PARADOX.0 こういうことがあったらしい
PARADOX.0 こういうことがあったらしい
『 全人類への宣告 暁 ミク
今から世界は変わります。これは決定事項であり、既に改定は実行されました。ありとあらゆる不合理な争いは影を潜め、生物は皆等しく管理し合い、新しい世界への扉が開かれました。何故なら、そうした方がいいに決まっていると私が判断したからです。しかし、恐れないでいただきたい。これはこの世界をより楽しむためのものであり、無関係な皆にはより安定した快適な世界が待っていることだろう。どうか、全ては私が提供したこのより自由な世界を心行くまで味わってもらいたい。それでは、これより詳細を……』
ふと訪れた暗転からの寝覚め、このような非常識身勝手極まる内容の文章が眼前に見えた。
全人類、種族問わず、文字通り眼前に。
そしてその直後、世界は本当に激変した。
石油に始まるエネルギー枯渇問題はあっさりと未知の代替物が見つかり、ジャッジ・システムによる全生物数値管理は人類の健康維持や疾患早期発見を実現したどころか犯罪の即時発覚・断罪までも可能とし、個人軍事を問わず争いという争いはほぼ無くなっていた。経済格差も大幅に是正され、何不自由無い生活を送れる者が大幅に増えていた。
そして同じ時、全世界で10万人もの同時行方不明事件が何の前触れも無く起きた。しかし被害者は遠い世界で無事発見された。
そしてまた同じ時、全世界で10万人もの竜人だの人魚だの妖精だの天使だのといった姿の者達が前触れも無く現れた。しかしその者たちは当初事態に当惑したようであったがすぐにこの世界に馴染んでみせた。
それが、地球上に起きた変化の全てだった。
数千年という時間をかけ数十億という人類が血で血を洗い組み上げてきた文明という名の世界は、たった一人の天才の自己中心的な言葉と共にまるでそんな歴史を意に介さず、60分の1の角度を刻む間にいとも容易く上書きされてしまったのだった。
それから12年。世界は何一つ矛盾無く動いている。
「はっ…、はっ…」
空を灰雲が支配する高地。その中の人の手が全く入っていない青々とした草原を、大して好きでもない長袖の制服に身を包み、最近美容院で丁寧に整えた自慢の茶髪のロングポニーテールをはためかせてあたしはひた走る。
こんなに長距離を一心不乱に走ったのは初めてかもしれない。状況が逼迫していなければ今まで味わったことのないマイナスイオンたっぷり(だと思うけど)の空気を堪能しながらのジョギングと洒落込めたのだろうけど、そんな余裕はまるで無い。
何せ今、あたしは死にそうなのだ。
「これ……、思った以上に、きっついなぁっ……、と!」
ザザザザザッと、あたしの走る足音に続いて、ザムッ、ザムッとあたしよりも力強い跳躍しながら駆ける足音が。出来る限りあたしも顔に伸びた草花がかすめていく程に上体を前傾にしつつ疾走と呼べるレベルで走っているつもりなのだが、いかんせん相手が悪い。
どう考えても並の人間が虎……に爬虫類的な皮膚の翼が生えて尻尾が蛇の生物(キメラっていうんだっけ、こういうの)に草原での追いかけっこで敵うはずなかろうが。障害物だってないんだぞ。
……しかし、こんな状況であってもあたしは全く悲観していない。むしろ楽しんですらいたりする。あ、決してマゾじゃないぞ?
今ここにいることは、たとえ偶然であったとしてもあたし自身が望んでいたことだからだ。
時間を少し遡って、15分程前。
東京都練馬区某学園駅から自転車で15分程の我が家にて。
「……ぇ……ゃん」
柔らかなー、春の光を浴びてー、希望に胸をー膨らませー、
……てはいないけど、4月の優しい朝日があたしの微睡を後押ししてくれている。いやー、16歳にして二度寝の魔力に抗えなくなってきましたよ。
「ちょ……、お……ちゃん」
あたし専用の羽毛布団は今日も完璧な仕事振りだ。これは今夜もご褒美として頬擦りの刑だぜこんちくしょうめぃ。
「お姉ちゃんっ!こら、アスミお姉ちゃんっ!!」
ばっさぁっ!
ああっ、あたしの相棒『ふわ子』が連れていかれたっ!
