどの大きさだが、確かな存在感があるな。
ふむ、金属製みたいだが髪に着けても重みはほとんど感じないね。後で鏡で見ておこう。
「にしても、本当に来たばかりでよくガルフキメラとやり合って勝てたもんだな。普通ならその時点で死亡確定だろうに」
何やらコマンドを操作していたルイがまたしてもノールックで言う。あ、どうやらアイテム欄から飲み物を取り出していたらしい。ペットボトル飲料ってこっちにもあるんだねぇ、ラベルとかは無いけど。
って、あたしにはくれないんだね。シャンネプちゃんにはあげてるのによ。
ちょっとむかつくから、思いっ切りこの形の良い胸を誇って言ってやろう。
「そりゃあ、いつ飛ばされても良いようにやれる限りの心構えと予習はしてたからねっ!」
「……あのな、幾ら心構えと予習があっても、ガルフキメラって一応レベル54の雑魚にしてはそこそこの魔物なんだけど。来たばっかの素人が勝てるもんじゃないの。地球とじゃ身体能力の差も出るから体の感覚だって変わるし、FPSのアシスト機能があってもそうすぐに満足に戦闘出来るもんでもないしな」
「だーかーら、そういった事態に対応するためにリアル世界で何年もあたしは訓練してきてたの。おかげでこっちの動きにもそこそこすぐに慣れたし、突然すぎて逃げたけどその後はモノホンの魔獣にも怯まずに戦えたわけ。うん、今までのあたし偉いっ!」
別に嘘は言ってないもん。目的が違うだけで。
結果、これまでのあたしの積み重ねた努力がこうして役に立っているのだから何の問題も無いのである。つくづく努力はしておくもんだよ、そう思わんかい君達。
が、深い、深―い溜息が聞こえて来た。
「……得意気なところ悪いんだが、一つ忠告しておくぞ。多大なる親切心から」
「何じゃらほい?」
あたしに忠告とは。分かった、聞いてやろう。
と、ルイの眼の色が一段深くなって存在の厚みを増した。
「今リアル世界と言ったが、こっちだってリアルな事に変わりない」
それは、心の奥底から響いてくる声だった。
「『異界』はゲーム世界じゃない、生きている世界だ。死ねばそれまで、忘れんな」
来たばかりの、出会ったばかりのあたしにさえ伝わる本気の言葉だった。
けど、それはあたしにだって分かっている。
世界の改定が起こってから12年。全てが一回りするだけの年月が経過して、異界にいる住民の意識も大きく様変わりしている。初めは遭難民にも等しかった地球人達ではあったが、今では本当、ゲーム気分の人達が多いのだろう。
無論、そういった知識や感覚が実際役に立っていることは否定出来ないし、そういう人たちのもたらす情報のおかげで後続の人間が助かっていなくもない現実もありはするさ(あたしがいい例だ)。
だが、例え強引に召喚されているにしても、異界での生を軽視していいわけではない。異界にだって創世からの歴史があり、今も進歩している世界なんだ。そこにこうして呼ばれているあたし達だってその世界の住民であり、大事なピースの一つだ。それは地球だろうが異界だろうが変わるまい。
別に異界でどう過ごそうがそりゃあ自由なんだけどさ。何と言うか、せっかく呼ばれたのに本気じゃないと不誠実な気がするんだ。暁ミクの言葉じゃないが、全力でこの異界を生き抜き楽しむことこそがあたし達に与えられた義務、グランドクエストなんだとあたしは考えている。
そしてあたしや恐らくこいつのように、地球よりも異界を求めた者にとってそういう生半可な考えを持つゲーム野郎は、単純に言って気に食わない。
何かもう、帰れよ。って言いたくなるんだい。
勿論こんなのはあたしのエゴにも等しい。しかし間違ってるとも思わない。
だから、あたしは迷わず言う。
「当然。あたしはここに、死にに来たわけじゃない」
あたしは求めているんだ。
あたしを、心の底から満たしてくれるものを。
地球の限られた、縛られた世界の中では決して見つからないであろうそれが、この異界でなら手に入る気がするから。
だからこそ、死ぬなんてありえない。
どんな原因であれ、あたしが死ぬなんてあたしに対しての裏切りだ。そして世界に対する裏切りだ、不誠実だ。
もしもあたしのHPが0になりそうになったら、他人のそれを奪ってでも生き残ってやるさ。それだけの価値があたしにはあるはずだ。少なくとも、戻ることも進むこともしようとしていない大多数に比べたら。
会ったばかりのこの男が知らんのも無理はないが、あたしは最初からそういうつもりでここにいるんだ。他の奴らなんぞ本当はどうでもいいし知ったこっちゃない。あたしの邪魔さえしなければ、お零れに与ろうとしてあたしの周りに集まったって構わない。
他人をとことん利用してでも、異界の全てを楽しんでやるんだ。
あたしは万感の思いを込めて、不敵な笑みを見せてやった。
「……ああ、そうかい」
それをルイはどう受け取ったのか、あたしと同じ笑みを返してきやがった。その背後ではシャンネプちゃんが、大きな生きた盾を構えながら透き通ったネコ眼であたしを射抜かんばかりに見つめてきている。言っとくが、その程度じゃあたしはそよ風に揺れる草花程にも揺るいでやらないぞ。
そうして、たっぷりあたしを検分してくれやがった後に、ルイはたぁーーーーーーっぷりと息を吐いてからのたまった。
「……って言っても、別にこっちでHP0になっても本当に死ぬわけじゃないんだけどな」
「ああうん、知ってるけどね」
しれっと言ったからしれっと返してやった。
そう、実は宣告には記載の無いことだったが、地球人が異界でHP0、つまりは死亡した場合、異界から地球に強制送還されることになっている。現状ではこれが異界から戻る唯一かつ確実な方法だ。
だからこそ、さっきも言ったゲーム感覚の野郎が異界に蔓延ってくれちゃってるんだけどな。
しかしこの帰還法には二つ問題点がある。
一つは、自殺が出来ない事だ。これには二つのニュアンスがある。
ルイもさっき言ったが、ここはゲームの中のようであってゲームなどではないきちんとした現実である。ジャッジ・システムとFPS(Free Personalskilling System)の機能により運動アシストはあるものの、走れば次第に疲れ、顔をつねればちょっとは痛い。
つまり、自殺しようとするとまずは大層痛いのだ。
HPを0にするためには基本、ダメージを受けるしかない。が、ダメージを受けると自らの痛覚が働く。そしてその痛覚は、自らのHPの最大値に受けたダメージが近いと比例して大きくなる。HP100のときに50ダメージを受けるのと、HP200のときに50ダメージを受けるのとでは、前者の方が倍痛いということだ。