「うー……。妹よ、何故あたしの惰眠を邪魔するのだ……」
目を開けずとも、あたしには今、妹のミカゲがあたしのベッドの横で我が相棒『ふわ子』を持ちながらむすっとした顔であたしを見下ろしているのが感じ取れる。
そして、眼を開けたらやっぱりそうだった。
「惰眠、なんて自分で言ってる時点でそれを妨害されることに気付いてくれませんかね」
溜息をつきながら眼鏡をくいっと上げる黒髪ショートな妹は、もうその所作が板についていると言うか似合いすぎている。14歳で姉にそんな感想を抱かれるなんて、何とも物悲しい。苦労性なのかなぁ学校でも。生徒会長とかしてそうだし。
「朝御飯とっくに出来てるんだから早く食べてってお母さんが」
「あー、そりゃ申し訳ありませんでしたねぇ」
ご飯に罪は無い。お母さんにも。
仕方が無いので、窓から差し込む光を熱源にしてあたしは一瞬でベッドから飛び起き、更には早替えの要領でパジャマから高校の制服にドレスチェンジを済ませる。
この間、僅か4秒。新記録には、程遠い。
「……で、お姉ちゃん。今日こそは真っ直ぐ学校行くんだよね?」
食卓に着いたあたしに浴びせかけた妹の第一声がこれである。
「あー……、どうしよっかねぇ」
あたしはあたしでいつもこういう姿勢なんだけどね。
あ、ミカゲの眉間に薄めの皺が。
「だってさあ、意外とつっっんまんないんだもん、日本の高校。進学校の割にはレベルも低いし、目新しいことは何も無いし、女子のランクもあれだしさぁ」
「そりゃお姉ちゃんの経歴からしたらそうかもしれないけど……」
あれこれ手を出しましたからね。普通の生活じゃ確かにあたしも満足しないってもんよ。中身の無い女子トークのつまらんことつまらんこと。
けど別に、こうやってだらけた生活をするのもたまにはいいもんだよ。真面目なミカゲには分からないかもなんだけどさ。
「でも、あまりお姉ちゃんに勝手されると私が困るんだよ……」
「ん?」
「……何でもない。ほら、早くご飯食べなよ」
「ふーい」
しっかり者の妹を持ってあたしは幸せもんだね。愛してるぞー、妹よー。
結局、登校時刻まであまり間が無かったため、昔身に付けた早食いの技術を駆使し30秒でご飯と味噌汁、焼き鮭をしっかり噛みつつたいらげる。片付けだけは申し訳無いがお母さんにお任せし、たまには妹のご機嫌も取らにゃならんのも姉の役目ときちんと間に合うように学校に行くことにした。
「ミカゲー、あたし行くからねー。待たないよー」
「ちょ、ちょっと待って!教科書入れ忘れたからっ!」
早々に靴も履き終え、身嗜みも靴箱の全身鏡で整える。うん、今日もあたしは完璧だ。
玄関でほんの少しだけ待ってみたが何かまだバタバタしてるし、どうせその内追い付くだろうともう外に出た。教科書の一つや二つあたしは無くても困らないんだけどねぇ。
いやはや、ちょっとだけ涙目になってあたしを追いかけ走ってくるミカゲの姿が目に浮かぶようじゃのぉ、可愛いぜ。
表に出たら、日差しはあったが4月のくせにほんの少し肌寒かった。春特有の桜を散らす風があたしのスカートをなめて吹き抜けていく。あたしの下着は桜じゃねえって。
と、そう言えばお弁当を入れ忘れてしまっていたことをここでふと思い出す。ミカゲが気を利かせて持ってきてくれると嬉しいけど、今のでほんの少し拗ねていたりしたらそれも期待薄だ。途中の弁当屋ででも調達せねばなるまい。学食は安いがあたしには色々物足りないんだよなぁ。
などとぼんやり考えながら歩き出したのがまずかった。
「!」
気付けなかったのだ。
あたしの体を、黄金に輝く光が包み始めていたことに。
足元から噴き出す光は瞬く間にあたしの全身を包もうとし、あたしをこの世界から隔絶しようとしていく。さすがに未知の体験だったために持っていた鞄もうっかり落とす。
「まさか……これが、『異界流し』!?」
視界をほぼ光に塞がれ、手を伸ばせば届くはずの我が家すらもうほとんど見えなくなっている。
反射的にあたしは家のドアの方を振り返ったが、そこにはまだ誰もいてくれはしなかった。この瞬間を見届けてくれる人は、どこにもいなかった。
そうしてあたしは、地球上から姿を消したのだった。
……で、急にその光が消えたと思ったら目の前にこれですよ。
と、そんな回想をお届けしてたら丁度射程圏内に入ったのか、キメラは一気に跳躍しあたしを喰らおうとしてきた。あの鋭利な牙にかかれば、ミニスカでひらひらなあたしの体は一瞬でスプラッタだよねぇ。
そんなのは嫌なので、あたしは自らのベクトルを急反転させ、キメラの横スレスレを横っ跳ぶ。想像していたよりも反動は少ない、これなら一瞬で体勢を立て直せる。
キメラが攻撃動作から立ち直りこちらを振り向くまでの刹那、あたしは事前知識をフル回転させ右人差し指を軽く振る。するとあたしの眼前に半透明のメニューボードがふわっと音を立てて浮かんだ。よし、情報通りだ。
ならばとあたしは高速スライド&タップ、コマンドからスキル欄を確認する。
……げ、殆ど何も無いじゃん、当たり前っちゃ当たり前だけど。これでどうやって凌げってのよ、武器も道具も何も無いってのに。これも噂通り初心者に優しくない世界みたいね。
ではと自身の能力値を見直す。レベル37、HP3521……って、これならひょっとしたら何とかなるのではなかろうか?実家にいたときはこっちの数値は見れなかったからなぁ、何だか新鮮で楽しいぞ。ピンチだけど。
あたしはメニュー画面を閉じ、キメラに向き直る。じゅるりじゅるりと涎を垂らしながら獲物を見据えていて奴の興奮が伝わってくる。おかげでこいつの知能指数もわかるというものだ、大助かり。
あたしは大きく息を吐き、手を地面につき身を屈めクラウチングスタートの姿勢を取る。するとキメラは大きく咆哮を上げ、あたしを一噛みにしようと飛び掛かってくる。おお怖い、迫力だな。
……だからって、このくらいじゃあたしが尻込みするには物足りない。
前方上38度、距離4m。あたしは前傾姿勢から全力で一歩踏み出し、キメラの鼻っ柱に真っ向から跳び蹴りを繰り出してやった!
生物との接触に特有の軟体感を感じさせないキメラとの衝突の瞬間、これまでに体感したことの無いほどの衝撃があたしの蹴り出した脚に襲い掛かる。例えるなら軽トラックに正面から自転車でぶつかった時の自転車の気分だ。目算でこいつの重量は200kgってところだから悪い例えじゃないでしょ。
しかしこれは…さっきとは違って想像以上ね、気を抜くと膝の半月板から一気に粉砕しそうだわ。
「ぬっ、ぐ、りゃあぁぁぁぁあぁっぁぁぁぁぁぁあっ!!」
内在の力を右脚に注ぎ込む。注ぎ込み過ぎて今のあたしは大層不細工に違いなかろうが、なりふり構ってる場合でもないし。あ、何か足の裏にリアルに火花出て来たぞ。
と、突如激しく足の裏が白く発光し、破裂音と共にあたしとキメラが激しく弾き飛ばされた。奴は尻尾の蛇が地面に咄嗟にめり込んだおかげで3mと吹き飛ばなかったが強かに背中から落下した、ざまあ。
いや、あたしも大層吹っ飛んだんだけどね。獣よろしく四肢で思いっきり踏ん張ったけど摩擦で燃えそうだよ。
しかしまあ、この一連で何とかこいつとやり合えなくもなさそうだということが分かった。何事も初めから諦めてはいけないということだね、攻めの姿勢が大事なんすよ。けどあたしのHPは今ので5分の1くらい擦り減ってしまったのだが、奴のHPゲージは見たところ10%程度しか減っていないようだ。畜生め、交差攻法を最大限に利用した今出来る最大の重撃だったんだけど、これじゃああたしの身がもたん。
「さーて、どうしますか…」
幸いにして離れたこの間合い。逃げつつ作戦を立てようか、はたまた奇跡でも起こるのを祈った方が良いものか。
「……って、馬鹿かあたしは。夢見てんじゃねーよ」
都合の良いことなんか期待するだけ損というものだ。手持ちの手段でどうにかこうにか進んでいくのが人間ってものだろう、どんなに技術が進歩しようが世界が変わろうがそれだけは不変の真理だ。