ああ、ちなみにHPが一気に削られるのも、少しずつ削られるのも、最終的に感じる痛みの総量は変わらないとされている。そこは個人の気分と精神力次第でもあるのだが。
そしてHPが0になると、通称『ゼロの痛み』というものが襲い掛かる。これがまあ、結構な痛みらしい。とある情報筋によると、全身が複雑骨折した時くらいの痛みなんだそうだ。それが地球に帰還するまでの数秒間断続的に続く。そんなわけで、わざわざ痛い思いをして自殺したい人はよっぽど帰りたい人以外はいない。
加えて言うと、それ以前にまずあたしらは根本的に人間の命を奪う行為が物理的に出来ない。これはジャッジ・システムによる犯罪監視システムによるもので、故意に殺人をした際は即座に感知され通報される。そして異界ではそのまま監獄行きだ、ノー裁判。
また、自殺を行おうとした場合も、HP1でシステムにより自動パリィされてしまい自傷行為を行えないのだ。これはジャッジ・システムによる異界における救済措置でもある。おお、まこと便利なジャッジ・システム、となるわけで。
かくして、これが自殺が出来ないという問題点その1だ。
そしてもう一つの理由。こちらがより問題なのだが、戻ってからが大変なのだ。
これもニュアンスが二つある。一つは、一度帰還すると現状では二度と異界に再渡航が出来ないということだ。渡航の仕組みが解明されれば話は違うが、考えてみればこれは倫理的には当然だ。
そりゃあ、死んだら復活なんぞ出来る筈も無かろうが。
繰り返すが、このMMORPG的な世界は現実だ。死ねばそれまで、が普通なのだ。生きて地球に戻れるだけありがたがらなければならないのが一般だ。そのことをどう思うかは人それぞれではあるが。
で、もう一つ。
無事に、無傷で、戻れないのである。
12年前、まだ異界に全く理解が無かった頃、初めて異界で地球人の戦闘不能者が出た。政府発表によれば、29歳の主婦だったらしい。
で、その主婦さん。異界流しに遭った場所で、全身骨折、意識不明の状態で発見された。
数週間後に意識が戻ったその主婦さんの証言によると、異界で死ぬ直前まで受けていた傷と同じ場所が、かなり悪化した状態で再現された状態だということらしかった。
その後も続々と異界で死んで帰還した人達の証言から、異界で死亡した場合はそのダメージが地球換算で帰還時に反映されてしまうらしく、異界では軽減されている痛覚(公式では約10分の1とされている)が一気に戻ってしまうため、そのショックに耐えられずそのまま意識不明、最悪ショック死するケースもある事が判明した。
即ち、地球に戻ったところで最低数週間の入院とリハビリ生活が待っている。ついでに保険も利かない。そんなもん誰が嬉しかろう、だったら異界にいる方がましだわい、という話だ。
そんなわけで、帰還出来るとは言え、異界で死ぬことはかなりのリスクが伴うのだ。
「そ言えばさ、何か無事に戻れるっていう話があるって聞いたんだけど?」
「あー、まあそういう噂もあるにはあるな」
何年か前、異界のある場所に行くと、パラメータやらアイテムやら何もかもを引き継いだまま無事に帰還出来るらしいとかいう噂が流れていた。ま、誰も実証出来てないんだけどさ。
ちなみにだが、異界で死んで地球に戻ったらレベルもパラメータもオールリセット、何も地球には持ち込めないのが原則だ。例外を挙げるなら、記憶と絆くらいなもんじゃないか?
「そんなことよりよ。他に聞いておくことはあるか、新人さん?」
無ければもう行っちまうぞ、みたいな言い方したな、今この男。
なら、折角なので。
「んー……、じゃあ何個か」
そう言いながら、あたしは狩人の眼をして素早くルイの背後に回り込んだ。そして背中に張り付いていた子猫を引っぺがして全力で抱きしめわっしょーい!
「――――!」
抱かれた子猫、もといシャンネプちゃん、もがきMAX。
「さっきっ、あたしが気絶しちゃったのってっ、この子の、歌が原因っ?」
残念ながら猫科亜人であっても猫ではないシャンネプちゃんは、やがてあたしにがっちりホールドされた。んで思いっきりそのふわふわ銀髪を触り、撫で、嗅いでやる。ふふふー、ええのぅ。
「……ま、そうだろうな。歌はこいつのスキルでもある。一応さっきこいつが歌ってたのは身体能力強化の歌だった筈なんだが」
そうルイは答えはしたが、あたしからシャンネプちゃんを引き剥がそうとはしなかった。
おうおう分かってんじゃねーか兄ちゃんよ。可愛いものを愛でるのを邪魔するのは無粋の極みだからな。単に面倒がってるだけかもしんないけど。
「ふーん、そっか。なら、妙に全身が熱くなったのもそのせいか……、あんなの初めてだったからどう捉えていいものか分かんなかったのよね。で、加減が利かなくなってすっ転んじゃって、それに驚いたこの子が弾けちゃったせいであたしが昇天、と」
いやー……、今思い返してもあれはもの凄い衝撃だったな。オトナの階段上っちゃったかと思ったよ。
お、シャンネプちゃんのネコ耳が少し萎れた。一応悪いとは思ってくれたのか。
ならばと更にシャンネプちゃんを強くギュっとする。代償だと思いたまへ。
シャンネプちゃんももう諦めて大人しくしていた。ああ、救いを求める目を飼い主に向けるのはやめなさい、キュンとすんだろぅ。
「じゃあ次の質問。あんたはこの異界で何をしてるの?」
我ながらえらくざっくりとした質問だが、一言で色々聞き出せる便利ワードだ。
やっぱりと言うか、呆れた顔を一瞬しながらも、律儀にルイは答えてくれた。
「それに答えてお前さんに何の益があるのか知らんが……、まあいいか。ドナー屋だよ」
「ドナー屋?」
「そ。それ以外にはまあ、自分磨きかねぇ」
「ふーん……。深く追求したいところではあるけど、それはまた追々するわ。」
直感だけど、そこは突っつくと後々面倒な気がしないでもないんだこれが。あたしの勘はこれでも頼りになるんだぞ。
あ、ルイが何となく嫌そうな顔をした。あたしが追々って言ったこと気にしてんな?ならばここは話を進めさせてもらうに限る。
「じ、じゃあ、取り敢えず最後の質問ね」
…………………………………………………。
……あ、やべ。言ったはいいが思い付かんわ。
そりゃ少なくともこいつはあたしよりは異界に長くいる人間だ、予習してきたことの確認やそれ以外のことも聞きたいことは山程ある。しかしそれを今全部しようと思ったら日が暮れかねん。それにネタバレと言うか、ワクワク感が減ってしまいかねない。
しかし、言った手前何か質問せんとなぁ。
「………………………あー」
取り敢えず、何か。
「……あたしさ、何したらいい?」
自由。