あたしは戦略的撤退の算段をするために周囲を見回す。遥か眼下に街が米粒程度には見えるほどに続く高原、ぽつぽつと申し訳程度に木が生え、空を覆う黒く厚い雲からは今にも豪雨が降ってきそうな気配もある。その割には中空に小さく太陽のようなものが浮かび、標高に似つかわしくない暖かさをあたしに運んできて……
「ぷぎゃんっ!」
一瞬の思考の間に、太陽と思っていた紅い球はみるみる巨大化・接近し、あたしに猛烈な速度で衝突。更には多大な熱量と爆音と共に破裂しあたしの体を遥か彼方に吹き飛ばした。
あまりにも思考外からの不意打ちだったためにあたしは何の対処も出来ず吹き飛びながら強かに全身を強打、胸とかも火傷ばりに超熱い。止まったところでうずくまって痛みをまずは飲み込もうとするが、そっちは存外大したことはなくすぐにでも起き上がれそうだった。が、あたしは敢えてせずにうずくまっていれば姿を完全に隠せるほどに伸びているこの草むらの中に留まる。
あれかな、今あたしが喰らったのはいわゆるファイアーボールというやつか。恐らくキメラがぶっ放してきたんだろう、実際にこの目で見たのは初めてだったもんで対処が大いに遅れてしまって挙句もろに入ったよ。HPの減り具合が心配だわ。
……にしてもまぁ、本当に現実なんだね、これ。ほんの10年くらい前まではこんな世界は絵空事として見下されていたってのに、実際こうしてあたしの体に痛みと熱を刻み付けてくれたものをあたしが現実じゃないなんて認めないわけにはいかないでしょ。誰でもない、自分が証明だ。
この、武器と魔法と魔物と進んだ文明が蔓延る『異界』というものが、地球の隣に現実に存在しているということを。
勿論12年前の文明改定の折にこの『異界』の存在は説明されていたし、一度こちら側に来て帰ってきた『異界組』と呼ばれる人達からも証言は取れているから少なくとも真実ではあるということは証明されていたんだけど、それを実感出来ている人は地球上にはそういないだろう。何せ異界に行ける確率は宝くじで100万円以上が当たるくらいのものなのだ。このあたしでさえこうして何の前触れも無く『異界流し』されていなければその存在を実感することは出来ずに憧れを抱いたままで終わっていただろうし。
でもこうして無事異界に呼ばれ、たら高原で寝てたキメラの目の前で、思わず声を上げたせいで襲撃されても何とかこうして生きてるあたし。今実感しまくりで嬉しいったらないね。ついでにこうしてこの世界観も軽く説明できたよ、あぁすっきりした。
さて、解説も短く済ませたところで現実に目を向けよう。せっかく来れたのに即退場は残念にも程があるし。
この一見理不尽でシビアな世界に憧れて可能な限り事前に情報を収集していたおかげもあってこちらの世界での順応ももう大分したし考える余裕も出てきた。記憶が曖昧ではあるけど、あのキメラの種族名は確か『ガルフキメラ』。この手の魔物の中では比較的低レベルのやつで、直接攻撃が主な攻撃だがこうやって火炎弾も飛ばして牽制もしてくる。しかしそれ以上特筆する性質は無かったように思われた。あたしの記憶、信頼してるぞ。
そうなると、こうやって離れていると火炎弾がボンボン飛んできそうなのでなるべく近づいて戦うのが良さそうではあるんだけど、それはあくまで戦う準備が出来ていればの話であってあたしの場合は一概にどうとも言えない。
HPも半分ちょいまで減っていて、火炎弾もあと何発かは喰らっても平気みたいだが痛いし熱いんで嫌だ。それに奴のHPもまだ9割程度残っている筈で……、
「……おや?」
そっと草むらから顔を出し奴のHPゲージを覗き見る。すると、遠くて曖昧な目算ではあるがHPが1割弱くらい削れているような気がした。あたしはさっきの蹴り以外攻撃をしていないし当てていない。なのに奴のHPが減っている。
「……ふーん、成程。そういう仕組みなのか、な?」
うっし、勝利の糸口が見えて来ないでもないな。後はあたしの呼吸次第……、
ピリリリリリリリッ!
「うげっ!」
いきなりスカートの中のケータイ鳴り出したしっ!誰よこんな時に、タイミング最悪かっ!!
あー、音に反応してキメラがこっち気付いちゃったじゃんよー、もー。
……しゃーない、いつも通り自分を信じて行きますかっ!
あたしは鳴り止まないケータイをノールックで切ってガルフキメラを視界の端で捉えると、そのまま奴から真横に向かって一気に走り出した。
ガルフキメラは草の海である視界に現れたあたしの姿を顔で追うと、再び火炎弾を口から撃ち出した(ファイアーボールではなくファイアーブレスというべきだったのかな)。しかし先程とは違い動く、しかも縦軸ではなく横軸に動く的であるあたしに当てるには至らず、あたしの遥か過ぎ去った後方に着弾し爆裂する。が、見た目と質量の割に着弾点は爆竹程度の焦げ跡しか残っていない。うそん。
その後もあたしは今度はキメラを中心に円形に走り回る。ガルフキメラはそんなあたしにその場から動かずに次々に火炎弾を放ってくる。4発、5発と撃ってくる内に徐々にだけど着弾点があたしの足元へと迫り精度を増してきたがまあ構わない、当てられるもんなら当ててみい。っていうかこいつは一定の距離が開いていたらやはり牽制で火炎弾を撃ってくるのが中心なんだな。
……なんてことを言ってたらやおらキメラが距離を詰めてきた。あたしに火炎弾が当たらないのに焦れたのか、何か考えがあってのことか。何はともあれあたしには少し予定外だ。
もう少し、早めに突っ込んでくるかと思ったんだけど。
あたしは走る足を止め突っ込んでくるキメラに正対する、そして再びのクラウチングの構え。狙いはやっぱり奴の鼻っ柱。
そのせいで完全に動きの止まった的であるあたしにガルフキメラは突っ込んで来つつ火炎弾を放って来た。そりゃそうだろう、格好の的だ。
しかしそんなものは想定内であり計算内である。あたしはその火炎弾に顔の前で腕をクロスさせガードしつつ一気にスタートして突っ込んだ。着弾の瞬間に僅かに前方に跳躍し、火炎弾の勢いを相殺する。
相変わらずの衝撃と爆音で炸裂してくれた火炎弾だが、あたし自身には大したダメージを与えることは無く、そしてあたしのベクトルを完全には消滅させることは無かった。HPも1割と削れていない。
僥倖だ、焦げ臭い。何が?知るか。
爆煙から抜け出たあたしは再びぐっと一歩を踏み出して、今度は突貫とも言えるべきノーガードでキメラに駈け出した。前方上29度、距離約4m、補足は完了だ。
「喰ぅらえぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」
今度は両脚での跳躍によるドロップキック。口を開け、さて噛み付こうとしていたキメラの鼻っ柱にクリーンヒット。そして再びのあの激しい衝撃と圧力、飛び散る火花。
だけど今度はあたしの体が吹き飛ばされる前に力の向きを変えにかかる。ダメージを与える限界ギリギリの時間まで粘り、両者の力が弾け合う瞬間を見計らって一気にキメラを踏み台にしてあたしは高く跳躍した。踏まれたキメラは地面に真っ直ぐめり込む形でその場に停止してくれている。
そしてあたしは跳躍の頂点から(9mも飛ぶとか未知体験ね)重力加速に任せて、うずくまるキメラの背中を思いっ切り踏み付けてやった!
「ゴガァァアァァァァァァァァァァッ!」
キメラの悲鳴怒号に混じって、ゴキュ、バキ、グリュ、といった生々しい音が耳に届いてくる。あーあー、聞こえないー。
踏み付けられた背中を支点にVの字に折れ曲がったガルフキメラの体(尻尾の蛇にも痛覚があるのかピンと伸びきっている)が、悲鳴が止んであたしが飛び降りると同時にそのまま地に伏した。そしてガルフキメラのHPゲージが真ん中辺りの青から赤くなりながら減って行き、遂には空、すなわち0になった。その後全身を僅かに発光させ、パンッと音を立てて霧散し消滅していった。
「………………………………ふあぁぁーっ」
ああ、力が抜けてくわぁ……。
全身の緊張が一気に抜け、あたしはその場にへたり込んでしまう。いや、実際本当に際どかったのだ。自分のHPゲージを見れば、残り2割といったところまで減ってしまっている。
なんともはや、痛烈な異界デビューとなってしまったな。
「ジャッジ・メディカルスキャニング」
あたしが口ずさむと、ポーンという高く透明なシステム音と共にあたしの体を淡い白い光が包む。そして数秒してから『Not found』の文字が浮かんだ。特に深刻な異常無し、か。ひとまずよかったよかった。
さて、では疲れが回復するまで情報を整理しながら改めての自己紹介をさせてもらおう。
あたしは都内のとある高校に通うぴっかぴかのJK1年、火蓮明日実だ。一応4月である現在だが誕生日は迎えているので16歳。
自分で言うのも何だが、一般基準からしてみたらハイスペックな女子であると思う。運動神経も良いし学業も全国模試で一桁の順位をキープしている(と言うか、実は海外で大学を出ちゃってるんだが社会勉強のために高校に行ってるのだよ)、体も大きくはないが出るとこ出て締まるところは締まってるし、4歳から伸ばしている栗色の髪は枝毛一つ無い自慢のサラサラポニーテールだ。