思えば、これ程その言葉の意味と現実が異なるものも無いんじゃないかとあたしは思う。
人類史上の自由の反乱とも呼べる悲惨な戦歴のことはその辺の歴史好きの連中に講釈を任せるとして、ここ異界において、出来ることは数限りない。だからこそ、進むべき道に迷ってしまう。
さっきだってあたしの問いかけにこの不愛想な男は、
「知るか。自分で選べよ」
と言ったくらいだ。そりゃあたしだってそう言うだろうけど、聞かずにはいられないってなもんだ。
何はともあれ人里に行かなきゃ始まらないってことで麓の町まで二人に同行してもらうことにしたのだが、半日ほどかかったその道中で分かったことがいくつかあるのでご紹介しておこう。
まずこの風見ルイという男、年齢27歳で黒髪がちょっぴりボサボサなロングコートに始まる服装が全身黒系でまとめられている現状でのあたしの保護者。
半端無く、強かった。
無論来たばかりの無装備なあたしと比べたらそりゃ強くて当たり前なんだけど、あれから高原で遭遇した魔物達をいともあっさりばっさりご自慢らしい長刀で斬り捨てていた。
あたしが死にかけたガルフキメラも一撃だったんだぜこんちくしょー。
シャンネプちゃんが歌うまでもなくぶっちゃけ無双状態。っていうかシャンネプちゃんはあれからガチで一度も口開いてくれない。歌ってもくれない。えーん。
それで、取り敢えずあたしが飛ばされたこの辺りは、異界では東方に位置するノミナ系の地域(異界では7つの種族ごとに主な生息地と言うか中心都市が何となくあるらしい)の更に奥、高原地帯の中央に位置していて、生息する魔物も中堅クラス。そこそこの冒険者が修業とかに勤しむような場所らしいんだが、そこで基本無傷で立ち回れるこの男はあたしから見たって凄かった。
地球と違って、鍛えれば目に見えて強くなれる異界でここまでの強さになるには、一体どれほどの年月を必要としてきたんだろうかね。
ま、あたしもいずれはそこに行くつもりだけどさ。
それと、あたしが割とイレギュラーな事例だったということも聞かされた。
通常、異界流しに遭った人はどこぞの種族主要都市、もしくはその近郊に飛ばされてくるものらしい。しかも飛ばされて目覚める前には所属設定なんぞは終わっているらしいのだ。
んじゃあたしは何なのか。
こればっかりはよく分からなかった。恐らくはかの暁ミクでもない限りは答えを導いてはくれないだろう。
そこら辺にいてくれないかな、暁ミク。12年前から行方不明だけど。
あ、そうそう。RPGを嗜んだことがある人なら当然だし、そうでないあたしだって疑問だったんだけど、あたしのレベルとかのパラメータが初めからそこそこ高かったことについては一応の回答がルイからもらえた。
「いわゆるビギナーズサポートってやつらしい。これまでオンオフに関わらずレベル制のRPGをプレイしたことが無いと初めから比較的高レベルで異界に来れるらしいな。初めはランダムかと思われていたらしいがそういう意見で今は落ち着いてる。公平が自慢のジャッジ・システムらしい配慮と言えなくもないが、それはそれで問題があった」
「どんな?」
「扱えなかったんだよ、高レベルの能力が。産まれたての子供に車を操作させるようなもんだ。レベルが高いからってろくに戦えないのに調子乗って強い魔物に挑んで死んでく奴とか、遺跡にろくに準備もしないで乗り込んで全滅したとか、初心者だからこそやっちまう罠に見事嵌ったんだ。能力が低ければ慎重を期したかもしれないが、なまじ半端に強いんで過信したんだな。その初期高レベルさんの恩恵に預かろうとしてパーティ組んだ中級者さんも同じく死んでいったらしい」
「……なるほどね。聞く限り、あたしのこの37って言うレベルは異界じゃそれほど高くないって感じなの?」
「全体からしてみたら意味の無いレベル。レベル1の魔物でも装備無しで5分も攻撃を受け続ければHP0は確実だよ。参考までに言うと、俺のレベルは865だ」
「はっ…、ぴゃく!?」
100上限じゃないんかい、こういうのって。
「シャンネプは81な」
うっそぉ。こんなに華奢そうに見えるこの子が、あたしより強いの!?
「いや、シャンネプには戦闘能力は無い。必要無いからな、BGM係には」
「……BGM係ってどういうこと?」
「シャンネプが歌うのはあくまで俺の気分を盛り上げるためだから。俺はそのために全力でシャンネプを守ってるだけ」
え、なにそれ。
うわ、シャンネプちゃん自身も頷いてるし。あんたらそれでいいの?
「いーんだよ。音楽っていうのはどの世界でも大切だ。それにこいつ自身昔から歌好きみたいだったし……っと、言わんでいい事言ったな」
心底マズった、という顔をルイが一瞬した。シャンネプちゃんも微かに表情に暗い影を見せたように見えたような。
それを誤魔化すみたいに、そこからはあまり二人とも口を開いてくれなくなってしまった。何さ、勝手に地雷踏まされたんかあたしは。
……ただな、あたしはこれでも頭が回ってしまう方なんで、この僅かな一連とそれまでの会話だけで大体の事は把握出来てしまうのだ。大きく外してもいまい。だからまあ、今回は何も突かないでおいてやろうかな。アイアム優しさの権化。
ちなみにその他分かったことはスキルとか戦闘とか異界での生活に関わる事とかで、ここでさらっとご紹介するのは面倒臭いんでやめとこう。それはまた説明するときが来たらその都度な。
あ、そうそう。妹にも連絡を入れたんだった。地球で言えば昼前くらいになるのかな。
にしても、本当にどういう理屈で世界越えて電話が繋がるんだろうね。
で、電話に出た妹・ミカゲの第一声。
『お、お姉ちゃんっ!今どこ放っつき歩いてるのっ!!』
怒られた。怒っていた。泣いちゃうぞ、あたし。
『急に鞄置いていなくなっちゃってるから、私近所中捜し歩いて結局見つからなくて遅刻しちゃうどころか欠席してるんだからね!?電話したのに出てくれないし、本っ当にお姉ちゃんは自分の事しか考えてくれないんだからっ!』
あの時の電話はミカゲだったのか。しかも要らん捜索までしてくれて、我が妹ながらまー困ったちゃんだなぁ。
『で、今どこで油売ってるんですかっ!?』
「あー……、っとねぇ。……異界」
『…………………………………………………………………………え?』
沈黙長かった。ですよねー。
「だからー、あたし、今異界にいるんだよねぇこれがまた」
『……………え、っと」
困ってんなー。よし、姉として明るく振舞ってやろうではないか。
「ほらほら、異界流しに遭っちゃってさぁ。家出た直後?そんで異界来た途端強いのに襲われて死にかけてさー」
『死にっ!?』
妹の声が引き攣っている。あれぇー?
「かけた、な。一応今はピンピンしてるって」
熱かったけどねー、あのファイアーボール。これも貴重な体験だったよ。
『え、えっと……。お姉ちゃん、本当に……今、異界に?』
「おー、だからそう言ってんじゃん。つうこって、あたししばらく帰れないから、お母さんにもよろしく言っといてー」
「…………あ、そう……なんだ』
な、何か消え入りそうな声してるな。そんなに心配する事かぁ?
『……そっか。お姉ちゃん……しばらくいないんだね』
……ん?
『あ、な、何でもないよ。……じゃあ』
「うむ。また連絡するからー」
ブツッ。
お、何か勢いよく切られた。いやー、こりゃーそーとーにおこってんだろーなー。まーむりもないよねー。
ってな具合で、実家への連絡は少なめにしてやろうと決意したのでした。ちゃんちゃん。
さてと。ではまあ苦労したり全くしなかったりして辿り着いた高原の麓の町、グルタス・ノミナについても折角なので触れておこう。あ、町の個別名の後にはその勢力圏の種族名が付くらしい。
この街だけかどうか知らないが、山の方の町の割には割と活気がある。レンガ作りの建物が多く、そんなに古くないはずなのに中世ヨーロッパから現代まで残っているかのような味が感じられるような気がしてならない。ああ、古都って言うのかね。そんな感じだよ。それなりに建物が多いせいか吹き抜ける風がやや強く、前を歩くでかいのがいい風よけになってくれて助かってるよ、シャンネプちゃん共々な。
つか、風景をじっくり堪能出来たのが今更ってのは、何だかなぁ……。
町の7割を占める中央部の商店街に来ると、活気は更に増してくる。青果店が多くを占めるが、RPGでは定番らしい武器や防具を売る店やよく分からん雑貨を売る店も何軒もあるし、宿に関しては10mごとにあるくらいの乱立っぷりだ(宿が多いのは異界の仕様、らしいが)。
それに当然と言えば当然だが、周り亜人だらけ。
ここは花精霊型のノミナの勢力圏内なんで、それが大半だ。ノミナは透き通った蝶のような4枚の羽を持ち、頭に触覚のようなものがあるのが特徴の種族だ。つか花精霊と言われるんだがまんま蝶を擬人化した感じの種族だよ。個体差はあるが、おおよそ長身痩躯で肌は割と色が濃い目。
ああ、あたしが地球で会ったのもノミナ系の女の子だったんだな。
今は夕方なんで商店街も奥様方が夕飯を求めてあれこれ買い物してる姿が目立つな。そういうところは異界も変わらんのか。売られてるのも買われてるのも野菜が多いのは文化かね。
それとここは高原地帯ではあるが全体的に温暖な気候の土地柄で、農耕や植物を使った織物なんかが盛んらしい。花精霊の名に恥じない、花の蜜的な飲み物なんかも露店で売られていたりして、さっき試飲してみたらゲロ甘かった。あたしには合わん。
で、そんな日常的な生活に存分に触れる機会を他は思いっ切りスルーされて、現状保護者のルイは慣れた様子で人混みを掻き分けて歩き続けている。和気藹々とした井戸端会議や目移りしそうな商品群も何もかも無関係にひたすら真っ直ぐに歩いて行ってしまっている。
現状、あたしもまだ保護下にあるようなものなんで後ろ髪を引かれつつそれに倣う。そりゃどうせ無一文にも等しいんで満足に買えないんだけどさぁ、異界に来て初めての町なんだからゆっくり見て回りたいんだけどなぁ。あと、これでも乙女なんでショッピングは嫌いじゃないのよ。
「……あんたさぁ、この町に用があったの?」
さすがに目的無しに連れ回されていたら癪なんで聞いてみる。いや、癪なら離れりゃ良いんですけどね。
丁度商店街を抜けるか抜けないかくらいのところで、ようやくルイが振り返って言った。
「チュートリアルの最後には、丁度良いからな」
はい?チュートリアル?
訳は分からんが、一応何かご教授下さるとのことなのでまだおとなしく付いて行っておこう。
面倒見てはくれてたんやね、人並みに。
再び歩いて歩いて5分程、町の外れの住宅地に辿り着く。活気のあった中央部とは違ってこちらは大層静かだ。文化レベルも一段階下がって何だか平屋家屋が目立つ、木造とかじゃないからボロッちいって訳じゃないんだけどね。
「で、お使いか何かするわけ?」
あたしは、迷わずとある一軒の家に入ろうとするルイを呼び止めるのも兼ねて聞いてみる。それがチュートリアルだったら意義を申し立てたいし。
「まあ、そうと言えなくもないか」
えー、マジっすか。
「一応、これが俺の異界での商売でもあるんだよ」
言ってやはりさっさとその家に入ってしまった。礼儀ってのは無いんか、こっちには。
ならばとあたしも続いて入ろうと思ったら、何故かシャンネプちゃんは戸口の横で壁に背をもたれて俯き黙っていた。ああ、黙ってるのはいつもだけど。ともかく入ろうとはしなかった。人見知り……って訳でもないだろうし、何なんだろうね。
「邪魔するよー」
中に入ると、そこは何の変哲も無いフツーの家でした。一間が全ての、仕切りとか特に無い開けっ広げなお家ですこと、ある意味素敵な空間だわ。
「あ、あの……何なんですか、あなた達は」
奥の方から、微かに怯えを含んだ女性の声がした。見れば、先に入ったルイとあたしを交互に見ながらびくびくしてるノミナのお嬢さんが。
あれ、不法侵入臭い感じがプンプンしてるんですけど。本当に無許可なのかこの男。
全力で警戒してくれているお嬢さんに、そんなものはどこ吹く風でルイは無遠慮に近付いて行く。さすがのあたしでもいきなりの接近はしないと思うぞ、多分。
……捕食する気か?