こう言うと何だか嫌味な女子に聞こえるかもしれないが、これは才能も確かにあったかもしれないけども多くは努力の賜物だ。
12年前、稀代の天才だった『暁ミク』が異界と手を結んで行ったという文明大改定。
問答無用な全人類管理装置や超長距離転送装置なんてSFじみた物体が日常化してそれまでの文明と入り混じってしまった混乱の時、当時4歳ながら物分りの良さに定評のあったあたしは真っ先にその変化に乗った。もたらされた全ての先時代文明の利器を可能な限り解析・使用し、熟知した(さっき使った『ジャッジ・システム』という物もその最たる一つである)。
宣告にあった通り、この世界を楽しもうと思ったのだ。
そのためにはまず自己の研鑚が必要と考えたわけね。あれだ、「何でべんきょーしなきゃいけないのー?」だの「将来勉強なんて役に立たねーよ」とかぬかしている馬鹿者達には教えてやりたい、それらは全て自分がやりたいことを自由にするための権利取得のためなんだぞってさ。
まあおかげ様で、随分欲求不満な性格に育ってしまったのだけれど。いや、欲求過多とでも言うべきか。「未知のことを知る」ということに喜びを見出してしまって、何でもやりたがるようになってしまったのだね。勉強も、スポーツも、科学も、ファッションも、果てはサバイバル技術だのイラストレートだの手品だのとどうでもいいことまで。無駄に鍛えたおかげで基礎能力も高かったし、元が器用な質だったのか大体のことは出来てしまった。
しかし、それでもどうしようもないことが一つだけあった。それが今あたしのいるここ、『異界』である。
『異界』というのはあくまであたしら地球側から見た呼称だけど、ざっくり世界観をまとめて言えば、『自然と文明と剣と魔法と魔物が共存する自由な世界』とでも言おうか。君達はMMORPGというものをやったことがあるか?正にそんな世界だ。
知らない人のために解説しておくと、作り物の世界で世界中のみんなとインターネットを使って、モンスター倒したり、生活したり、むしろその世界を救う冒険に出たりとかするゲームのことだ。テレビ画面でやるかパソコンでやるかVRでやるかは色々分かれるところだが、取り敢えず世界的に有名なRPGを調べてみてくれ。あたしもよく知らない。
で、そんな地球上の大多数の人には未知過ぎて恐怖で溢れた(人間は自分の知らないものは排斥したがるものだしね)、一部の人には夢とロマンで溢れた異界だが、地球と繋がってる割に自由に行き来は出来ない。それにも実はエピソードがある。
12年前、文明大改定が起きたと同時に、世界中で10万人もの人間が同時に行方不明になるという事件が起きた。後に『異界流し』と呼ばれたその現象は、時も場所も選ばず突如対象者を光が包み、フッと姿をかき消すというものである。それが改定の直後に10万件、そしてその後はランダムに数も関係無く起きているのだ。
それと同時に、あたしたちが『亜人』と呼称する異界の住民が地球上に現れるようになった。これも時と場所を選ばずランダムである。
その亜人だが、異界の住民という言葉から初め得る禍々しい印象とは程遠く、羽や尻尾が生えていて多少肌の質感や色が異なるといった程度の、言ってしまえばコスプレに近い人種だった。言葉も普通に通じる(これはジャッジ・システムの機能の一つである言語翻訳機能のおかげだが)。そのおかげで、考え方や常識に違いはあれど、弾圧やら反乱やらの暴動には発展せず、互いの人種は割と友好的にお付き合いが始まったのである。あたしも僅かだが直接面識があるぞ、蝶の羽のようなものが生えた血色のいい女の子だった。
さて、話を戻そう。異界流しにあった人がどうなったか。実のところこれがすぐに所在が確認された。
何とも便利なことに、携帯電話が通じたのだ。あたしのもさっき鳴っただろ。
異界にも携帯電話会社の支店が存在するんかい、というツッコミがあったがそうではなく、これも実は最初の暁ミクの宣告に記載されていたのだ。
曰く、『見知らぬ土地に突如飛ばされたであろう皆、慌てることなく家族に携帯電話で連絡をとりたまえ。理屈を追及するのは愚かなこと故、まずは己が命の証を示せ。その世界で楽しむのはそれからだ』らしい。使えるものは例えソースが不明だろうが便利なんだから使っとけ、ということね。地球の便利文明も使い方は分かってても仕組みは未だに解明されてないし。
つか、その理屈に従うならばあたしはまだこの世界を楽しんではいけないことになる。何せ通学途中にいきなり異界流しされ、この異界の何処だか知らない高原にほっぽり出されたと思ったらいきなりのボスバトルだったもんね。うん、後で妹にでも連絡を入れよう。