「タタラナの娘のイラであんたは間違い無いな?」
「え……、あ、はい。間違いは、無いですけど」
いや、刑事だ。刑事の犯人問い詰めの感じだ。
「タタラナのドナーを引き受けたんで、届けに来た」
「え………………」
その言葉を聞いた瞬間、イラと言うらしいお嬢さんは元から悲壮感漂っていた顔を更に深刻にさせた。
ドナーっていうのは……、あの臓器提供のドナーの事なのか?いやでも、届けに来たって、ここでまさかスプラッタな光景を見せるつもりなのだろうか。だったらあたしは遠慮したいぞ。
「あの……。本当に、お母さんは……」
目に涙を浮かべ始めているイラさん。タタラナって母親の名前か。
ん……よもや、この男の仕事って……。
「今から、タタラナのメッセージを再生する」
「ッ……!」
やはりそうか。イラお嬢さんが号泣しながら破顔したことからも分かる。
風見ルイは、遺言を届けに来たのだ。
至って当たり前に。淡々と。
「じゃあ、始めるぞ」
あたしが会う前から、恐らく長い間この男はそんなことをしてきたんだろう。こうして泣き崩れ、手を差し延べたくなるような姿を見せる者を、それだけ通り過ぎてきたのだろう。
が、どれだけの数をこなしてきたのかはこの際どうでもいいことだ、この事において、あたしが興味があるのはたった一点。
どうして
「ドナー・リリース。タタラナ」
静かに、システム言語をルイは口にする。イラお嬢さんがくしゃくしゃにしたままの顔をハッと上げた。
ピンッ、と鋭い音が鳴り、周囲の空気から色が失せ流れが止まる。と同時に、ルイの体を白い光が包み込んだ。その光は密度を増し、対象の姿を徐々に徐々に埋めていく。
何だか、異界流しを改めて見ているみたいだな。
「……って」
あ、つい声が出てしまった。
そう、これは異界流しではない。れっきとした異界における重要システム。
「何……、これは」
光が完全に対象者を包み込み、その光が遮断幕を取り払うように流れて消えていくと、あたしが声を出す原因がそこにあった。
「………………ぁ」
同じくイラお嬢さんも、その現象に喉の奥から絞り出すような音を出した。いや、現象にではない。正確には現象の結果にだ。
光の消え去った後、そこにいたのは仏頂面の背の高い黒髪の男……ではなく、長身痩躯の妙齢の女性。ノミナの特徴を有するいかにも優しそうな表情をした人だったのだ。
まるで、光に書き換えられたかのように、入れ替わっていた。
「…………イラ」
声も女性のものが響く。母性に溢れた、優しい声だ。
「……お、母……さん」
イラお嬢さんが涙を途切らすこと無く応える。その顔に笑顔は、無い。
母親・タタラナが、イラお嬢さんに歩み寄る。そちらにも、微笑みは、無い。
「ごめんなさい、イラ。約束、守れなかった」
「……ううん。そんな事、ないよ。こうして帰ってきてくれただけで、私は……」
帰って来た、か。そう表現していいものなのかな。
タタラナがそっとイラお嬢さんの手を握る。するとその手に何か光が灯り、やがてそれが一房の草のリースへと変わった。
「あなたを……守ってくれますように。これだけは、作ってもらったのよ」
「…………………」
遺品、ということになるのかな。当人としたら、欲しくも欲しくない物だよねぇ。
やっぱり母親の胸に顔を埋めて泣き出す娘を、母親は抱きしめることはしないで何かを囁くことだけで宥めていた。どうして自分から触れようとはしないのか、気にならないでもないが、今はただ事の行く末を見守るしかないでしょ。他に話し相手もいないんだぞ。
だがまあ、あたしの気になっていた、どうして、の一つがこれではっきりしたな。
どうして。つまりはどうやって、遺言を伝えるのかってことが。
名前だけは聞いていたこの『ドナーシステム』。その正体は、他人に自分の意識を憑依させて、それこそまさに『生きた遺言』を残すことだ。恐らくは生前にドナー契約を結び、死後発動させるような仕組みになっているんだろう。単純な録音とは違う、会話を行うことが出来る遺言なんてそりゃ画期的だ。是非とも地球でも取り入れたらいい、事故とか殺人の良い証拠にもなるぞ(そこら辺はジャッジ・システムが全部やってくれるっちゃくれるんだけど)。
だけど、これを行うことに一体何の得があるのかが分からない。それがあたしの抱いたもう一つのどうして。つまりは、何故、だ。
まあ、最後まで見てれば何か分かるかもな。
それから存分に涙を流させて、タタラナは娘から離れた。もう言うべきことは無くなったのか最初よりは表情が軽くなっているように見えなくもない。
娘の方は、まだ吹っ切れて無さそうだけどな。
「それじゃあ、もう行くわね」
娘に優しく微笑みかける。そして何故かあたしの方にもちらりと視線をやった。何でやねん。
「自由に、楽しく生きて行きなさいね」
その言葉を最後に、タタラナは目を閉じた。
イラお嬢さんが俯いていた顔を上げた時には、もう別れの光がタタラナを包み終わってしまっていた。最後の一言、ちゃんと聞こえていたのかね。
タタラナを包んだ光が再び流れるように消えて行くと、そこには役目を終えたルイの無表情姿が書き直されていた。こっちはこっちでまあ対照的な画だね。
「これで、依頼は完了だ」
小さく息をつきながら、未だに泣き止まないイラお嬢さんにつっけんどんにルイは言う。そしてあろうことかさっさと背を向けて家から出て行こうとしている。
「えっ、ちょ……」
いやいやいや、これで終いなんかい!?
「これ以上何をしろってんだよ」
出て行きながらあたしにも外を指差し出て行かせようとする。
うーん、これは確かにあたしに出来る事って無いんだけど、放っておくのも何だか気がかりになりそうなんだよなぁ。当人にしてみれば、いなくなっていた母親が急に全く知らない人から死んだと聞かされて更には何の心の準備も無いままにお別れの挨拶をさせられた、ってことになるんだもんねぇ。普通の精神の人ならそりゃあしばらく放心してもおかしくはないってもんだ。
「あー…………っと」
だからって、立ち会ったあたしとしてはシカトするのもな。
「……ま、楽しく生きろってさ」
当たり障りの無い事を言うのに価値を感じてないあたしとしての選択は、復唱でした。
座り込んだままピクリともしてくれなかったけどね、イラお嬢さん。そしたらあたしだって逃げるみたいに出るしかないじゃないの。
はぁ、やっぱり良いことないねぇ。気まぐれな善意って。
「……あのさ」
家から出たあたしは真っ先にルイに詰問する。
「あんたがあの高原にいた理由って、あのリースの材料集め?」
「そーだよ」
普通に返してきたわね。照れも隠しも必要無い事か。
「ドナーの提示した条件でもあったからな」
「約束、の方じゃないんだ。その条件って」
「そっちに関しては俺が知る由もない事だ」
生きてる間に、タタラナが達成したかったって事ね。そこは代理じゃ意味が無いと。そうなると、あのリースは約束破りのせめてものお詫びってとこか。
にしても。
「あんた、似合わないことするのが趣味なの?」
どう控えめに見たって、この男、善意で動く人間じゃない。こんな人のためにしかならない事を進んでやるような性格じゃなかろう。なのに何故これをあまつさえ仕事とまで言い切れるのか、不思議でしょうがない。
「ぴったりな職業だと思うがねぇ」
「どこが」
「俺みたいな、偽善とか善意ってのが大嫌いな、自己中野郎には」
ルイの眼が、あたしに挑戦的に向いた。
「……ドナーシステムの、利点について教えて」
あたしにわざわざ見せたんだ。そしてこう言ったんだ。こいつなりにその理由があるんだろ。
今だって、あたしを使ってやろうって眼をしてるよ。このあたしをだぞ、笑える。
ほんの僅か、口の端に満足そうな動きを見せてルイは話し始める。
「ドナーシステムは、双方の同意の上で成り立つ契約。多くの場合は契約者が指名した人間に死後自分の遺言を届ける事が内容になるな。時折アイテムを届けるとかの付加条件もあったりするが。で、その際はさっきお前も見たように、自分の体に契約者を憑依させる事が必要になる。おかげで他人と遺言者が会話も出来るって訳だ」
そこはもう理解してる。肝心なのはその後だよ。
「そして、受領者はドナーのパラメータの7割と所持スキル、アイテムの全てを引き継ぐことが出来る」
「………………はい?」
え、っと……、何じゃそりゃ。
「その引継ぎこそが、これがドナーシステムたる所以だよ」
はぁ……、そうすか。
まー確かにそれは理に適っているとは言える。本来のドナーというものだって、健康な人間の臓器を疾患のある人間に移植することによって治療する技術だ。時にはそれが死後に行われることだってあり、それは患者にとっては大きな遺産として残されると言えなくもない。全然知らない人から提供されることだってあるんだからな。
恐らくそれを簡略化、数値化したのが、異界におけるドナーシステムだ。予め契約を結んで、死んだらその能力を移譲する。ただそれだけ、とてもシンプル。
しかも、自分の能力を移譲するなんてのは、よほどの相手でないと納得しないでしょ。だからこその遺言制度。遺言を託せる相手だからこそ、自分が死んだ後あたしのこの能力を役立ててねー、ってなれるわけだし、受け手も伝えたい相手に遺言を届けてやろう、って流れになるわけですよ。
これがあたしの妹とかなら「お互いの絆があってこその機能だよね、素敵な仕組みだよ」とか言うんだろうな。
そんな好意的な見方が出来る奴はよほどのお人好しか馬鹿だ。妹はまあ両方、かなぁ?
これは、あたしの能力が欲しければ対象者に遺言を届けろ、っていう単なるお使いだ。
しかもよく考えてみろ、遺言を届けるんだぞ?大抵契約者は自分の知り合いだろうし、もし自分の恋人とか家族だったらどうすんだ?それを死なせたっていう間違い無い証になるんだぞ、こんなに迷惑な話があるか。そうでなくても、遺言を届けに行った契約者の家族には恨まれかねない。
見方によっては、死者を食いものにする最低最悪のシステムだ。
ま、そんなひねくれた考え方をするのはあたしみたいなひねくれ者だけだろうね。普通はまあ、頑張って一緒に生きようね、死んでもあたしは君の中に君の力として生き続けるよ、的なお互いの絆を示し合うみたいな素敵システムなんでしょうよ。
このシステムを作り出した暁ミク、大層いい性格してるんだろうな。
だがしかしだ。このドナーシステム、何も契約者との間に信頼だの友情だのが無くったって結べるもんだ。
その実例が、今あたしの目の前に当たり前にいやがる。
「聞いとくんだけどさ、あんたがこのドナー屋をやってるのって……」
「利害が一致するからだよ」
ああ、ですよねー。
異界においてそれこそレベルなりパラメータなりは強さの証明だ、高いに越したことはない。だけど高レベルになればなるほどそれを鍛えるには低レベルの比ではなくなってくる(マッチョがいくら箸を持ち上げたって筋肉は鍛えられないだろ?)。
そんなとき、ちょっとしたお使いをすれば7割とはいえごっそりと他人が鍛えたパラメータがもらえるって話があったら、どうよ?飛びつきたくもなるってもんでしょ。
ルイはそれをしている。堂々と。憚ることなく。
一般の大多数の住人からしてみれば、それは自分は地道に鍛えて強くなろうとしてるってのに何楽しようとしてんだこんにゃろうって心地かもしれない。
けどちょっと考えて見ろ。これが悪い事かどうか。
利害が一致する。
つまりは、ドナーを託す目ぼしい相手はいないが、いざという時に確実に身内に自分の死を伝えてくれる、もしくは託しておきたい物を届けてくれる人を探している人がいる。一方で、自己強化に行き詰ったんで、手っ取り早く強くなるためにドナーを提供してくれる人を探している人がいる。
そんな二人が出会ったんで、契約しました。そして死んじゃった後で契約通り遺言をお届けしまして、報酬として能力を継承しました。
さてどうだろう。何か悪いところがございますか?
答えはノーだ。どちらも自分の望みは瑕疵無く叶っている。問題があるとするなら見知らぬ者同士ということでの信用くらいなものだが、そんなものはこんな契約に踏み込む時点でもうすっ飛ばしてるだろ。
つまるところ、このドナーシステムをどう扱うかは個人の良心次第ってことになるんだが、さてあたしはどう考えたか。
あたしの考えはこうだ。
ああ、愉快だね
「それで。あたしにこれを見せたのは、あたしもあんたのドナーになれっていう事?」
分かっちゃいたけど聞いておく。
「チュートリアルって言ったろ。お前さんにそのつもりがあるなら断らないけどな、互いに、今の段階の契約は害しか生まん」
「でしょうね。なら、あたしは一人でしばらくやっていくわ」
よし、じゃあこの話は終わりだ。
「で、今日の宿はどこにするの?あんまり安っすい宿はごめんなんだけど。異界に来ての初めての夜なんだからさぁ、奮発してくれるんでしょ、セーンパイ?」
「生憎と、ここにそんな豪華な宿屋はねえよ。そもそも宿代くらい自分で出せ。こっちで一番安価な施設なんだぞ」
「うーわ、現役の女子高生に奢ることも出来ない小っちゃい大人がここにいるぅー」
「お前のどこが女子高生だよ」
「頭の上から足の先まで全部ですけど!?」
そんな普通の会話が、あたし達の間ですぐに出来ていた。勿論、喋ってないけどシャンネプちゃんも一緒だよ?