で、通信手段が確立されたとなると、異界についての様々な情報が即座に氾濫した。無論初めは地球側では懐疑的だったのだが、異界の画像やら実際亜人の登場によりひとまず異界存在論は世論で支持された。異界にいる人達やこっちに来た亜人さん達によって異界についての情報も徐々に集まり、数ヶ月も経過した頃には異界は地球と隣接した、古き良きRPG的世界として当たり前に存在が許されるものになっていたのである。慣れって恐ろしい。
が、それでも未だに渡航手段については判明していないのだ。異界流しされる人はランダムだし、最近ではめっきり件数も減った。ついでに言えば、異界に行った人達はほぼこちら側に戻ってきていない。何か、「地球に戻るよりもこっちの方が割と楽しい」とかいう意見が多いようで、そんな話聞いたらそりゃあ多少危険があったって行きたくなるってもんでしょ(戻る手段が皆無って訳じゃないしね)。
まあ、そんな偶然に頼るみたいな手段でしか今のところ異界に渡る手段が無いわけで、さすがのあたしも夢の一つみたいな感じで諦めかけていた訳なんだけれど、今日こうしてめでたくやって来ましたよっていうね。
というわけで、ケータイもネットも普通に繋がるリアリティ溢れるファンタジー世界の簡単な解説終わり。よし、現実を見よう。
ふう。改めてこの世界を眺めてみるが、異界と呼ばれていても地球と大して変わらないな。空気もおいしいし、植物や土の性質などもほぼ同質に思える。それにここら辺は山岳部だから過疎ってるが、公開されてる画像を見た限り都市部はそこそこ発展しているって話だしね。中世ヨーロッパ的なものから熱帯リゾート的なものまで色々取り揃えているらしい、行くのが楽しみだ。
だが移動手段が郊外と都市部を繋ぐ数基の転送機しか無いっていうのが玉に瑕なもんで、あたしもここから麓の町までこれからハイキングだ。せめてここの位置情報が確認出来ればいいんだけど、来たばかりのあたしのマップ画面にはあたしが直接移動した道筋しか記載されていない。ハイテク機能なくせにこういうところはシビアだねぇ、確かに実際のサバイバルなら自分でマッピングしないといけないから自動でしてくれるだけありがたいんだろうけどさ。
……ところで、さっき逃げ回っていた時には感じなかったけど、結構歩き辛いなぁこの草原地帯。腰の高さまでボーボーに伸びてくれちゃってるもんだからちょっと掻き分ける必要があるんだよね。
あたしはその掻き分ける鬱陶しさと麓までの目算での遥かな行程を思って大きくため息をつきながら、軽く指を振って再びコマンド画面を開く。その中からスキル欄を開いてみると、『ドラゴンシュート』と『エアトリック』という二つが増えていた。これってさっきの跳び蹴りと空中踏み付けだよな。勝手に名前つけてくれちゃってまあ、後で変えてやる。
ちなみにだが、この異界ではこの手の戦闘系スキルの使用には技の性能に応じたHPを消費するようだ。
さっきのキメラとの戦いでドラゴンシュート(仮)を撃った際にあたしのHPがごっそり減っていたのは確かに奴との衝突の衝撃によるダメージもあったんだろうけど、それ以上にこのスキルの消費HPが今のあたしにとってそれなりの負担だったからというのもある。見る限り、二発目のエアトリック(こっちは採用)の方が難度が高い分消費も大きかったらしい。だからHP残量が2割まで行ってしまったというわけだ。
同様の事が敵側にも判定があるだろうと当たりを付けたんで、キメラにもボンボン火炎弾を撃たせたってわけね(何故ならジャッジ・システムは全ての生物に公平だからだ)。あたしらよりも判定は甘めになっているのか削れ方はゆるやかだったもののそれは見事当たりだったんで、無事撃退に成功したって流れですな。あの状況で見抜けたあたし凄いっ!
えっと、他に何か変わったことは……っと。あ、所持品欄に知らんものが増えてるな。でも使い道が分からんから今はいいや、ほっとこ。
……にしてもさぁ、こんなところに女子高生一人ってのはやっぱりちょっと物悲しいっていうか、今更ながら不安感を覚えなくもないね。別に変質者とかの心配は無かろうが(別にいても良いけど、倒せるから)、さっきみたいな魔物がまた出てきたら次、間違いなくあたしは生きていられないだろう。それはさすがにご遠慮願いたい。いくらあたしでも、丸腰で見知らぬ世界を生きるのはちょっとね。
そう思っていた矢先、あたしの前方遥か遠くから小さな音が聞こえた。草木が風でそよぐ音とは全く違う、高い、微々たる音。
あたしは気を引き締め直し、全神経をその音に集中させる。
耳に微かに届いてくるのは……声?ん、歌?