感傷だの、情緒だの、そんなものは今ここに持ち込まない。誰が悲しもうが、誰か浮かばれようが、誰が腹黒くなろうが、それはその時その人達だけの事。
あたし達は、自己中だ。
今の自分を一番楽しんでいたい、そういう生き物だ。
だから、自分の事以外はあくまでついでなのだ。助けを施すのも、誰かの支えになるのも、全て自分のため。自分が楽しいから。
それがあたし達、自己中と呼ばれる生き物なのだ。自分勝手とは違うからね、間違えないでよ?
そして、自己中同士は決して、長く一緒にはいられない。
……さて。特段その後語ることも無かった異界での初夜が開け、翌朝。
宿に併設された食事処で遅めの朝食を摂っていたあたし達の前に、それは突然現れた。
「風見ルイ!ここにいるんでしょう!?」
爆発したみたいなどデカい音を立てて安作りな木製のドアを開け放ったその人物は、それだけでは足りないのかまた似つかわしくない程の大声を発してその場にいる大勢の注目を浴びた。
しかも、この朴念仁(予想)をご指名とは。
その朴念仁(十中八九)は、顔を隠すようにこじんまりとして朝食のオムライス(子供くせー)を黙々と食べ続けていた。音に反応した横のシャンネプちゃん(まだちょいおネム)の顔もちょいっと捻って画を外させる。
「……いーの、シカトして?」
あたしも一応それに倣って視線は送らない。ちらっとは見たけど。深い藍色の髪をした女の子だったな、どこかの学校の制服っぽいものを着てるから地球の子か。
「……俺は潔白だぞ」
「別にそこら辺はどうでもいいんだけどさぁ」
あたしが何を疑ったよ。それこそ潔白だい。
関わりたくないんであろうルイの気分をよそに、台風少女(雰囲気にて命名)は客の一人ひとりを検分しながら近付いてくる。
顔知ってんのかな。つか迷惑だからやめてあげたら?
で、ルイの願い空しく結局一分もしない内にここまで辿り着きましたとさ。ま、そりゃそうだ。
「…………」
台風少女は同じ席に座るあたし達を見回す。
おー、近くで見ると意外と整った顔立ちしてるね、強気な眼もあたし好みだ。背は決して高くは無いけど、背筋がピンとしてて綺麗な立ち姿だ。肩下まで下ろした藍色の髪がこれまた手入れが行き届いて良い良い。そういった頑張りが、何か中学生っぽさを醸し出してるんだよなぁ逆に。背伸びしてるっていうの?実際にしてないのにね。
そんなあたしの好みは無論他の誰にも関係無く、台風少女はあたしとはまた違う種類の凛とした感を出して言う。
「あなた達、ドナー屋をしているんでしょ?」
お、あたしも数に入れられている。いやここにいるし仕方無いけどさ。
「人違いだと思われますよ、お嬢ちゃん」
往生際が悪いなーこの男も、ひょっとして年下嫌いか?こうして未成年の美少女達が集まっちゃってるところを見ると、主人公体質ではありそうだけどな。
「そんなわけない、ちゃんと情報屋に聞いた。紹介状もある」
紹介状って……。情報屋からの紹介状って……。
そうしたら何と本当に台風少女は制服の内ポケットから綺麗な封に入った紹介状らしき物を放り投げて来た。少女が顎で、ルイに開けて確認するように促してくるので、ルイもしぶしぶ開けて中身を確認する。
中身の手紙を見た直後のルイの見事なズッコケっぷりは筆舌に尽くしがたかったよ。
「……あんの身勝手親子め」
眉間抑えちゃった。よっぽど素敵な紹介状だったみたいね。つか情報屋って親子経営なん?
「それで、引き受けてくれるんですよね?」
テーブルに手をついてルイに迫る台風少女。有無を言わせぬ迫力が……ちょびっとだけある。やっぱりどこか幼いんだよなぁ、その鈴みたいな声の問題か?
それでもまだルイが返答を渋っていると、今度はあたしに飛び火してきた。
「あなたも、相棒ならこの人に言ってやってくださいな」
相棒っすか。それはあたしじゃなくてこっちのネコミミ幼女の方ですよー、とは言えないわなぁ、シャンネプちゃん喋んないし。今はまだ覚醒してないからかポケーッとしてるが、多分いつもならこの時点で定位置のルイの背中に隠れるもんね。
仕方無い、面白そうだから助け舟を出してやろう。どっち向けの船かは知らんけど。
「ま、座れば?今はまったりブレークファースト中なわけだしねぇ」
交渉というのはまずは同じ席に着くことから始まる。政治ではそこに辿り着くまでがそもそも大変だったりするわけだけども。
ここで下手に騒がれるといろんな意味であたしにも迷惑なんで、まあこれは正しい選択の筈である。目の前の男が逃げないように靴の先っぽを強く踏ん付けておいて、あたしは手振りで黙って台風少女に着席を促す。少女も、あたしの落ち着き具合が気に入らなそうな表情を一瞬見せたが、隣のテーブルから椅子をかっぱらって来て大人しく座った。
さて、座ってからがまた重苦しい。
ルイはやはりシカトを決め込み食事続行、シャンネプちゃんは未だウトウト、台風少女は折角座ったのに話の切り出しに手間取っているご様子、何でやねん。
そのテーブルに同席してるあたし、ひたすら待ちます。健気な女でしょ。
……一分ももたなかったけどね。
「……ね、いい加減始めてくれないとあたしの豆スープが冷めない内においしくいただけないんですけど」
促すしかなかろうが。
「…………分かりました、話します」
ふうと一つ溜息をついて、台風少女(もう熱帯低気圧くらいにはなってるけど)は話し始める。
「まず自己紹介します。私は蒼衣昨夜、ウェンネに所属する14歳です」
14歳!ウチの妹と同年代だな、急に何だか可愛らしく見えてきた気がするよ。にしても随分カッコいい名前だね。
それとウェンネってのは人魚型の亜人だな、水滴をモチーフにした髪飾りが付いてるからそれは嘘ではなかろう。
にしたって、あたしより年下の女子がこの異界に健在でいるなんてなぁ。さぞやお強いんだろう、きっと。
「それで、風見ルイ。あなたにドナー屋として仕事を依頼したいのです」
慇懃だけど名前は呼び捨てなんだな。一応一回り以上年上だぞ、知らないだろうけど。
「世界を……戻してください」
…………………………………はい?
「え……、今何と?」
つい聞き返しちゃったじゃないか。
目の前の男も流石に食事の手を止めたぞ。
「あなたの力を貸して。世界を元通りにするために」
「……冗談は1円にもならんぞ」
何とも言えない顔をしてるな、ルイも。この場合の何とも言えないのはルイの心境であって描写に困るという意味ではないぞ。
対してサクヤの方も引く気は無いようで。
「冗談ではないつもりです。これでも死ぬ思いをしてあなたを頼ってきたのですけれど」
「そもそもだ、お前は今ドナー屋として、と言ったな」
「ええ」
「その言葉の意味、分かって言っているのか?」
「ええ。ですから、私のドナーの願いを叶えて欲しいのです」
あれ、これってそんな商売だったのか?
「他人のドナーを引き受けその願いを解決する、それがドナー屋だと私は解釈していますが」
「それはお前の解釈だ。俺はそんな自分に何の益も無い事を商売にした覚えは全く無い」
だろうなぁ。
この男の商売はあくまでドナー契約による能力引継ぎ報酬を目的とした自己中商売だ。ボランティアでもなければ善意でもない。
他人のドナーの契約の手助けをしたところでルイには何の利益も無かろう、これはサクヤが完全に思い違いをしている。悪いがあたしも加勢出来ないな。
しかし、サクヤは表情一つ変えずに続ける。
「あなたに益はあります。あなたが理念とするという『自分が得してついでに他人も得をする』事であることに変わりはありません。それならば、引き受けてくれるのではありませんか?」
おー、きちんと調べて来てるんだなこいつの事。情報屋とやらから聞いたのかもしれないが。
それでもまだ渋い顔をするルイに対して、サクヤは決定的な一言を小さく口にする。
「……………………暁ミク」
「!?」「!?」
あたしもこればかりは聞き逃さなかった。ルイも同様だ、顔をバッとサクヤに向けた。
「私のドナーは暁ミクです。これでもあなたに益が無いと言えますか」
昨夜の髪と同じ深い藍色の瞳は、深海のように重くそこにあって揺るがない。
暁ミク。
言わずと知れた文明改定の張本人、地球と異界を繋いだ天才だ。12年前からずっと行方不明と言われていたが、まさかドナーになってたのか!?
「もし私の言を疑うのならば、今すぐにでもここでリリースを行います」
こっちが疑いをかける前にそれを提示してきた。さすがにそうなることは読んでるよな。
けど、そんなにほいほいドナーって出て来れるもんなのか?
「馬鹿かお前は!契約時以外のリリースはもう解放になるんだぞ、その仕組みを知らないわけじゃないだろう」
あ、やっぱりそうなのか。
だとしても、サクヤは既に解放する気満々に見えるがなぁ。
「それは勿論。しかし暁ミクに、常識は通用しません」
サクヤはそう言って、そっと左手を胸の前に持って行き目を閉じる。
そしてあたしらが何を言う前に、有無を言わさず口にした。
「ドナー・リリース。暁ミク」
馬っ鹿野郎!
……的な表情をルイがした。ドナー屋としてはそう思うのも無理なかろう。
そして、昨日ルイがしていたのと同じように今回はサクヤの体を光が包み、その姿を徐々に徐々に書き換えて行く―――
と思いきや、今回起こったのは、ほんの一瞬サクヤの全身がふわっと発光しただけだった。空気の余波は少しあったものの、サクヤの姿はどこも変化はしていないように見える。
アニメで言うなら、サクヤの眼周りのカットインから始まって全身を舐め回すようなカメラワークをしてからの一旦全身を映してから再びの表情どアップ(当然背景は真っ暗だ)、そして逆行気味に目潰しの光を画面いっぱいに溢れさせホワイトアウトしたと思ったらーーーー、急にアオリの画面になってあたし達全員を映して、ポフッていう煙がサクヤから出てシーンとなりました、みたいな事ですよ。さあ伝わったかな、このがっかり具合?
まあそんなことになったので、当然息を止めてまでちょっとは緊張していたあたし達は一気に萎えた。呆れた、とも言えるか。ルイなんかまた眉間つまんで椅子の背もたれに体預けちゃったよ。
結局、何だったんだんだろうねぇ。
再びの嵐、微妙な波乱を巻き起こしてくれた張本人はしばらく静かに座ったままでいたが、やがてゆっくりと、体を馴染ませるように目を開け、大きく呑気に伸びをした。そして憚りなく大あくびをして、
「や、お初☆」
軽く手を上げ初めましてのご挨拶。
「おー、美味しそうなもの食ってんじゃん。あたしも何か頼もっかなぁ。あ、でもサクヤは怒るかなぁ……」
嬉々と人の(食べかけの)食事に目移り。
「って言うかやっぱ面白いな、人間が脳内処理に手こずってる顔を傍から見るってのは」
遂にはニャハハと笑って顔批判。いや、顔をじゃないか。
ともかく……、何だこれ。
「ふざけてるんなら、脳天割るぞ?」
呆れ半分、何か他の感情のごった煮半分、といった感じでルイが椅子を後ろに傾けて吐き捨てる。
それを、
「おお、いいねいいね。それだけのパラメータで斬りかかられたらサクヤはたまったもんじゃないだろうなぁ」
「!?」
まるでどこか別のところから悠々とこの光景を見て楽しんでいるかのように言ってくれる。サクヤ……らしきもの。
しかもルイのパラメータなんて、今までサクヤには見せてないぞ。それで確信を持ったようにあんな言い方をする……。
いくらなんでもこうなればこう言うしかないだろう。
「お前……、暁ミク、なのか?」
あたしが言うと、サクヤの顔が子供みたいな無邪気な笑顔を見せた。
「うん、そう。地球と異界の全ての文明を作り替えた女子中学生、暁未来だよ。一応所属はピクセル。まぁ、一つよろしくぅ☆」
キャピッと笑って頭に付いた物をちょいちょいと弄る。見ればサクヤのしていた水の髪飾りは蝙蝠のそれに変わっていた、それがピクセルの象徴なんだな。
やれやれ。姿形は間違い無くサクヤのものだが、あたし達の目の前にいるのはどう聞いても先刻のそれとは異なっているな。演技でやっているならなかなか見事なもんだけど、その可能性は低かろう。14歳の演技にしては堂に入り過ぎていて気持ち悪い。
なら、ひとまず認めておいて構わないんじゃないの?
「暁、ミク……」
初めて音にするみたいに一文字ずつきっちりルイも言う。サクヤ顔の暁ミクも、それを聞いて満足気に口の端を怪しく艶やかに上げていた。
こうして、今回の物語の主要人物は出会い、出揃ったのだった。
0章を作っておいて何だが、ここまでが今回の話のプロローグ的なものだったりするわけなんだね。異世界というものを語るには、それなりに説明が必要になってしまうものなんだ、分かってくれ。これでも短くまとめたつもりなんだけどさ。
そんなわけで、何やら世界の命運みたいなものが関わって来そうな(今のとこそんなもんどーでもいいんだけどな)、あたしらじこちゅー達の物語。
はじまり。はじまり?