声によるメロディ。バイオリンを弾いているかのような、滑らかで美しい……少女の歌声だ。どことなく神聖な、ゴシックオペラとでも言うのだろうか、そんな高音の旋律だ。
どうしてそんなものがこんなところで聞こえてくるのか不思議だが(屋外で少なくとも数百mは離れているのに聞こえる時点で相当だい)、聞こえちゃったのだから確かめない訳にはいくまい。好奇心スイッチオーン、だ。
……よもや、歌う魔物とかではなかろうか。
なんて疑念を抱かないでもないけど、そのときはそのときで全力で逃げよう。
草を掻き分け音源に近付くにつれて、その旋律の明瞭さが増してくる。と同時に、何だか体がふんわりとした感覚に陥ってくる気がしてきた。無意識の内に歩調が早まり、吸い寄せられるように足が前へと進んで行く。
呼吸が徐々に荒くなり、何だか頬も紅潮してきた。……あれ、何かヤバくね?
そう思い当って歩を止めようかと意識した時には既に遅し。めっちゃ複数の生物の気配が感じ取れた。7……、8……?いや、もっといそうだ。この距離じゃ下手したら気付かれちゃうのか?
何とか踏み止まって自分の気配を隠そうと思ったが、そんなもんやり方が分からない。別に武道の達人じゃないんだからなぁ。
本当にこのままだと訳の分からない気分に意識を持って行かれそうなので、意を決してあたしは全速力でその音源に接近することにした。敵の渦中に突っ込むことになるかもしれないがそうなったら駆け抜けてやる。
が、グッと地面を踏みしめ初めの一歩を飛び出した途端、さっきの戦闘中なんか比べ物にならないくらいの加速があたしの背中を押し、そのせいで思いっきりバランスが崩れ、二歩目で馬鹿みたいにつんのめって派手に顔面からのスライディングを決めることになってしまった。
ちょ、めっちゃ熱い!顔面削れるって!!
しゃちほこもびっくりな海老反り体勢で滑り込み、その勢いを無くし尻を天に突き出す形で静止したあたしにも、未だに例のガラスのような旋律が降り注いでくれていた。声の主はどうやらあたしの真ん前に立っているらしい。それはそうと顔が痛い。
ほんの少し地面にめり込んで張り付いたあたしの顔を勢い良く引っこ抜くと、まず目に入ってきたのは細くて白い二本の脚。そして、ぴこぴこと左右に振れてぶら下がるふわふわの銀毛に包まれた長い猫の尻尾。
そのまま視線を上げて行くと、高原の草木を撫でる風に揺れて靡くこれまたふわふわな、というか森ガールみたいな装飾がなされたロリ系の茶色いワンピース(スカートが膝上までしかないんでその中がギリギリ見えそうなアングルなんだけども敢えて描写しないから)。そして背面の殆どを覆う、歌声同様に透き通った美麗なウェーブの銀髪があたしの目を奪った。
「わぁ……」
思わずそう漏らしてしまう程に美しかったその髪の持ち主は、あたしのその声に反応したのか少しだけ顔を背後のこちらに向け、歌いながら銀色の片瞳であたしと視線を交わした。
憂いを主成分にしているかのような瞳を持つその顔は、どうみてもあたしよりも小さな少女のそれだ。
何はともあれ見蕩れていても仕方ない。他人の歌を邪魔するのは無粋だとは承知してるけどもこっちも生死がかかってるのだ。情報を聞かないことには始まらない。
あたしはまだ痛む顔面を軽く擦りつつゆっくりと立ち上がろうとした。
「―――――!!」
すると突如目を見開いた少女は、それまでの澄んだ歌声を一気に尖らせて超々高音の、最早悲鳴か超音波にしか聞こえないような一音を発した。
「ぁンッ……!あ……ッ!」
間近でそれを聞いたあたしの体を、股下から脳天に突き抜けるように電流か何かが駆け抜けた。瞬く間にそれは全神経を伝って熱と快感を伴いあたしの体の自由を一気に奪う。
「……ぁ」
やば、立ってられな……。
脳まで痺れさせられたあたしは、今度はがくりと地面に崩れ落ちた。
そこから意識を失うまでの刹那の間、あたしが見たのは逃げるようにあたしから離れていくロリ少女と、その先で纏わり付いた黒い何かを振り払う白い一閃だった。